第三話 神の存在を信じた夜
十二月六日 午後十時
新西京三区弁天通り バー『湖畔』
とりあえず寒いなか死体遺棄現場を回った俺。結果だと?
もちろん……何の成果もありませんでしたーっ!!
余りにも虚しい。腹も減った。帰って料理する気にもならん。
適当に目についたバー『湖畔』に入る。
ジャズの流れる木目調の色合いの落ち着いた雰囲気の店だ。
バーカウンターが扉から進んだ正面にあり、途中に円机が幾つかと、机ひとつにつき椅子が三脚ほど置いてある。
客はバーカウンター席に黒髪のロングヘアーの女性……だろう。一人座っている。床に髪がつきそうだ。
その女性から二つ程離れたカウンター席に座った俺にバーテンが話しかけてきた。いや、話しかけてくれないと困るのだが。
「何を飲まれますか?」
「ピザとギムレットを」
「かしこまりました」
かしこまりましただと?
「いや……ギムレットには早すぎるな?」
「はぁ?」
きょとんとするバーテン。
おいおい、義務教育で習うだろうが!!
ギムレットを注文されたら『ギムレットには早すぎるよ』って言うのが世界共通の常識ってな!!
まぁいい。まったくレベルの低い店だ。
「では、代わりにブラッディメアリー(トマトジュースとウオッカのカクテル)のウォッカ抜きで」
「トマトジュースですね。かしこまりました」
なんだこいつ面倒くさい客だな、という顔をしたバーテンが用意するために背中を向けた。
すると隣から鈴を転がすような笑い声が耳にそっと入ってくる。
そちらを見ると二つ離れた席に座っていた女性がおしとやかに笑っていた。
黒髪なのに瞳はアイスブルー。
ヒューマン。
真っ赤なロングドレス。
実に妖艶な美女だった。
むしろこのような表現では表現しきれない――俺が今まであったどんな女よりも俺を惹き付ける魅力を持っていた。
「あら、ごめんなさいね。ギムレット頼んでおいてチャンドラーを引用して注文をキャンセルする人なんて初めてみて驚いちゃって。しかもその後、ブラッディメアリーのウォッカ抜きでって――あなた、普通に飲めないんでしょ。それをそんなもったいぶっちゃって可愛いと思ってつい」
俺はショックで何も言えなかった。
こいつ……いや、この女性……いや、この貴婦人……いや、この絶世の美女……ハードボイルド御三家を……知っている?
美女が続けて話しかけてきた。
「隣にお邪魔しても?」
「あ、あぁ……君のために特別に開けておいたよ。普段は美女が予約の取り合いで大変でね」
そう言うのが精一杯だった。
「あら光栄ね。私は綾乃よ」
「誠二だ」
「いつもあんなことしてるの?」
「君の気を引きたくてね」
「嘘おっしゃい。席に座った後こちらをチラリともみなかったじゃない」
「俺は紳士的な男でね。俺に見つめられた女性は皆誘惑されてしまうから控えてるんだ」
「あら、私も危ないわね」
「気を付けた方が良い」
いや、俺はこんなことを話したい訳じゃあない。
「あの……あなたは普段、私立探偵小説を読むんですか?」
俺は頭を振って聞きたかったことを口にした。
「何かしらいきなりあらたまって。私立探偵小説もミステリーも読むわ」
そう答えた彼女は軽く笑みを浮かべる。
「スペンサーは?」
俺は緊張しながら核心となる一言を突きつけた。
「私立探偵小説は数あれど、スペンサーかジョン・カディこそが理想の男性だわ」
「結婚してください」
はっ?!
俺は何を……?
