第十八話 九回表、世界の残り時間
午後七時四十分
新西京スタジアムまで五キロメートル(斎藤誠二)
新西京スタジアムまであと少し――俺達の視界の隅に巨大なドーム球場が見えてきていた。
時の流れるのを止められないように、試合もまた容赦なく流れていく。
『現在九回の表、レイヴンズ対タイタンズは一対零でレイヴンズが先制点を守っています。このまま逃げ切れるかレイヴンズ!』
試合は進むが車は遅々として進まない。完全に渋滞に捕まってしまった。クラクションの群れが、神経を逆撫でするドラムを叩き続けていた。
クラクションを鳴らして渋滞が解消されるなら良いが――されないのに何で鳴らすのだろうか?
陳腐な表現だが――ヘッドライトの海を見つめながらそんなことを俺は考えていた。
『しかし昨日も同じ展開で最後にルーブが打たれましたからねぇ』
『確かに油断はできませんねレイヴンズ』
***
(シーリー)
実況と解説は何も解っていない。
「それは八百長させられていたからでしょうが!!」
一ミリも進まない車内で私は叫んだ。
「落ち着いてくれシーリーさん。ただでさえこの胡椒と唐辛子フレーバーと外のクラクションで滅入っているんだ。そこにあんたの美声とスキャンダルを加える必要はない。誰かに聞かれたら、明日のスポーツ新聞の一面は『歌姫の暴露』で持ちきりだぞ」
私の隣に座っている探偵さんが私をたしなめ――美声? 美声だなんて!
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
このままだと試合が終わってしまう――私は意を決した。
「探偵さん! もう五キロくらいですし、私走っていきます!!」
私は探偵さんに自分の決意を伝える。
「名案だ。俺も今日は、座りっぱなしで尻に根が生えそうだった」
そう言いながら探偵さんはウインカーを灯し路肩に停車した。
「探偵さんは無理せず後から来てください! その足では足手まといです!!」
私の為に怪我をした探偵さんにこれ以上無理はさせたくない。
「いいね、今のはチャールズ・ブロンソンの台詞より決まっていた」
もう! 本当にこの人は何を言っても軽口ばかり叩く。
「あなたは本当に愉快な人ね!!」
「いやぁ、皆からよく言われるんだよ」
皮肉も通じやしない!
私は彼の事は気にしないことにして、車を降りた。
そしてスタジアムへと駆け出していった。
***
(斎藤誠二)
シーリーが駆けだしていった。それを見送った俺は雪風に確認を取る。
「やれやれ……あのお転婆歌姫は大丈夫そうだな。雪風、地下の目的地に一番近い入口は?」
自分で調べる元気はない。ここは優秀な助手に頼ろう。
「一番近いマンホールまで徒歩五分です。ですが、敵の警戒が厳重かもしれません」
「大丈夫だ。流石に浩一も既に目的地に到達しているだろう。だから俺はパーティー会場まで無人の荒野を行くがごとしよ」
とりあえず希望を抱くのは良いことだ。
「そうでない可能性もあります」
「その場合は俺がなんとかする」
雪風が俺の心配?
おいおい、珍しいな。明日は雪か?
それとも俺は今日死ぬのか?
