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新西京アンダーズ――斎藤誠二の事件簿  作者: FUKAMIEIJI
第三部 買えない笑顔

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第五話 善意の暴力

 十一月六日 午前八時

 新西京四区住宅街 安達邸

(安達歩)

 

 僕――安達歩の世界は三十平方メートル。


 そのうちの七割はコンピューター、ベッド、その他諸々で埋まっていて彼の生活空間は十平方メートルにも満たない。

 それが僕の世界全て。両親がある事件で死んで以来、不登校になってしまった僕は滅多に自室から出なくなっていた。


 しかし、時折そんな僕の世界に押しかけてくる異分子がいる。従姉妹である五十嵐 結衣だ。盛り盛りの金髪にド派手なネイル、ピンクのレースのキャミソール。黄色のダッフルコート。デニムのショートパンツにブーツ。新西京の最先端ギャル。


 僕からしてみれば正気とは思えない組み合わせなのだが。

 そんな彼女はいつものようにずかずかと部屋に入ってきて声をかけてくる。


「あーちゃん生きてる~? うわ、待って。この部屋、一段とカオスみ増してて草」

「何もやばくない! 放っておいてくれ!」

「ハイハイ、安定の塩対応。たまには愛嬌振りまきなさいって!」

「僕はツンデレじゃない!」

「夜メシ、ウーバー的な感じで買ってくるから待ってて。何系がいい?」

「僕はカップラーメンで良いから気にするなよ」


 僕は背中で返事をする。

「んじゃ中華一択で! うち大学あるから行ってくるわ~、バイぴー!」

 嵐のように現れ、嵐のように去って行く彼女に僕の心が少し救われているのは確かな事だった。


 僕はオンラインゲームにログイン。

 ネットの世界では僕はアークになる。





 ***


 十一月六日 午前九時

 新西京三区ダウンタウン 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所(斎藤誠二)


 俺はまず古武術の突きをリンクスに教えた。


「身体のバランスを取るスイッチを切れ。そうすればお前の体重をそのまま拳に載せられる。上達すれば装甲越しに相手の肉体にダメージを入れることが可能になる」

「いや、そんな簡単にできたら苦労しねー……しませんよ!!」

「やれなきゃそのうちどこかで死ぬ。やれるまでやれ」

「わかった……りましたよ」





 突きの練習をさせ過ぎてフラフラのリンクスに俺は言葉を続ける。

「次に、お前はチビだ」

「それ、言う必要あるの?」

 リンクスが眉をひそめる。


「お前が素手で攻撃しようと思ったらまず相手に先制攻撃を受けることの方が多い。赤ちゃんと戦わない限りはな。つまりお前に必要なのは懐に入った時の攻撃手段と、懐に入るための防御手段だ。そして大切なのは防御だ。優先順位は回避、受け流し、ブロック。基本的に回避が優先される。受け流しは回避をするための補助だ。ブロックは最終手段だ」


「何で――ですか?」


「触った時点でアウトな攻撃もあるし、想像以上の威力で体勢が崩れることもある。例えばお前が軍用アーマーを着ていても古武術の突きを食らって徹されるとダメージを貰うことになる」


「じゃあ銃で懐入らないで撃てば良いじゃん」

「銃は言うほど当たらん。後――お前は銃を基本的に使わない方が良い」

「何でだ、ですか?」

 リンクスの疑問を聞いた俺は腕組みをする。


「それは――」

 言うべきか悩む。まだ言うべきではない。気のせいかもしれないからだ。

「まだ語るべきときではないのだよ、リンソン君」

 ホームズの台詞を借用し、とりあえずウインクを飛ばす。


「気持ち悪い……」

 リンクスは這いつくばって吐き始めた。

 少し飛ばし過ぎたか……座学に入ろう。

 一つだけ断言できることがある。

 決して俺のウインクが気持ち悪くて吐いたわけじゃない。




 しばらく休憩を取った後、俺は解説を始める。

「魔術は質量保存の法則を越えられない」

「いや、日本語で話してくれ――ください」

「例えば奴等が火を放つ時。何をしていると思う?」

「なんか魔法のずるいパワーでこう、熱をバーっと」


 何か両手を持ち上げてジェスチャーを入れて語り始める。

 かわいいなこいつ。


「違う。熱を伝えるには幾つか方法があるが……もっとも人気があるのは手元の大気の分子運動を活性化させて熱くする。これを線上に伝えて行く。一定温度を超えた熱は大気中の塵を燃やして目標に飛ぶ。だから熱線として見える」