気付いたら自分でも訳の解らぬことを口走っていた。
頭がおかしい人に見られてしまうではないか。
「あなた面白すぎるわね。その件については考えておくわ。あなた、ミステリーは読むの?」
軽く笑った彼女が今度は俺に質問をしてくる。
「俺個人の見解ではホームズは過大評価されてる。ポアロこそが真の安楽椅子探偵の頂点だよ」
「世界中のシャーロキアンに殺されるわよあなた」
「ホームズが自分で言っている。世間の事件で全く新しいものなどない。何かの焼き増しに過ぎない、退屈だ、と。アレはドイルの読者に対する皮肉でもあると俺はみたね。実際ホームズは似たような構造の事件が多い。真のシャーロキアンならこれを言えば納得するさ」
俺のその言葉を聞いた彼女の眼は美しく輝いた。
「モリアーティは?」
「モリアーティは可哀そうだよ。ホームズを引退させるためだけに登場させられた哀れな悪党だ。だが、なぜか祀りあげられてる。いびつだと思わないか?」
「そうね。彼は余りにも空っぽよ。哀れなほどにね」
「後世の作家があそこまでモリアーティを盛り上げているのも俺には良く解らんよ」
「ふふ、私も同感ね。そういえばスペンサーがボストンでスーザンを愛するように、ジョン・カディが死んだ妻を想い続けるように……。誠二、あなたも何か『変わらないもの』を信じているの?」
「愛だよ。ただ、自分が愛したいから愛するという身勝手な愛だ」
彼女は納得したように頷いた。
「素敵ね。スペンサーの本質じゃない。……でも気を付けて。スペンサーはたいていハッピーエンドで終わるけど、カディの物語は、救いのない結末で終わることもあるんだから」
「俺は俺自身に関してはハッピーエンドしか認めない派でね」
こうして俺は、人生で初めて私立探偵小説やミステリーについて飽きるまで語り合った。
「あらこんな時間。そろそろ帰るわ」
時間を確認した綾乃が言いだした。
「夜の独り歩き――大丈夫か?」
「心配ありがとう。大丈夫よ。また会いましょう、夜の香りのする人」
俺は頷くと手を振った。
俺は運命なんて信じていなかったが――この瞬間から運命を信じることにした。
もちろん運命の赤い糸もだ。
十二月七日 午前十時
新西京三区大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
……昨日は人生最高の夜だった。
俺は事務所の机に両足を挙げ昨晩の知的な会話を思い出して余韻に浸っていた。
彼女に花でも贈ろうか……どんな花が好きなのだろうか……いや?
小説とか?
しかし、大抵のものは読んでいそうだな――敢えてSFを持っていくというのはどうだろうか……『星を継ぐもの』あたり好きそうじゃないか?
それか……食事にでも誘うか?
下手に外食するよりは俺が作る方が――いや、ここはまずい――邪魔者しかいない。
となると……邪魔者に出会わないで良い感じの店か。
そういえば、彼女は何をしている人なんだろうか?
俺の職業も告げてないな――まぁ些細な事ではある。
「おはようございます!!」
事務所の扉を開けてアークがやってきた。
***
(アーク)
僕は昨日、誠二から大量のホロ通話の着信が来ているのに気付かなかった。
昨日の深夜に気づき、朝になったので慌ててやってきたのだ。
のだが……事務所では誠二さんが一人、机に脚を挙げ、腕組みをして虚空を睨んでいる。
また難事件に関わっているんだろう。
何しろ誠二さんは正義の私立探偵にして超一流のアンダーだからね!
あぁ、僕もこの間アンダーデビューした新米アンダーだけど、誠二さんのもとで一流のアンダーに必ずやなれるだろう!!
いや、なってみせる!!