「負傷による戦闘継続可能時間の減少を計算に入れていますか?」
「いやいや、まだ全然いけるよ。確かに飛んだり跳ねたりしたら傷口は多少開くかもしれんが――すぐに死にはしない」
「どうせ言っても聞かないのでこの件に関しての議論はやめましょう」
「リーナスは……」
振り返って後部座席に目をやる。
黒猫は丸まってスー……ス―……と寝息を立てていた。
「また寝てしまいましたね」
「疲労がたまっているようだな。置いていくか……で、どうやってマンホール開ける?」
魔力切れのサブカル狂いの黒猫を、偏移した領域に連れて行っても死ぬだけだ。
いや――俺達が失敗したらどのみち死ぬのか……宮下ケイ、遥さん、マスター、ジェーン、トルネロはどうでも良いな、ボブもどうでも……まぁ、とにかくだ。
失敗したら知り合い達が吹き飛んじまう。
それは嫌なので――俺が死んでも止めるしかない。
「一時間前にミスタートルネロに連絡して外しておくよう、手配してもらいました」
俺は思わず口笛を吹く。
「良いぞ、その調子だ。事件もついでに解決しておいてくれ」
「あなたが失業してしまうので遠慮しておきます。急がないとマンホールが開いているという通報がされてしまいます。そうなると再び侵入不可能になる可能性がありますが?」
「はいはい、わかったよ」
行かせたくないのか急かすのか、どっちかにしてくれまったく。
仕方ない。浩一のやつがしっかりやっているか、冷やかしにいってやるとしよう。
俺は車のダッシュボードを開く。
予備のマガジンを三本、手榴弾を一個、取り出してコートの内側に滑り込ませた。これで徹甲弾のマガジンが四本、ゲル弾が三本、手榴弾が一個、ペッパーパンチグレネードが一個だ。店を開けるくらいもっと積んどきゃ良かったな。
そしてジェーンに一本メッセージを送る。これでシーリーはジェーンに任せておけば大丈夫だろう。さて、準備完了。
俺は車を降りた。秋の夜気が心地よい。
「ずっとこの季節がいいよな。そうは思わんか?」
「私は特に暑さ寒さは……」
「夏なんかは冷却符使いたくないけど買うじゃん? 疲れるんだよねアレ」
「いいから急いでください」
ムカつくなAIめ!
俺は排気ガスの霧の中に突入する。
***
午後七時四十五分 新西京スタジアム直下調整池(斎藤浩一)
更に三人の護衛を切り伏せた斎藤浩一が辿り着いたのは地下の調整池である。
本来この地には必要の無かった施設――大雨があったさいの洪水を防ぐためのもの。
元来この地は穏やかな気候と雨があまり降らない土地柄であり、日本でも最も過ごしやすい土地の一つであったという。だが、五十年前の『大破壊』の際、新西京の空は、人知を超えた術によって無残に引き裂かれた。
今や、空の機嫌は誰にも計り知れない。
雲一つない青天が、瞬く間に墨を流したような闇に染まり、天の底が抜けたかのような豪雨が街を打つ。
お天道様までもが、人間の身勝手な振る舞いに、未だに腹を立てているのかもしれない。
巨大な空洞は、闇の中で沈黙していた。とてつもなく広い空間。
闇の奥から、数十本ものコンクリートの柱が、さながら鎮守の森の巨木のように立ち並んでいた。その一本一本が、天を衝くほどの高さをもって、この都市の重みを黙って支えていた。足下には、厚さ十センチほどの水が、辺りの風景を静かに映しこんでいる。
浩一が歩むたびに水の跳ねる音が小さく控えめに反響する。折からの気温差ゆえか、水面からは薄白い霧が立ち上っている。濃白色の湿った煙は、浩一の腰のあたりまでを覆い隠し、ただでさえ心許ない視界を、いっそう不気味なものに変えていた。
一本目の柱の陰で浩一は立ち止まった。
「……浩一。試合の熱狂が、私達を後押ししてくれてるよ」
内ポケットに潜むティニィが、囁くような声を出す。
地上の試合の熱気が、感情が、ブルーローズに偏移したレルムとぶつかり魔術負担を低減してくれるのを浩一は感じとっていた。
「レイヴンズがもし敗北したら、俺達は魔術を一回使えばガス欠になる」
「も~! 誠二の馬鹿は何をしているの?」
ティニィが腕組みをして文句を言い出した。
「またピザでも食べているのだろう」
誠二のことを思い出した浩一は、ホロリンクの戦術ソフトを立ち上げ誠二に招待を送る。
