第四話 ただここに居る
十一月五日 午後四時
新西京三区 大黒天通り『斎藤誠二探偵事務所』(斎藤誠二)
眠りに落ちたリンクスが目を覚ましたので、声をかけてみた。
「お前の命の恩人を届けに行くんだが、着いてくるか?」
「何だそれ」
リンクスは端正な顔をいぶかし気に歪める。
「この猫だよ」
そう言って捕まえるように依頼を受けていた猫――シャルテンちゃん――の入っているケージを掲げる。
「この猫がお前を見つけてくれたんだ。お前がアスファルトの染みになる前に、この小さな探知機が俺の耳に届く声を出したのさ」
何やら黙って考え込んでいるようだ。
「どこに行くんだ?」
「カフェ『アビシニアン』だな」
「……」
無言で頷くと服を着替え始めた。ふむ。多少体力が戻ってきたか。
「じゃ、この籠を大切に持ってくれ」
「何で俺が」
「おいおい、お前の命の恩人だぞ」
「頼んでない」
ぶっきらぼうに答えると睨みつけてきた。
俺がかくも勇敢でなければ泣き出していたところだ。
「そうだな。でも今生きていられることに少しでもありがたみを感じるなら丁寧に運んであげても罰は当たらんだろう」
リンクスは返事をせず、ただ肩をすくめた。
その動きは、若すぎる絶望というよりは、古びた大人が見せる諦観に似ていた。
どうやら生きていられることに感謝していないらしい。
払った治療費が脳裏をかすめる。
まぁ良いか。
あそこで見捨てていたら多分今頃俺は助けるべきだったのでは?
と、うじうじ悩んでいた。
俺がやりたくてやったことだ。仕方あるまい。
「リンクス。お前の持っていた銃は置いていけよ。俺が一緒の時はとりあえず不要だ」
俺はシャルテンちゃんの籠を持つと事務所の扉を開けた。
***
新西京三区 布袋通り カフェ『アビシニアン』(リンクス)
十一月の風は、親切心の欠片もない金貸しのように、道行く人の体温を無情に毟り取っていく。陽が落ちるのは、門限を気にする子供のように早かった。
あと二時間もすれば、窓ガラスに水滴が滴るように、重苦しい闇が街を塗りつぶすだろう。
誠二の後について歩く俺に声がかかる。
「リンクスちゃん。久しぶりじゃない」
立ちんぼのアケミだ。立ちんぼはストリートチルドレンに優しい人が多い。自分より下の存在を慰めることで自分の惨めさを忘れられるからだろうか。
「アケミも元気してたのか?」
社交辞令で挨拶を返しておく。
「元気よ」
嘘だ。彼女の濃い化粧の下に薄い打ち身の痕がある。一緒に暮らしているクズ――泰三――に殴られたのだろう。
「ならよかったよ」
だが、俺に出来ることなど何もない。気づかないふりをしてみないふりをする。ずっとやってきたことだ。皆がやっていることだ。
「はい、リンクスちゃんこれあげるね」
うまい棒のめんたい味だ。こんなの子供が食べるものなんだがな……
「有難う。もらっとく」
「じゃあまたね」
別れの挨拶に対して、俺は手を振った。
そして誠二を追いかける。
カフェ『アビシニアン』の内装は、使い込まれたビリヤード台のような暗い緑色で統一されていた。店内に流れるジャズは、冷えた心に火を灯すには十分な旋律だった。
一番奥のボックス席に座った誠二。
机の上ではリーナスが丸まっている。
俺は誠二の正面に座ることにした。
「ふむ。グレンミラーのイン・ザ・ムードか。良いね」
何やら誠二が気取って語り始めた。
スノッブ気取りか?
「我は水の星より愛をこめての方が好みだ」
しゃべる黒猫――リーナスがピントのずれた返事をした。
「いや、ジャンルが違いすぎるだろう。せめてジャズの枠内で語れ」
誠二が珍しくまともな事を言っている。
「アニソンこそが聖域であろう」
机の上で丸くなっったリーナスは、瞬きもせずに椅子に座る誠二を緑色の瞳で見つめて何やら断言した。
「アニソンでもジャズモチーフとかロックモチーフとかありますー」
誠二が二回も続けてまともなことを――
「アニソンならだいたい許すぞ我は」
誠二とリーナスがボタンの掛け違っている会話をしている。
「リンクスはどんな曲が好きなんだ?」
誠二がリーナスの相手に飽きたのか俺に聞いてくる。
「……ロックとかテクノ」
まぁ、ストリートギャングの皆が聞いてたのを聞いていただけなんだが。
「お前――解っているな。有難う生きていてくれて」
何か凄く誠二は嬉しそうだ。大袈裟すぎる。
そして何やら自分だけストロベリーサンデーを食べている。
こんなの子供が食べるものだろ……大の大人が嬉しそうに食べていて恥ずかしくないのか?
