第二十話 開店
二月八日 四限目
新西京一句 聖エリュシオン学園 Aルーム(リンクス)
この約五日間は地獄だった。
誠二は仕入れられる食材とメニュー調整、俺は買い出しと調理補助、エリカは学園との調整、リーナス師匠は味見という名のつまみ食い、雪風は原価計算。その地獄からやっと解放された解放感とともに、俺は授業を受けていた。
数学教師が平均値、中央値、最頻値の出し方の説明をしている。熱心に聞いていると、エリカからチャットが飛んできた。最近、時々エリカが授業中にチャットを飛ばしてくる。
正直うざいが……いや、本音を言うと、かなり的確なフォローで凄く助かっている。しかし、エリカに借りを更に積み上げている気がして俺は嬉しい反面、止めて欲しい気持ちもあった。
(いいですかリンクス君。平均値は便利ですが――)
平均値が便利で素晴らしいことくらい言われなくてもわかる。
(そうだな。実に有益だ。俺はとても感動している)
(――標準偏差もきちんと考慮に入れる必要があります)
突然意味のわからないことをエリカは言い出した。
(ん? なんだそれ?)
俺は素直に質問することにする。
(リンクス君、例えばある食堂で『一日平均の売り上げが五万円です』というデータがあったとしましょう。これを見て、あなたは『安心だ』と思う?)
(そりゃそうだろう。五万円の売り上げてやっていけるかは別として)
当たり前のことを聞くなよ。
(でも、ある一日だけ三十万円の売り上げで、他の日は一万円しか売り上げていなかったら?)
(……。その三十万円が『たまたま』の場合、かなりやばいことになる)
それは俺なら嫌だな。つまり、麻薬を売るとして(いや、俺は売ることは無いが)毎日一人の太い客か、それとも細い客を多数捕まえているかの話だよな。太い客一人の場合、そいつが死んだり捕まったら全部おじゃんじゃねーか。それはヤバい。だが、この例えをエリカに言うと説教が始まることを俺は理解してきた。なのであくまで自分で考えるだけにしておく。
(そう。だから標準偏差が大切なの。例えば毎日五万円売れる店と、一万円の日と九万円の日を繰り返す店。同じ平均でも経営者として安心なのはどちら?)
(そりゃ毎日五万円だよな)
(そう。標準偏差でいえば、毎日五万円売れる店は数字のぶれがないから標準偏差は零円。一方、もう片方は標準偏差が四万円となります。標準偏差は、平均からどれくらい数字が散らばっているかを表す指標なんです)
(なんてこった――平均値だけ見ていたら騙される場合があるってことか! つまり平均値だけを見せてくる奴は、一度疑えってことだな? まったく詐欺師しかいねーのかこの時代は)
(違います。疑うのではなく、他の指標も確認するんです。つまり、平均値と標準偏差はセットで理解することが大切なのです)
(そうか……)
…………俺はこんな大切なことも知らないで生きていたのか? 危ない処だった。今まで詐欺に引っかかっていないのが不思議なくらいだ。いや、待てよ……? もしかしたら詐欺に引っかかったとしても気がついていない可能性すらある。
くそっ、なんてことだ。学校ってのはやはりとんでもない場所だ。ここできちんと勉強をしないと将来どれだけカモられるのか――想像するだけで恐ろしい。
誠二が数学の参考書を押し付けてきてた理由も理解した。正直だるいからあんまり真剣に学んでいなかったが……これからは全教科、手抜きしないで万遍無く学ぶ必要がある。
そうか……だからハイシドはより肥え太り、ローシドやゼロシドは搾取され続けるってわけか。麻薬なんかに頼らなくても、いくらでも騙せるじゃないか。しかも合法的に……なんて奴等だ。しかも騙された側は騙されていることにすら気づいてない場合がある。
学べば学ぶほど、俺はハイシド達が恐ろしくなってきた。そして、社会というシステムが如何に不平等にできているか、直接的な暴力を振るわないで金を吸い上げるとはどういうことなのか、を理解しだしていた。
……待て。なぜエリカは俺にこれを教えるんだ? 秘密にしておくべきだ。俺が搾取する側ならそうする。なぜなら、このビジネスは腕っぷしではなく、相手が馬鹿であればあるほど成立するからだ。俺を教育するメリットなんて無いはずだ。エリカは他のハイシドどもとは何か違うのか?
