第七話 ヒーローではない者たち
十月二十八日 午前十時
新西京中央区 新西京都庁 市民安全局・危険存在対応課(斎藤浩一)
新西京中央区――ここは、新西京という、新たなる日本の首都の脳と言っていいだろう。
新西京都庁、新西京スタジアム、新西京駅、企業連合会館、等々……新西京という巨大な生き物を生かすために必要な臓器の大半はここに集中している。
浩一は新西京都庁――新西京の空を斬り裂く高層ビル――に居た。
華やかな上層階ではない。
秋の終わりを予感させる地上とは正反対の、時の止まった場所。
地下三階。
エレベーターの扉が開いた瞬間、浩一の鼻を突いたのは、冷房の乾燥した風と、古い紙、そして微かな金属の匂いだった。地上階の市民課にあるような、赤ん坊の泣き声や生活の愚痴といった生活感はここにはない。
通路はどこまでも無機質。自分の足音だけが、他人の不運を数えるように等間隔で響いた。
浩一が進む通路の突き当たりには、簡素な案内板が掛かっている。
――市民安全局
――危険存在対応課
――賞金・報奨金換金窓口
文字は実に事務的で、そこに書かれている内容の危険さとはまるで釣り合っていない。
浩一は小さく鼻で笑い、そのまま扉を押した。
中は広い。
だが飾り気は一切なく、コンクリートの壁に、無機質なカウンターが横一列に並んでいる。
カウンターの正面に、発券機が一台置かれていた。
【賞金・報奨金手続き】
【危険物押収関連】
【その他照会】
浩一は迷わず一番上のボタンを押した。
――軽い電子音とともに、番号札が吐き出される。
《A―078》
その番号を一瞥し、浩一は待合用の硬いプラスチック椅子に腰を下ろした。
周囲を見回すが誰も居ない。
カウンターの向こうでは、事務員が黙々と書類を処理していた。
年配の女で、灰白色のショートカットに眼鏡をかけている。飾り気のない規定の制服を着用。その目は驚くほど静か。そこには善悪も正義もない。ただ規定と手続きだけがあった。
壁の電光掲示板が、無感情な音を立てて番号を呼び出した。
《A―078番》
「……A―078番の方、三番窓口へ」
同時にかかる呼び出しの声は、秋の風のように低く、湿り気を欠いていた。
浩一は立ち上がり、番号札を指で挟んだままカウンターへ向かう。
先ほどの女事務員が、感情を削ぎ落とした目で浩一を見た。その瞳には、浩一が斬ってきたであろう八人の男たちの死も、浩一自身の命の重さも映っていない。
「ご用件をどうぞ」
事務員の声は低く、穏やかだった。
「……ブルーローズ支部、殲滅の件だ」
浩一もまた、低く、穏やかな声で答える。
「確認しております。地下下水道におけるテロリスト八名の処分。規定に基づき、報奨金が振り込まれました。ご確認ください」
ホロリンクに届く、入金の通知。
それは八人の男たちがこの世から消えたという事実の、唯一の証明であった。
「……それと。回収したデータの解析はどうなっている?」
持ち込まれたらしいプルトニウムの手がかりがあると良いが……浩一はそう願いながら質問を投げる。
「こちらです。抽出できたのは、断片的な一文のみですが……」
浩一のホロリンクにメッセージが送られてくる。
『希望が絶望に変わりし時、蒼き光が世界を喜びに染めるであろう』
「これは……」
浩一はそこで言葉を切る。
「彼等のテロ計画と思われますが、詳細が不明です」
女事務員はもとより感情が備わってないのだろうか。不穏なメッセージを前にしてもその声に感情の揺らぎが滲むことは無かった。
「ふむ……」
