第十一話 屋上の私
二月二日 放課後
新西京一区 聖エリュシオン学園中等部 (エリカ)
ホームルームも終わり、教室内は半日に及ぶ半強制的な監禁から解放された囚人たちの発する安堵の私語で賑わっている。転校生の斎藤リンクスは、結局今日も私に何の注意も払わなかった。私もだんだん彼への興味が色褪せていくのを感じる。しょせん彼と私は住む世界が違うのだ。無理にかかわる必要もないのだろう。そう、お互いにそう思っているのだ。
「リンクスく~ん。今日も一緒に帰ろうよ。中央区の駅前に新しいカフェができたって!」
女子たちが物珍しい玩具を囲むようにリンクスに声をかける。クラスの他の男子が面白くなさそうな空気を出していた。女子といい関係を構築してしまった男子は――他の男子との付き合いに支障をきたすことがある。果たして多くの女子はその社会的リスクについて考えたことがあるのだろうか?
「いや、今日は俺は――」
リンクスが口にする言葉を背に、私は廊下へと出て行った。
学園の廊下は明るいベージュ色のARで彩られている。下校を始める生徒たちで溢れる廊下を、いつもどおり独り歩きながら私は考える。
この学園の廊下は防弾窓ガラスで眺望がよく、しかも締め切ってあって全館空調が効いている。通常の学校ではありえないことだが、この学園では普通だ。でも、私にとっては有栖川家という豪華な鳥籠から、学園という巨大な鳥籠に移動しただけに思える。皆、なぜ息がつまらないのだろうか?
そんな折、私の網膜の視界の隅に、封筒の形をしたARがポップアップで表示された。
――開封。
差出人――間修二
[屋上で待っている。トップオブトップスの件だ]
……正直な話、行きたくはない。何だというのか?
昨日生徒会室で会議したばかりなのに。今までにこんなことはなかった。もしお父様に相談したらお父様は何と言うだろうか? 言いそうなことを想像してみる。
『有栖川の人間たる者、イーシドの要請を無下に断るな』
……行くべきなのだろう。これもまたイーシドの務めと言われるに違いない。なにせこの学園にイーシドは九人しかいないのだ。私達は数が少ない。だからこそ、互いに助け合うべきだと言う。しかし、これは逆に自分達で勝手に壁を作っているだけなのではないだろうか。
私はホロリンクで、学園の駐車場で待機している迎えの運転手に遅れるとメッセージを送り、私は屋上へと向かった。
屋上への階段を上り、手首のブレスレットタイプのホロリンクをかざしてCIDを提示する。
『ハイシド、有栖川エリカ。確認しました』
電子音声が応答し、機械音とともにロックが外れる。私は屋上に出た。視界に屋上の無機質なコンクリートの床が広がる。その先には転落防止用の高さ二メートルものフェンス。そしてフェンスの向こう側には空の境界線と新西京の街並みが広がっていた。
室外機やダクトの排気音が私の耳を震わす。と、寒い風が吹きつける風の音で私の耳は覆われた。私はスカートを手で押さえ、寒さで身を縮こませる。なんだってこんな場所に……
風除け代わりにしていたのだろう。白く塗られた給水塔の陰から間修二が現れた。
「やぁエリカ。遅かったじゃないか。九位が七位の僕を待たせるもんじゃないよ」
見せかけの、友好的なラップをかけただけの、いつもの気取った、そしてねばりつくような湿気をまとった威圧的な、声。
「すみません……」
私はトラブルを避けるために、視線を下げ謝罪をした。
「こっちに来なよ。そこは寒いだろう」
その声に促され、私は歩いて五メートル先にある給水塔の陰へ向かう。
だけど、あまり間修二の近くに近寄りたくは無かった。
「何の御用でしょう、間先輩」
私は嫌悪感が滲まないよう、刺激しないように努めて事務的なトーンで声をかけた。
「実はね……君のクラスに入ってきた転校生なんだけど」
リンクス? 彼がどうかしたのだろうか。いや、彼はローシドだった。そして間修二は……九条先輩が言うには、ローシドを専門にカモにしている人だ。
「彼がどうかしましたか?」
「あいつのせいでね……僕はとんでもない目にあったんだ」
とんでもない目?
