第一話 下水道レルムにて
十月二十五日 午前一時三十分
新西京七区スラム街地下下水道
陽の差すことのない地下。
斎藤は濁り、湿り気を帯びた空気を肺から吐き出す。
夜の怪物、テロリスト、邪教徒。
ハンターがどれだけ掃除しようと枯れることなく湧き出てくる。
新西京の地下に網目のように広がる下水道は……陽の光、あるいは社会……いや、世界にその存在を許されなかった者たちの終着駅……なのかもしれんな。
斎藤は、闇と淀みの中で静かに刀を抜く。
対峙するのは、狂信者集団『ブルーローズ』の信徒。
「ハンターめ!! よくも仲間を!!」
正面、五メートル。
男が怒りと憎悪に血走った目で銃を持ち上げる。強烈な殺気が通路に満ちた。
爆発しそうな怒気を眼前にしながら、斎藤は考える。
どうするか……普通に踏み込んだならば良くて相打ちだろう。
ならば。
斎藤は腰に提げた刀の柄に手をかけた。
一瞬、鞘から白刃が迸り、次の瞬間には納刀――
「魔剣――幻惑刃」
鍔鳴りの澄んだ音が下水道の壁に跳ね返りながら駆け抜け――男の鼓膜を震わせる。
音は男の神経系を侵し――コンマ四秒、動きを止める。
その隙に――斎藤は五メートルの距離を三歩で詰め、流れるような抜刀。
血飛沫。
男が身体の自由を取り戻すと同時に、汚泥の中に沈んでいった。
斎藤は刀を振って血を払い、再度納刀する。
「効きが悪い、な」
下水道という汚染された環境、更にはここに巣食った『ブルーローズ』の地霊術――風水と言っても良いが――によって土地の様相が捻じ曲げられている。
ここでは奴等の魔術は強化され、俺の魔術は弱体化する。困ったものだ。
「なかなか強力な領域だ」
斎藤が呟くとほぼ同時のことだった。
「ヴィレッジまでやられただと!! おのれ!!」
切り倒された仲間の名を叫び、最後の一人になったこの拠点の首魁らしき男がレイピアを抜く。
またも五メートルの距離。
下水道のぬらぬらとした闇の中で、男のレイピアの銀色だけが冴え冴えと輝いていた。
相手は半身を切って右手に持ったレイピアをこちらに向けている。
剣術でいえば正眼に近い構えだ。
こいつは純粋な魔術師なのか?
それとも細剣聖なのか?
まさか改造者か?
周辺環境を再確認……足元を流れる汚水。
水蒸気が多い。
気圧変化は閉鎖環境下では周囲の急激な減圧を伴うためリスクが高い。
さて……
斎藤は納刀した状態――居合の構え。
剣術だけの戦いであれば相手の踏み込んできてからの突きを誘う。
そして相手の足、もしくは手を狙いたい。
だが、ここでどう魔術を組み合わせるか、もしくは組み合わせてこられるか、が問題だ。
奴は一体……?
正面のレイピアの剣先が緩く円を描いている。
瞬間、男は足元の汚水にレイピアを突き入れ、下から突き上げるようにレイピアをこちらに振るった。
通常なら届かない距離――しかし、男の剣先に泡立つ汚水が塊としてへばりついている。
――刹那、斎藤は刀を払い、こちらもまた足元の汚水を横殴りに切り裂く。
「魔細剣――獄炎刺突!!」
「魔剣――流水剣」
叫びと共に、男の剣先に集まっていた水が瞬時に超高温に熱された。
それは千七百倍に膨れ上がり指向性を持った燃える大気となって斎藤に襲い掛かる。
ほぼ同時――斎藤の足元から水の壁が瞬時に立ち上がり、叩きつけられる熱気を受け止め、分散。
下水道内が水蒸気で真っ白になる。
男は即座に元の構えに戻るが、眼前に青い影が飛び込んでくる。
「凌いだだと!?」
男は反射的にカウンターの突きを放つ――が、そこまで読んでいた斎藤は柳のごとく身をかわし――抜き放った右手の刀で雷光のような逆袈裟斬りを男の胸に叩き込む。
「領域でブーストされた我が業が……貴様、ただの剣聖では……」
「いや――お前は強かったよ」
斎藤は淡々と告げる。
そして右手だけで握っていた刀の柄に左手を添え――返す刀で男の首を斬り落とした。
「終わったぞ」
斎藤は誰に声をかけたのか――
彼の言葉が下水道の湿った空気に溶けきる前に、彼の来ている青いコートの内ポケットがもぞもぞと動き、小さな赤い頭を覗かせた。
「終わった? って何これ! 羽が濡れちゃうじゃん!!」
斎藤のコートの内側から現れたのは身長三十センチ、赤い髪はショートカット。活発そうな雰囲気そのままに、その赤い瞳はくるくると表情を変えていた。
不機嫌そうと思えば嬉しそう――しかし次の瞬間には好奇心に取りつかれ――その直後には何かに悩み――またすぐ嬉しそうに戻る。
白いショートパンツと、フードのついたジャケット風の黒いシャツを着ている。
背中にはトンボに似た光る羽が二対。女のフェアリーだ。
「どうだ? めぼしいものはありそうか?」
「ちょーっと待ってね」
そう言いながらフェアリーは飛び立ち、あたりを一周してくる。
その間に斎藤は懐から和紙を取り出す。そして月光と見まがう輝きを、今は血で曇らせた刀を拭き始めた。
「そいつのホロリンクくらいかな。特に隠されてる電子機器も無さそう」
「これか。わかった」
斎藤はホロリンクを死体から拾い上げると懐にしまう。
フェアリーは戻ってきて男の右肩に座った。
「さて、と……帰りに蕎麦でも食べて帰るか……入店拒否されなければ、な」
水蒸気で湿り、返り血と下水で汚れた自分の青いコートを見て軽く眉をひそめた彼はそうつぶやく。
「無理だと思うけどね~」
フェアリーが肩をすくめる。
「立ち食い蕎麦なら許されんか?」
諦めきれない様子で斎藤は食い下がった。
「賭ける?」
意地の悪い笑みを浮かべてフェアリーが嬉しそうに提案する。
「分が悪そうだ。止めておこう」
そして斎藤浩一は青いコートを翻し、肩に座るフェアリーと共に下水道を後にした。