考え込む浩一。胸ポケットから顔を出したフェアリーが口を挟む。
「浩一、これ絶対悪いこと考えてるよねぇ。これ止めたらもっとお金貰えるのー?」
懐から顔を出したティニィが、静寂を破って無邪気に問いかけた。
「ええ。規定に基づき、テロの未然防止にも報奨金は支払われます」
内容は硬質だったが、女事務員の声に少しだけ柔らかさが混じる。
「なら浩一! やっつけちゃおーよ!! 浩一は正義のヒーローだからね!」
ティニィが元気良く浩一に語りかけた。
「俺はヒーローではない、が……奴らの悪事をそのままにしておくわけにもいかんからな」
浩一は苦笑まじりに否定する。
ヒーローだろうが、ヒーローでなかろうが、やらねばならないなら、やるだけのことだ。
そこにヒーローなどという定義は不要。
「当課としてもアルゴス・セキュリティに捜査協力を依頼していますが――」
女事務員は言葉を濁した。
この時代、企業が治外法権を会得。そのため、企業は税金をまともに国に収めなくなった。その影響で国家権力というものは瀕死の状態だ。
例え都庁に爆弾テロの予告があったとしても、現状、自分たちではまともに対処することもできない。
「あんな奴らあてにならないよー!」
ティニィは浩一の顔の横まで飛ぶと、その場で頬を膨らませて腕組みをした。
「そういうな。彼らも、不完全な組織の中で泥を啜って生きているのだ」
アルゴス・セキュリティが無ければこの街は混沌に飲み込まれてしまう。
それは個人では防ぎようのないことだ――ティニィにはまだ難しい話かもしれないが。
「……ふむ。ブルーローズが購入した施設一覧などは解るだろうか? そちらを当たってみよう」
何かとっかかりが欲しい。
浩一は女事務員に提案を行う。
「多少お時間いただいてよろしいでしょうか? わかり次第そちらのホロリンクに情報を転送しましょう」
丁寧な返答が返ってくる。
「かたじけない」
浩一は静かに会釈。
「邪魔をした」
「ばいばーい!」
浩一とティニィは別れの言葉を告げるとその場を後にした。
地上へ戻るエレベーターの中で、浩一は己の手のひらを見つめる。八人の命を金に換え、次はその背後にある巨大な陰謀を斬ろうとしている。
とはいえ、だ――流石に手がかりがあれだけではお手上げといえよう。
しばし待つしかあるまい。
あるいは――
***
十月二十八日 午前十時一分 新西京六区 ダニエルのアパート前
幸福な眠りの中にいたダニエルは、扉を乱打する暴力的な音と、がりがりと扉がひっかかれる不快な響きで無理やり現実へと引き戻された。
「うるせーぞ!!」
怒鳴りつけるが騒音はやまない。それどころかシンバルを連打するような衝撃と、神経を逆なでする爪で引っ掻くような音のコンサートはますます激しさを増していく。
ダニエルは寝起き特有の猛烈な怒りを感じた。誰だか知らないがぶちのめしてやる!!
「うるせーって言ってんだろうが!!」
勢いよく扉を開けると目の前に赤いコートを着た男が立っていた。
足元には赤い首輪をつけた黒猫が座っている。
まず睨みつけて凄む。
びびらせたところですぐに襟首を掴んで――瞬間、金的を蹴られ息が止まる。直後、みぞおちに衝撃が走り呼吸が強制的に排出された。
「か……はっ……」
直後、顔面に衝撃を受け、気づいたら地面に叩きつけられている。顔が猛烈に痛みだす。
そのまま手錠で足首同士をつながれ、両手もつながれ、室内へと引きずり込まれた。
激痛の中でダニエルは必死に考えを巡らせる。
何だ? 誰なんだ? 辞めろ! 糞が!
