第十二話 されぞれの最適解
午後四時十七分
ブルーローズ教団施設ローカルネットワーク内(雪風)
【演算資源割り当て】
八十パーセント:ブルーローズ教団施設のローカルネットワーク
十七パーセント:誠二の戦術支援・防護
三パーセント:リーナスの状況把握
雪風は、没入していた。
物理世界では誠二がレイと死闘を繰り広げている。
だが、雪風にとってそれは「並列処理されるべき別タスク」に過ぎない。
そこは、物理法則とは異なる戦場だった。
雪風の視界――正確には、情報を視覚的メタファーに変換した認識領域――には、無数の光の糸が張り巡らされている。それは監視カメラ、ドアロック、通信端末、サーバー群を繋ぐデータの経路だ。
雪風は、その糸の一本に意識を這わせる。まずは通信を傍受――
瞬間、雪風に向かって攻性プログラムが流し込まれる。ブルーローズのローカルネットワークに巣食う防衛機構の対抗措置だろう。
分析:防衛機構
候補――防衛用プログラムか、ハッカー。
AIの基本プロトコル:対象を分析、侵入者の確定、攻撃。
分析から攻撃までの時間が短すぎる。
ハッカーと判断。
雪風のファイアウォールが自動的に攻性プログラムを防ぐ。
最優先事項――ハッカーの無力化。
雪風は並列タスクを起動。
思考を二分割。
論理防壁をリアルタイム更新。
相手の攻性プログラムに対しての最適化を行う。
同時に敵のネットワーク上の位置を探索。
ネットワークの上位管理者権限を持っていると推測。
地上は該当なし。
地下一階、該当なし。
地下二階、該当あり。
位置を特定。
既に侵入は検知されている。
遠慮なく生体攻性プログラムを起動。敵のハッカーのいる位置に流し込む。
論理防壁の被最適化速度減少。
敵ハッカーにダメージが入っているのを確認。こちらが優勢。
当然の結果。
しかし――防衛プログラムの起動確認。
現在の演算能力では同時に対処は不可能。
ここを切り抜けた後、誠二に更なる高性能チップを請求する必要性有り。
演算:二面攻撃を受けた場合
結論:五分四十五秒後に分解消滅。
雪風はメッセージを一本作成。送信。
***
午後四時十八分 ブルーローズ教団施設地下二階
あまりの退屈さに、我の精神は乾き、腐り始めていた。
階上に巣食う二匹の猿を排除せねば、我はここから一歩も動けぬ。
だが、奴等は降りてこない。
恐怖に縛られた獣のように、踊り場にへばりついたまま、銃を抱いて震えている。
こちらから出向けば、奴等は反射的に銃弾を浴びせてくるだろう。
思考も意志もなく、ただ条件反射で引き金を引く。
何と冒涜的で、何と空虚な生き物か。
背後では馬鹿が何やら騒いでいるが、正直どうでもよい。
この宇宙には、もっと考えるに値する忌まわしい事象が無数に存在するのだ。
我は元より召喚術を好まぬ。
異界の存在は、呼び出した瞬間から舞台の中心を奪う。それは耐え難い。
常に主役は我であるべき……これは語る必要もない世界の真理である。
だが――今は別だ。
我は、ゆっくりと息を吸い、宇宙の裏側に意識を滑らせる。
「我が呼び声に応えよ。名もなき時の狭間より這い出で、その知の飢えを、この場で満たせ――猟犬」
異界が、こちらを覗き返した。
異界から情報を引き出す。我が目の前で無様に折り重なっている肉塊に流し込む。
肉塊は想い出す――自らの形は本来こうではないことを。
折り重なった死体が軋む。
本来あるべきだった姿に戻るために――肉塊の内に蠢いている魂の形に従って。
おぉ! 見よ!
魂が肉体を規定するその瞬間を!
骨と肉が、ありえぬ角度で再配置され、粘ついた音とともに形を失ってゆく。
それは生ではなく、死ですらない。
ただ“素材”だった。そして猛烈な腐臭が漂い始める。
我は周囲の大気の流れを固定。
我が嗅覚を穢すことは許さぬ。
「ひっ」
階上から、母に見捨てられた幼子のか細い悲鳴。
次いで、金属音――魔術行使できぬ無能の代替火球の準備か。
我はわずかに身を乗り出し、戦利品格納鞄に命じる。
チタン粉末触媒缶、射出。
小型の容器が空間を裂くように飛翔し、炸裂。
深淵よりも黒き粉末が、通路一帯を覆い尽くす。
猿の一匹が狼狽し、無意味に代替火球を放る。
その時にはすでに――太陽が東から登るよりも当然だが――我の詠唱は終わっていた。
「我は命ずる。アイアスよ。その名に相応しき大楯となり、この世の因果を拒絶せよ」
粉末は、意志に応え、収束する。
薄く、広く、しかし確固たる金属の壁が、我らと奴等の間に顕現した。
この瞬間、思考は澄み、魔力は燃え上がる。
余りにも華麗な元素魔術。
宇宙開闢には到底届かぬ爆音。
隕石の衝突に比べるべくもない些事たる衝撃。
アイアスの大盾は粉砕され、消失する。
そして――盾の向こう側にいた猿どもも、同様に崩れ去った。
召喚完了する寸前の猟犬もまた、破片により依り代を喪い、元の世界へと帰還した。
だが……我は、初めてわずかな疲労を自覚したのである。
魔力が、底を見せ始めている。
その瞬間、電脳の鳴動が届く。
――我が助力を求めている、か。
我は口の端を、わずかに歪めた。
まったく。
人間と機械は、どうしてこうも面倒な存在なのだ。
我がいなくてはトイレにも行けぬ。
***
午後四時二十分 ブルーローズ教団施設地下二階(斎藤誠二)
煙幕を切り裂いて迫るナイフ――膝の力を抜いて最速でしりもち――頭上をナイフが通り過ぎる。
不格好だがナイフとキスするよりましだ。
即座に両足を伸ばしてレイの右足を挟む。
体を左に寝返りをうつように回し、レイを転倒させ――スーツの安定制御が強すぎてびくとも――くそ! 不味い――即座に足を引き戻す。
俺の足のあった場所に奴の持っていた盾が叩きつけられた。
おいおい、もし当たったら足の骨が折れるだろうが!
