第十話 泥中の王
十一月九日 午後三時十五分
新西京三区 斎藤誠二探偵事務所
「……始まったぞ」
俺は事務所の大型モニターを指さした。
画面の中では、ジェーンがいつもの完璧な微笑みを湛えながら、しかし声のトーンを一段落として「速報」を読み上げている。
『――続いてのニュースです。新西京大学に通う学生、五十嵐結衣さんが昨日から行方不明となっており、警察当局は誘拐事件の可能性を視野に捜査を開始しました。驚くべきは、その関与が疑われている人物です……』
ジェーンの背後に、本田是宮の学生証の顔写真が映し出される。
その直後、俺の端末にトルネロから一通のメッセージが届いた。
『噂は光の速さで広まっとるわい。本田の親父が所属する企業の株価、エラい勢いで崖を転がり落ちとるぞ。誠二、お前の言う通り、ハイ・シドの連中が「トカゲの尻尾切り」の準備を始めた。あの坊ちゃんは今、世界で一番孤独な王様だ』
「雪風、どうだ?」
俺は銃の点検をしながら問いかける。単分子ナイフを二本ホルスターに納める。バックアップガンも問題はない。マガジンは徹甲弾を詰めた物を四本。ゲル弾を詰めたものを二本。
「……捕捉しました、誠二。本田是宮の父親が所有する非公式のガレージ。場所は新西京二区、農業区域内にある大型のコテージです。先ほど、ジェーンさんのニュースが流れた直後、そこから発信された通信が急増しました。仲間割れか、あるいは逃走の算段でしょう」
「二区か……基本的に人気もない、人狩りした獲物を一時的に放り込むにはおあつらえ向きの場所だな」
「リンクス、武器の手入れは終わったか?」
リンクスが、ワイヤー付きナイフの刃を静かに手首に装着した鞘に収める。リバーシブルの防弾ジャケットを羽織り、小型の投擲用手斧を三つ、両足首と胸ホルスターに納める。腰に小型の連射型クロスボウを吊るした。その顔に迷いはない。
「ああ。いつでもいける。誠二……さん、一つ聞いていいか」
「なんだ」
「あんた、さっき『正面から殴り合うのは知恵のない奴だ』って言ったよな……ましたよね。じゃあ、なんでわざわざ俺たちに武器を持たせて、自分もそこへ行くんだ? 包囲網を敷いたなら、あとはアルゴスに任せればいいはずだ……でしょう」
俺は装備の点検をしながら少しだけ笑った。熱煙幕手榴弾、ペッパーパンチ手榴弾、炸裂手榴弾、チャフ手榴弾、ジャミング用手榴弾を各一個。
「アルゴスは『法』で裁く。だが、俺は探偵だ。五十嵐結衣を救い出すのが今回の俺の仕事だ。ついでに是宮君をぶち殺せるならぶち殺す」
「それこそが正義ですよ!!」
アークが何か言っている。
「是宮は下手したらたいした罰も受けずに釈放される可能性がある――政治的圧力、コネ、そういったものだな。そもそも五十嵐結衣の誘拐だけじゃあ死刑にならんだろう。まぁ反省して二度と同じ過ちは繰り返さんかもしれん。だが、するかもしれん。なら、俺は殺せるものなら殺す。こんなのは正義じゃないよアーク」
「しかし、警察が腐ってるなら正しいことです!!」
「いや――あくまでも俺がやろうとしているのは私刑にすぎん。秩序を乱す行為だ。だが、法律ってのはいつだって不備がある。その穴をついて上手い事やる奴もいれば、それで搾取される奴もいる」
リンクスが俺の言葉に黙って頷く。
「だから俺はそういったクズどもを殺す」
「それは正しいことでは?」
しつこくアークが食い下がる。