***
(斎藤誠二)
俺は、カビの生えたピザの箱と空き缶が散乱する部屋に土足で上がり、ダニエルという名の荷物を床に放り出した。
今は金玉を蹴り上げられた苦痛で喋れないだろうが――痛みが薄れたころに叫ばれると耳に障る。
俺は近くに脱ぎ捨てられていた、一週間は洗っていないであろう不潔なパンツを拾い上げる。手袋越しでも吐き気がする代物だが、背に腹は代えられない。
俺はそれをダニエルの口に力いっぱいねじ込んだ。椅子の背を前にして座り、わざとらしく時計を確認した。
「はーい。ダニエル君が静かになるまで五分間かかりましたー」
そもそもダニエルは騒いでいない――が、今そんなことはどうでも良い。
奴に必要なのは恐怖だ。
ダニエルは、殺意の籠もった目で俺を睨みつけてくる。
ふむ。
どうやらこいつは――まだ自分が怒りを抱ける立場だと勘違いしているようだ。
「何だ、その目は。俺が善人に見えるのか? 俺は今、寝不足で最高に機嫌が良い。お前を殺す理由なら、この散らかった部屋のゴミの数ほど思いつくんだぞ」
十ミリ口径の自動拳銃――アンダーテイカー――を腰のホルスターから抜いて奴の眼前に突きつける。
銃口に奴の視線が集中する。そうだ、素直にびびっていなさい。
「これからその、バイオハザード一歩手前の猿ぐつわを外すが……叫ばないって先生と約束できるかな? できない場合、まず足を撃つ。次に手。……よろしい」
必死に頷くダニエル。俺は奴の口からパンツを引っ張り出す。
「とりあえず小鳥が歌うみたいに俺の質問に答えてもらおうか? シーリーはどこだ?」
ダニエルは眼を一瞬泳がせた後否定した。
「シーリー? し、知らねぇ」
「リーナス」
リーナスが爪を出してダニエルの目の前に高速の猫パンチを繰り出す。
「次はその爪でお前の顔に新しい地図を描く。寸止めは初回限定のサービスだ」
俺は冷酷に宣言。
「ま、待ってくれ! まじで知らないんだ!!」
何かおかしいな?
こいつ……本当に知らないのか?
お前がシーリーを誘拐したんだよな?
いかん、俺も寝ていなくて気が立っている。ここは丁寧に質問をしていくべきだ。
「シーリーを誘拐したのはお前だな?」
まずこれを確定させよう。俺の言葉にダニエルは頷く。
「じゃあ何でシーリーがどこにいるか知らねーんだよ!!」
怒りのボルテージが瞬時に沸点を超えた俺は、ダニエルの顔の真横にあった空き缶を蹴り飛ばす。
高速で吹っ飛んだ空き缶は、ダニエルの顔の横に座っていたリーナスの耳をかすめて飛んで行き――
――良い音をして玄関にぶち当たった。
缶蹴りオリンピックで金メダル間違いなしのシュートだ。
リーナスがめっちゃにらんでくるが気にしないでおこう。
「レ、レイが知ってるんだ!!」
ダニエルが慌てて話し始めた。
レイだと? 知らない名前が出てきたな。
「誰だよそのレイってのは」
もっと滑らかに喋れないのか?
俺はダニエルの頬に雪風を押し付けてぐりぐりする。
「誠二、やめて下さい。こういう用途にはバックアップガンを使って下さい」
雪風からの抗議が入った。確かに一理ある。
俺は雪風をとりあえずホルスターに納めた。
「レイ・クレイブ……俺の兄貴だよ!! 海外で傭兵をやっていたんだが、一か月くらい前に突然帰ってきて、『レイヴンズに復讐する、手伝え』って言われたんだよ!!
お、俺はシーリーを誘い出しただけだ。その後、どこが監禁場所かなんて教えて貰ってないんだよ!!」
だとしたら酷く間抜けな話だ。
こいつ――兄貴にすら使い捨てられているのか?