私は無意識のうちにホロリンクを操作した。
会計としてトップオブトップスのポイント集計グラフを呼び出す。
昨日、間修二のポイントが大幅にマイナスになっていた。
「えっと……これは……」
何か言わないといけない。そう思い、当たり障りのない相槌を私は打った。
「僕のポイントを見たかい?」
彼の押し殺した声は、隠しきれない憎悪に染まっていた。
「はい……」
私は答えながら、思わず一歩後ずさる。
「君は会計だ。昨日の僕のマイナス――無かったことにしてくれ。できるだろう?」
「間先輩。お、お気持ちは察しますが……それは無理です。私はあくまで数値の報告を行うだけで、このポイントはこの学園の統括AIが半自動的につけていくものです」
私は彼をこれ以上針で突いて刺激しないよう、言葉を選びながら説明を行った。
「嘘だ! できるはずだ!」
血走った眼を私に向け、彼は私に一歩、二歩と近づいてきた。
「む、無理です」
何を言い出すかと思えば、無茶苦茶過ぎる。こんな人に気圧されたくはない。お父様ならきっと、毅然とした態度をとるはずだ。私は後退るのを止め、彼に対峙した。
「何だよその目は――万年九位が――僕に逆らうのか?」
「無理なものは無理と言っているだけです」
私の言葉を聞いて彼は薄ら笑いを浮かべた。
「そうか。じゃあこうしよう。君が僕に昨日のマイナス分を支払ってくれ」
「そ、それはどういう……?」
「どうせ万年九位なんだ。良いだろうそれくらい」
その言葉を聞いた瞬間、私は悟った。この目の前の男もまた、トップオブトップスというゲームに踊らされている哀れな操り人形なのだろう。何故かわからないけれど、すべてがバカバカしくなってきた私は、可笑しくなった。
「ふふっ。わかりま――」
「何を笑っているんだお前は!」
私が全てを言い終える前に、間修二は私を強く押した。
思わず私はしりもちをついてしまう。冷たい屋上の感触がスカート越しに伝わってきた。
「ち、違います……」
私が誤解を解こうと声を上げるが、激昂して理性を失った彼の耳には届かない。
「いい事を思いついた。今から君を裸にひん剥いて、撮影させてもらおう。それをネタに毎月僕にお金を支払い続けてもらうというのはどうだろうか?」
私は思わず息を吞んだ。
「いや――いっそのこと、ここで僕の女にしてしまって、その動画でも撮影してしまうとするか。君も嬉しいだろう?」
私は恐怖の余り声が出なかった。私の人生でここまで露骨で直接的な悪意と暴力にさらされるのは、初めての経験だった。
「い、いやです……」
震える声をなんとか絞り出す。
「いやだと?」
間修二は信じられない言葉を聞いた。という顔をした。
「お前のクラスのやつのせいなんだから、お前のせいなんだよ! じゃあお前がその責任を取るのは当たり前だよな! 何だその目は? 僕を馬鹿にしているのか? お前の父親だってな、形を変えてやっていることだろうが! つまり、結局はお前もまた、多くのローシドやゼロシドを搾取して今のいい生活を堪能しているってことなんだよ!」
彼は身勝手な事を言いながら私の服に手をかける。
「だれか! だれか助けて!」
私はパニックになって声を上げた。
「おいエリカ! ここはイーシドしか立ち入れない区域だぞ! そんなことも――」
突然、屋上の出入り口の扉を激しく叩く音が私達の耳に飛び込んできた。いや、あの音はノックではない。蹴りつける音?
「な、なんだ? だれだ? まぁいい。どうせ鍵がかかっているんだ。ここでお前が僕にやられるのを聞かせて――」
最低なことを間修二が言う隙に、私は必死の思いで腕のホロリンクを外して、三メートル先にある扉に投げる。
『ハイシド、有栖川エリカ。確認しました』
電子音声が応答し、扉のロックが外れる音がする。
扉が激しく蹴り開けられ――そこから闇が溢れ出てきた。




