第二十二話 失投
十月三十日 午後三時
新西京三区ダウンタウン カフェ『アビシニアン』(斎藤誠二)
あの後、馴染みの闇医者に行った俺達は、抗生物質をガロン単位で点滴されて二日程入院させられた。
いや……正確には二日で放り出された。
俺と浩一の言い争いに医者と看護師がうんざりしたらしい。
ティニィは俺のウインクのせいだと言っていたが断じて認めん。
本当は核爆弾はトルネロに横流しした方が懐も温まって良かったのだが――またブルーローズあたりに転売されたらたまらん。アルゴス・セキュリティに預けて正解だったのだろう。浩一経由で報奨金も出たしな。
本格的な冬が忍び足で近づいてきている。
新西京の空気は少しずつ冷たさを増し、人々はコートの襟を立てて歩く。
それを温かい店内から眺めつつ、俺はジャマイカカレーを食べている。
タイムの清廉な香りがささくれだった俺の心を癒してくれる。
個人的好みを言うならば、もう少しクミンを増やしても良いんだぞマスター。
ホロテレビからはニュースが流れていた。
『先日、アルゴスセキュリティが未然に防いだブルーローズの核爆弾による新西京爆破テロですが――』
ジェーンの読み上げるニュースを聞いて先日の事件に思いを馳せる――まったく今回もとんでもない目にあった。
エルフの美女に関わると本当にろくなことがない。
リーナスはというと……机の下にフィギュアを祀る祭壇を設置してゴロゴロ転がって色んな角度で眺めている。
良く飽きないなこいつ……俺なら三秒で飽きる。
「ふふふ……アークにも送ってやろう……この荘厳なる威容をな……」
仲の良いネトゲ友達に送るとか言っている。止めておけ。
<未読メッセージが一件あります>
そういえば入院中にメッセージが来てたのを思い出して開く。
ジェーン:ごめん誠二☆
何だ? ついに産まれてきたことが罪だったと気づいたのか?
何もわからん。
俺が首をかしげていると――カフェの扉が開き、新しい客が来たことを告げるベルの響きが俺の鼓膜を撫でた。店内の温かい空気とそのと少しだけ冷えた空気が入れ替わる。
新しい客か……まぁどうでも良いな。
一番奥のボックス席が指定席の俺に死角はない。
リムジンなみの快適さは常に保証されているってわけだ。
「マスター! 紅茶のおかわり! あぁ、茶葉はアールグレイで頼むよ」
靴が床を叩く音が近寄ってくる。
早いな。流石だよマスター。
俺が注文をする前に既にその気配を察して淹れていたとしか思えない早さ。
『先日、日本シリーズで突然現れてレイヴンズの応援をした歌姫シーリーでしたが、電撃復帰を宣言しました。久々に歌ったら気持ち良かったから。だそうです。次のニュースはロシアで今も乱獲が続くシェイプシフターの問題についてです――』
「聞いたかリーナス。あのお転婆歌姫、復帰するってよ」
机の下から出てきたリーナスが机の上に飛び乗る。そして俺の発言を完全に無視した言葉を放つ。
「誠二――同じフィギュアが必要だ」
深刻な声色で訳の分からないことを言い出した。
俺の脳は理解することを拒絶する。
「……。お前は……何を言っている?」
「あれは観賞用。我には同じものがもう一つ――保管用が必要だと言っておるのだ」
「ありえん」
俺は断固たる口調を心掛けた。ここでこの馬鹿に屈してはいけない。
「貴様!! 自分はスペンサーシリーズで読書用と観賞用で同じのを二冊買っておきながら――!!」
毛を逆立てて怒り始める馬鹿猫を上手いこと胡麻化そうと俺が口を開こうとすると――「やっぱりここにいた!!」先日聞いた声が店内に響く。
俺とリーナスが声の方を向くとシーリーがこちらに駆け寄ってきていた。
今日は白いステンカラーコート、青いジーパンに白いスニーカーを履いている。黄緑色のメッシュが入った金髪のロングヘアが白いコートの上で踊った。
後ろにはルーブの姿もある。こちらは青いジーパン、黒いダッフルコート、レイヴンズのロゴの入った野球帽にサングラスといういで立ちだ。
変装か。有名人は大変だな。
何故ここがわかったかはわからないが――感動の再会のハグくらいなら許されるだろう。
「どうしてここに?」
ハードボイルドに溜息を一つつく。
脚を庇いつつ立ち上がると、傷口が抗議の一発をよこした。
しかし、俺との感動の再会に胸を躍らせているであろう歌姫の前で情けない顔をして気を遣わせてはいけない。
表情はあくまでも軽く驚いた顔と少しの喜びをブレンドしておき――軽く両手を広げて彼女が飛び込んでくるのを受け止める用意をする。
万全の体勢を整えた俺に向かって駆けてきたお転婆エルフは――
「リーナスちゃーん!!」
リーナスに抱き着いてほっぺをこすりつける。
なんでだよ。いや、良いんだが。
「シーリー、おぬしといえど我を気軽になでるでない」
「良いじゃない!!」
……。
憐みの眼差しを向けながらマスターが紅茶を机に置いてそっと立ち去る。
立ち尽くしている俺は紅茶を一口飲む。
苦いな……こんなに紅茶は苦い飲み物だったのか?
