第二十一話 登る私
二月八日 放課後
聖エリュシオン学園 カフェ『ブラックキャット』(有栖川エリカ)
放課後もカフェは大盛況だった。ほぼ満席となった店内では、生徒たちが思い思いに雑談をしたり、ノートを並べて宿題を一緒にしたりしている。
リーナスさんのいる小部屋ではふかふかのクッションの上で丸くなった黒猫と一緒に、ホロディスプレイのアニメを見ながらキャーキャーと楽しそうにお話をしている女子学生たちもいた。僅か半日で、猫がアニメを観ながら人生相談してくれるらしい、という噂が学園中に流れていると私は小耳に挟んでいた。
「おっとエリカさん。丁度いいところに」
カウンターの奥からエプロンをつけた誠二さんが、カフェに訪れた私に気づいて声をかけてくれた。
「何でしょう?」
「先日丸井さんと裏の搬入口でばったり会ってね。立ち話をしたんだが、エリカさんは珈琲を入れるのがプロ顔負けに上手だって自慢気に話してたんですよ」
「丸井……っ。もう、あの人は勝手に何を話しているのよ……」
私は恥ずかしさのあまり、頬が熱くなるのを感じて小さく俯いた。
「えぇ……一応嗜む程度には。ですが、誠二さん。あなたほどの凝った料理を作れる人なら、珈琲も上手に淹れられるでしょう?」
お世辞抜きで彼の作る料理はどれも悪魔的に美味しい。しかもちゃんと個々人の好みに合わせて微調整をする。そんな彼が珈琲を入れられないなんてことはないだろう。
「いや~それがね。実にお恥ずかしい話ですが、珈琲だけは駄目なんだ」
「えっ……」
私は驚きのあまり口を開けてしまった。慌てて両手で口元を隠す。はしたない。あっ、そもそも口を閉じるべきでした。
「これには深淵なる、世界の、いや、宇宙の法則が働いていましてね」
誠二さんはカウンターに肘をつくと、悪戯っぽく微笑みながら意味のわからないことを語りだした。
「警察署の給湯室で淹れる珈琲はね。どれだけ良い豆を買ってきて、丁寧に焙煎して、完璧な粒度で挽いて、良い水で丁寧に淹れたとしても――どうやったって不味い。これはもう世界の、いや宇宙の法則としか言いようがない。わかりますか?」
「えっ、えぇ……」
正直に申し上げて一ミリも理解できなかったけれど、私は彼の圧倒的な説得力に流されるまま、コクコクと細かく頷くしかなかった。
「だから、私は個人的に珈琲だけは強い苦手意識がありましてね」
「そ、そうだったのですか……」
彼の意外な弱点を知って驚く一方で、少し安心している私もいた。何でも卒なくこなす不思議な私立探偵とて、決して万能ではないのだ。
「なので、私はもっぱら紅茶専でして。でも~?」
彼は人差し指を立てて左右に振りながら何やら話し始める。
「でも?」
私もつい首を傾げて聞いてしまった。
「仮にもですよ? カフェで出てくる珈琲が――既製品とか、もしくは私のたいしておいしくもない珈琲というのは、私のこの店の管理者としてのプライドが許さない訳でして」
「それは……確かにそうですね」
「ただ、中学生、高校生ってのは珈琲の良さを理解してない子も多い。なので、基本的には甘めのカフェオレになると思いますが……どうですか?」
「それでしたら、私が一度ここで淹れてみますから……とりあえず納得できる味かどうか、飲んでもらえますか? せっかくなので今居られる皆さまにも」
「もちろん」
そう言って彼は笑った。
「へっ」
その時、カウンターの端で山盛りの宿題に埋もれていたリンクスが、なぜか鼻で不敵に笑ってきた。
――カチン。
私は言いしれない感情――これが苛立ちというものだろうか? を感じる。見てなさいリンクス。どうせ私が自分では服も着れないお人形さんだと思っているのでしょう? 有栖川の人間たるもの、自分のことは自分できることを教えてさしあげます。私は静かに制服の袖をまくり、珈琲を入れる作業にとりかかった。
数十分後。
「――お待たせいたしました。一応、豆の配合と抽出速度を変えて、極深煎り、普通の深煎り、中煎り、軽い浅煎りの四パターンを淹れてみました」
カウンター席でリンクスと誠二さんを前に、私はそう言いながら珈琲の入ったカップを置いていく。
