第六話 ヒーローの条件
午後九時四十分
新西京一区 ルーブ・マーティン邸前(斎藤誠二)
無人タクシーから降りた俺は、ヴィクトリアンスタイルの豪邸の前に立っていた。
門から見る限り、プールがついているようだ。あのプールに水を貯めたら水道代がどのくらいかかるのだろう……そんなことを考えてしまう俺。
金持ちと庶民の距離は、この高いフェンスよりも絶望的に遠いらしい。
邸宅を囲む壁の上にはサブマシンガンを搭載した固定ドローンが、獲物を待つ蜘蛛のように鎮座している。
別にビビっているわけではないが――とりあえず忍び込むのは最後の手段にしておこう。それかリーナスに行かせよう。
俺は門扉の前で重々しく言った。
「さて、当たって砕けるしかないな」
「まさか、何の策もなくここへ来たのですか?」
雪風が、感情のない――しかし、確実に呆れた声で突っ込んでくる。
「いいアイデアがあるなら、今すぐ提案してくれ」
「私は独立型人工知能であって私立探偵ではありません」
「ふん。なら私立探偵のやり方ってやつを見せてやるよ」
役に立たんやつだ。俺はチャイムを押す。
『はい。どちら様でしょうか?』
スピーカーから聞こえてきたのは、レイヴンズのエース、ルーブ・マーティンの声だった。
「夜分にすみません。斎藤誠二という者なのですが、少しお話したいことがありまして」
俺は警戒心を抱かれないよう、俺なりに上流階級のイントネーションを用いた。
『何でしょう?』
ルーブの声のトーンが一段、警戒の色を帯びる。黄色信号と言えよう。
「立ち話もなんです。中でお話しさせていただけませんか?」
まずは中に入れてもらわなければ話にならない。
『いえ、それはお断りします』
いきなりダイレクトに拒絶!? 馬鹿な!!
いや、待て……落ち着け。俺でなければ確実に最初の挨拶で通話を切られていた。
とはいえ声の警戒レベルが更に一段階上がった。
赤色信号だ。
ここで出し惜しみをしている場合ではない――俺は切り札を切ることにする。
「ダニエル・クレイブの件――と言えば、どうでしょう?」
受話器の向こうで、肺が凍りつくような呼吸の音が聞こえる。
ビンゴ。
「ここでお話できない理由がご理解いただけたでしょうか?」
『わかりました……。お入りください』
門扉がゆっくりと開いていく。
「成程。これが人間の詐術というものですね。参考になりました」
「そうだろう」
人類の偉大さをこの小生意気なAIに見せつけて――ん?
これは……褒められたのだろうか?
まぁ良いだろう。細かく考えたら負けだ。
重厚な樫の木の扉が開くと、ルーブ・マーティンが立っていた。
ヒューマンの男性、栗色の瞳、栗色の髪を短く刈り込んでいる。身長は百七十五センチくらい、ガッチリした体格だ。
白いTシャツに青いジーンズを履いている。ザ・スポーツマンといった趣だ。
広い玄関の正面には階段、そして左右に扉がついている。俺達は右手の扉に案内される。
扉の先は広い居間。
おいおい、俺の住んでる事務所まるごとがこの居間とほぼ変わらない広さだろう。
備え付けの暖炉が正面右手奥、その前には座り心地の良さそうな椅子が二脚。
左手奥には低い机、黒張りのでかいソファが向かい合わせに置いてあった。
手前側の右手奥にはバーカウンター、左手奥は書斎になっているようだ。