「まじかよ……そうなんですか」


 リンクスの目が驚きで見開かれる。


「火球なんかは手元の大気の分子運動を活性化させて熱くする。すると大気中の塵が燃えて火の玉に見える。で、その炎の塊を相手に向かって操って放る。近くで爆発させたりする。一見同じような原理でもそれぞれ異なる」


「誠二……さん、もしかして頭いい?」

 首をかしげてリンクスがふざけたことをぬかした。

 おい、こいつ、今まで俺をなんだと思っていたんだ?


「もしかしなくてもいい。天才として崇めて良いぞ。つまり魔術はハックできる。そしてたいていの魔術師は科学的に自分の魔術を解析していない。そこに俺のような無能力者ダストは付け入る隙が生じる」


「でも俺は無能力者(ダスト)でしかも無改造者(ノーマル)なんだけど……ですけど?」

「頑張れ」

「おおいっ!!」

「ま、話を戻すと、何もない処から炎を生み出しているわけではない。同じように現存する魔術は基本的に無から何かを産み出せない。つまり科学的に定義すると、魔術師ってのは特定の分子や原子、粒子や量子そういった操作し難いものを知覚し、才能と意志である程度操作できる存在だ」


「じゃあ魔術師の流派(スタイル)詠唱(スペル)は何なん……ですか?」

 ふむ。

 質問が的を得ている。

 こいつ、普通に頭が良いな。鍛えがいがある。

 読書をすれば更に伸びるだろう。


「ふ……魔術ならそんな無能力者(ダスト)ではなく最高位魔術師(ウォーロック)たる我が教えてやろう」

 リーナスが何か言い出した。

「良いかリンクス。魔術師の流派(スタイル)は要は格闘技の流派(スタイル)と同じようなものよ。突きの仕方が微妙に違うが、結果として手で相手を殴ることに差はない。

 そして魔術流派(スタイル)ごとに得意な魔術系統が違うのだ。そして詠唱(スペル)は要は精神集中のためのものよ。

 高位の魔術師ならば、簡易な魔術を使うときに特定の詠唱(スペル)でなくとも魔術を発動できるし、我ほどの高位魔術師ならば詠唱(スペル)などせずとも魔術を発動できる。

 高速詠唱(インスタント・スペル)詠唱省略(スキップ・スペル)と呼ばれる技術である。そのゴマ粒ほどの脳みそでも理解できるように解説してやった我の偉大さに感動の涙で泉を生み出すが良い。ほれ」


「いや、ほれと言われても……」

 リンクスは困ったように頭をかいていた。



「後……暇な時間は読書だ。頭が良くなりたいなら本を読め。つまりスペンサーシリーズをまず全巻読む。次に荘子だ」

 そう言いながら俺はリンクスの前に本を積む。

「いやいや、まずは我がお勧めのロボットアニメを全作品観るのが文明人としての嗜み……!」

 リーナスがわけのわからんことを言い出す。


「読書は脳の想像力……右脳を活性化させる。光景を想像し、言語を再生し、字を追うことで左脳を活性化させる。更には文脈を理解するために抽象化能力も上がる。頭を良くするなら読書一択だ!!」


「黙れ小僧! 我はサブカル仲間が欲しいのである!」

「ふざけんな!」

 舐めてんのかこの猫?

「両方見るから少し静かにしてくれ!」

 リンクスの悲鳴が炸裂した。





 ***


 十一月十日 午後九時

 新西京三区ダウンタウン 弁財天通り(リンクス)


 誠二に命じられたスパイス――カルダモンが尽きたらしい――を俺は探し歩いていた。

 この時間の弁財天通りは立ちんぼ(路上売春婦)、屋台、客引き、様々な夜の世界を生きる人間が闊歩する色欲の坩堝だ。


 食い合い、騙し合い、貪りあう、蟲毒。女の甘えるような笑い声、男の媚びた声掛け、屋台から流れる美味しそうな香り、ネオンとホロが混ざり合い、泥と虹の渦巻を形作る。


 新作映画の宣伝だろう――でかい鮫が大地から飛び出して俺にとびかかってくるホロ。

 それを眺めていた俺の耳に、甲高い悲鳴と、湿った肉を打つ嫌な音が飛び込んできた。


『ちょっと強くなった頃によくあることだが、腕試しをしたくなってるかもしれん。痛い目を見るのはお前の勝手だが、俺はお勧めはしない。やるからには殺すくらいの覚悟を持て。アンダーの世界の暴力ってのはそんなもんだ』