「えっ、めっちゃ良い香りしない?」「何の香り?」「コーヒー?」「でもコーヒー苦手なんだよね」「わかる~苦くてさ~」
辺りに漂い始めた珈琲の良い香りに気づいた生徒達も、何事かと私たちの席の周囲に集まり始めた。
「さぁ斎藤君。先ほどは鼻で笑ってきましたが、いざ勝負の時です。どうぞ」
「は? 笑ってねぇし」
「いいえ。笑いました」
私は敢えて強い口調で彼を詰問する。
「被害妄想だろ……いえ、そんなことするわけないじゃないですか。有栖川さん」
彼は周囲に他の生徒がいるのに気付いて、慌てて丁寧な言葉使いに戻し始めた。
「よーし! 折角だから俺はこの極深煎りを選ぶぜ!」
何人もの生徒たちが注目する中、誠二さんが芝居がかった手つきでカップを持ち上げ、ゆっくりとかなり深く淹れた珈琲を口にした。
「美味しい、が…………深い」
そう言った後、彼の顔がレモンを丸かじりしたかのようにしわくちゃくちゃになる。
「いや……ね。いいか皆? これ、不快な雑味や嫌な苦みは一切なくて、完璧に美味しい。美味しいんだけど……とにかく、尋常じゃなく深いんだ」
そう言いながら、誠二さんが確認のようにもう一口含むと、再びその顔が綺麗にしわくちゃに歪む。
「ふか~い……」
そのあまりのギャップに、ギャラリーの生徒たちが大爆笑し始めた。私も思わず、上品に口元を押さえるのも忘れて、お腹を抱えて声を出して笑ってしまった。
「何が深いだよ……そんな大げさなリアクション。騙されてますよ皆。だいたいこいつは何をやるにしても大袈裟なんだ。俺は信じねぇ。珈琲なんてどれも同じ苦い汁でしかない。こんな苦いもの、人間の飲むものじゃないんだよ」
コーヒーを忌々し気に睨みつけながらリンクスが言う。
「逃げるんですか? やはりお子様には少し早かったかもしれませんね」
私は務めて冷徹な声を出す。
「逃げる? お子様? この俺が? コーヒーごときから? 良いだろう、飲みたかないが、そこまで飲めというならしょうがない。こんなのな――」
そう言ってリンクスが一番深い珈琲を飲む。
「……。えっ、うまっ……深い」
そう言うと彼の顔もしわくちゃになった。
二人の完璧なまでのリアクションのシンクロに、生徒たちと私は今日一番の大笑いをした。
その後、本日の特別サービスと称してその深煎りをベースにたっぷりの温かいミルクと極上のシロップを加えた特製・深煎りカフェオレを周囲の生徒たちに振る舞うと、「美味しい! でも……やっぱり後味が、ふか~い!」と言ってみんなで顔をしわくちゃにさせ、カフェ全体が温かい笑いに包まれていった。
こうして私の珈琲は、放課後限定の隠しメニューとして正式に提供されることになった。もちろん、飲みやすい浅煎りが基本だ。ただ、希望者は深煎りも提供するということに決まった。試飲した生徒で、深煎りに取りつかれてしまった生徒が何人かいたからだ。この日から、私は毎朝学校の門をくぐるのがとても楽しくなった。
二月十五日 放課後
聖エリュシオン学園 生徒会室(有栖川エリカ)
カフェを開いてから一週間が経過した。今日は生徒会の会合――本当はトップオブトップスの会合だが――のため、生徒会室の椅子に座っていた。
誠二さんはインド・和食・中華・イタリアン・フランス・トルコ・無国籍、といった形で、提供する料理を毎日変えることで大繁盛させている。私立探偵ではなく、専属の料理人として雇用したいと私は思い始めていた。落ち着いたら正式に依頼してみよう。
「全員揃ったな。生徒会会計、有栖川エリカ。発表を」
一位の神城タツヤの冷たい声が広い室内に響いた。
私はホロリンク操作し、最新のポイントから導き出されたポイントを読み上げていく。
「一位 神城タツヤ、二位 九条ヒロミ、三位 カイロス・アルフェール 四位 ガ―ブラ・トルストッダ 五位 有栖川エリカ」
そこまで私が読み上げた時のことだ。
「――ふざけるなッ!」
間修二が席を乱暴に蹴り倒して立ち上がった。
「万年九位のお前が――五位? 五位だと?」
彼は血走った両目を見開き、震える指を突きつけてくる。
「いかさまだ! いかさまをしたんだろう! 会計だからって!」