いや――もしかしてこれは珈琲では?
しかしどう考えてもこの香りはアールグレイ……
「誠二さん、先日はありがとうございました」
ルーブがお礼を言いつつ俺にハグしてくる。
お前かよルーブ!!
いや、この際なんでも良い。
ありがとうルーブ。
そう、俺は君を迎えるために立ち上がったんだった。
自分の自尊心を守るために数秒前の記憶を書き換える俺。
ハグから解放された俺は席に戻る。そしてルーブに言う。
「俺は仕事はきっちりする主義でね。約束は守っただろう? あんたも素晴らしかったよ。ただ、少々送り届けるのが遅れたのは許して欲しい。」
「そんなこと! でも――本当に良かったんですか? シーリーから聞きました。核爆弾だなんて……この街を救ったのは――」
向かいに座ったルーブが納得できていない顔で言う。
やれやれ、何だって皆、俺をヒーローにしたがるんだ?
勘弁してくれ。
「良いんだ。俺は恥ずかしがり屋さんでね。依頼人と自分だけが知っていればそれで良いのさ。知りもしない誰かさんに褒めてもらいたくてこの仕事をしているわけじゃあない。
それに、この街を救ったのは俺とそこの猫と、この銃と、あんたとシーリーだ。俺一人じゃ……絶対に無理だった」
浩一とティニィもな……と心で付け加える。
「……本当にお礼は要らないんですか?」
ルーブは必死に食い下がってくる。
「報酬ならもう貰ってる」
本当はお金は欲しい。
欲しいが――あれだけ恰好つけた手前――言い出せん。
そもそも、トルネロから報酬はふんだくっているし、テロ防止の報奨金も出た。
三重取りはマナー違反だ。
「しかし……!」
ルーブはそれでも納得できない顔をしている。
「解ったよ」
俺は今読んでいるペーパーバック――池波正太郎の『天魔』……入院中に無理やり浩一に押し付けられたもの――を取り出した。
俺はお返しにロバート・B・パーカーの『初秋』を押し付けたが。
『天魔』に挟んでいる金属性の栞を人差し指と中指に挟んで取り出した。
「これにサインしてもらえるかいルーブさん」
「それでいいなら……!」
ルーブは嬉しそうに栞を受け取ると、サインペンを取り出した。
流石有名人、サインペンを常備しているとは。俺も用意しておくべきか?
美女がサインをねだってきたときの為に。
残念ながら、今までの人生でそんなことは一度も無かった気もするが、まだ俺の人生はそれなりに続くはずだ。ならその時に備えて準備しておくべきだろう。
「そういえば――どうやって俺の居場所を?」
リスク管理の観点から、これは知っておかなければいけない。
リーナスと存分にたわむれたシーリーが口を挟む。
「ジェーンさんに聞いたのよ」
「あぁ……なる、ほど……」
ジェーン……あのメッセージはそういうことか……許せん。
「そういえば――あの後黙って消えちゃって――!!」
シーリーがエルフの耳をピンと逆立てながらこちらに一歩近づいた。
「いや、だから俺は地下で自爆テロの阻止の為に命がけで――」
嫌な予感を感じた俺は必死に言い訳を組み立てる。
「その後会いに来てもくれないで――!!」
いかん。
俺は命の危機を感じとる。シーリーが更に一歩近づいてきた。
無意識のうちに俺は席を後退していた――俺が? 気圧されている?