 事務所を出る間際の誠二の言葉が、耳の奥で古いレコードのようにノイズを立てる。その時は意味が解らなかった。

 だが、認めたくない事実として、俺の拳は少しだけ熱を帯びていた。

 それでも俺は悲鳴を無視していただろう。


 声の主がアケミでなければ。


 俺が視線を向けた先では、アケミが泰三に髪を掴まれて殴られていた。

 何度も見た光景だ。アケミはロー・シド(国民登録)

 放っておけば、退屈した警察がそのうち重い腰を上げるはずだ。

 俺には関係ない。さっさと用事を終わらせよう。





「おい泰三。その辺にしとけよ」

 気が付くと、俺は泰三に声をかけていた。

「何だクソガキが! 引っ込んでろ!!」

 何故俺がこいつの名前を知っているのか推測もできない、錆びついた知能の持ち主だ。


「クソガキ? いや、クソなのはお前だろうが。自分より弱い相手にしかいきれないクズが」

 挑発の言葉を叩きつけながら、俺は誠二の言葉を思い出す。

『まず向かい合った相手のリーチ、戦闘スタイル、戦闘経験、性格を推測しろ。強い奴は相手を理解するのが速い。無論そんなことをしなくても自分の強味を無理やり押し付けて勝つやつもいる。だが、それじゃあ百戦したらまず死ぬ。生き残れん』


「死にたいらしいな!!」

 泰三はアケミの髪を放してこちらに威嚇するように足を踏み鳴らして無造作に近づいてくる。


 ヒューマンの男。身長、百七十センチ。肥満ではない、それなりに引き締まった身体。基礎身体能力は普通以上はある。髪、スポーツ刈り。

 掴めない。

 鼻と耳にピアス。首にネックレスを二つ程。

 タンクトップで袖は掴めない。

 ジーパンに運動靴。


「やめて泰三!!」

 アケミの叫び声を無意識化で聞き流しながら、俺は奴の挙動を分析し続ける。

 無警戒に歩いてくる。恐らくちゃんとした格闘技は習っていない。もしくは超絶武術の達人か。後者なら俺はボコられて路上に転がるだろう。


 両手を顔の高さに挙げて構えを取る。

「ほらよ!!」

 威嚇するように大声を上げると、泰三は右手を振りかぶり俺に向かってストレートを放ってくる。


『素人はまず振りかぶった後、まっすぐではなく、やや楕円で殴ってくる。前に出るときはそれを計算に入れろ。もちろん古武術の打ち方で円運動を使う打ち方も同様だが、根本的に体の使い方が違う』


 誠二の言葉を反芻する。この殴り方でこいつは素人なのは確定。

 だが、今回は円の動きは試さない。

 俺は右ストレートに対して一歩下がる。

 まず回避を優先。


 そのうえで相手の右拳にこちらの左の肘を叩き込む。誠二から教わった交差法(攻撃兼防御)の一つだ。

 肉と骨が軋む音と泰三の悲鳴が、夜の空気に溶ける。

 俺は泰三が苦痛の声を挙げて痛みに気を取られた瞬間、ほどけた泰三の右拳に手を延ばして小指を掴み、思いっきり捻る。


 骨の折れる音が響き、泰三が先ほどの声が可愛く聞こえるほどの絶叫を挙げる。

「お前みたいなクズが!!」

 俺は気付いたら怒鳴っていた。


 完全に戦意を喪失した泰三の懐に二歩で入り込む。

 奴の鳩尾に突きを打ち込む。酸素を奪われ、泰三の悲鳴がかすれて咳き込み始める。

『攻撃を入れて相手が怯んだら相手が死ぬまで攻撃を続けろ。仕切りなおさせるな』

 誠二の教えを思い出す。女子供しか殴れない卑怯者に痛い目を見せてやる。


「俺達みたいな弱者を踏みつけるから!!」

 金的に膝蹴りを叩き込む。泰三が金的を押さえて地面に崩れ落ちた。

 ざまぁみろ。

 自分がこんな小汚い餓鬼にやられる可能性を想像したこともなかっただろう――思い知れ悪党が!