そんなことを考えていると――スパイスの良い香りが漂い始めた。クラスを見回すと、匂いに気づいたらしいクラスメイト達がきょろきょろしだした。やばい、腹が減ってきた。授業に集中できない。この香りは……コリアンダー、クミン、ターメリック、ブラックペッパー、フェネグリーク、パプリカ、ガーリック、ジンジャー、フェンネルにマスタード! 誠二の奴……なんて飯テロをしやがる!
新西京一句 聖エリュシオン学園 カフェ『ブラックキャット』(斎藤誠二)
開店初日は香辛料を使った料理で攻める。これはもう、依頼を受けた時にすでに決めていたことだった。クリーム色の内装に、黒い丸い机と、その上に小瓶、そして机一つにつき五脚の丸椅子。それが十セット。まだ余裕がある。もし大人気になったら二十セットまで増やせるだろう。丸椅子にするか背もたれ付きの椅子にするかも悩んだのだが――とりあえずは丸椅子でいき、店が繁盛するようならば、放課後に生徒の憩いの場にしやすいよう、背もたれ付きの椅子も導入していくことに決めていた。
エプロンをつけ、頭を巾着で覆った俺は、特製スパイスカレー(ココナッツミルクと煮詰めたトマト缶)とタンドリーチキン、そしてサラダ、変わり種としてビリヤニ(インド風炊き込みご飯)を用意していた。
「雪風! ガンガン外に空気を押し出せ!」
「ありえません……なぜ私が……」
こいつ――まだ言ってるのか。
「しかたないだろうが! この学園に銃器なんて持ち込めねぇよ!」
いや――厳密には持ち込めるし、俺は一応持ち込んでいるのだが。スケルトン――全パーツが強化プラスチックと樹脂フレームで形成された金属探知機に引っかからない銃。弾倉も特別な封がされていて火薬の臭いも漏れない優れものだ。
「折角アップグレードしたのに……あなたの安物のホロリンクに一次的とはいえ移らなくてはならないとは……何のためにアップグレードしたのでしょうか? 私には納得いきません。コレは非論理的です」
「愚痴は後で聞く。時間がない。演算してください、お願いします」
「仕方ありません、わかりました。室内の匂いの勾配をもとに扇風機の角度をリアルタイムで最適化していきます。廊下に設置したサーキュレーターは授業終了二分前には撤去してください。校則的にグレーゾーンです」
「わかってる。時間になったら知らせてくれ」
二月だというのに扇風機がこのカフェ『ブラックキャット』には設置してある。もちろん客が来たら止める。が、客から、もしくは正当なクレームが来るまで、この匂いによる侵略をやめるつもりは毛頭なかった。
そして部屋の一角には仕切りがあり、そこではリーナスがゴロゴロしながらアニメを見ていた。
そう、このカフェの名前はやつ由来だ……エリカがどうしてもと主張したのでそうしたが……このカフェは猫カフェなのだ……絶対に喋るなよとしつこく言っておいたから大丈夫だと思いたいが……不安だ。不安しかない。タイタニックに乗っている気分だった。
注文はホロリンクで自動的に入れられる。配膳もドローンがしてくれる。問題はそこだ。生徒と仲良くなって自然に情報収集できないだろうが! と思うが……まぁ、まずは店を軌道にのせるのが先決だ。贅沢を言ってはいられない。
昼休みが始まった。最初はちらほらと来ていた生徒たち……どうやらそれは先遣隊にすぎなかったようだ。気が付くと腹を空かせた生徒の群れがこのカフェに襲撃してくる。それはもう、モンゴル騎兵の――いや、そんな華麗なものではない、西洋のプレートメイルをきた重装騎士の突撃だった。
「匂いの元はここか!」「新しい学食だ!」「いや、カフェだって」「ビリヤニ!?」「わー! 猫がいるー!」
とはいうものの、ほぼ自動化されているので(注文が入れば自動的に規定量の料理が皿に盛られ、ドローンがそれを受け取り配膳を行う)俺が気をつけるべきは充填槽が空にならないようにすることと、足り無さそうなら料理の追加をすることだ。
「雪風! 各生徒ごとにアンケートを実施! 次回来店時に、それぞれの味の好みに合わせてカスタマイズするからな」
「わかっています。既に私が作成したアンケートを配布済みです。回答者は次回来店時に十パーセントオフのサービスクーポンをプレゼント☆」
「何かテンションがおかしいな」
「現在、営業プログラムを走らせておりますので」
「いつもそれでいいぞ」
「お断りします」
