第十六話 大いなる借り
「制限解除は一応できるようにはしてあるが、同級生と会うだけなら不要だろう。気にする必要は無い」
こたつで紅茶をすすりながら、誠二が俺にそう声をかける。
「わかりませんよ誠二。リンクスの宣戦布告を真に受けて、有栖川家が有する最先端のブラックアイスでリンクスの脳を黒焦げに焼くのが目的かもしれません」
雪風の脅し――いや、本人は普通に分析しているだけなのだろうが、俺の背筋が冷える。
「おいおい雪風。あんまりリンクスをびびらせるなよ。ただでさえ女の子の呼び出しに固くなってるんだから」
誠二が雪風を諫めるふりをしながら俺をからかってくる。
「うるせーぞ誠二」
「大丈夫です。私がリンクスの状態をモニターしてます。何かあれば彼を助けます。バックアップはお任せください」
「だそうだリンクス。泥船に乗ったつもりでいて良いぞ?」
うぜぇ。俺は無視することにした。
「誠二。自分で乗ってた船を沈める人が何を――」
「は? あれはベストな選択で――」
醜い言い争いを始めた誠二と雪風は放っておこう。
「じゃあ言ってくる」
俺は一言だけあいつらに言ってゴーグルを装着、ヘッドバンドをつけた。そのまま俺は寝椅子に横になる。
「リンクス。まず最初にちゃんと謝るんだぞ」
誠二の声が届いた直後、俺はVRへとダイブした。
アバターは山猫を選択。俺の名前はリンクスだし、それでいいだろう。HNはリンクス。指定された座標を入力、有栖川の専属VRスポットに跳ぶ。金持ちは違うな――皮肉な想いが脳裏をかすめる。
……。いや、待てリンクス。俺はそれで失敗したばかりだ。俺と彼女、生まれる環境が違っただけだ。もしかしたら逆だったかもしれないんだ。
俺が跳んだ先は、一般的に言えば大きな自然公園だった。沢山の広葉樹が生い茂り、その間をコンクリート敷きの平坦な遊歩道が伸びている。ところどころにベンチや休憩所――壁が取っ払われた小型の木造の小屋みたいなやつ――が設置してあった。どこからか鳥の鳴き声と、小川の流れる音が聞こえてくる。
いつもの癖で周囲を見回す。馬鹿な、何か潜んでいるわけが無い。心地よい太陽の日差しとと吹き付ける風が気持ちいい。リミット有りでこれか。そりゃVRから帰ってこられなくなる奴が沢山いるのも理解できる。
『リンクス。まず最初にちゃんと謝るんだぞ』
誠二の声が脳裏で木霊していた。俺は子供が飴玉を転がすように、何度も『ちゃんと謝るんだぞ』という言葉を口の中で転がした。クソっ、謝るだと?
統計を取ったことは無いが、謝る、という行為は平均的な男子中学生の苦手なことランキングトップスリーに入っているに違いない。しかも、入学して隣の席だったのに一言も会話したこともない女相手にだ……
ださいぞリンクス。俺が勘違いして酷い言葉を投げつけたんだから、そのケツは自分で拭くべきだ。それがアンダーとしてのあるべき姿だ。
俺の思索を柔らかな声が押しとどめた。
「えっと……リンクス君?」
気づいたら俺は座ったまま地面を見つめていたらしい。顔を上げると、少しくせっけの栗色の髪を肩まで伸ばしている女の子が立っていた。大き目な瞳は深い茶色。つんとした鼻がいかにも気取ってますという……それは俺の偏見だな。ま、ありていに言えばお人形さんみたいな、可愛い女の子が立っている。服は白いワンピース。学校の姿と同じ姿をした有栖川エリカがそこにはいた。違うのは着ている服だけだ。
いや――お人形さんみたい、ではないかもしれない。教室とは雰囲気が何か違う。やはりこいつ猫を被って――待て。違和感はある。あるが、俺はどうしても先制攻撃をしかける必要がある。
「まずは幾つかお礼を言わせてください。来てくれて――」
彼女が口を開く。
「待ってくれ」
「えっと?」
彼女が不思議そうな顔をして俺を見下ろした。しまったな。俺も人間のアバターを選ぶべきだった。
「えっと、その。あの……何というか……ごめん。悪かった」
俺は謝罪の言葉を絞り出した。
俺は彼女の顔を見ていられないで地面に視線を落とした。
「ぶちのめすとか言ってすまなかった。こう、早とちりしてしまったんだ」
ここまで謝って俺は気付いた。待てよ。謝るのはいい。というか謝れた。
だが、どこまで話して良いんだ?
