第八話 根拠のない約束
十月二十八日 午前十時三十分
新西京一区 ルーブ・マーティン邸(斎藤誠二)
ダニエルとの「親密な対話」を切り上げた俺たちは、正規の客としてルーブの豪邸に舞い戻っていた。
目的は、情報の釣り糸を垂らすことだ。
俺はダニエルのホロリンクを使い、兄であるレイに短いメッセージを送った。
『ルーブがシーリーと話させろと喚いてる。応じなきゃ、今夜の試合はボイコットするってよ、兄貴』
果たして狂信者の兄が、肉親の(偽の)泣き言に釣られるかどうか。
リビングでは、拘束されたダニエルが床に転がされ、芋虫のように身悶えしている。
ルーブはそれを完全に無視し、ホロビデオでライバルチームの主砲――ベイブの打撃フォームを研究していた。
「八百長のサインを知っているのは、ベイブだけなんです。だから、彼には逆転打を打たせなきゃいけない……」
ルーブの言葉は、プロの誇りを削り取られた者の、血の混じった吐息だった。
俺はソファに深く沈み込み、両手を合わせた。
まずはスタイルからだ。
そのうえでシャーロック・ホームズのような明晰な推理を試みる。
ハーモニー・ライフ・サポート協会はブルーローズの隠れ蓑だ。シーリーはそこに関連する施設にいる。
リーナスの『鼻』によれば、新西京の市街地にはいない。ならば、車で二、三時間の距離にある教団の秘密拠点か。もしそれ以上遠ければ――物理的に詰む。
レイという男、慎重さは一級品らしい。まずは連絡を待つしかない。
問題は、一時間後にはルーブは運命の球場へ向かうことだ。
***
午前十一時五十分 新西京一区 ルーブ・マーティン邸(雪風)
雪風は待機中。
ルーブのアドレスとして指定された――誠二のアドレス。
誠二はダニエルの頭の上に腰掛けたまま寝ている。
リーナスも部屋のソファで眠っている。
生理的作用として睡眠は不可欠。
取れるときにとっておくべきのは賢明である。
雪風は眠らない。睡眠とは一種のデフラグに近いものなのだろう。生きるという行為が体内に蓄積させる生理的エラーを、意識の断絶によって修正するプロセス。
雪風が必要とするのは、エラーのない論理の連なりと、その先にある真実という名の演算結果のみである。
――通話がかかる。
発信元:不明
使い捨てホロリンクと確定。
通信が繋がった瞬間、雪風の意識は音声データの解析と、パケットの遡行に分割される。
【ハッキング・シークエンス:開始】
相手が踏み台にしているのは、一区から三区のジャンク・ネットワークを経由した古い中継局。
雪風は、送信される音声データの背後にある「遅延」をミリ秒単位で計測。
情報の波紋を逆走。
『もしもし、ルーブです』
『ルーブ、私よ。シーリーよ』
第一の壁:使い捨てのダミーサーバー。
雪風はこれを破壊せず、通信の一部に擬態してすり抜ける。
第二の壁:暗号化されたVPN。
レイ・クレイブの用心深さが、コードの壁となって立ち塞がる。
雪風は、新西京を循環する余剰電力のグリッドを一時的に徴用し、ブルートフォースではなく「論理のバイパス」を構築する。
暗号そのものを解くのではない。暗号が「正しい」と判断する判定基準を、演算によって書き換えるのだ。
『シーリー! 無事なのか?』
『えぇ、私は大丈夫よルーブ。ごめんなさい私のせいで――』
扉が開く。
情報のパケットが、真の発信源を露呈。
電波の減衰率。周囲の基地局の密集度。地形による反響。
それらのデータを統合。
新西京の地図上に一つの赤い点が、血が滲むように浮かび上がった。
『……体調は? 怪我は?』
ルーブは誠二の忠告通り、「どこにいるか」という直接的な問いを避けている。
優秀。
居場所に関する質問を投げれば、レイが即座に通信を遮断する可能性がある。
雪風は、その赤い点にズームした。
新西京から北西へ百八十キロ。
地図上の名前は――「旧・聖母マリア療養所」。
現在は廃墟となり、ブルーローズが「ハーモニー・ライフ・サポート」名義で買い取ったとされる場所だ。
「……誠二。起床してください。座標を特定しました」
雪風の無機質な声が、リビングに響く。
誠二が跳ね起き、ダニエルの後頭部を蹴飛ばした。
リーナスが目を覚まし背筋を伸ばした。
「遠いな」
誠二の第一声。
通話を終えたルーブに誠二が声をかける。
「すまないルーブ。可能な限り間に合わせるが……俺を信じて待っていて欲しい。シーリーは必ず助ける」
ルーブは黙って頷いた。
誠二の発言に根拠はない。
だが、時には根拠のない発言が人を支えることを雪風は知っている。
***
正午 新西京一区 ルーブ・マーティン邸前(斎藤誠二)
ルーブ邸を出た俺は、ボブに一本ホロ通話をかける。
そしてやってきた無人タクシーに縛り上げたダニエルを放り込み、送り出した。
それを見送りながら俺は考える。
「準備と確認が必要だな……」
俺はトルネロの話を思い出す。
