第六話 反省
十二月九日 午後九時
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
事務所の空気は冷え切っていた。暖房の唸る音が、かえって静寂を際立たせている。いや、冷え切っているのは俺の心か?
俺はデスクに座り、冷めきった泥のようなコーヒーを啜っていた。
目の前のホロテレビでは、新西京トラストニュースの看板キャスター、ジェーンが険しい表情でこちらを見つめている。
『――本日、布袋通りで発生したペットショップ「ツァーリの動物園」襲撃事件の続報です。アルゴスセキュリティ及び警察の調べにより、同店はヴォルコフ・ブリガーダによる知的生命体の違法密売拠点であったことが判明しました』
画面が切り替わり、俺が数時間前まで見ていた黄色いビルが映し出される。
今は規制線が張られ、無機質なフラッシュライトの群れが新西京の闇を切り刻んでいる。
『現場では、店員数名に加え、巻き添えとなった一般市民二名が死亡しました。犠牲となったのは、近くに住む佐藤ハナさん(七十二)と、その孫のタカシ君(六)。タカシ君は、誕生日のプレゼントを選びに来ていたところを、犯人と店員との激しい銃撃戦に巻き込まれたものと見られています――』
脳裏に焼き付いているのは、あの水浸しの店内で横たわっていた小さな人影だ。店員が放った弾丸。それは、狼男を仕留めることもできず、ただ無垢な子供の未来をぶち抜いた。
俺は何をしていた?
あの時、目の前の電柱で風を凌ぎながら、モスバーガーのチーズの味を堪能していた。シャッターが降りる音を聞き、銃声を聞きながら、俺は重いシャッターの前で右往左往していただけだ。
『犯人は依然逃走中です。警察は「狼のような姿をした重改造者」もしくは「未登録の亜人」による犯行と見て、行方を追っています』
ジェーンの声が、どこか遠くの出来事のように聞こえる。 彼女の仕事は伝えることだ。
俺の仕事は、何だ?
私立探偵?
アンダー?
笑わせるな。結局、俺は何も守れず、何も止められなかった。
「……雪風」
「何でしょうか、誠二」
「あの時……俺が迷わずシャッターをぶち壊して中に入っていれば、あの子は死なずに済んだか?」
「正直な話――誠二が即座に突入できていたとしても、結果は変わりません」
「何故だ?」
「あなたはあの時点で対人狼用の装備を所持していませんでした。対峙していた場合――相手の技量にもよりますが、新たなる死体が一つ増えた――そんな結末に至る可能性が高いです。あなたはそれを理解しているはずです。それを改めて確認する意味が私には理解できません」
俺は何も言い返せなかった。
その通りだ。
結果的に俺は命を救われた可能性が高い。
それでも、だ。
もしかしたらアルゴスが到着するまで粘れたかもしれん。
……たらればの話をしても仕方がない。
俺はテレビを乱暴に切り、闇の中に沈んだ。
手のひらに残る、あの時シャッターを掴んだ冷たい感触が、いつまでも消えなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。
いつまでも落ち込んでいても仕方がない。
落ち込んであの胸糞の悪いニュースが無かったことになるのなら、いくらでも落ち込むが――残念なことに世の中そうなってはいない。
俺は立ち上がると自室へ向かった。
武器庫にしているロッカーから幾つか装備を取り出す。
まずはショートバレルショットガンの整備を開始した。
こいつはブラックスティール社のヴェスパー20ショットガンの銃身を切り詰めたものだ。
装弾数は五発。
着脱式ボックスマガジン。
銀製の20ゲージのスラッグ弾を使える。
通常のライフル銃や拳銃では、銀弾は使いにくい。銀は硬すぎてライフリングに食い込まず、精度が落ちる。だが、ショットガンならライフリングが無いから問題ない。
問題があるとしたら銀は鉛に比べて軽いため、突っ込んでくる人狼に的確に撃ち込まないとそのまま殴り殺されることだ。
つまり――俺はスラッグ弾を装填する――近距離で、急所を確実に撃ち抜く。それしかない。もっとも改造者、いや、正確には生体改造者の俺ならそう簡単にはやられないが。
また、銀コーティングされたコンバットナイフを取り出す。
俺はナイフは単分子ナイフが好き――すぐ折れるがいざというとき何でも斬り易い――だが、ここは継戦能力を重視するべきだろう。
しかし……俺が憎むべきはあの人狼なのか?