俺はルーブに促され、ソファに座る――ソファが柔らかすぎる――深海の底に沈んでいく感覚。
物思いにふけっていた俺は、正面に座ったルーブが不安げにこちらを見つめていることに気づいた。
「……で、ダニエルの件という事ですが?」
「……」
俺は曖昧な笑顔で頷く。まずは笑顔で警戒心を解く。
「あの?」
ルーブは訝しげに眉をひそめた。
「……」
そろそろ何か言わないとまずい気がする。
こういうときホロドラマの探偵ものとかだと、ここでたまたま運良くダニエルあたりがやってくる。俺はタンスの中にでも隠れる。そして俺が隠れている目の前で悪事についてダニエルがペラぺラしてくれる。
しかし、どうやら現実はそう都合よくは行かないらしい。
仕方ない、少しずつ小出しに餌を投げていくしかないようだ。
「明日の試合の件ですが――」
「サインに変更でも?」
十分に焦らした効果だろう。
計算通りルーブはすぐに食いついた。
やはり《《サイン》》か。
「変更があるなら早く教えてほしい。……約束通り、妻を、シーリーを返してもらえるなら、僕は明日の試合が終わった後、すべてを告白して球界を去るつもりだ」
「……」
それで十分だった。俺の仕事はここで終った。トルネロに報告し、報酬を受け取り、あとは高みの見物。
しかし――この男は、金のためではなく――愛する妻のために自分のプロとしての魂を売り渡そうとしている。
俺は出会ったばかりのこの男のことを、少々気に入り始めていた。
「あなたは勘違いをしている」
自然とこの言葉が口から零れ落ちる。
「何ですって?」
ルーブはその驚きを隠そうともしなかった。
「私はあなたを助けるためにここに来たのです」
俺は嘘を並べ立て始めていた。
やれやれ。
俺は正直者の誠二で通っているのだが。
「どういうことですか?」
「あなたはダニエルに妻を人質に取られて八百長を強要されている――そうですね?」
「その通りです」
正直――さっきの俺の発言と、今の発言の整合性は取れていない――だが、ルーブは驚きでそこに気づく余裕はないようだった。
「私はあなたの妻を救い出すためにここに来たのです」
俺はソファから身を乗り出して告げた。
「どうして? あなたは私の事を知りもしないはずだ」
「いいや。愛する人のために泥を被り、すべてを捨てて身を引こうとするあなたの『不器用な清廉さ』を、今知った。それで十分だ」
「……有難う」
その言葉を聞いたルーブは顔を覆う。その声色には涙が滲んでいた。
やめてくれ、湿っぽいのは苦手なんだ。
「いくらでも払う、妻を……シーリーを無事に助けて欲しい……」
幾らでも?
俺のスーパーコンピューターを超える脳は、高速で演算を開始した。
となるとスペンサーシリーズ――大破壊後に再販されたものではなく、大破壊前のプレミアのついている全巻――を揃えてパトリックアンドアンジーもついでに……だが、俺は首を横に振り、煩悩を振り払う。
「報酬は一つだ。シーリーさんを助け出したら、あなたはマウンドを降りないこと」
俺の言葉にルーブの顔は即座に凍り付く。
「しかし、僕は八百長を! そんな人間に……マウンドに立つ資格は、無い、んです……」
そうだ、それを言えるからこそ、俺はあんたを救わなければならない。そうでなければ、救う価値はない。
「それはあなたの自己満足だ。あなたは、この街の連中にとってヒーローなんだ。ヒーローには、最後までヒーローでい続ける義務があるんだ」