私は静かに間修二を見つめ返した。彼は屋上の一件以来私に接触してきていなかったが――どうやら、自分より下の存在がいなくなることに耐えられないらしい。錯乱のあまり、彼は自分がどれだけ無様な道化師を演じているのか理解できていないようだった。
「ご安心ください、修二先輩」
私は、お父様が取引先の無能を切り捨てる際に見せる、最も温度の低い氷の刃のような声音を意識して、言葉を紡いだ。
「次回から、あなたが最下位――つまり、会計です。良かったですね。これで、私が行ったいかさまとやらが本当に可能かどうか好きなだけ確認をしてください。その特権を使って遠慮なくスコアを弄られては? そうですね、五位などという中途半端な地位ではなく、神城先輩を蹴落として一位にでもなられてみてはいかがでしょうか?」
「な――、ぼ、僕が……最下位……!?」
真っ青になった彼は今にも泡を吹いて倒れそうだった。
「えぇ……先日、ドク・ソルダート・サービスをお呼びになられた赤字が大きすぎたようですね」
私と修二を除いた七名からゴミを視るかのような冷たい蔑みの視線が彼に突き刺さる。
「修二ったら~、ほんと、かわいそ~」
九条ヒロミがにやにや笑いながら一切同情していない口調でねっとりとした追い打ちをかけた。
「何か? 屋上で大変な目にあったみたいだし? そのうえ九位になっちゃって~? ウケるんですけど~?」
「いやいや、エリカちゃん。流石は有栖川の令嬢だね。君が本気を出せばすぐこれくらいまで上がってくるとは思っていたよ。で、収入源は? やっぱり先日開いたカフェ? それともアレは隠れ蓑で本命が別にあるのかな?」
カイロス・アルフェールが優し気な口調で――しかし、その視線はいつにもましていやらしい――私に話しかけてきた。
修二はヒロミの言葉に絶望し、私はカイロスをもう遊ばなくなった玩具のように無視した。修二は私を憎々し気に睨みつけてくる。
「エリカ……覚えていろよ……! 僕をここまでコケにして、ただで済むと――」
私は小さく溜息をついて、手元のホロリンクを操作して、修二にリンクスから受け取ったファイルをダイレクトに転送。そのファイルを見た瞬間、修二の顔が引きつった。
「私に何かあった場合……あらゆるルートから学園中に、そして世界中にばらまかれます。例え、あなたが関与していなかったとしても、です。そうですね……突然落下した隕石が私に直撃して死んだり、突っ込んできたトラックに、私がはねられないよう、祈っておいた方が良いですよ」
私はあくまでも穏やかに優しく言ってあげた。
「ちょっと~何の話~?」
九条ヒロミがにやにやと意地悪な笑みを浮かべてのぞき込もうとする。
「九条先輩、目が穢れますから」
私は静かに画像を消した。
「うわっ、何のグロ画像よ!」
一瞬それが目に入ったらしい九条ヒロミが慌てて目を逸らす。
「先ほどから最下位が騒いで進行が滞っていますが――定例会はお終いですか?」
風紀委員長であるガ―ブラが、無表情に発言した。
「あぁ、そうだな。お前ら――くだらないじゃれあいもそのくらいにしておけ。エリカ、残りの順位は適当にメールで送っておけ」
神城のその言葉に私はお辞儀をした。そして、その日の生徒会――トップオブトップスの報告会――は終了となった。
生徒会室から外に出ようとする私にカイロスが話しかけてくる。何だろう、何故この人はこんなに私にしつこくかかわろうとしてくるのか。不快感しか湧かない。
「エリカちゃん。最近、小汚いローシドのハーフエルフの餓鬼と、よく一緒に行動しているそうだね」
その言葉に、私は足をぴたりと止める。
「それが何か?」
「忠告だよ。有栖川のブランドを守るためにも、つきあう人間は慎重に選んだ方が良い」
私は、彼に向かってゆっくりと振り返り、完璧な笑みを浮かべてみせた。
「もちろん選んでいますよ、カイロス先輩」
「そうか。余計なおせっかいだったね。なら良いんだ」
不愉快な人だ。私は五位に昇格した嬉しさよりも、さっさとこの空間から立ち去りたかった。私は足早に、皆の待っているであろうカフェへと向かった。