俺は既にさっき撃たれた箇所がじんじん痛い。
これ以上痛い箇所を増やされてはたまら――グレネードの炸裂する音。
リーナスか?
もしリーナスが爆死して後ろから増援が来たら恐らく俺は死ぬ。
あいつを信じて、俺は目の前のこいつに集中するしかない。
思考を振り払って即座に立ち上がる。
その一瞬の遅れ――レイの右手のナイフによる突き。
極限状況下での高速圧縮思考。
現在の位置は廊下の中央。
奴が左手に盾を構えている。
盾で防御されたくないのであれば――俺は奴の右側、俺から見て左斜め前に進む。
奴は右効き――セオリー通りなら右手側に回り込むべき。
しかし、奴は大きな盾を所持。左手側は盾でナイフを扱い難い。
あいつはどちらを狙う?
散々シールドバッシュをしかけてきた、つまりそれを意識づけしておいて盾を構えていてもナイフを使い易い、奴から見て右手に俺を誘導したいと判断。
俺個人としては――もちろん盾の方がましだ。
俺は左手で中段内受け、ナイフを握っているレイの右手の軌道を逸らし――右斜め前に進み出て奴の構えている盾に密着。
本当にうっとおしい盾だ。これのせいで鎧徹しも叩き込めん。倒せないでも動きを多少止められるだろうに。
嫌味の一つでもくれてやる。
「この距離ならシールドバッシュは無理だな!!」
俺が盾の方がましと判断した理由がこれだ!
「ちょこまかと!!」
レイの声には苛立ちが混ざっていた。多分。混ざっていたらいいな。いらだちは判断をミスらせる!
レイが盾を後ろに引――俺も前に進んで盾に張り付く。
今までの戦闘、ナイフ捌きからこいつの近接格闘は軍隊格闘術。
次はナイフが来る。
想定通りレイはナイフを俺に突きこむ。盾に張り付いたまま更に右側に回り込む。くるくるその場でダンスを踊っているような形になった。
視界の端を一瞬黒い影が走り去る。
熱煙幕弾を投げてからそろそろ二十秒か。かなり薄れてきた。
そろそろナイフより拳銃の方が強い環境に戻る。
半周してレイと俺の位置が入れ替わり俺が壁に近くなる。
レイは盾を構えたまま前進――不味い、壁に俺を押し付ける気か――右に大きく飛びつつ雪風を抜く。
レイはナイフを俺に投げ――俺は一射でナイフを跳ね飛ばす。
俺は弾切れしないよう、レイに銃弾を散発的に撃ちこむ。
が……この野郎、銃弾を頭部に打ち込まれているが無視。
平然と腰のホルスターから拳銃を抜いてこちらに向けてきた。残弾五。
奴の構えた拳銃を狙う。精密射撃で四連射して跳ね飛ばす。残弾一。
俺の射撃の腕を甘く見過ぎたな。俺が待っていたのはこのタイミングだ。
散発的に撃っていたのは狙いを悟られないため。
リロードする余裕はない――マガジンを排出――ホルスターに雪風を戻す。残弾一。
「糞ッ!」
「おいおい、どうしたレイ君? いつになったら俺をハンバーグにしてくれるんだ?」
ここの判断は甘かったなレイ。
一見互角に見えるが……正直凌ぐので精いっぱいだ。
単分子ナイフを叩きこむ隙なんて――
「もうすぐだ、焦るなよ誠二」
まだ何かあるのか? いい加減にしろよ!!
その時、俺の脳裏に雪風の声が響――即答。
ここでやるしかない。
俺は左手をコートの内側に入れて最後の熱煙幕弾を掴――レイのパワードスーツの右太ももが展開、格納型ホルスターからレッドスコーピオンをレイが抜いた。
即座に俺から見て右側、奴の盾側に走りこみ超近接戦に持ち込む。
盾が邪魔で精密照準ができないようにするためだ。
もし奴が盾を放したら?
七面鳥撃ち……俺は穴あきチーズになる可能性がある。
盾を大事に持っておいてくれると嬉し――奴が盾を手放し、精密照準開――俺は左手の熱煙幕弾を起爆。
廊下が再度、熱煙幕に包まれた。