「そのクズにも殺されたら哀しむ家族、友人、知人がいる。そのことから目をそらすことはできない。正義という言葉で誤魔化すのは、自分の行為から目を背けることになる。今からやるのはただの殺人なんだ」
「そんな……!! あなたは正義なんて無いって言うんですか! 誤魔化しだっていうんですか! 僕は納得できません!!」
「出来なくても良い」
「あなたの言っていることは筋が通っている! でもそれを受け入れて人を殺しているあなたは――いつか壊れてしまうんじゃないんですか!! 誰かのために戦うことの正当性をなんでそんなに否定するんですか!! そんなの哀しすぎるじゃないですか!!」
なんだこいつは……実に面倒くさいぞ。
「これを受け入れて人を殺せない奴に人を殺す資格はないんだよアーク。誰かのために戦う正当性と言ったが――その正当性とやら、誰が担保してくれるんだ? 神か? 仏か? 悪魔か? まさかお前か?」
「そ、それは――」
正義馬鹿が戸惑いを見せた。
「誰にも担保できん。だから不完全でもまがりなりにも法律がある。それを破るのは社会的に見ればただの殺人であり――やはりどこにも正当性なんて無いんだよ。
だから俺はいつだって殺人罪で捕まる可能性がある。少なくとも、特定の個人に殺されるより、法律違反で死刑になる方が全員が納得する可能性は高い」
俺の言葉を聞いたアークは納得したかと思ったが、まったくしていなかった。
「解りましたよ! でも僕は納得はしていませんからね!! あなたは正しいことをしているんだ!」
なんつー頑固な餓鬼だ。こりゃお手上げだ。
「待て。というかお前、ついてくるつもりなのか?」
「えっ……当たり前じゃないですか!!」
アークは何を言っているんですか? という顔をした。
リンクスが口を挟む。
「素人は引っ込んでろよ」
「僕は素人じゃない!!」
いかん。不毛な戦いが始まる。
「あーもうわかった! じゃあこうしよう。現場近くまでは来ても良い。その後は車で待機。良いな」
「わかりましたよ」
不満げにアークが頷く。
「あー後リンクス。CIDだ。えー何々……トルネロ、舐めてるな。まぁ仕方ない」
リンクスのホロリンクのアカウントにトルネロから届いたタグを読み込ませる。
「おめでとう。今日から君はインディアンのヒューマンの父親とアイヌのエルフの母親を持つインディアンとアイヌのハーフ。そしてハーフエルフでもある……ダブルハーフってわけか」
「何だそれ」
リンクスが毒づく。いやいや、元々ハーフエルフなんだから良いじゃないか。
「設定盛りすぎであるな」
リーナスが嬉しそうに言う。
「猫師匠は黙っててください」
リンクスが……何?
猫師匠?
何か俺よりも敬意が高くないか?
まあいい。
……よくないが。
「アテルイ並みの活躍を期待している」
俺は激励の声をかけた。
「あんたら日本人は蝦夷とアイヌの見分けもつかねーのかよ」
リンクスが毒づく。
「良いぞ、その調子だ」
十一月九日 午後六時
新西京二区 新西京・ネクス・ジェネシス拠点
(本田是宮)
本田是宮――ZXは自らのチーム『新西京・ネクス・ジェネシス』の拠点に定めた父親所有の大型コテージの居間のソファに座っていた。
ネオンカラーのメッシュが入った髪、黄色いパーカー。黄色いジャージ。ハイブランドのサイバーパンク・ストリートウェア。ワイヤレスイヤホンで爆音のテクノを聴きながら、手元では仮想ディスプレイのパズルゲームを動かしている。
は~、マジで草も生えないんだが。あの中東のおっさん――アルフェール――の無理ゲーに付き合った結果がこれ?