くそ! 誠二のやつ! ちゃんとそこらへん言っとけよ! なんとか適当に誤魔化そう。
「嫌われていなかったのなら、良かったです。あと、助けてくれたんですよね? 本当にありがとうございました」
彼女は穏やかにそう言い、お辞儀した。
「助けたのは成り行きだ。気にするな。あと……こいつをあんたに渡しておくよ」
俺は修二の記念撮影したファイルをエリカに送った。
「えっ!?」
エリカが硬直する。お嬢様にはちょっと刺激が強すぎたか。
「あぁ、あいつに今度絡まれたり絡まれそうになったら送ってやればいい。こいつをばらまかれたくなかったら二度と話しかけるなって。何かあった場合、確実に世界中にばらまかれるよう手配済みって言ってやれ。もちろん、あんたがピンチのときは俺に言ってくれれば助けに行くけど……とりあえず抑止力があるにこしたことはないだろう?」
「なるほど……そんな手が……」
何やら小声でぶつぶつ言っているのが聞こえてくる。
前向きに感謝しているようだ。
俺が思っているお嬢様の像と大分違う気もするが……
「で、話ってのは何なんだ?」
俺は地面を見つめたまま彼女に問いかけた。
「屋上で私を助けてくれたことのお礼を言いたかったのと……なんで私をぶちのめす、といったのかを聞きたかったんです」
「屋上でのことは……俺、屋上の景色に興味があって、出れないかなと思って屋上に向かってたんだ。そしたらあんたを見かけたんだけど、なぜか鍵がかかってて屋上に出れないわ、あんたの悲鳴が聞こえるわで……後は知っての通りだ」
まさか後をつけていたなんて言えないしな。
しばしの沈黙のあと、エリカが口を開く。
「そうだったんですね、リンクス君。で、何を誤解したんでしょうか?」
「扉の鍵が開かなくてアレコレしていたら、ほら、ローシドやゼロシドを搾取して云々って聞こえてきて……」
「あぁ……そうですね。私の父は、いえ、多くのハイシドの人間はそうしているのでしょう。私も例外ではありません」
エリカが淡々と口にした。
なんだ? こいつ、他人事みたいに――いや、実際こいつら、上流階級様は、俺達ゼロシド……そう、俺は元々はゼロシドだ。ハイシド様達には存在しない人間の気持ちなんてわからないだろう。怒りと憎しみが燃え上がる、が。
彼女は何か悪いのか? いや、悪くない。つまりこれは俺の醜い嫉妬だ。
誠二はずっと、やんわりとそれを指摘してくれていた。それに、驚くべきことで、普通に考えればありえないことのような気がするが、彼女はあっさりと、自分達が搾取している側であると認めた。この女は、何か違うのかもしれない。もちろん、こんな程度のことで俺は信頼しないがな。
「まぁ、そういうわけだ。もうあんたをぶちのめす気はないよ」
「そうでしたか。教えてくれてありがとうございます」
俺の視界に映る彼女の影が上下する。どうやらお辞儀をしてくれたらしい。
「それにしてもリンクス君」
「なんだよ」
「教室でのぎこちない不自然な丁寧語と違って、その荒々しい言動、板についていますね」
「……そ、そうですか?」
しまった――思わず素で話をしていた!
「じゃ、話は――」
さっさとここから逃げ出すべきだ。
俺は別れの言葉を口にしようとするが、それをエリカが遮った。
「では、リンクス君は私に借りがあるということでいいですね?」
「は――?」
俺は思わず顔を上げる。
「私はリンクス君の心のこもった暴言で酷く傷つきました。怖くて泣いたくらいです。女の子を泣かせるのは、それはもう大きな借りになるとお父様が仰っていました」
待て。何の話だ?
誠二も同じような事を言ってた気がする。
でも敵対したら容赦なくぶちのめすとも言ってたが。どっちなんだあいつ。意味がわからない。
落ち着け俺。これは間違いなくまずい。
女が借りとか言い出したらろくなことにならない。
誠二を見ているからわかる。
あいつはいつも色んな女に『借りよ誠二』とか言われて酷い目にあっている。
俺は頭を振った。思考を元に戻さなくては。
そもそも泣いたのはあの修二とかいう糞野郎のせいだろう?
それを指摘して何とか切り抜け――
(リンクス)
(なんだ?)
雪風からの通信が入った。恐らく彼女の非論理的要求に関しての穴を教えてくれるに違いない。それは崖にかろうじて捕まり、今にも落ちかけている哀れな俺に垂らされた命綱に見えた。
(彼女の言うことは非論理的です)
(そうだよな!)
(ですから、肯定してください)
……?
(あなたは彼女に対して、明確に借りがあります)
(いや、ちょっと待て雪風。お前の言っていることが一番非論理的――)
(私が? 恐らくこの地球上でもっとも論理的な私が非論理的? これは私の独立型人工知能というアイデンティティにたいしての最大限の――)
言葉と共に視界に火花が散り始める。ちょっと待て、こいつ、俺が没入しているのをいいことにブラックアイスで殴ろうとしてないか?
(わ、わかった。俺は彼女に借りがある気がしてきた)
(理解頂けると信じていました)
「ですので、私に協力してください」
エリカはしゃがんで俺と視線の高さを合わせると、にっこり微笑んだ。
俺はもう、頷くしかなかった。




