第二話 勝敗の裏側で
十月二十七日 午後八時
新西京三区ダウンタウン カフェ『アビシニアン』(斎藤誠二)
その日のアビシニアンの内装は、目に優しい深緑のホログラフ。
スピーカーからは、去年惜しまれつつ引退した歌姫シーリーの、どこかノリの良い旋律が流れている。
俺は今、リーナスとホロゲーム『スーパーリアルベースボール』で『頂上対決』の真っ最中だった。
九回裏。スコアは俺が二点、リーナスが一点。二死三塁。
このまま抑えれば俺の勝ちという状況。
ここで俺は最後の切り札を解き放つ――とっておきの魔球。
この時のために温存していたのだ――俺の計算上、奴が空振りする確率は百%。
絶対的な勝利の確信とともに……俺の操作する投手がボールを握りこみ、投げる。
あばよリーナス、大人しく昼寝でもしてな!!
しかし、俺の耳に届いたのは――ボールがミットを殴りつける暴力的な音ではなく
――硬質な金属がボールに衝突する快音。
馬鹿な……俺の完璧な計算が……?
愕然とする俺――そして吹き飛ばされたボールは吸い込まれるようにスタンドの向こうへ消えていく。
リーナスの逆転ツーランホームランだった。
【YOU LOSE】
「ふっ、我のサヨナラ勝ちよ」
尻尾を振りながら黒猫――リーナスが勝ち誇った声を赤い首輪から発する。
「クソゲーが!!」
俺はホロゲーム『スーパーリアルベースボール』の電源を叩き切る。
「悔しさは解析できますが、負けるたびにクソゲーと言うのはどうかと思いますよ。次は私とプレイするのはどうです?」
クソゲーをクソゲーと呼ぶ当たり前の行為に文句をつけてきたのは――俺の腰に提げた銃――アンダーテイカー・カスタム――に巣食う、独立型人工知能である雪風だ。
「雪風、強いものいじめをして楽しいのか?」
自分でも正直何を言っているのか良くわからない――が、言われっぱなしでは人類代表としての沽券にかかわる。
「大丈夫です。私の論理演算機能を五%に制限し、適度に手を抜くシミュレーションを行います」
それはそれで致命的に馬鹿にしすぎでは?
いや、光栄なのか……最早何もわからん。
「そもそもね? 俺は野球に興味無いんだよ。玉遊びは銃でやる派でね」
俺はそう言うと、ゲーム中に突然やってきた男に視線を転じた。
ヒューマン。男。五十代、褐色の肌、豊かな肥満体型に、見事なまでに磨き上げられた禿頭。白いダブルのスーツを纏ったその男は、新西京の裏側を繋ぐ仲介屋、トルネロだ。
「久しぶりだねトルネロさん。景気はどうだい?」
このおっさんがわざわざこんなところに顔を出すということは……俺の鼻は早くもトラブルの臭いを嗅ぎつけていた。
「おぉ、ワシか? こっちは忙しいぞ! ミサイルからおしゃぶりまで、飛ぶように売れとるからな! 商売繁盛待ったなしよ!」
「自慢話をしにきたのか?」
古今東西、自慢話というのはたいして喜ばれないことを知らないらしい。
「おいおい、ワシが年がら年中貧乏暇なしのお前相手にいちいち自慢話をしに来るほど暇だと思うのか?」
トルネロはわざわざ溜息をつき、肩をすくめ、首を振りながら俺を挑発しだした。
「帰れ。俺が暇なしなのは美女達に申し込まれるデートを丁重に断っているからだ」
俺はこのおっさんになぜ年中俺が忙しいのか、トップシークレットを教えてやることにする。
「マスター、ビールをワシに。誠二にピザを一枚焼いてやってくれ」
しかし、トルネロは俺の発言を完全にスルーし、卑劣な買収を試みたのであった。
数分後――テーブルに冷えたビールが置かれ、俺の前には熱々のピザが届く。
大豆肉と人工チーズの暴力的な香りが鼻を突く。
……食い物の恨みは恐ろしいが、食い物の恩もまた重い。
しかたがない、このピザを食べ終わるくらいまでは話を聞いてやろう。俺は恩義に厚い男だからな。
「いいか誠二。昨今の不穏な世界情勢――ほら、先日も何か中東の方でプルトニウムが盗まれたとか?」
「世界はいつも滅亡の危機か。正義のヒーローは世界を救うのに大忙しだろうな。いっかいの私立探偵には関係ない話だが」
こっちは人一人救うだけで手一杯なんだよ……俺はピザの端を齧りながら、聞き流す準備をする。
「新西京レイヴンズが日本シリーズで戦っているのは知ってるな?」
これが本題か――俺は目を細めた。
「どうせ賭けろって話だろ? 俺は自分の命以外をチップにする趣味はない」
俺はピザをちぎり、取り皿に載せると机の下にいるリーナスの前に置いてやる。
少なくないか?