そもそもの発端を作った馬鹿どもなのか?
いや――犯行予告をきちんと読み解けなかった俺か。
整備していると隣の部屋から会話が聞こえてきた。
「リーナス師匠。実は俺、新しい業を使えるようになったんですけど」
「ほう。我に見せるつもりか?」
「あぁ、ちょっと見て欲しくて――」
俺は思わず立ち上がって隣の部屋に行こうとする。
「いや。リンクス。辞めておけ」
リーナスは間髪入れず答える。
俺は椅子に座りなおす。
リーナスに任せておこう。
「何でですか?」
「良いか――アンダーの世界において自ら自分の切り札をさらすのは愚行よ。例え誠二であろうと、貴様の仲間達であろうと、切り札の詳細は伏せておけ」
「俺が何をできるか知っている方が良いのでは?」
「もちろんそれはそうだ。しかしな。我らと貴様が殺し合いになることもある。奥の手は気軽に見せぬものだ。それともその新しい業は切り札ではないのか?」
「それは――」
「例えば貴様の仲間達が意味もなく一般市民を殺したりしたら――誠二は貴様の仲間達を殺すだろう」
「……」
「その場合、貴様はどちらにつく?」
「それ、は……」
それで良い。
俺は独り頷いた。
「その時にならぬと解らぬか?」
「……」
「手札が割れる。対策される。負ける。死ぬ。それが真のアンダーの戦いよ。誠二がアンダーの世界に最強なんてないと言っていた意味が――そろそろ理解出来てきたのではないか?」
「だとしたら……あんたらはどこまでも孤独じゃないか」
淡々と答えるリンクスの一言。
その言葉に哀愁が滲んだ。
「ふ、それが寂しいなら足を洗って表で暮らすことだな。今の貴様はもうその資格があるはずだ。まぁ、それに我は貴様の特性をだいたいは理解しておる。新業とやらもある程度推測がつく」
「意地悪ばかり言うんだなリーナス師匠。わかったよ、今日はもう帰って寝ますよ」
「何? これから我と涼宮ハルヒをだな」
扉の閉まる音が聞こえた。
リンクスは上手いこと逃げたらしい。
十二月九日 午後十一時
新西京三区 弁天通り バー『湖畔』
俺は綾乃とトマトジュースを飲んでいた。
「実は今日――俺が遅かったせいで目と鼻の先で死んでしまった子供がいるんだ。ただ、俺が間に合っても多分俺も一緒に死んでいた」
俺はまだぐずぐず言っていた。まったく情けない男だ。
「あら誠二。じゃああなたは一切泳げないとして、目の前でおぼれている子供がいたら助けに飛び込むの?」
「……いや、飛び込まない」
俺は首を振った。
「良かったわ、飛び込むって言われたらあなたへの興味が一瞬でゼロになるところだった」
「だが――恐らく一生忘れることはできないだろう。そして水泳の練習をするだろう。次に備えて」
「あなたは繊細でとても優しいのね」
「良く気付いてくれた。何故か皆、そこに気づいてくれなくて困っていたんだ」
「私は名探偵になれるかしら?」
「その観察眼、ホームズに勝るかもしれない」
「あら、私立探偵はあなたでしょう? あなたこそホームズを目指さないと」
「俺が目指してるのはスペンサーだ。ホームズじゃない」
「そう……それは残念ね」
俺は時計を見る。
もう日付が変わる。
俺は席を立った。
「今日はありがとう。君がいてくれてよかった。でなければ店を覗いてすぐに帰るところだった」
「それは店員に嫌われるわね」
綾乃が口の端を上げた。
「出入り禁止になったら君と会えなくなるからとても困るな」
俺は肩をすくめて見せる。
「嬉しいことを言ってくれるじゃない」
「お休み」
「お休み、誠二」
綾乃が微笑む。
俺は店を出て、夜の街を歩いた――彼女がいてくれてよかった。
そう思いながら、俺は事務所へ帰る。
布団に潜り込むと、ようやく眠れそうな気がした。