黒猫はジンジャーエールを平皿にいれてもらったのを舐めている。
俺だけ何もない。
いや、アレを食べるか。先ほどもらったうまい棒を取り出して齧る。
美味しい。
乾いた砂が水を吸うかの如く、あっという間に食べ終えてしまった。
「欲しいのか?」
誠二が聞いてくる。
俺は頷いた。
「そうか」
そう言って誠二は変わらず美味しそうに食べている。
くれないのかよ。でも自分から食べたいから奢ってほしい。と言うのは何か嫌だ。俺は安っぽいプライドを優先することにした。それで腹は膨れないのに。
扉が開いたのを示す、鈴の鳴る音が一番奥のボックス席に居る俺達のところまで小走りでやってくる。
軽い足音が近づいてきた。
あまり人の入っていない店内で、こちらにわざわざ近寄るということはこいつが待ち合わせの相手か。
現れたのはエルフの若い女性。
白いステンカラーコート、黒いジーパンに白いスニーカーを履いている。黄緑色のメッシュが入った金髪のロングヘアが白いコートの上で蛇のようにとぐろを巻いている。
この顔……どこかで見たことがある。
「探偵さんありがとー!!」
エルフの女の大き目な青い瞳が感謝に煌めく。
「シーリー。あんたの友達に伝えておいてくれ。今度このシャルテンが逃げ出したら、次は博多あたりまで探しに行くことになる。そうなれば依頼料は三倍だ。七区まで迷い込んでいて大変だった」
シーリー。新西京のホロテレビを騒がせる、あの歌姫だ。
なんで誠二はこんな有名人と知り合いなんだ?
「ええっ!? 大丈夫だったの?」
そう言いながら、彼女は誠二を押してボックス席の奥に追いやり、誠二の隣、俺の真正面に座った。
「俺にとってあんな場所、地雷原でタップダンスを踊るよりは安全だったさ」
「あなたの心配なんてしてないの!! 殺しても死なないでしょ!!」
何やら恰好つけていった誠二だったが、シーリーは缶蹴りの缶を蹴るかの如く軽やかに一蹴した。
「……シャルテンちゃんは元気だよ」
心なしか少し誠二が落ち込んでいる。
「この子は?」
彼女が俺の方を見て誠二に聞いた。
「リンクス。まぁ色々あって少しの間面倒を見ている」
「じゃあ何でこの子には何も注文してあげてないの!!」
突然怒り出した。何だこの女エルフ。
「えっ――だって頼んでくださいって言わないから」
誠二がたじたじしている。
どうやらこいつにも苦手な相手がいるらしい。
「もう!! 意地悪なんだから!! マスター、この子にストロベリーサンデー一つ。私の奢りね!」
俺の意志も聞かずに頼み始めた。何だこれは。
俺は思わず口を開いた。
「なぁ……俺はゼロ・シドだぞ。何でアイスを奢ってくれるんだ?」
CIDを所持しているかどうかはホロリンクで自動的に表示される。
つまり俺がゼロ・シドであることは俺を視界に居れた瞬間自動的に認識される。
「えっ――君はここにいるじゃない。何を言ってるの?」
シーリーと呼ばれた女は不思議そうに小首を傾げた。その瞳には、差別の色も、慈悲の色もなかった。
ただ、目の前の俺を映しているだけだった。
隣で誠二が笑い始めた。
俺はむかついてきた。
だが、悪い気分じゃなかった。
***
十一月五日 午後七時
新西京三区 恵比寿通り
(斎藤誠二)
後をつけられているな。
長髪の男ドワーフ。灰色のトレンチコートを着ている。
ちょっと遊んでみるか。
俺は敢えて人通りのない裏路地に向かった。
「動くんじゃねぇ!! 斎藤!!」
その声に振り向くと尾行してきていた男がなぜかリンクスの首元にナイフを突きつけている。
距離は三メートルから四メートル。
「おいおい、俺に用があるんだろ? なんでその俺とは関係のない小汚い餓鬼の首にナイフでキスしようとしているんだ?」
「お前の後をついてきているんだから明らかに関係者だろうが!!」
リンクスは自分の生死なんてどうでも良いといった顔で両手を挙げている。
男はナイフを持っていない方の手、左手でリンクスの身体をはたいて何か持っていないか確認を取っていた。
「青い薔薇か?」
「ハイビスカス様の仇だ!!」
成程。多分ちょっと前に俺が殺した相手だ。
「で、そのガキにナイフを突きつけた状態でどうやって俺を殺すんだ?」
両手を挙げたままでとりあえず質問をする。
「このガキのポケットに入っているこいつでだよ」
ナイフを持っていない左手でリンクスのポケットから拳銃を取り出す。
置いて来いと言ったのにやれやれ。
(誠二。我が奴を止めるか?)
