第七話 バキュームカーは非常識
二月一日 午後
新西京一区 聖エリュシオン学園中等部 Aルーム (リンクス)
今日もまた、すべての授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。それはさながら教会が礼拝の時間を告げる鐘の音だ。実に充実した一日だった。
ここは腹を空かせて彷徨う血生臭い野良犬の世界とは違う。ここでは、文明社会という欺瞞の皮を被っただけの、洗練された弱肉強食の世界に出たあとに、生きていくのに必要な基礎的な知識を学ぶことができる。
植物ですら、実は根を介在して養分を融通し合い、助け合って生きているのに――わざわざ弱肉強食などという愚かな行為を実践しているのは、文明人を気取っている人類と、一部の肉食動物だけだ。
にもかかわらず、教室を見回すと、ほとんどの生徒はこの貴重な授業に興味がないようだった。まさか……既にこれらの高度な教育をマスターしているとでもいうのか?
これだから特権階級のハイシド様はいいご身分……おっと、これは逆差別ってやつだったな。いけないいけない。
さて、と。俺はこの学園の闇を暴かないといけないらしいが……俺からしてみればこいつらのこの授業態度。
堂々と机に突っ伏して寝ている奴。
授業を受けるふりをしてゲームをしている奴。
窓の外の景色をぼんやり見ている奴。
隣の席の級友と、授業中にも関わらずこそこそ話している奴。
これがすでにおかしい。異常な空間だ。
待てよ?
ストリートでこんなぼーっとしている奴はたいてい薬中だった。つまり……このクラスの多くが、既に薬物によって無気力になっているってことか?
そう考えれば全ての辻褄が合う。
ビンゴだ。この学園、ドラッグが蔓延している。間違いない。
だからこうも真面目に授業を受けていないんだ。この仮説はかなりいけている気がするな。
よし、こいつらの誰かと仲良くなってどこからドラッグを手に入れているか調べてみるとするか。やれやれ、俺の方が誠二より余程名探偵だぜ。
「リンクス君、もう帰るの? もしよかったら一緒に学食に寄っていかない?」
同級生のハイシド、高山千恵が声をかけてきた。その後ろには仲の良い友達なのだろう、佐藤早苗も立っている。
高山千恵は少したれ目気味の穏やかな黒目。黒髪をポニーテールにした身長百六十センチほどのヒューマンの女子。体格はやや太めだが、思春期の女の子は少し太いくらいの方が後々の健康にいいんだぞ、と誠二が言ってきた気がする。
佐藤早苗は細目で知的な茶色の瞳。茶色の髪をおかっぱっぽく切りそろえた身長百五十センチほどのヒューマンの女性。体格は普通だ。
来た……!
予想以上に早い……!
――加速圧縮思考。
俺は反射的に魔力を回し、認知と思考の速度を極限まで加速した。
ミリ秒の世界に入る。この後の会話の分岐を高速演算。
俺が転校してきてまだ二日目……にもかかわらず早くも組織からの勧誘だと!
俺をローシドだと思ってなめているのか?
……どうする?
断るか?
いや、折角の手掛かりだ。これは悪手だ。
やめておいた方がいいだろう。
賛同するか?
これがベター。
だが、どのように勧誘されるのか?
敵の出方が何もわからない。
ややリスクが高い。
一度断っておいて後をつける? ありだな。
待てよ。一度断ると、そのまま帰る可能性がある。次回の接触がいつになるかわからない。
ダメだ、俺の認識が甘かった……!
となると、賛同するべきか。
ややリスクは高いが――仕方ない。今日の授業でもやっていた。
虎穴に入らざれば虎子を得ず。
入ってやるよ! 虎穴ってやつにな!
世界が元の時間の流れに戻った。
俺は答えようと口を開――視界の端に映る隣の席の女……確か有栖川エリカとかいう綺麗な人形みたいな女――が聞き耳を立てている気配を感じる。(俺は投稿初日に同じクラスの人間の顔と名前は全部脳に叩き込んでいる。今週中にはこの学年全員の、来週中には全校生徒の顔と名前を叩き込む予定だ)
なんだ? どういうことだ?
対立する二つの組織か?
いや、だがエリカとかいう女、俺に一度として何の接触もしてきていない。そんなものかと思っていたが――実は俺の動向を静かに監視していたとしたら?