「世界が地獄になるんだろうが!!」

 地面に倒れて丸まる泰三の頭、脇腹に蹴りを入れ続ける。

「俺達の――彼女の痛みを考えたことが一度でもあるのかこのカスが!!」

 泰三が呻き声を上げ、弱々しく何か言っている。

 俺の耳が奴の泣き言をすくいあげた。


 止めてくれ……だと?

 お前が暴力をふるっている相手にそう言われて一度でもやめたことがあるのか?

 ないだろうが!

 死ね!


 お前のしてきた行いの報いを思い知らせてやる!

 俺は一切やめる気などない。

 むしろその甘えた一言で俺の怒りは加速する。

 


 そんな時、突然肩を掴まれた。

 

 誰だ、俺はこのクズを――












 ――風船が割れるような音がして、俺の頬が張られる。


 アケミだ。

 俺にビンタをした彼女は倒れている泰三に駆け寄る。

「アケミ――」

 頬の熱を感じながら、俺は無意識に彼女の名前を呼んでいた。


「近寄らないで!!」

 明確な、今までに一度も彼女から向けられた事の無い――敵意の眼差し。

 何でだ……俺はあんたを助けたんだぞ――そう叫びたかったが、戦意は一瞬で霧散する。

 その隙に、地面に這いつくばったままの泰三が尻ポケットから小型の拳銃を取り出していた。


「糞が! ぶっ殺してやる!!」


『拳銃の必殺の距離は四、五メートル以内。この距離で銃口を向けられたらとにかくその範囲外――せめて五メートルよりは外に出ろ。それか思いっきり至近距離に入ってどうにかするか。じゃなければ死ぬことになる』


 不味い――俺は死ぬのか?

 こんなくだらないことで?

 助ける必要のない女をわざわざ助けてやったのに……その助けてやったはずの女に拒絶された挙句――撃たれて死ぬのか?


 俺は正義を行っていたはずだ。

 なのに、こんな理不尽な事が……一発の銃声が、夜と、そして俺の怒りと困惑を切り裂いた。


 撃たれた?