俺の足元にいるリーナスがホロメッセージを送ってくる。
(いや――大丈夫だろう。リンクスにも良い薬になる)
(ふっ、それは面白いかもしれぬな)
雪風もメッセージを送ってきた。
(一応アルゴスセキュリティーに通報しておきましたが)
(それは手間が省けるな)
「そうか。じゃあ撃ちやすいようにしてやるよ」
俺は両手を挙げたまま堂々と近づいて行った。
「ご親切にどうも。あばよ」
奴は喜々としてトリガーを引く。だが銃弾は発射されない。
「あぁ、銃弾、抜いておいたんだ。危ないだろ?」
「なっ――」
俺は二メートルの距離で|十ミリ口径自動拳銃『アンダーテイカー』を抜くと相手の額に向けた。
「さて。これでお互い千日手だがどうする?」
「トリガーを引くよりナイフを押す方が――」
「映画でよくあるセリフだが――俺は今、オートシュートを脳内で命じるだけでONにできる。ナイフを押すより多分速いが試してみるか?」
ドワーフはうめき声をあげながらリンクスを銃の前に押し出し、こちらに右手に握ったナイフを突きこんできた。
俺はバックステップでナイフをかわし、左膝と左の肘でドワーフの右手首をサンドイッチ。通常は相手の前蹴りなどに使う交差法だが、ドワーフのように相手の身長が低いと手にも可能だ。
言っておくが、これは種族差別発言ではない。
悲鳴を挙げてドワーフの男がナイフを取り落とす。
落としたナイフを即座に蹴り飛ばすと、こ気味良い音を立てながらナイフが裏路地を滑っていった。
リンクスがその隙に逃れてこちらに飛び込んでくる。
「俺は小汚くない」
とか何とか言っている。
それにとりあわず俺はドワーフの男の金的を蹴り上げ、顔を掴んで膝蹴りを三発叩き込むと男は地面に崩れ落ちる。
遠くからパトカーのサイレンの音が近づいてきていた。
現れたパトカーに乗っていたのは二人。
エルフのごつい男とドワーフのがっちりした男だ。
パトカーのサイドウインドウがゆっくりと開く。
「お前か斎藤誠二ってのは。元アルゴスセキュリティ殺人課刑事。現私立探偵」
助手席に座っているエルフのごつい男――身長百九十センチ。がっちりした体格だ。
クルーカット。黒髪黒目。が低い声で俺にそう言ってきた。
誰だエルフが華奢なんて言っていたのは?