「動機は? 復讐か? ならマーティン一家を巻き込む必要は無いよなぁ!!」
とりあえず論理的矛盾を指摘した。
「……。う、羨ましかったんだよ! あいつらだけ光を浴びて良い思いをしやがって……!! 不公平だろうが!!」
ダニエルの口から発せられたのは――予想通りといえば予想通りすぎる答えだった。馬鹿野郎が。
「知らなかったのか? 世の中ってのは不公平なんだよ。それにな、お前だけが不幸なわけじゃない。いきなり撃たれるエルフの少女だっている。
それに比べて何だ? ルーブやシーリーが、血を吐くような努力もせずにそこに座っているとでも思ったのか?」
クソッ、思わず柄にもない説教をしてしまった。
「そ、それは……」
ダニエルが恥ずかしそうに目を伏せた。
「レイの連絡先は?」
こいつを改心させるのは俺の仕事じゃない。それよりもレイだ。
「それが……連絡を取りたい時はここに送れとしか……」
それを聞いた俺はダニエルのホロリンクからアドレスを抽出。確認。
――ハーモニー・ライフ・サポート協会問い合わせ窓口。
だろうな。レイが個人名で賭けていないのであれば、ハーモニー・ライフ・サポート協会名義で賭けているはずだ。問題は――ここまでしてくる奴は相当注意深い男ってことだ。
個人でペーパーカンパニー名義で賭けだと?
普通に考えたらありえん。となるとハーモニー・ライフ・サポート協会はやはり何かのフロント企業で……バックに何かあると考えるのが自然な流れか。
「ハーモニー・ライフ・サポート協会はどこのフロント企業なんだ」
とりあえず手間は省きたい。ダニエルから情報を絞れるだけ絞り取るべきだ。
「し、知らねぇよ!」
使えない野郎だ。
俺の足元でリーナスが雪風と暢気な会話をし始めた。
「なぁ雪風。フロント企業とは何だ? 我に教える栄誉を与えよう」
「フロント企業とは特定の反社会勢力が用意する隠れ蓑としての企業です。主に資金集めとマネーロンダリングが目的として設立されます」
「ペーパーカンパニーとは何であるか?」
「書類上だけ存在していて、実際には活動を行っていない企業のことを指します」
「おぉ! ブラック・ラグーンでなんか出てきた気がする!」
盛り上がり始める馬……黒猫。
……リーナスにはこの業界の常識を教える必要があるな。アニメや漫画やゲームにばかり詳しくなりやがって……いや、今はダニエルの尋問を続けねば。
「ダニエルお前、本当に何も知らされていないんだな。どうやらレイは全くお前を信用していなかったようだぞ」
その言葉にダニエルが顔を歪めた。
……少しだけ胸が痛む。
唯一残った肉親である実の兄にすら信用されない――どれほどの絶望だろうか。
しかし俺は、救世主の求人に応募した覚えはない。俺は私立探偵だ。全てを救うことはできない。誠二、こいつへの同情は止めろ。
「とりあえずレイの顔写真を見せてもらおうか」
俺はそう言うとダニエルのホロリンクを操作。家族写真らしきものを発見。ダニエルと並んで立っている黒髪黒目の陰気くさい男がレイ・クレイブに違いない。
待てよ?
この顔……どこかで見たことがあるな……俺はポケットから、昨日受け取った「ブルーローズ教団」のチラシを取り出した。
そこには、教団の新西京責任者として、慈愛に満ちた――しかし死んだ魚のような目をした――男の写真が載っていた。
『レイ・アンダーソン』
目の前の写真に写っているレイ・クレイブが、十数年分の業を積み重ねれば、確実にこのチラシの男になる。つまりアンダーソンは偽名ってわけか。
いや……クレイブを捨てたのかもしれんが。
「こいつか?」
俺がチラシを突きつけると、ダニエルは目を見開いて震えた。
「そ、そうだ……兄貴だ!」
やれやれ、こいつはただの誘拐事件じゃあなさそうだな。
ブルーローズと言えば、その筋では有名な狂信者集団だ。
あいつらは世界を核で汚染することを浄化と呼んでいやがる。
そいつらがこんなちんけな八百長を仕掛ける?
俺の私立探偵としての勘が何かおかしいと叫んでいる。
また命がけになるのか――まぁ良い、この街では命なんて安いもんだ。
特に俺のはな。
俺は嫌な予感を感じ始めていた。