 そう思うと同時――俺が見つめていた泰三の銃。それが魔法のように弾け飛んでいた。

「ったく……だから止めろって言っただろうが」

 後ろから誠二の声がする。

「誠二……さん」


 呼びかける俺を無視して誠二は地面に倒れたままの泰三の近くまで行ってしゃがみこんだ。

「ガキ相手にぼこぼこにされて銃を抜くのはちょっとね……治療費は払うからそれで手打ちにしてくれないか?」

「ふざけんな糞やろうが――」


 にこやかに話しかけていた誠二の声色が氷点下に落ち込む。

「おいおい、ふざけてるのはあんただよ。俺はお前の銃じゃなくて頭を吹き飛ばしても良かったんだぞ。その優しいサービス精神を理解できないのか?」


「お前も殺し――」

「俺はあいつの一万倍は強いが――」

 泰三の脅しを無視。誠二は泰三の頬を左手で掴んで締め上げる。

「やれると思ってんのか? もしあのガキが不慮の事故で死んだり大怪我を負ったら……お前とそこの女、両方ともありとあらゆる苦しみを味わってから死ぬことになるぞ」


 骨のきしむ音がここまで聞こえてくる。

「わ、わはった、許してくれ」

 その言葉を聞いた誠二は泰三の頬から手を放した。

 泰三の顎がアスファルトにぶつかる音が響く。


「じゃ、そういうことで」

 誠二は立ち上がると、泰三に別れの言葉を告げる。


「えっ、治療……」

 冷たいアスファルトから誠二を見上げ、哀れな――豚のような鳴き声を泰三が上げたが――誠二の永久凍土よりも冷たい声が切り捨てる。

「俺の優しい提案を最初に無視したのはお前だぞ。葬儀代なら払っても良いが?」

「……」

「俺の言ったことをそのかすみたいな脳ミソに刻み付けとけ」


 誠二は吹き飛ばした泰三の銃を拾って弾倉を抜く。

 そして両方ともポケットにしまった。

「行くぞ、リンクス」

 そして初めて俺に目をやると、声をかけてきた。

 泰三に向ける鋼の刃とは違う、いつも通り、いや、むしろ……迷子の子供に声をかけるときのような優しさすら感じさせる響きを伴っていた。


「あ、うん」

 俺は思わず――ガキみたいな返事をしていた。

 しばらくの間、誠二と俺は貝のように押し黙って歩く。

 誠二は何も言わない。


 アドレナリンで遠のいていた周囲の喧噪が、俺の耳に戻る。

 気がつくと俺の口から、愚痴が溢れ出してきた。


「何でなんだ。俺は助けてやったんだぞ? 二度と人助けなんて――」


 俺は正しいことをしたのに、何も報われなかったことを慰めて欲しかった。

 口が裂けても、直接そんなことは言えないが。


「お前も知っての通り――あの手の立ちんぼ(路上売春婦)はだいたいクズみたいな男がバックについているんだ」

 誠二の声色は心なしかいつもより優しい響きがした。

「だからそんな奴から自由になれたらって……」


 誠二は俺のその言葉に頷いた。

「通りでの売春は危険だ。頭のおかしい客もいる。そういう時、どうしているか知っているか? あんなクズでも彼女を守る。大切な商売道具だからな」

「じゃあ何もしないのが正解だったのかよ」


 俺にはわからなかった。

「さあな」

「どうすればよかったんだよ」


 少しの沈黙の後、誠二が答えた。

「良いかリンクス。正解なんてない」

 そう答えた誠二の声は、今まで俺が聞いて来たどんな人間の声色とも違う色彩を帯びていた。


 何だ?

 これは何なんだ?


「いや、あるだろ」

 わからない。だけど俺は反射的に否定した。否定したかった。

 正解がないなんて気持ち悪い。そんなのは嫌だった。


「あるのは結果だけだ。今回のお前の行動は結果だけ見ればお節介だった。有無を言わさず泰三を殺す。そのうえでお前があの立ちんぼの面倒を見てやる。もし正解があるのならば、それが正解だったのかもしれん。お前にそれだけの覚悟があったのか?」


 誠二の話は、俺にとって冷めたコーヒーだ。

 余りにも苦い。

 そんなことまで考えてなんていなかった。


「俺は……ただ……」


 ただ、彼女を助けたかっただけだ。

 でも、なぜかその言葉を言えなかった。

 助けようとした彼女に拒絶されたうえで、俺は彼女をただ助けたかっただけだなんて、どうして言える?


「また、この場合、殴られていた彼女の心情もある。あんなのでも泰三を愛しているのかもしれん」

「じゃああんたならどうしたんだ」

「何もしない。素通りだ。勿論、彼女が通り魔に殺されかかっていたならまた話は違うかもしれんがな。あぁ、彼女は知り合いなのか? なら助けるかもな。ただ、あそこまではしないが」

「あんたは正義の私立探偵じゃないのかよ」


 誠二の返事は俺には意外だった。

 嘘だ。

 こいつは照れ隠しでこんなことを言っているとしか思えない。

 やりすぎない範囲で泰三を止めたんじゃないのか?


「それはお前の勝手な思い込みだ。俺は一度も自分を正義だなんて思ったことはない。逆にお前は殴られている立ちんぼを見かけるたびにああやってぶちのめして回るのか? そのうち、後ろから撃たれて死ぬぞ」


 誠二の言うことはどこまでも正論だった。

 でも、俺は誠二の正論を認めたくなかった。


「でも……あんたは俺を……」

 なぜだろう、これも最後まで言えなかった。

「良いかリンクス。これだけは忘れるな。あいつを殴っている時、お前は()()()()()()()()()()はずだ。それはな、自分が()()()()()()()()()()と思っていたからだ。

 正義ってのはな、自分を最低の悪に堕とす世界で最も欺瞞に満ちた言葉だ。正解が欲しいと言っていたな? これだけがこの世界唯一の正解かもしれん」


 そう語る誠二の声は――なぜか少し哀しげだった。

 その通りだった。

 俺はあの時――自分を虐げてきたこの糞みたいな世界と泰三のクズを重ねていた。

 アレは、アケミを助けるという目的で始まったが、途中からただの復讐にすり替わっていた。

 でも、誠二は違う。俺とは違うはずだ。


「あんたは俺を助けてくれただろうが!! それすら否定するつもりなのか!!」


 俺は……以前の俺なら絶対に言えないようなことを叫んでいた。

 こいつが俺を助けてくれた。それはつまり、正義はあるってことじゃあないのか?