削りだした岩みたいなエルフが目の前に居るんだが。
「ファンか? サインならちょっと待ってくれ。俺のサインを求めているファンが順番待ちでね。整理券を受け取って一番最後尾に並んでほしい」
「噂通りふざけた男だ」
運転席に座っているドワーフが面白そうに言った。
こいつもごつい。無精ひげがぼうぼう。
身長百三十センチ。こちらもがっちりした体格だ。葉巻を咥えている。スポーツ刈り。黒髪黒目。
「いや、M1初戦落ちだろ」
エルフの男が答える。
「おいおい、俺は殺されかけたんだぞ? 俺のウイットに富んだジョークを査定してもらうためにあんたらを呼んだんじゃないんだが」
「俺は岩村。アルゴスセキュリティ殺人課課長だ」
エルフの男が俺の発言を無視して丁寧な自己紹介をしてくれる。
「俺は番田だ。アルゴスセキュリティ殺人課刑事」
ドワーフの男が安っぽい葉巻を咥えたまま付け加える。
「残念ながら死体は出てないな。あんたらみたいな大物に出てきてもらって俺は申し訳なさでいっぱいだよ」
俺は肩を竦めた。
「通報があったときにたまたま手近にいたのが俺等でな。で、最近歩くたびに死体を生んで回っている斎藤誠二って迷惑な野郎が通報者だったから親睦を深めてやってるんだよ」
番田がそんなことを言い出す。
岩村は黙ってしまった。自己紹介をしたら後は部下に話させるタイプなのだろう。
「そりゃ誤解だよ。俺は笑顔を生んで回っている。死体? そんな馬鹿な」
俺は精一杯悲しそうに首を振って見せた。
「デュエルでマーカスを倒したって噂で持ちきりだったがな。単独であの凶悪な武装ストリートギャング団をほぼ壊滅させるとは無茶苦茶しやがる」
「とんでもない殺人鬼もいたもんだな」
「あぁ。その通りだ。奴等はどうしようもないクズだったが――だからといっていちいち皆殺しにして回ってたら治安なんてもんは紙くず以下になっちまう。この勘違いした正義の味方野郎を模倣する奴が大量に現れてみろ。
それぞれ勝手な価値観でこいつは悪党だ! ぶっ殺せ! とかしだしたらどうなる? 俺達は街の三分の一を刑務所にぶち込む羽目になる。ここをゴッサムシティにしたいのか?」
冗談めかして語っているが、その瞳の光は真剣そのものだった。
「オーケー。俺も正義の味方を見つけたら厳重に注意しておくよ。迷惑なバットマン気取りもいたもんだ」
「誠二――お前は檻の中にいるよりは、外に居る方が鼻の差で世間のためになるから見逃されているってことを忘れるなよ」
そう言うと二人は俺にぶちのめされたドワーフの男をパトカーに放り込む。
パトカーはゆっくりと夜の街に消えていった。
やれやれ、私立探偵も楽じゃない。
十一月五日 午後八時
新西京三区 大黒天通り『斎藤誠二探偵事務所』
俺は事務所で晩飯の用意をしている。
ニンニクを微塵切りに、ネギを輪切りにする。
その様子をリンクスがじっと見ていた。
何か言いたそうにしていたリンクスが、ついに口を開く。
「なぁ……なんで俺を助けたんだ?」
何を言っている?
「さっきの路地裏での話か?」
リンクスが頷く。
「あのまま気にせず撃っとけば――あんたは確実にあいつを殺せたしナイフで刺される危険もなかった」
「お前の生存確率を少しでも上げるためだ」
「だからそれが何でかって聞いているんだ」
納得のいっていない顔で食い下がってくる。
「それを言い出したらそもそもお前が死にかけてたのを拾ったのがおかしな話になる」
リンクスは相変わらず警戒心にまみれた瞳で俺を見つめてきた。
「……何を企んでいるんだ。俺はゼロ・シドなんだぞ。俺に恩を売ってもあんたには何のメリットもない」
「あぁ、シドの件だが……ロー・シドで悪いが、手配してある。そのうちお前はロー・シド持ちだよ」
「俺にはそんなのを買う金なんてないぞ」
嬉しそうよりも先に、警戒しきった空気を噴出させてリンクスが文句をつけてくる。
俺は腹が立つより哀しくなってくる。
が、タフな俺はいちいちそんなことをおくびにも出さない。
「気にするな。俺は半端な気持ちでお前を拾ったんじゃない。お前の迷惑でなければ俺は自分で納得いくまでお前を手助けする」
納得のいくように親切に解説をしてやった。
「だからそれが何でかって言ってるんだろうが」
駄目だ。
こいつ、人を信じるという心を母親の胎内に置き忘れて来たらしい。
「どうせ信じないだろうが――単なる俺の趣味だ。要するに自己満足だ」
リンクスが狂人を視るような目で俺を見つめている。
なんて奴だ。
どうせならスパイダーマンを視るような目でみなさい。
しばらくの沈黙の後、リンクスはまた口を開いた。
「なんでさっきは言い返さなかったんだ?」
「質問だらけだな。あの刑事たちの話か?」
リンクスは頷いて続けた。
「マーカスの率いていたストリートギャングといえば、ドラッグ売買、人身売買、武器密売、なんでもやる糞溜まりで有名だった。しかもかなり強くて手が出せない――なんで奴等を壊滅させたことを責められていたんだ」
「いや――あいつらの言っていることは全部正しい」
「じゃああんたはやっぱり悪党なのか」
やっぱり? どこからその接頭辞が?