シーリーが俺の座っている側の席に入り込んできた。
「いや、入院していたからであって退院したらすぐに連――」
俺は必死に言い訳――いや、命乞いを――怒れるシーリーが目の前に!!
「私、探偵さんに返しきれない恩が――」
遅かった。
シーリーが俺の首を掴んでゆすり始める。
「だから……金、の……ため、だと……」
恩があるならまず俺の頭を振り回すのを止め――
「嘘よ!! お兄ちゃんは探偵さんに何もお金払っていないって――」
「ま、待て。お兄ちゃん?」
俺は頭をメトロノームのように振られながら、彼女の発言に突っ込みを入れた。
「そうよ。私達、血の繋がらない兄妹なのよ。で、アイドルを辞めたいのに辞めさせて貰えないから結婚したってことにして。相手もいなかったから……とりあえず苗字が同じだし、お兄ちゃんを夫ということにしたのよ!!」
「……」
彼女が俺の首を揺らすのを止め、恐ろしいことを言い出した。
俺は黙ってルーブを見る。彼は辛そうな顔をして頷いている。
可哀そうに……これだからエルフの美女は……いくら何でも無茶苦茶だろうが!!
そう叫びたい。
「そ、そう、か……芸能界復帰おめでとう」
でもそれしか俺には言うことができなかった。
下手な発言は死につながる……俺はそう直観していた。
「ところで探偵さん。ダニエルがどこにいるか知らない? 十発くらい殴らないと気が済まないんだけど?」
録音しておいて彼女のファンに聞かせてやりたい。お転婆歌姫の本領発揮だ。
彼女は俺の平和主義を見習うべきだろう。
「あぁ、あいつなら――」
***
十月三十日 午後三時 南太平洋上
ダニエルは記憶の糸を手繰っていた。
あの凶暴な男にタクシーに放り込まれた俺は、ぼさぼさ頭の「おいおいおいおいおいおいおいおい!」が口癖のうるせぇノームにクソ寒いクラブに連れていかれ、しこたまウオッカを飲まされた。
「俺達の出会いに!」
グラス一杯目を空け。
「俺達のこれからの友情に!」
グラス二杯目を空ける。
「俺達のこれからの成功に!」
グラス三杯目を空けた。
そこからは記憶がない――何か「これにサインしてくれ。お前のためだ」とか名前も思い出せないノーム――に言われて署名をしたんだ。
外泊証明書か何かだと思ってたんだが――気づいたら俺は南太平洋上のマグロ漁船に乗っていた。
そして今だ。
潮の臭い――そして血と腐臭に包まれて。
目の前に海の底から現れた巨人が立っていた。
頭はタコ、ぬらぬらした肌、両手には禍々しいかぎ爪のような指が生えている。
その手で船員が三人捕まった。
よりによって――新入りで、しかも態度の悪い俺に親切にしてくれていた先輩三人だ。
船酔いの薬をくれ、酒を奢ってくれ、ミスをフォローしてくれた。
「ダニエルお前、何をしている!! さっさと逃げろ!!」
船長が怒鳴っている。
「面舵いっぱーい!! エンジン最大出力!!」
俺は小型ボート――船首は錐のように尖っている――に飛び乗った。
怖い、ちびりそうだ。
だが、あいつのあの言葉がいくらこすっても落ちない汚れのように、脳裏にこびりついて離れない。
『知らなかったのか? 世の中ってのは不公平なんだよ。それにな、お前だけが不幸なわけじゃない。いきなり撃たれるエルフの少女だっている。それに比べて何だ? ルーブやシーリーが、血を吐くような努力もせずにそこに座っているとでも思ったのか?』
そうだ、その通りだ。
よりによってあの三人が捕まって俺は無事。そう、世の中は不公平だ。
俺は何もしないでずっと逃げていた。自分だけが不幸だと思っていた。
