第十二話 俺はお前をぶちのめす
二月二日 放課後
新西京一区 聖エリュシオン学園屋上
屋上の扉が開くと、まるで世界の光をすべて喰らい尽くすかのような、どす黒い闇が文字通り屋上へ溢れ出てきた。
私と間修二は、その非現実的な光景に言葉を失う。そして溢れ出した漆黒の影が、意思を持っているかのように猛烈な速度でこちらへと移動してくるのをただ凝視することしかできなかった。
何――? 化け物? 学園内に?
でも、こんな男に辱められるくらいなら化け物に食われる方がましかもしれない。
私は絶望の中で諦念を抱き、両目を強く瞑って、その残酷な終焉の瞬間を静かに待った。
「ひぃ! なんだ!? 僕を誰だと――」
修二は私の上からどくと、裏返った声で何やら喚きながら後ずさった。
取り残された私は闇に包まれ――闇が通り過ぎた。何の危害も私に加えることなく。それは、爽やかな風が実体を伴って吹き抜けたようなものだった。
「なんでだよ! その女を――」
修二が言い終える前に鈍い打撃音が連続する。
「うっ、ぐっ――――」
一瞬、修二はくぐもった悲鳴にもならない声を上げたが、その後は肉を打つ音だけが聞こえてくる。
「たの……やめ……」
修二は息も絶え絶えで命乞いをしているが、容赦なく打撃音は響き続けた。
その凄惨な音を聞きながら、私はふと冷静になっていく自分に気づいた。落ち着いて着衣の乱れを直す。
今のうちに、逃げなければ。私は静かに立ち上がる。
そして屋上前に落ちているホロリンクを拾う。
私はそれを再び自分の腕にはめ、扉を閉め、オートロックで施錠されるのを確認。
そのまま屋上を後にし、私はその場から逃げ出した。
――――――――五分前
(リンクス)
俺はクラスの女子どもの熱烈なカフェへの誘いをやんわりと断り、下校していく生徒の海に紛れ、有栖川エリカの後を猟犬のようにつけていた。連日クラスの女どものおままごとにつきあってなんていられない。さっさと調査を終わらせてこんな地獄とおさらばしたい。いや、実は本音を言わせてもらうと、授業は楽しい。それは認めざるを得ない事実だ。そんなことを思っていると、前方をとぼとぼと歩いていたエリカは階段を上っていき、屋上へと出て行ってしまった。どうする? 誰と会っている? やはり、犯罪組織の会合か何かか?
誠二は保留と言っていたが――奴は有栖川エリカと直接の面識はない。俺はある。つまり、俺には勘が働く余地があるが、誠二には無い。これは大きな差だ。そして俺の高性能レーダーなみに頼りになる勘が、有栖川エリカは明らかに怪しいと空襲警報を鳴らし続けていた。
扉を前に考える。少し開けて何とか会話を……くそっ! 鍵か!
と、屋上のエリカともう一人が大声で騒ぎ始めた。
なんだ? 犯罪組織での仲間割れか?
「お前のクラスの――なんだから、お前のせい――! じゃあ――その責任を――当たり前だよな! 何だ――? ――を馬鹿に――か? お――父親だってな、形を変えてやって――だろうが! つまり、結局は――多くのローシドやゼロシドを搾取――いい生活を堪能して――――――だよ!」
断片的に聞こえるセリフを脳内で繋ぎ合わせ、俺は冷静に推理を行う。やはりか。有栖川エリカが裏で何らかの悪事を働き、ローシドを搾取しているのは間違いなさそうだ。いま聞こえたのは、金銭トラブルか何かによる部下の反乱というところだろう。さて、どうしたものか……と、その時だった。
「誰か! だれか助けて!」
エリカの悲痛な声がはっきりと聞こえた。
「おいエリカ! ――イーシドしか立ち入れな――! そんな――」
……たとえ裏社会のクソ女でも、暴行されるのは絶対に見過ごせない。
そしてイーシド? なんだそれは? 聞いたこともない。やはり、何かある。
溜息をついた俺は、扉に蹴りを入れる。魔力で強化した蹴りを何発か叩き込むが――ダメか。
こうなったら一か八か、業で無理やり焼き切ってやる。
と、その瞬間。
『ハイシド、有栖川エリカ。確認しました』
電子音声が応答し、扉のロックが外れる音がした。
なんだか良くわからないが、俺が扉を蹴るのを察知して誰かが助けに来たとエリカは思ったらしい。おかげで鍵が開いた。懐からコンバットゴーグルを装着。熱赤外線モードに設定。
