第十八話 決意した私
二月三日 放課後
新西京一区 聖エリュシオン学園中等部 Aルーム (有栖川エリカ)
放課後の教室。授業が終わり、放課後の時間になると、生徒達が解放感溢れる声をあげながら友達と一緒になって教室から出て行く。
私は用のあるふりをして廊下に出て、彼らと笑顔で挨拶を交わす。
「さようなら、また明日」
「有栖川さんもまた明日!」
お父様が言っていた。自分一人でなせることは少ない。何をするにしても人望は大切であると。挨拶で人望とやらが買えるなら、こんなに安いものはない。
それに――笑顔で接してもらえるのは――嬉しいことだ。どうやら私はずっと、勝手に私はイーシドだから、彼らとは違うから、という理由をつけて自分で彼らとの間に壁を築いていたみたい。
さて、昨日から授業中にかけてずっと考えていた計画を実行するときだ。
「リンクスく~ん。一緒に帰ろうよ~」
高山さんと佐藤さんが、私の隣の席のリンクスに話しかけている。
あの二人は先日学食にリンクスを誘って以来、頻繁に話しかけているみたいだ。
「あぁ、そうす――」
リンクスが同意しようと口を開いた。鼻の下を伸ばして情けない。私の協力者としての自覚が足りていないみたい。それに今日は私の話を聞いてもらわないと困る。
(リンクス君)
(なんだ)
(断ってください)
(は?)
(早く)
(……わかった)
「――すれない」
リンクスが途中で変なことを言い出した。
「なに?」
高山さんが困惑の声をあげる。
「あぁ、いや。えっと。今日は用事があったんだ。すまないけど、また今度お願いす……します」
「あぁ、そう。わかった」
「また明日ね~」
高山さんと佐藤さんは残念そうに教室から出て行った。
「なんなんだ?」
リンクスがじろりと睨みつけてきた。
「女の子に人気で楽しそうですね」
私は純然たる事実として言ってあげた。
「そう見えるか?」
リンクスが何か真面目に聞いて来た。
「えぇ、とっても」
私はちょっと嫌味ったらしく頷いて見せた。
「そうか。だとしたら上手くいっているな」
少しリンクスは嬉しそうな顔をする。
「えっ?」
「いや、こっちの話だ」
ちょっと待ってほしい。今の発言は――つまり、えーとどういうことだろう。だけど、私が思索にふけることをリンクスは許しはしなかった。
「で、何のようだ? まさか……ただあいつらと一緒に帰るのを邪魔したかっただけなのか?」
小声でリンクスが話しかけてくる。
「もちろん違います」
私もなぜか小声で返事をした。
「早く言えよ」
また小声でリンクスが返事をする。
「今日はリンクス君に提案があるのですが――あなたのお父さんともお話できませんか?」
小声でひそひそ話をするのがこんなに楽しいとは……私は顔がほころぶのを必死に我慢した。
「誠――親父と?」
露骨にリンクスが嫌そうな顔をする。
「何か問題があるのでしょうか?」
そう言って私は気付いた。
もしかして何か変な意味にとらえられてしまったのかもしれない。
「えっと、あの、違うんです!」
思わず大声を出していた。まだ教室に残っている数人の生徒の視線がこちらに集中する。
「あっ、すみません」
生徒たちに軽く会釈をすると、皆、自分たちの会話に戻る。
(なんなんだお前?)
(勘違いしないで欲しいのですが)
(勘違いもくそも何の話だ?)