 糞みたいな世界にも正しいことはある。俺はそう信じたくなっていた。

 だったら俺だって正義のために生きてみたい。

 弱者を守りたい。

 良いことをして誰かに感謝されたい。


 そう思うのはおかしいことなのか?

 今回はやりすぎたかもしれない。

 でも、正義そのものを否定して欲しくなかった。

 俺を救ったこの男に、世界には正義があると俺は言ってほしかった。

 そうすれば、俺も正義の側に立てるはずだ。


 踏みつけられ続ける弱者がどんなに惨めな気持ちなのか、俺は知っている。

 そして、救われた側の気持ちも知ってしまった。

 でも、誠二が正義を否定するのであれば――こいつが俺を救った行為は何だったんだ?

 こいつは言ってることとやっていることが矛盾してる。

 俺は誠二に、俺を救ったのは正義のためだったとどうしても肯定して欲しかった。


「いや――俺はお前を救って良かったと心から思っている。だが、それを正しいと思ってしたわけじゃあない。何度も言っているように、()()()()()()()だ」

 誠二の声色からは感情が消え去っていた。

「じゃああんたは正しいことをしようとしていないのかよ」


「そうでもありそうでもない。俺は自分が正しいと信じることをする。だが、それは世間一般における()()()()()()()()()とは異なる。結果として外から見たらたまたま正義とやらに見えることもあるってだけだ。

 俺にとって正しいことというのは――自分で自分を誇りに思えなくなるようなことをしない。それだけがルールだ。例えば、懐に多少余裕があるときに独りで死にかけてる小汚いストリートチルドレンが目の前に転がってる。そいつを見捨てたとする。そうしたら暫くの間、俺は飯が不味くなる。だから助ける」


「完全に自分勝手だな。後、小汚いは余計だ。何だってあんたはそんなに正義を否定する。自分を正義のヒーローっていうほうが楽だろうが」

 やはり認めない……この男は……他人からの評価なんて最初から求めていないのか?

 自分のしていることを正義と言えば、楽だろうに。それをただの自己満足と言いきる。なんなんだこいつは?

 やっぱりこいつはどこかいかれてる……


「自分がやることは正義。そう考えるのはとても楽なことだ。だが――俺はそれで自分のやっていることがただの人殺しってことから目を逸らすわけにはいかない。

 例えばさっき、お前があの女に『あぁん! 助けてくれてありがとう!』って感謝されたとしても、お前が一人の男に暴力をふるったという事実は何ら変わらない。

 正義ってのは自分の行いから目を逸らす虚飾にまみれた言い訳にすぎん。俺はお前を助けたことを善行なんて思っちゃいない。

 とは言うが、感謝やリスペクトはいつでも募集中だ。なんだかんだ言っても感謝されるのは気分が良いものだからな」


 そう言って誠二は両手を広げる。

「あんたの話は難しすぎる……」

 なら、何をどうすりゃ良いってんだ……俺は、最早何もわからなかった。

 いつもはバカみたいなことしか言わないくせにいきなり難しい話ばかりしやがって……

 感謝されたくてやったわけじゃないけど感謝されたら嬉しいだと?

 別におかしくはない。ないが、意味がわからない。


「それはお前がまだ子供だからだ。残念なことに世の中そんなに単純じゃない。ホロムービーやホロドラマのように完全な悪がいる!

 倒して世界は平和に!

 みたいにはいかないんだ。俺もそうだったら良かったのになと思うよ」


 またもや誠二の声色は――俺の知らない色彩をまとっていた。

 もしかしたら、俺はこの男の事を、何も理解していなかったのかもしれない。

 そんな気すらしてきていた。


 ふと、あの人狩り(マンハント)野郎の言葉が脳裏にちらついた。

 誠二なら答えてくれるかもしれない。


「世の中には良いも悪いもないのかよ……そして俺達は――生まれる環境も、死に方すらも選べない。じゃあ、何だったら選べるんだ。俺たちはいったい何のために生まれてきたんだ」


 少し黙った誠二が口を開いた。

「それは――いや……お前が自分で見つけるべきだ」

 誠二は答えを知っているみたいだ。だけど、どうやらこの疑問の答えは、俺が自分で探さないといけないらしい。




 こうして俺の人生初のお節介は、カルダモンの香りさえしない、糞みたいな味を残して終わった。

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