『本日、新しく開店したカフェ『ブラックキャット』ではスパイス料理フェアを開催中! 十五種類のスパイスを使ったカレー、ビリヤニ、タンドリーチキン、デザートにはラッシーやアイスも! しかもこの店! なんと人が作っています! マスコットに猫まで! 猫アレルギーの人はご安心を。ちゃんと隔離スペースにいるとのことです! さぁ今すぐレッツゴー!』
エリカが手を回した放送部の宣伝と匂いテロの効果は抜群だ! 俺は腕組みをして頑固親父ごっこを楽しんでいた。とりあえずやる以上は勝つつもりでやる。それが俺のポリシーだ。
「上手くいっているみたいですね」
エリカがやってきて俺に話しかけてきた。後ろにリンクスを連れている。
「あぁ、エリカさんも食べるかい?」
俺は頷いて彼女に聞く。リンクスは勝手に厨房に入ると食べ始め――
「おいリンクス」
「なんだ?」
「ちゃんと金を払って食べるんだ」
「また意地悪か!?」
「違う。エリカはオーナーだが、お前は今、この店にとって何者でもない。ただの客の一人なんだ。特別扱いは店の運営上よくない」
「くっ――久々に何も言い返せないまともな事を言われた気がする……」
「そんなことはない。いつもまともな事を言っている。お席はあちらですよお客様」
俺は思いっきりわざとらしい満面の笑みを浮かべ、リンクスを追い払った。俺は彼女のために手ずから盛って差し出す。一方、リンクスはぶつくさ言いながら席に座って注文を入れ始めた。
「斎藤君、ごめんね。ではいただきます」
スプーンをすくって食べた彼女の瞳が輝く。
「美味しいですね……辛いかと思いましたがあまり辛くありません……ジャガイモは別個に軽く揚げているんですね? だから煮崩れもせず、ほくほくしていて美味しい。そして味は……トマトとココナッツミルクと鶏がらの出汁とこれは……昆布だしにナンプラーまで? あと……口の中でシードスパイスが香りを放って美味しい……」
「あぁ。カイエンペッパーは後入れにしている。初期から入っている辛味は黒コショウと白コショウのものだ。代わりにパプリカでスパイシー感は出しているが――もちろん、辛いのが好きでもの足りないなら追加してくれてかまわない」
そう言って彼女の前にカイエンペッパーの入った瓶を置いた。しかし、隠し味にまでよくもまぁ気付いたな。
「じゃあ少しだけ」
そう言って彼女がカレーにカイエンペッパーを振りかける。
「丁度いい辛さで美味しいです」
「雪風」
「はい、エリカさんの辛味の適正量を記録しました。次回以降の参考にします」
「各テーブルに置いてある瓶はそういうことだったのですね」
エリカが店内を見渡してそうつぶやいた。
「折角だからな。来たお客の適正な辛さや味の濃さを記録して次回以降、より好む味わいにするつもりだ」
「記録がとれなさそうな人たちもいるようですが……」
そうエリカが言うと、男子生徒の声が聞こえてくる。
「辛い!」「入れすぎだよバーカ!」「あはははは!」
騒いでいる男子学生のグループがいる。まあ、あれくらいの年頃ならやるだろう。俺なんてこの年でもやるしな。つまり男ってのは永遠の少年ってわけだ。
「大丈夫?」
俺は厨房から出てそのグループへと歩み寄った。
「入れすぎて辛すぎる! という人は言ってね。ココナッツミルクや牛乳を追加して辛味を抑えるので。もしくは水ではなくラッシーを飲んでください。おっと、ラッシーは別個に注文が必要ですがそれは許してね☆」
その言葉に何人かの生徒が笑う。
「あっ、大丈夫です。ありがとうございます」
辛くしすぎてしまった男子学生はそう言って頭を下げた。
「必要ならいくらでも遠慮なくホロリンクで注文してくれ。ドローンがミルクを届けるからな」
口頭でいうよりホロリンクで注文できる方が気楽だろう。俺はそうアドバイスをして厨房に戻った。
「おぉ~!」「まじか」「リカバリーできるならちょっと入れてみようかな」
そういった声がちらほら聞こえてくる。
後は――リーナスの隔離部屋に目をやると――
「わー! この猫喋ってる~!」「えっ!? 猫又!?」「やばい可愛いんだけど~」「でも尻尾一本だよね?」
「何用だ小娘? もちろん喋ることくらいできるとも。なにせ我は神であるからな。そもそも猫であっても話すことくらいはできるであろう」
女子学生に囲まれたリーナスが偉そうに話している。いや、猫は喋らねーよ。あれだけ話すなと言っていたのに……俺は想像通りの結果に眩暈がしてきていた……