(あなたのお父さんに挨拶させてほしいというのは――その、こう、深い意味はありません。ただ、手助けしてほしいことがあるのです)
(父親に挨拶するのに深い意味? 何を言っているんだ? で、手助けって何だよ)
(それはリンクス君のお父さんにお会いしてからお話させてください)
(はぁ……まぁ連絡を取ってみるよ)
(お願いします)
待っている間私は考える。会う場所はどうしよう……お願いする立場だし、向こうが指定する場所になるのだろうか。正直、まだ人気の無い場所で男性と二人っきりになるのは怖い。いや、リンクス君もいるけれど……やはり止めておこうか……無意識のうちに私は自分で自分を抱きしめていた。
「えっと――やっぱり――」
「良いってよ」
「えっ」
「会うって」
「あっ、はい……ありがとう、ございます」
「なんでそんなテンション下がってるんだ……ですか?」
「き、気のせいです」
どうしよう……今更断るのも……
「それで、事務所だと先日ほら、アレがあったばかりで怖いだろうから、カフェ『アビシニアン』で会おうって」
リンクスはそう言うと私のホロリンクにアビシニアンの位置を転送してきた。……その言葉で、私を覆っていた夕暮れのような不安感がすっと晴れていく。この細やかな気遣い……本当にリンクスのお父さんなのだろうか? 俄かに信じ難い。
「じゃあ、行きましょう斎藤君」
「……えっ、あぁ、そうだな」
私達は連れ立って教室を出て、校門へと向かった。歩きながらリンカーン・ライムの話をリンクスとする。すごく楽しい。
「リンカーン・ライムはな。全人類が読むべきなんだよ」
「大袈裟ですね斎藤君。私も同感ですけども」
「何せ、何を犯罪現場に残したらまずいかわかるからな」
「……えっと、どういう意味なのでしょうか?」
「……。えっ!? あぁ、えーっと、そう、あんな微細な証拠物件で追跡されて捕まるってわかったら、誰も犯罪なんてしないだろ? って意味だよ」
「面白い着眼点ですね。犯罪のコストが高いことをしらしめる効果があると言いたいのですか?」
「そう、そう言いたかったんだよ」
話をしながら校舎から外に出ると、冷たい空気が私を抱きしめてきた。今までの私なら、速足で車に急いだけれど、今は無理に急ぐ気持ちにならなかった。むしろ敢えてゆっくりと歩いた。
校門を出て、すぐ目の前にある駐車場に入り、迎えの車に乗り込む。
なぜかリンクスが乗ろうとしない。
「斎藤君。早く乗ってください」
「えっ――俺は歩いて行くからいらね……遠慮しておきます」
「あなたがいないでどうやって、私はあなたのお父さんを見分けるのですか」
「ほら」
リンクスのお父さんの画像データが送られてきた。そんなに私と車に乗りたく無いのだろうか? 私はだんだん意地になってきた。
「そういう問題ではありません」
「知らねーよ、じゃあな。俺は歩いて行く」
そう言って彼は私を無視して車から離れていく。
「丸井!」
私は運転席に座っている執事の丸井に声をかけた。
「かしこまりましたお嬢様」
丸井は運転席を優雅に飛び出すと、リンクスの前に華麗に立ちはだかった。
「お嬢様と一緒に乗ってもらえませんでしょうか?」
「なんだじーさん、邪魔すんな」
二人が睨み合う。
私も車から降りると、リンクスの手を掴んで車に引っ張った。
「おい、俺に触るな!」
「あなたが強情だからです! ほら! 皆がこちらを見始めましたよ!」
私のその言葉であきらめたのか、リンクスは渋々車に乗り込んだ。久しぶりに誰かの手を握った気がする。私は、彼の手を放すのが少し名残惜しかった。彼は車に乗るなり振り払ってきたのだけど。
新西京三区 カフェ『アビシニアン』
車が二階建てのこぶりなカフェの前に停まる。相変わらず車内でリンカーン・ライムについて話していた私達は、車から降りた。カフェには猫――アビシニアン――の看板が出ている。
リンクスが扉を押し開けて入っていくと、綺麗な鈴の鳴る音がした。今時鈴だなんてアナログな――そう思いながらも、頬が少し緩む。私もリンクスの後に続いて店の中へと入っていった。
内装はオリーブグリーン。BGMが流れている。
これは――パッヘルベルのカノン? 今時クラシックなんて……でも、凄く落ち着く。私はこの店を気に入ってしまったことに気がついた。そして紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐる。とても感じの良い店。
周囲を見回す私をよそに、リンクスは周囲を見ることもなく、一番奥のボックス席を目指してずんずん歩いて行った。
アビシニアンのマスターさんなのだろう。オールバックにしてスーツを着た五十過ぎの男性が「いらっしゃい」と声をかけてくれる。
「誠二はいつもの席か?」
リンクスが横柄な口調で声をかけた。
「いつもの席です」
マスターさんは頷いて丁寧な口調で返事をする。
私はリンクスの隣でマスターさんに会釈をしたあと、リンクスのやや尖ったハーフエルフの耳を引っ張った。
「いてぇ! 何しやがる!」
リンクスが抗議の声をあげた。
「なんですかリンクス君。目上の人に向かって!」
私はかまわず注意をする。
「は? 俺は客――」
「客だから横柄な態度をとっていいんですか?」
私は腰に手を当ててリンクスを睨みつけた。
「お前は俺の母親か? いちいちうるせぇんだよ!」
「もちろん私はあなたのお母さまではありません。しかし、有栖川の協力者としての品位を身に着けてもらう必要があります」
「ふざけんな! てめぇ、借りがどうのというから大人しくしてやっていたら――」
「ふざけていません。私と今後一緒に行動する以上は――」
あまり喧嘩はしたくないけれど、彼にはもう少し品位を喪に着けてもらわないと困る。断固たる決意で私が声を上げたその時だった。
「おいリンクス。そのお嬢さんの言う通りだぞ」
奥の方から面白がっていて、それでいて穏やかな声が私の耳に届いた。
それが、私と斎藤誠二という名の私立探偵の出会いだった。