完全に情弱のムーブかましたわ、俺。金に目がくらむとマジでコスパ悪すぎ。
周囲ではカスどもがビビり散らかしてて、ぶっちゃけノイズでしかない。
「ZX君、これ詰んでね?」
「警察来たら俺らマジで終わるわ……」
「竜造寺組から連絡――あのストリートチルドレン達を今日売るはずが取引中止ってまじふざけんなよ」
モブその三の報告。俺に人狩りの下請けを持ち掛けてきた竜造寺組の蛇目――あの野郎、やばそうとなったらさっさと手を引きやがった。
ま、こっちも勝手にパイプ作って好き勝手に臨時パーティー組んでたわけだが――
「こうなったら、あの五十嵐とかいう女、今のうちにパニクらせて『分らせて』やろうぜ――」
おーっと、特大の地雷踏むバカ発見。天才の俺の聴覚を舐めすぎ。
「おい、タケ。今なんつった? お前の脳内、バグってんの?」
「え。だからこの原因になったあの女を……」
びくっと震えてタケ――金髪の長髪、ジーパンを腰パンにしてだぼだぼの青いパーカーを着たヒューマンの男――がこちらを視る。
「あのさぁ、一応エリート大学生の俺が翻訳してやるけど? あの女に指一本でも触れたら、俺らの『保釈ワンチャン』が完全に溶けるわけ。そんな低脳なリスクヘッジもできないとか、生きてる価値なくない? 次言ったらデリートするから」
いらつきでパズルゲームの操作をミスる。ちょ、十連鎖しそこねたんだが?
「理解したか、このゴミが。静寂の音」
言葉と同時に、俺の聴覚バッファに溜まったテクノの重低音を物理振動として抽出、タケの横隔膜にダイレクトアタックを叩き込む。
「……!」
肺から空気が強制終了されるような音がして、タケが床を転がる。
「あー、マジで不快。テンション下がったわ……」
周囲の雑魚どもがざわつく。それを尻目に俺は考える。ふむ。良いこと思い付いたぞ?
「あ、そうだ。タケ君、俺ちょっと反省しちゃった。やりすぎちゃったよね。ごめんごめん。お詫びに俺の限定パーカー、お前にやるよ。服交換しようぜ」
俺はしおらしい声を演出してみせる。
「え……マ? 良いの?」
倒れ付した床からよろよろと立ち上がりながらタケが目を輝かせる。
「当たり前。俺、仲間には優しいからさ」
――このゴミを俺の『囮』にすれば、生存ルートの期待値は爆上がりする。
服を取り換える。
親父からメッセージが届いた。
(港に船をチャーターした。乗ってほとぼりが冷めるまで国外に逃げろ。全て手配しておいた。午後七時に指定の場所にいけ)
メッセージを確認した俺は今後のプランをさっと考える。
地下に閉じ込めてあるゼロ・シドの餓鬼どもはどうでも良い。
解放するか……
俺はいつだって勝ち組なんだ。こいつらと違ってな。
むしろこいつらが邪魔だな。
無様にうろたえるアホどもを俺は見回した。
警察が乗り込んできたら……アレを使うか。
「警察が来る前にさ――俺が自首するわ。それで皆はセーフゾーン。どう?」
「え……ZX君マジで言ってんの?」
「そんな――悪くね?」
でも誰も俺が代わりになる、とは言わない。カスどもが。
ま、本当は俺だけ逃げるんだけどな。こいつらと違って俺の人生はいつでもイージーモードってわけ。
俺はお抱えのハッカー兼機手にメッセージを送ると立ち上がった。
「はーい。お前等、解散ー」
俺の宣言にモブどもがざわつく。
「えっ?」
「どうすんの?」
「おいおい、ここにアルゴスが乗り込んでくるかもしれないじゃん。新西京からとりあえず出れる奴は出た方が良いんじゃね?」
「成程」
「流石ZX君。天才じゃん」
「ゼロシドのガキとあの女はどーすんの?」
「ガキどもはリリースだよ。不利になりそうなもんは手放すってわけ。女は今逃げ出されると困っだろ? ここに閉じ込めておくのがアンチでしょ。誰も来なくて餓死とかしちゃったらうけるけどね」
さっさと逃げ出すのがスマートなやり方ってことよ。
アホども相手に俺は説明を続ける。
「でも一気に出て行くと目立つじゃん?」
「そうだな」
「確かに」
いつものように、俺の意見を全員がアホ面をさらして聞いている。
「だからとりあえず俺とタケとそうだな――ケンにタクが最初に出るから、十分置きに三人から四人くらいずつ離脱でいーべ」
「おけまるー」
「んじゃ行くぞタケ、ケン、タク」
俺は地下駐車場に向かう。
悪いねぇ君達。俺だけ助かっちゃってさぁ。