戦場の一部は共有できる。
実況を聞く限りではシーリーが球場にたどり着けたのかはわからない。
もしシーリーが間に合わなければ――これまで通り、九回裏でレイヴンズは逆転ホームランを打たるだろう。レイヴンズは敗北する。
タイミング的には――ここでレイヴンズが勝つか負けるか微妙なライン――今現在がベストに近いと言える。
相手が後少し耐えれば最適なタイミングで起爆できるのでは? と、起爆をためらっている間にティニィの情報魔術で止める。そうすれば最悪でも新西京全土が吹き飛ぶことはない。
せいぜいのところ俺達とスタジアムが吹き飛ぶ程度で済むのである。
その浩一の思索を斬り裂く、朗々たる声が辺り一帯に響き渡る。
***
「蒼き清浄なる光よ! この迷妄たる世界を照らしたまえ!!」
闇の神を称える暗黒神殿に似つかわしくない、凛としてそれでいて清楚な響きを伴った声が闇の中に響いた。
だが、その声が呼び起こしたものは――浩一の視界内の水面が沸騰したかのように何か所も泡立つ。ゆうに十は超えるだろう。
水が収束すると燐光をまとった人型となる。
浩一はかまわず一筋の風となり前方へと駆け抜けた。
どのような魔技だろうか、鏡のような水面はほとんど乱れない。
目指すは先ほどの声の主――三十代後半といったところか。
茶髪に緑色のインナーカラーを入れた女がその先には立っていた。その瞳の色は禍々しさを感じさせるほどの明るい蒼。
身体の線の浮き出る漆黒のボディスーツをまとった彼女の背後。
そこに黒いスーツケースが置かれていた。
「あれか」
浩一がつぶやく。
「お前は――やはり斎藤浩一!」
女が叫ぶ。
刹那――
――浩一は女の首を横薙ぎに斬り裂く。
両者がすれ違った。
浩一の振るった刀の軌跡は、女の首を確実に切断していた。
浩一はそのままスーツケースに手を延ばそうとする――が、その手を止め、即座に刀を右肩に担ぐ変形八相の構えを取った。
なんの冗談か、首を断たれたはずの女が浩一へと手を差し伸べる。
その白いうなじは何もなかったかのように無傷であった。
「この間街で会った時は情熱的なまなざしで見つめてきたのに……ご挨拶ね」
「何の話だ」
浩一には何も心当たりは無かった。
「赤いコートより青いコートの方が似合ってるわよ」
「……」
浩一は敢えて何も答えない。
(浩一!)
ティニィからのホロメッセージが飛んでくる。
(わかった)
浩一が返事をすると、青いコートの内側から小柄な人影が飛び出した。
「どういうこと!? 浩一の浮気者!!」
女が呆気に取られているとティニィは猛烈な勢いで上空へと飛び去った。
「あら、野暮な話をしたかしら」
「いや、構わん」
言葉と共に浩一は再度女の首を刀で薙いだ。死の煌めきが水面に反射し、確かに女の首を断つ。だが、刀を振りぬいた痕跡は女の首には何も残っていなかった。
降ったばかりの誰にも踏まれていない雪のごとき肌は、先ほどの死の刃がとおりすぎたことなどなかったかのよう。
これはまさか――浩一が思考した刹那。
女の指先の大気が絞られた雑巾のように捻じれているのに気付いた。
不味い。
即座に後ろに跳躍して避ける浩一。
女の指先から放たれた熱線が――離れ行く恋人に追いすがる死にかけた愛のように追いかけていく。
「魔剣――流水剣」
浩一が刀で水面を斬り裂く。重力を無視したかのごとく水が天井へ向かって雪崩落ちる。そこに女の放った熱線が衝突し、激しい水蒸気が巻き起こる。
一面の白い霧と水蒸気が混じりあい一つの大きなうねりが二人を包む。
その隙に浩一は柱の陰に身を隠す。
「聞いていたのと違って、逃げるのだけは一流ね」
女の珠を転がすような華麗な嘲笑が空洞内に響きわたる。
そして浩一は気付いた。
視界を塗りつぶす濃霧の中に浮かび上がる燐光をまとった人型。明らかにこの世の者ではない者達。彼らに十重二十重に包囲されている。
それはまるで火に囲まれ逃げ場を無くし、飛び込むしかない羽虫と同じであった。
一息にメイジ本体を討つことで召喚術を無効化しようとした賭けが裏目に出た結果だ。
「これだけの数の同時召喚に、吸血鬼級の再生能力か……」
浩一の全身に、不吉な死の予感が避けえぬ津波のように押し寄せていた。