「影業――|静寂の闇を駆ける孤影」
俺は闇をまとい屋上に飛び出す。
押し倒され着衣の乱れたエリカと――その上にのしかかってる痩せた、青みがかかった黒髪を長髪にしているヒューマンの男が情けない声をあげながら後ずさった。生徒名簿と照会する。高等部の――間修二だ。生徒会の書記か。そういえば、有栖川エリカも生徒会だったな。特権階級クラブってところかよ。
「ひぃ! なんだ!? 僕を誰だと――」
まずは婦女暴行未遂を犯した糞野郎に生まれてきたことをたっぷりと後悔させてやる必要がある。俺はエリカを無視し、間修二に向かって走った。
「なんでだよ! その女を――」
この発言から推測するに――どうやらエリカを盾にしたかったらしい。こいつにとってはあいにくな話だが、ここはレディ・ファーストではなく、糞野郎ファーストだ。
奴の言葉が終わる前に俺は金的に蹴りをぶちこむ。
「うっ、ぐっ――――」
前のめりになった間修二。俺はそのまま顔面に膝蹴りを叩き込んだ。俺にはどうしてもわからないことがある。大ダメージをおったとき、なぜ素人たちは自分から地面に倒れこむのか? よほど敗北を確定したいらしい。
それともそうやって無様に転がることで俺の負けだ! とアピールでもしているのか? 動物が敗北を認めた時に腹を見せるように。でもな。お前にかける慈悲なんて、俺は顔も覚えてない親父の玉袋の中に全部忘れてきたんだ。
俺は一切の容赦なく金的に攻撃を集中する。丁度いい、この機会に去勢してやる。
「たの……やめ……」
間修二が金的をかばう。がら空きになった顔面に蹴りを叩き込む。
しばらくして、命乞いすら止んだので俺は手を止めた。
間修二は気絶している。
よし。俺は満足して頷くと、気絶した奴のズボンとパンツをおろし、記念撮影を行った。
あばよ間修二。
さて、部下に裏切られた哀れなエリカは何をして――俺は振り返る。
そこには誰もいなかった。
「あの女ぁー!」
俺は独り――いや、気絶した間修二がいるから厳密には二人だが――屋上で叫ぶ。出ようと扉に手をかけると鍵がかかっている。引き換えした俺は、間修二のホロリンクを奪って扉を開け、有栖川エリカを追って飛び出した。
階段を駆け下り――そこで思い出した。校則……廊下を走らない。あんな罰金食らったら俺は破産してしまう。俺は早足で移動しながら素早く思考を巡らす。時間が惜しい!
――高速圧縮思考。
思考を加速。世界の流れる時間がゆっくりになる。
命の危機を感じたらどうする? 当然安全な巣穴に逃げ帰るはずだ。もしくは友人の元へ逃げる。有栖川エリカがクラスメイトと会話しているのはみたことがない。前者の可能性が高い。もちろん他に部下がいるかもしれないが、それを考えてもわからない。つまり俺は校門に向かうしかない。
世界の流れる速度が元に戻った。
俺は校門へ向かう。すると、校門へと急ぐ有栖川エリカを見つけた。
「有栖川!」
俺が声をかけると、有栖川エリカは電気が流れたようにびくりと身を震わせた。
「斎藤……リンクス君」
振り返った彼女の顔色は悪い。さっきまでの状況を考えれば当然のことだ。
「なぜ逃げる? やはり何かやましいことがあるのか?」
「逃げ……えっ、屋上で私を助けてくれたのは……?」
有栖川エリカの顔に理解の色が灯る。
そうか、こいつ……俺が助けたことに気づいてなかったのか。
いや、それもそうだな。俺は業を使っていた。
と、下校途中の生徒たちが立ち止まって俺達に注目をし始めた。ただ会話しているだけだぞ? この女がなんだってんだ? やはり裏で麻薬を売りさばいている元締めか何かか?
「えっと、あの、リンクス君――」
有栖川エリカが顔を赤らめながら何かを言おうとする。
まさか俺に助けてもらって……感謝の念でも抱いてるってのか?
これが誠二の言っていた白馬の騎士症候群ってやつか。
ふざけるなよ。ローシドを搾取する悪党が!
正直な話、俺はかなりむかついていた。
「勘違いするなよ。俺はお前をぶちのめす」
俺はエリカの耳元で、冷酷に、そして誰にも聞こえない低い声でそう宣戦布告をする。そして俺は、唖然と立ち尽くす彼女とすれ違い、そのまま校門の雑踏の中へと堂々と立ち去った。