俺の脳内には『手術を受けるから、ルーブも頑張って!』と語っていた少年の声が木霊していた。
良いじゃないか、お涙頂戴の物語。好きだぞ俺は。クソだらけの世の中なんだから、たまにはそういう話があったってバチは当たりはしない。俺も君を応援してるぞ、野球少年。
「わかり……ました」
ルーブは目を伏せ、辛そうに答えた。
「私はだいたいの経緯は把握していますが、念のため最初から何があったのかをお聞かせ願いたい。些細な事がシーリーさんを助ける手掛かりになるかもしれません」
もちろん俺は何も把握していないが、ここでそれを言ってもお互いに良い事はないのは確実だ。俺はだいたいの経緯を把握していたことにする。
そして、多くの名探偵が『最初から何があったのかをお聞かせ願いたい。些細な事が事件解決の手掛かりになるかもしれません』といったフレーズを多用している。
当然俺は名探偵なのでこのフレーズを使うべきだ。何も不自然な事はない。
俺のその言葉を聞き、ルーブはぽつり、ぽつりと俺に経緯を話し始めた。
彼の話を要約すると――ルーブとシーリー、ダニエルは高校の同級生で仲が良かった。
シーリーは有名な歌姫になり、ルーブはレイヴンズのエースピッチャーに。ダニエルはというとうだつの上がらないチンピラになってしまったらしい。
シーリーはルーブとの結婚を機に歌手を辞め――これが電撃引退の真相――ここで幸せに暮らしていた。
そして日本シリーズ進出が決まった時、ダニエルから連絡が入り三人で祝賀会を開いた。
ルーブは試合があるからと先に帰ったのだが――シーリーはその時にダニエルに誘拐され、どこかに監禁。
ここにやってきたダニエルは4回戦分の八百長サインを取り決め、言われるがままルーブは甘いシンカーを投げて――彼の決め球はソニック・シンカーだ――八百長を演じてきた。
明日が最後の日。
となると、タイムリミットは試合開始まで、か……試合が始まったら当然外部との連絡はとれなくなる……そりゃそうだ。それこそ八百長を疑われてしまう。
「経緯は解りました。私を信じて待っていてください」
「有難う誠二さん。僕は僕の戦いをします」
俺達は握手をして別れの言葉を交わす。まるでスポーツマンになったみたいだ。
ついでにダニエルの外見のホロデータ(高校のアルバムから)とシーリーのホロデータを貰う。
***
(リーナス)
我は深き憤怒の底に沈んでいた。我を現世の苦痛から解き放つ唯一の聖歌、シーリーの歌声を奪いし元凶が、目の前の凡庸なる男であったとは!
だが、誠二という名の狂人は、この男を救うという。
しかし、我は天啓を閃いたのである。
シーリーを救い、我が個人的な知遇を得ればどうだ?
我のためだけに、あの不気味なまでに美しいソプラノを響かせるプライベートな儀式が開かれるのではないか!?
おお、なんという黄金のビジョン!
我が魂は春の光に照らされた深淵のごとく凪いだ。
そうと決まれば、この非ユークリッド幾何学的に広大な邸宅から、彼女の痕跡を探し出さねばならぬ。
床を這い回るが、塵一つ落ちていない。誠二の不浄な巣窟とは大違いだ。
その時、我は出会ったのである。
異界の機械仕掛けの怪物――自動床清掃ドローンと!
「こやつか! 我が救済の糸口を、その胎内から吐き出すが良い!!」
***
(斎藤誠二)
フギャアアアア!!