きっと今も誠二さんはこの間ZXのやつを追い込んだ時みたいに凄い事を考えているに違いない。
邪魔をしてはいけないな。
静かに応接間の客用ソファに座る。
ホロリンクで何かゲームでもして待っておくか。
『エアロダンシングオンライン』をアークは立ち上げた。
***
(リーナス)
「ぬう!! 我が急降下からの急上昇へつないだ後の木の葉落としを読むとは――!!」
我は今、電脳空間上の千年来の宿敵『アーク』と仮想電脳空間の限られた空で熾烈な戦いを繰り広げていた。
八機対八機の小規模空戦。
我とアークがこの世界において最後に残った一機同士であった。
最後の一人を決めるため、鋼の翼を広げ、炎を吹くジェットエンジンが吠える。
熱を求め追い回す炎の槍は既に撃ち尽くしている。
我が黒鉄の機体に搭載されている空を裂き鉛の塊を連射する銃で奴を――倒す。
我が操る黒塗りのF-18が最良旋回速度である250ノットで旋回しつつ降下。
アーク操るF-20を上空から捉える。
「遅いんだよ――お前!!」
我は風間真の名セリフを叫ぶ。
「まだだ! まだ終わらんよ!!」
隣室からガンダム坊やの叫びが我が高貴なる耳を汚す――来ておったのか――いや、それどころではない。
ええい!
崇高なる一騎打ちの邪魔をするでないわ小僧!!
瞬間、バーニア全開で急降下をしかける。
対して急降下で逃げると見せかけて速度を稼ぎ、錐揉みしながら急上昇をかけるF-20――あの独楽が回るような錐揉みに意味があるのかわからぬが――我が機体とアークの機体はバルカンを放ちながらヘッドオンですれ違う。
二機同時に爆散。
相打ちか――我はジョイスティックの操作に使っていた尻尾を解放した。
***
(アーク)
「相打ちか……」
僕は呟いてゲームを終了した。
あの『リーナス』というパイロット――ただ者じゃあない。
少なくともエリア88の上位ランカークラスの腕前はある。
いや、漫画の世界だから彼等がどの程度このゲームで戦ったら上手か解らないが。
少なくともリーナスには僕の放ったミサイルは全弾回避された。
彼もまた、ミサイル避けの魔法が使えるらしい。
是非僕のクランに……
「アーク。来ていたのか」
誠二さんが僕に声をかけてきた。
「誠二さん。どうしたんですか? 昨日やたらホロ通話をかけてきていましたが……」
「……?」
何か『えっ?』みたいな顔をして小首を傾げている気がするが気のせいだと思いたい。
「……」
僕も黙って誠二さんを見つめる。
「えーっと……実はある事件を追っていてな……」
成程。
僕を巻き込んでいいか考えていたってことか……この思慮深さが超一流のアンダーたる所以ってことだね。
僕は納得した。
「何か僕の手助けが必要なんですよね」
「持ってないと思うが――小型のスパイドローンは?」
「勿論ありますよ。いっぱしのアンダーとしてやっていくために、雪風さんに必要そうなドローンについて聞いて仕入れておきました」
「……いや、聞いておいてなんだが。マジでアンダーになるつもりなのか?」
誠二さんは心配そうに眉をひそめた。
「当然です」
「辞めといた方が良い。お前には向いてない」
「何でですか!! リンクス君は鍛えておいて!!」
「あいつは他に選択肢が無かった。今は――まぁ、選択肢も増えたと思うが。お前はまっとうに生きられるんだ。無理に踏み外すことはないよ」
そういうと僕を見つめてくる。
僕は力強く反論を開始した。
「誠二さんは詭弁を弄している!!」
「き、詭弁?」
誠二さんが珍しく狼狽えた。
「僕を心配しているのはわかっています!! でも誠二さん自身が自らアンダーをやっている時点で説得力は無いでしょう!! それともあなたもこれしかなかったんですか?」
誠二さんは一瞬呆然とした顔をすると、僕に答えた。
「そうだな……お前の言う通りだ。アーク、お前が選ぶならそれで良い」
「はい」
「俺が指定する店を何店か見張ってほしい。流石に店の監視カメラをハックしてとなるとちょっとな」
「解りました。では店の外に配置する感じですかね?」
「そうなるな。俺が店までは持っていこう」
その時、僕は誠二さんが僕の質問の答えをはぐらかしたことに気づいていなかった。