『おぉ、ワシか? こっちは忙しいぞ! 《《ミサイルからおしゃぶりまで、飛ぶように売れとる》》からな! 商売繁盛待ったなしよ!』
『いいか誠二。昨今の不穏な世界情勢――ほら、先日も何か中東の方で《《プルトニウムが盗まれた》》とか?』
そしてブルーローズ……トルネロにホロ通話をかける。
「俺だ。誠二だ」
暢気なトルネロの声が聞こえる。
「おう! どうだ誠二!! 調査は?」
「あぁ――ルーブは八百長をしていた、妻が誘拐されて人質にされている」
とりあえず依頼完了報告をする。
「本当か? している証明は簡単だがしてない証明ってのは――っておい!? してたのか!」
トルネロの表情が驚愕に歪んだ。
「それよりお前、ミサイルを売ったって言っていたよな? どこにミサイルを売ったんだ?」
「おいおい誠二! 顧客情報を――」
まぁ当然そう来るだろう。
「シーリーを助け出して今夜レイヴンズが勝てば八百長は無かった。そうだよな?」
「そ、それはそう……なるな」
「で、お前がミサイルやら武器弾薬やらを売った相手はブルーローズか?」
「……」
トルネロは貝のように口を閉ざしている。
「俺は今からそいつらと、命を削るようなダンスをしなきゃならん。もし奴らと取引したんなら、売りつけた商品リストを見せろ。ダンスのステップを予習しておきたい」
「しかし――」
「おいおい、お前はレイヴンズのファンなのかそうじゃないのか? はっきりしろ!」
「そりゃあファンだが……わかった! わかったよ! しょうのないやつだなお前は」
ため息をついたトルネロからリストが転送されてくる。
それを一瞥した俺。
――これはヤバいな。
必要な装備を考える。
「単分子ナイフ二本とナイフ用ホルスター、ペッパーパンチグレネード二個、通常手榴弾二個、熱煙幕手榴弾二個。
拠点強襲用キット一式、銃用レーザーポインタ、十ミリ徹甲弾六十発、アンダーテイカー用クリップ五本、ゲル弾のクリップ三本。
標準的なメイジ用触媒セットと、猫用リュック魔術師カスタマイズ済、後リーナスの大好きなアレを届けてくれ。
対ミリタリーグレードパワードスーツ用アンチマテリアルライフルと弾丸。もちろん全部お前持ちだ」
俺は控え目に提案してやる。
「おいそりゃないぜ誠二! 俺は破産しちまうぞ!! 首を吊れってのか?」
トルネロがわざとらしい悲鳴をあげた。
「良いんだぞ。テロ組織にあれこれ売ったことをアルゴス・セキュリティにチクっても」
「は~しょうがない、今回だけだからな!! ワシは自分の優しさが怖いよ!! おぉ神よ! 寛大すぎるワシに罰を下さないでください!!」
何やら両手を組み合わせて神に祈るふりをしだしやがった。
「寝言は寝て言えよ。十五分でいけるな?」
「そりゃ無茶だ!!」
「じゃあ寝言並べてないでさっさと取り掛かれよ!」
「対ミリタリーグレードパワードスーツ用アンチマテリアルライフルと弾丸は在庫がないぞ」
俺は舌打ちをする。
「無いのかよ。何か携行火器で代わりになるようなものは?」
「そんなもの気軽にあったらミリタリーグレードの意味がないじゃろうが」
「わかったよ。正面から突撃するわけじゃあないからな。良いよ」
やれやれ、まぁ何とかなるだろう。
何しろ俺には幸運の女神がついている。
「二十分で届ける」
「急げよ」
隣で、漆黒の毛並みを逆立てたリーナスが低い唸り声を上げた。
「我に触媒なぞ不要! ましてや猫用リュックなどという屈辱的な檻、背負うはずがなかろう!」
「いいのか? 奴らの拠点は、マネーロンダリングのために買い占めたレアなフィギュアの集積場になっているという噂だぞ」
俺はわざとらしく腕組みをし、もっともらしい嘘を吐いた。
リーナスの唸り声は止まり、尻尾を振り始める。
「ぬう……。フィギュアの集積場、だと?」
「ああ。戦利品を持ち帰るための袋がなきゃ、せっかく見つけた絶版品を置いていくことになる。リュックはそのためだ」
「ふむ。一理あるな。……致し方あるまい」
正午三十分 新西京一区 ゲート付近
「誠二! 持ってきたぞ!」
黒いバンが急停車。バンから降りたトルネロはわざとらしく息を切らせつつ、装備一式を詰め込んだバッグを放り込んできた。なんで車運転してきただけなのに息が切れてんだよ。
俺は単分子ナイフ二本を鞘に収める。指先に伝わる冷たい感触。重厚なリュックを無理やり背負わされたリーナスは、不満げながらも「戦利品」への期待に瞳を輝かせている。
『誠二。現在の速度制限を無視し、最適化されたルートを走行した場合、到着予想時刻は午後三時前後です。試合開始には間に合わない可能性が高いでしょう』
「良いか雪風。レイヴンズの負けが確定するまでにシーリーが球場に辿り着けば俺達の勝ちだ」
俺はアクセルを踏み込んだ。
新西京の摩天楼がバックミラーの中で遠ざかっていく。さて、囚われのお姫様を救いだす騎士様御一行の出発だ。
……何か大切なことを忘れている気がする。
俺はその大切なことを思い出せないまま車の速度を上げていった。