猫の威嚇と争う物音が突然響く。
何事かと目をやると――リーナスが自動床清掃ドローンと戦っている……
「おい馬――リーナス、何をしているんだお前は」
「ええい! 誠二、何をしておる! 加勢せぬか!! 我にはシーリーの体毛が必要なのだ!!」
「えっ……シーリーのファンなのは知っていたがお前……」
「馬鹿者が! 位置を探知するための依り代にするのだ!」
ルーブに許可を貰った俺は自動床清掃ドローンの停止ボタンを押す。続けて自動床清掃ドローンからごみパックを取り出し、長い金髪を見つけ出した。
ついでにダニエルの物と思われる長い黒髪をソファで見つけたのでそいつもゲットしておく。
「これで良いのか?」
俺は念のため、リーナスに確認を取る。
「最初からやるが良い。持っておけ」
態度はむかつくが、もしこいつの言うことが事実なら捜査の役に立つだろう。
ここは機嫌を損ねないように従っておくことにした。
「へいへい」
俺は証拠保管用の小型のプラスチックケースに依り代とやらを入れる。
そして俺達はこの豪邸を後にした。
***
午後十時二十分
新西京三区ダウンタウン 大黒天通り
斎藤誠二探偵事務所
我はシーリーの毛髪を中央に据え、彼女の座標を現世の地図へと転写するための、禁忌の魔術を起動した。
「我は求め訴えたり。この遺伝子の檻に閉じ込められし魂の現在地を、深きものどもの嗅覚をもって示唆せよ……」
我が第七感に、彼女の位置が伝わって……
……こない。
「どうだ、リーナス?」
誠二が浅ましくも期待を隠せぬ様子で我に馴れ馴れしく声をかけてくる。
「ふっ……驚くなよ誠二」
「なんだと!? まさか右隣の家か? それとも左隣の家か?」
「我が魔術の探知範囲外だ」
我は淡々と世界の真理を告げてやった。
誠二が派手な音を立てて椅子から転げ落ちる。やれやれ、大げさな奴である。
「範囲外って、駄目じゃねーか!」
我がどれだけの偉業を成し遂げたか理解できぬ凡愚は尚も文句をつけてきた。
「まったく……良いか誠二よ。今我が行った探知の魔術は召喚術の応用で実際はかなりの難易度を誇るのだ。
単純そうに見える魔術ほど難しいのだぞ。それに、我が魔術の探知範囲内にいないことは解った。これは重要な手がかりであろう?」
奴の視野の狭さでは理解できぬ思索の深淵を我は指し示してやる。
「それはそうだが――」
同意しておきながら不満げな誠二。おぉ、なんと愚劣な猿であることか。
「つまり量子もつれを利用した位置情報のリンクを行っているという事ですね?
もしくは毛髪から得た嗅覚情報を視覚化し対象までつなげるといったことでしょうか?
ただそちらは身体強化術の領域だと推察されます。どちらにせよ範囲制限があると。また召喚術は異界から意志もしくは定型の電磁波を特定の依り代に流し込むことで――」
電子生命体が我が偉大なる魔術を奴なりに言語化しようとし始める。
健気なことだ。
「雪風、量子テレポーテーションは情報しか送れないんだから当然そうなるだろう。
分析は後だ。それよりもリーナスの魔術が効いている間に新西京をドライブしよう。探知範囲にひっかかるかもしれん」
さっさとその結論にたどり着けないのが貴様の知性の限界である。
だが、我が心は宇宙よりも広大。故に、敢えてそこは指摘せぬ。
「するなら急げよ。我も維持し続けるのはそれなりに大変なのだ」
我らは誠二の愛車、スバル・インプレッサに乗り込む。
「飛ばすから、しっかり捕まってろ!」
誠二の言葉とは裏腹に、我らを乗せた車は法規を遵守した、驚くべき低速で夜の街へと滑り出した。
***
十月二十八日 午前十時 新西京六区 ダニエルのアパート前
結局、シーリーの座標は掴めなかった。
恐らく新西京市内に彼女は居らぬ。
なんともまぁ用心深いことよ。偉大なる我に追われることを恐れたか――ふ、賢明である。
そこでより賢明なる我らは、途中でターゲットをダニエルに変更したのであった。
奴の反応を検知した我らは――今、隠れ家と思わしき小汚い鶏小屋の前に立っていた。
その表札にはダニエル・クレイブ、と世にも禍々しき綴りにてしっかりと刻み込まれている。
「結局こうなるんだよなぁ。リーナス、ダニエル本人から吐かせよう」
誠二が扉の前で抑えきれぬ殺気を放つ。
「珍しく意見が一致したな、誠二よ」
この凡愚と意見が一致するのは業腹だが――今は我も同じ気持ちであった。
誠二はポケットから手袋を取り出し、まるで俗世の穢れを拒む修道士のように指先へと嵌めていく。
そして不眠不休で眼球を血走らせた一匹《誠二》と一柱《我=神》は、地獄の門を叩く勢いで部屋の扉に突撃した。




