第九話 殉教者たちの午後三時
午後三時
新西京 五区 時蕎麦
浩一は、行きつけの蕎麦屋で笊蕎麦を啜っていた。
箸休めには、大蒜柚子醤油に漬けた胡瓜と、よく浸かった白菜。この簡素だが筋の通った味が荒んだ心を落ち着かせる。
隣ではティニィがたぬきそばの天かすと格闘し、器の中に小さな波紋を作っていた。
そこへ、ホロリンクが短く震える。市民安全局からの速報だ。
(新西京から北西へ百八十キロ地点、ブルーローズが施設を極秘購入。座標送信)
ふむ……向かうか?
しかし――気になるのは『希望が絶望に変わりし時、蒼き光が世界を喜びに染めるであろう』だ。
奴に聞いてみるか……テキストメッセージを送信。
「ご馳走様」
そう言って浩一は店を出る。
秋の終わり間際の穏やかな日差しと、涼やかな風が吹きつける街路を進んでいく。肩にはティニィが腰掛けている。
他愛のないやり取りをしつつそのまま人気の無い路地へと入っていく。
浩一は刀の柄に手をかけながら振り返った。
「何の用だ?」
後をつけてきていた男は――距離三メートル――ジャケットの懐から銃を抜いたところだった。
ティニィが肩から飛び、浩一は躊躇なく踏み込む。
男の銃口が揺れる。
「死ねっ! 斎――」
余りに速――鞘から解き放たれた白刃が逆袈裟に空を裂く。
男が引き金に指をかけるより早く、その拳銃が二つに割れて宙を舞った。
「うおっ!」
相手が驚きの声を上げる。
浩一は即座に左手を鞘にかける。
逆手に握られた鞘は浩一の腰から外れ、男の首筋に叩き込まれた。
秋のうららかな日差しの中、ゆっくりと崩れ落ちる男。
「案ずるな。峰打ちだ」
地に伏した男に浩一は声をかける。
「もう気絶してるよこいつ。というかそれは鞘打ちだよ」
宙から降りてきたティニィは、浩一の肩にちょこんと座り直し、突っ込みを入れる。
「そうだな。だがまぁ、お約束として言うものだ。さて……恐らくブルーローズの刺客だろうが……」
浩一は刺客のホロリンクを取り上げた。ロックがかかっている。
「ティニィ、頼めるか?」
「ほいきた! 開けゴマ!!」
ティニィは情報魔術師だ。
電磁波・通信・記録情報の改竄・電子機器の操作はお手の物。
彼女がホロリンクに触れ、微弱な電磁パルスを流し込む。
ロック解除。
浩一はホロメッセージの通信履歴を漁る。
(斎藤浩一を発見。始末します)
(成功を祈る。殉教の意志がないならば斎藤を始末した後、新西京を離脱せよ)
(了解です)
殉教。不吉な言葉が浩一の脳裏に刻まれる。
「ティニィ、不味いぞ」
浩一は肩で雲を数えているティニィに声をかけた。
「何がー?」
「新西京が吹き飛ぶかもしれん」
「やばいじゃん! 逃げようよ!」
ティニィが浩一の耳を引っ張って騒ぎ始める。
「そうはいうが……」
とりあえずここを離れるわけにはいかんな。
どうしたものか。後……強く引っ張りすぎだティニィ。
***
午後三時二十分 旧・聖母マリア療養所跡地 現ブルーローズ教団拠点(斎藤誠二)
俺たちは山を越え島根県に入り、のどかな田園風景の中を走っていた。だが俺の目に飛び込んできたのは、のどかな周囲の光景とは似つかわしくないものだ。
かつての療養所は跡形もなく消え、そこには無機質なコンクリート打ちっぱなしの巨大な平屋が鎮座していた。
俺の前には三つの難題が積まれている。
一つ、民間人の有無。無辜の信徒を巻き込むわけにはいかない。
二つ、シーリーの監禁場所の把握。
三つ、主犯レイ・クレイブとの遭遇を避け、スマートに離脱する。
そういえば運転中に浩一から来たメッセージがあったな。
ちっ、しかたない。確認してやるか。