とか不満げな声が聞こえた気がするが……貰えるだけありがたいと思えんのかあの猫は?
「おいおい誠二よ! ワシがお前に賭け事なんてもちかけたことがあるか? 元手がないやつに賭けを勧めるほどワシも馬鹿じゃないぞ? 魔都東京タイタンズの連続優勝記録が今、八連覇に王手をかけているのは知っているな?」
この野郎――やはり帰れと言いたくなるが――ピザの恩がある俺はギネス級の忍耐力を発揮して耐える。
「いや、知らん」
俺の発言を完全に無視してトルネロは話を続けた。
どうやらこいつには意志の疎通をするという概念がないらしい。
「そうか、詳しいじゃないか。新西京レイヴンズが今、日本シリーズでそれを阻止するために戦っているのだ!! この街の盛り上がりを観ろ!!」
「ふむ。確かに新西京の龍脈の活性化を感じるな。それが原因であったか。新西京スタジアムを中心に、領域が形成されておる」
リーナスが何やら俺の足元でほざいているがとりあえず無視。
俺はちょっとからかってみることにした。
「……日本シリーズ? 何だそれは?」
「お前はそれでも日本人なのか誠二!! 簡単に言うとその年度の野球日本一を決めるための決戦だ。先に四勝した方がその年の日本一ってわけよ。今レイヴンズが三勝、タイタンズが二勝よ」
……冗談にマジレスされてしまった。
「で、俺に何をして欲しいんだ? 賭けはしないぞ」
「元手も怪しいですしね」
うるさいぞ雪風。
するとトルネロがホロTVのチャンネルを変えた。
ホロTVに映し出されたのは野球の試合中継だった。
『二アウト――!』
実況の絶叫が響く。舞台は新西京スタジアム。
この試合――レイヴンズが勝てば優勝。新西京が狂乱の夜に包まれる瞬間だ。
「アレか。レイヴンズが勝ちそうだな。新西京レイヴンズ優勝割引セールとかしてくれるなら俺は俄然応援するぜ」
ホロTVを顎で示す。
「そのセールを守るための仕事よ。実はな……八百長疑惑が持ち上がっとる。医療技術の発展は絶対的な守護神を持ったチームに圧倒的な優位性を与えるに至ったのは周知の事実だが……その守護神たるレイヴンズのリリーフエース、神様仏様ルーブ・マーティン様が『わざと』打たせているという疑惑よ」
何やら声をひそめて意味深に語りだすトルネロ。
「でももう勝ちそうだが? これで勝ったらレイヴンズの優勝だろ?」
そもそも今している試合をレイヴンズが勝てば優勝。
そんな調査の必要が――そう思いながら俺はホロTVに視線を移す。
ルーブの視点からボールが投げられた瞬間、バッター……タイタンズの4番ベイブ・ロスの視点に切り替わる。
シンカーが物凄い速さで飛んで来て変化する。
俺の目は、その回転の僅かな『甘さ』を捉えた。
先ほど、俺の魔球が打たれた時と同じような快音――そしてボールは新西京の夜空へと消えていく。
場外ホームラン――スタンドは悲鳴に包まれる。
「どうやらレイヴンズには、お前の力が必要なようだな。この試合には天文学的な金が動いとる。お前の働きには大勢の人間の運命がかかっちょるというわけだ! 責任重大だぞ誠二!」
まだ受けるとも何も言っていないが――トルネロが勝手な事を言い、ニヤリと笑った。
『日本シリーズは明日にもつれ込むこととなりました。果たして勝つのはどちらか!果たして勝つのはどちらなのかーっ!』
興奮したアナウンサーの声が俺達の座席の周囲を渦巻く。
「まず依頼料を言うのがマナーじゃないのか?」
その指摘に対しトルネロが提示した金額は――俺の生活費三ヶ月分を余裕で賄うものだった。
「……ちっ、仕方がないな。新西京の住人として、セール開催と――何より明日の生活のために、一肌脱いでやるよ」
俺はピザの最後の一切れを口に放り込み、腰の銃《雪風》を確かめて立ち上がった。
どうやら、バットの代わりに銃を振るう時間が来たようだ。
しかし、タイムリミットは明日の試合開始くらいか……二十四時間切っている――こいつはヘビーな依頼になりそうだ。
「行くぞリーナス」
「我はもっとピザを食べたいのだが?」
何て食い意地のはったやつだ。
「後で買ってやる」
多分な。と小声でつけくわえる。
「忘れるでないぞ?」
「もちろんだ」
そして俺は赤いコートを翻し、横を歩く黒猫と共に『アビシニアン』を後にした。




