第十四話 俺のおごりだ
午後四時二十二分
ブルーローズ教団施設地下二階(斎藤誠二)
「いや、賭けるのはこれからだ」
言葉と同時に俺は左手に持ったペッパーグレネードを手首のスナップでレイに投げつけた。
投げつける前からしていた深呼吸のおかげで息は貯め直せている。
これであと三分くらいは無呼吸で暴れられるはずだ。
グレネードはレイの近くで炸裂。
奴が胡椒と唐辛子の砂嵐に包み込まれた。
続けて俺は奴に向かって走りこむ。
先ほどのスコーピオンが放った弾丸のうち、おそらく一発が俺の右足の太ももに命中していた。
最低な事に弾丸は貫通していない。
焼けつくような痛みが広がっていく。
痛覚遮断をオン。痛みが遠のく。
ここが正念場だ。
***
(レイ・クレイヴ)
斎藤誠二は、またしても私の視覚情報を汚染するために手榴弾を投げつけてきた。
無意味だ。
熱煙幕は私のヘルメットに搭載された超音波センサーの前では、ノイズにすらならない。
炸裂手榴弾の可能性もある。だが、この距離では奴が自爆するだけだ。私の装甲は耐えられる。
落ち着いて奴に向かって銃を持ち上げる。
勝利への確信と共に奴を照準、引き金を絞――なんだ、目が――!
私に激突して炸裂したそれは、予測していた「熱」をもたらしていなかった。
この臭い――高濃度のカプサイシンとピペリンを主成分とする粉末が、私の眼球の粘膜、そして鼻腔の奥に突き刺さる。
同時に、胸部に凄まじい衝撃――掌打――装甲を透過し、肺胞の空気を強制的に排泄させるための、機能的な打撃。
私の身体は、生命維持のために酸素を求め、反射的に大きく息を吸い込む。
それが決定的な「エラー」となった。吸い込まれた胡椒と唐辛子の粉末が、気管支を焼き、肺の機能を瞬時に麻痺。
咳が、壊れた機関銃のように止まらなくなり、涙腺からは制御不能なまでに体液が流れ落ちる。
粘膜が焼け、喉が腫れ上がり、視界は生理的な激痛によって、ワイヤーフレームの外部情報すら認識できなくなった。
最早右手の銃で奴を狙い撃つどころではない。
勝った、という確信が、霧散していく。アレは奴に見せられていた幻想だった。
何が――起きた――?
分析しなくては……私は生理的な地獄の中で何が起きたかを理解した。
先ほど奴の白刃によって斬り裂かれた首筋――装甲の断裂に微細な粒子が、暴力的なまでの意志を持って流れ込み、私の内部へと侵入してきていたのだ。
微量だが――私の行動阻害には十分な量――この完璧なはずの軍事用フルボディアーマーは、今や私を保護する鎧ではなく、毒素を閉じ込める窒息死のための檻に変貌している。
目をこすることもできない――斎藤誠二はゴーグルを着用して――不味い、一度、この戦場を放棄して脱出しなければならない。
仕切りなおせれば――私の勝ちだ――
――しかし、何処に?
身体の制御系が、嘔吐感と激痛によって拒絶反応を起こしている。
視界が明滅する。
涙と粘液に塗れた視界の向こうに、男が立っていた。
***
(斎藤誠二)
言葉と共に俺は全身を脱力させながら、左足を軸にし、右足を前に進ませる。腰は回さない。
「この胡椒アンド唐辛子は――」
一瞬だけ力を込めて右の拳を軽く振り回すようにしながらレイの胸にぶち込む。
忘れずに当たる寸前、左足の膝を軽く抜き――沈降勁も載せる。
掌底をぶち込んだ直後、右足が地に着く。
奴の胸に掌底が触れた瞬間、即座に拳を引く。吹き飛ばすなら引手は遅くても良いが、今回は徹すのが目的だ。
「俺のおごりだ!!」
鈍い音とともに、レイがまた咳き込む。
ここで絶対に決める。
奥の手はほぼ切った、脚に被弾もした。
ここで決められなければ――俺はなぶり殺しにされて死ぬ。
「遠慮なく!!」
鎧通しを放った直後の俺の姿勢は右足が前、左足が後ろ。次に左足で地面を蹴りながら腰を回し、肩甲骨を回し、左拳のアッパーカットを奴のヘルメットに叩き込む。
現代格闘術の打撃――引手は敢えて遅くする。
衝撃で残っていた右側のヘルメットの固定具が千切れ――ヘルメットが吹き飛ぶ。
首に着けているネックレス――鉱石の入った透明な箱がついている――が一瞬宙に浮かぶと再びボディアーマーの内側に収まった。
黒髪黒目の陰気くさいヒューマンの男――レイ・クレイブ――の顔が現れる。
アッパーの時にヘルメットが顔にぶつかったのだろう、鼻血まで垂らしている。しかも涙まみれで見れたものじゃあない。
にもかかわらずまだ奴は立っていた。
そして右手の銃を俺に向けようとする。
どこまでもアンダーだ。
「吸えよ!!」
アッパーで跳ね上げた左手を斜め下に叩き付け、奴の右手の銃を跳ね除ける。
レッドスコーピオンの床を転がる乾いた音が駆け抜けていく。
左手を叩きつけるときの身体の左方向への捻りをそのまま利用、全身を右に捻じり流れるように右肘をレイの顔面に叩き込む。
引手を遅く。押す打撃だ。
打ち込んだ相手の体勢を崩して数秒を生み出す。
「斎藤――誠――!」
こいつと対峙してからどれくらい戦っているだろうか――山ほど銃弾を浴びせても揺るがなかったレイが、初めてよろけた。
右ひじを戻し、その回転で左の浸透勁を奴の腹にぶち込む。
「イケメンだからヘルメットはいらないだろ」
戻ってきた右手――ホルスターに納まった雪風を掴む。
視界の端に表示される:残弾数一。
体勢を立て直したレイは――良く見えない視界にもかかわらず――俺に掴みかかってくる。
だが、奴が体勢を整えるまでの一瞬は、互いにとって十分すぎる時間。
お互いにそれは理解していた――お互いが同じ結論に達し、視線が交差した瞬間。
わかりあえたときにはどちらかが死ぬ。
それが俺達の生きる世界だ。
「殺して、や――」
「じゃあな」
言葉と共に雪風を抜くと、残っていた最後の一発をレイの額に叩き込んだ。