「一人の可哀そうな少女を救うために――二十人以上の――一般的には悪党と呼ばれている奴等を殺す。これは正義か? 悪か?」
「正義だろう。ホロドラマやホロムービーで正義の味方がいつもやっていることだ。そして誰もそれを間違っているなんて言いやしない」
「いや、ただの殺人だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そもそも正義なんて無いんだがな。
「……」
納得できていない空気を噴出させてリンクスが黙る。
まだこいつにはわからないだろう。準備ができていない。
いつかわかる日が来るといいのだが……そんなことを思いながらニンニクとネギにごま油をかけ、粉唐辛子と花山椒と黒胡椒、更に白ゴマを混ぜるとレンジに放り込んでゆっくりと加熱。
しばらく黙っていたリンクスがまた口を開いた。
「なぁ誠二……あんた強いのか?」
「今日は質問が多いな。なんでそんなことを聞く?」
ネギとニンニクと唐辛子の香りをごま油に移す。
「裏路地であっさりあのドワーフをのしてたから――強いなら俺を鍛えてくれよ。どうせ教わるなら強い奴。可能なら最強のアンダーに教わりたいだろ」
「良いかリンクス。最強なんてない」
自家製めんつゆと黒酢を混ぜる。お子様は酸っぱいのが苦手な奴も多いからな、リンクスのは少し黒酢を控えめに。
「んなわけないだろ。一番強いやつが最強。そうだろうが」
俺は溜息をついた。
「ホロテレビに出てくるような格闘家の戦いとアンダーの戦いは違う。どんな技術を相手が持っているのかもわからん、その時の自分のコンディション、相手のコンディション、環境、全てが異なる。一つとして同じ実戦はない。
リングの上でお互い万全の状態で同じルールの下でやるのとはまた別の話だ。俺が腹痛でトイレの住人になっているときに戦うことになったら、お前にも負けるかもしれん」
「どんな状況でも勝つのが最強だろ」
また納得できない顔でリンクスが反論してきた。
「そうかもしれん。なら俺はその最強とやらじゃない。他を当たれ。多分どこを探してもいないだろうがな」
「……わかったよ。あんたでいいよ」
にんにくとねぎを混ぜたごま油に昆布茶と塩と先ほど混ぜておいた麵つゆと黒酢の混合物を加える。たれの完成だ。
「ふむ。ならお前は俺の弟子になるってことで良いのか?」
「いい」
リンクスが頷く。
「ならまず俺にたいしてもう少しましな口調で話せ。ただの同居人ではなく、お前は俺の弟子になるならそこからだ」
「何でだよ。関係ねーよ」
こいつは師弟関係を理解していない。
やれやれ、頭痛がしてくるが俺は親切な男だ。
丁寧に説明をしてやる。
「大いにある。俺が何か言うたびにお前がうじうじと文句を言うのを聞いていたら学習効率が大変悪くなる。納得いくように理由は可能な限り説明するが、しないときもある。師弟関係には敬意が絶対に必要だ。
もちろん俺はお前が尊敬するに値する師匠でいられるように努力はする。逆に、俺が教え導こうと思える弟子でいる努力もして欲しい。わかるか?」
「解った……りましたよ」
渋々了承するリンクス。
俺は蕎麦を鍋から笊に取り冷水でしめる。
「で、何を作ってるんだ――ですか?」
蕎麦をのぞき込みながらリンクスが聞いてくる。
「俺の持論では、家で蕎麦を食うなら冬。水道水がキンキンに冷えているからしまりが違う。そしてこれは陝西式冷やし混ぜ蕎麦をベースにした新西京式冷やし混ぜ蕎麦だ」
「聞いたことないな……ですね……美味しいのか?」
「そうだろう。もっと褒めて良いぞ」
「誠二……さんのその根拠のない自信から学べってことか?」
どういう意味だリンクス。
「いえ、これは反面教師です」
腰から雪風が要らないことを言い出す。
やめろ雪風。
良く水を切った蕎麦を大量のたれと混ぜる。そこにざく切りにした豆苗と水菜、ちぎった海苔を乗せる。
完成。
ゴマとネギとニンニクの臭いが立ち昇る。
ちなみに浩一にこれを食わせようとしたら蕎麦の香りが……!!
とか言って殺し合いになりかけた。
腹の立つ野郎だ。
「早く食わせるがいい! 我はこれを食べたらカウボーイビバップを観るのだ」
リーナスが尻尾を振ってそんなことを言っている。
いつも思うが、こいつ明らかに猫が食べてはいけないものを食べているんだが……
まぁいいか。
どうみても猫じゃないしな。
さて、リンクスをどう鍛えるべきか――そんなことを考えながら俺は蕎麦を皿に盛り分けていった。