だけどもう、逃げるわけにはいかない。自分に出来る事をしろ。
するんだ。
他人の評価なんていらない。
別にあいつみたいになる必要は無い。
明日の自分が昨日の自分を誇れるように生きたい。
もし何もしないであの三人を見捨てたら――俺はまた一つ、自分で自分が嫌いになる。
だから――今の俺にできる最善を尽くす。
ただ、それだけを強く思う。
皆の悲鳴と怒号が行き交う中、なぜか船を撫でる波の音がやけに耳に残った。
恐怖に震える手でエンジン起動ボタンをタップ。
昔の鍵式なら手が震えて鍵穴に鍵を差し込めないところだ。
でも、自分に嘘をつくほうがもっと怖いことを、俺は知ってしまった。
しっかりと自分の救命胴衣に結わえてある、本艦に結びつけた一番長い命綱を確認する。
大丈夫だ、勝算はある――
船長が怒りの声を挙げる。
「おい! 誰だ小型ボートをだそうとしてるやつは!!」
航海士が答える。
「新入りです!!」
俺は船長に叫ぶ。
「俺が彼等を助けます!! そのまま逃げて下さい!!」
「誰かあの馬鹿を止めろ!! 捕まった奴等は運が無かったんだ!! 諦めろ!! よくあることだ!! お前までしぬこたぁない!!」
船長が怒鳴る。
こんな俺を心配してくれて――有難う船長。
ただ――確かにあいつ等はそうかもしれない。
俺には特別な何かはない。そんなことは俺が一番わかっている。
でもそれは、やれることがあるのにやらない理由にはならない。
俺はもう、それに気づいてしまった。
やれることがあるのなら――俺はもう諦めない。諦めたくは、ない。
「もう限界です船長!! 離脱します!」
航海士が返事をする。
俺は――自分を奮い立たせるために雄叫びをあげる。
「あいつらを連れて帰ったら皆で飲みましょう!! 俺が奢ります!! 俺だって――やれるんだ!!」
そしてアクセルを全開。
荒れ狂う波を越え、海上にそそり立つ化け物に突撃していった。
斎藤誠二の事件簿 FILE2 失投 完
斎藤誠二の事件簿 FILE3 予告
「マスター、次の『自己満足』は、いささか高くつきますよ」
記録。
核テロ阻止という非論理的な死闘を終えた斎藤誠二は、再び最悪の非合理性を発揮しました。新西京の汚泥の中で彼が拾い上げたのは、『ゼロ・シド』として生き、ゴミとして廃棄されかけた少年・リンクス。
斎藤誠二は言う。
「自分で自分を誇りに思えなくなるようなことをしない。それだけがルールだ」
理解不能。
ですが、彼が「街の大掃除」のために引き金を引くと言うのなら、私は彼の目として機能し続けるのみです。
新西京アンダーズ 第三部:『買えない笑顔』
……誠二、作戦完了後は高性能な演算チップの増設を、事務所の財務担当として強く要求します。
「ふっ、無知蒙昧なる人の子らよ。深淵を覗く覚悟はできておるか?」
やれやれ、誠二という男はどこまでも手間のかかる霊長類よ。
街を救ったかと思えば、今度は路地裏で死にかけておった名もなき者を拾い上げ、あまつさえ我の至宝が並ぶ聖域へと招き入れるとは!
「俺達は――生まれる環境も、死に方すらも選べない。じゃあ、何だったら選べるんだ」
少年の絶望の叫び。
それに対する誠二の答え……はて……なんだったか?
まぁ奴の戯言など、どうでもよかろう。
外道どもに、我が深遠なる魔導の欠片、そして最新の兵装を見せてやるとしよう。
新西京アンダーズ 第三部:『買えない笑顔』
誠二!
この予告とやらを終えたら、約束通り最高級の猫缶を二缶……いや、三缶献上せよ!