『ブルーローズを知っているか誠二? 奴等が何やら企んでいるらしい。[希望が絶望に変わりし時、蒼き光が世界を喜びに染めるであろう]という予言が出回っている。お前の優秀かつ天才的な推理を兄は求めている』
四つめが追加された。
ブルーローズが何かとんでもないことを企んでいる可能性。
「俺さぁ……思うんだよ。双子に兄も弟もないだろ。にもかかわらず弟に生まれたものは死ぬまで兄貴面される……これはかなり理不尽では?」
「珍しくあなたのいう事には一理あります」
雪風が珍しく同意する。
「久しぶりにメッセージ送ってきたと思ったら意味わからない怪文書。無視していいよね。これはコミュニケーションの断絶だよ。ブラザーハラスメントだよこれは」
「いつものようにその発言には一理もありません。彼の送ってきたメッセージは明らかに今回の事件との関連性が疑われます」
雪風がいつものように否定する。
「じゃあここに呼びつけるか?」
「彼は凄腕の剣聖です。戦力としては申し分ありません」
雪風の淡々とした返答。
確かにその通りだ。
だが、奴が到着するまで待っていられるか?
答えはノー。
それに奴等が新西京で何か悪事を企んでいるのなら、手札を新西京に残しておくのも悪くはない。
『良いかね浩ソン君。まだその時ではない。そこで時がくるまで待機していたまえ』
と、テキストメッセ―ジを飛ばしておく。
飛ばした直後に俺はあることに思い至る。
待て、あの文言、もしかしてあいつ……?
ホロ通話を浩一にかける。
「もしもし。浩一だ」
「おい浩一。まさかお前……ブルーローズメンバーのホロリンク抑えてたりしないよな?」
「どうしたんだ誠ムズ君?」
「なぁに簡単な推理だよ浩ソン君。ってやっとる場合か!! 抑えてるならデータ一式くれ。身分を詐称したい」
奴のメッセージの文言。ブルーローズメンバーをぶちのめさないと手に入らない情報だ。
「解った。丁度ある。ティニィ。頼む」
やはりか。
『オッケー! 誠二の馬鹿に送れば良いんだね?』
ティニィの暴言が聞こえてくる。
「そうだ」
肯定する浩一の返事。
いや、馬鹿は否定しろ。
「おい、イケメンを馬鹿と言い間違えてるぞ。訂正しろよおちびちゃん」
しかたない、エチケットというものをあの二人組に教えてやろう。
「馬鹿はよしなさいティニィ」
『送ったよー』
駄目だこいつら。
俺のホロリンクにブルーローズの一員としてのデータ一式が転送される。
指紋サンプルに網膜サンプルまで?
浩一のすぐそばにブルーローズの関係者の死体があるか捕虜を拘束しているのか?
こいつはついてる。
上手くいけば誰にも気づかれずにシーリーを救助して脱出できそうだ。
「しかし誠二、俺の――」
「オーケー。じゃあまたな」
浩一が何か言いかけるが、俺は返事も待たずに切る。
あんな失礼な奴等、これ以上の会話はサービス料金を貰わないとやっとれん。
さて、どうするか……
名前とIDはこいつのものを借用。
名前:サトウ リョウ
ID:310468
偽名を名乗り、このIDを盾にして幹部を装う。天才じゃないか!
「雪風。ハッキングの準備は?」
「いつでも。ただし、施設内には強力な『ハッカー』の存在が予測されます。無線接続を試みた瞬間に、電子的攻撃を受ける可能性があります」
「上等だ。お前の演算能力、見せつけてやれよ。あぁ、その時がきたらの話だがな」
俺は単分子ナイフ、銃、グレネードの感触を確かめ、コンクリートの要塞を見据えた。
背後では、リュックを背負ったリーナスが、お宝の気配を察知したのか、低く喉を鳴らしていた。
「よし。……開演だ」
俺は堂々と教団施設に入っていった。