くそっ、俺はなんて間抜け野郎なんだ。既に十重二十重に張り巡らされた蜘蛛の巣のど真ん中に俺はいたってことか!?
「あのー……リンクス君? どうかしたの?」
高山千恵が不思議そうな顔をして黙ってしまった俺に声をかけてきた。この女、こんな無害そうな顔と雰囲気で凄腕のドラッグの売人なんてな――ストリートで生きてきた俺の目をここまで欺いてきた手腕、賞賛に値するが、俺の目は誤魔化せない。
「ごめん。少し考え事をしていて。招待に預からせてもらうよ」
俺は高山千恵と佐藤早苗にニヤリと笑みを向けて見せた。これが牽制になるだろう。俺をただの獲物だと思うなよ。
学食に移動した俺達。
広さは教室二つ分ほどか。
……。何か席が手前から順に黒色、白色、紫色で分けられている。
俺達以外に男子生徒が三人ほど――紫色の席に座っている。
移動中に注文しておいた聖エリュシオンパフェとやらを受け取り口でアンドロイドから渡された二人は、奥の方の紫色の席に移動していく。
俺もドーナツと珈琲を――何?
お金を学内通貨に両替しろだと?
面倒くさいな……ホロリンクでさくっとお金を両替して受け取る。そして先に行ってしまった女子二人の座った席に向かった。
あのアンドロイド――黒髪黒目、メイド服を着て整った顔立ち、しかし全身から生気が感じられない――を動かしているAIは雪風とどう違うのだろう?
そんなことを考えながら席についた。
「ねー、リンクス君はさ」
高山千恵がそう話しかけてきた瞬間――
「おい! ローシド!」
俺の後ろから男子生徒の声が投げかけられた。その声色は差別と偏見に満ちており、こちらを見下してきていた。
それは俺にとって馴染み深い、朝食セット――ご飯、漬物、納豆、味噌汁――だ。
早速おでましだな。この女子二人は俺をここに誘い込むための美人局ってわけか。舐められたものだ。だが、油断してはいけない。俺は振り返った。
「ローシドはあっちの黒い席だ!」
こいつは――俺と同じクラスの山岸武だ。身長百六十センチ、黒髪黒目、スポーツ刈り、痩せていてニキビだらけの顔をしたヒューマンの男。
……。何か想像していたのとかなり毛色の違う因縁のつけられ方な気がする。いや、油断は禁物だ。今までは単なる前哨戦。これからはじまるのが血と暴力と恐怖が入り混じる真の脅迫に違いない。
「あっちの席?」
俺はわざとらしく何も知らない風を装って――いや、実際のところ本当に何も知らないのだが――首をかしげて見せる。
「ローシドはあっちの黒い席。ミドルシドは白い席。ここはハイシド専用だ」
おかしい。俺が確認した限りでは校則にそんな記述は――
「今はうちらが一緒だからいいんだよ!」
なぜか俺を嵌めた張本人の一人のはずの高山千恵が俺の隣から山岸武に噛みつき始めた。
続けて、後ろの佐藤早苗も援護射撃を繰り出した。
「最低。転校性をいきなりそうやってローシドだからっていじめるの? 器小さすぎ」
「はぁ!? ふざけんなよ、このブスどもが! そんなローシドの肩もってるんじゃねぇ!」
山岸武が顔を真っ赤にしてブスとか小学生の路地裏の喧嘩でしか使われない稚拙な暴言を振り回し始めた。……情けなすぎる。どうなっている?
おかしい、これが俺を待ち受けていた凶暴な組織の手先なのか?
何かおかしい気がする。そして俺はさっきからおかしいばかり脳内で繰り返している。
「はぁっ? 何がブスだよふざけんな!」
高山千恵が怒り始めた。それは当然だろう。
……。俺の推理だと彼女とこいつらは裏で繋がっているグルだったはずだ。
これはもしかして――俺は何か致命的かつ根本的な勘違いを――?
こういう時、誠二はどう言うんだったか? とりあえずあの馬鹿の真似をしていれば間違いない気がする。いや、駄目な気がする。しかし、俺は学校生活を送ったことがない。ならここは、例え非常識の極みとはいえ、あの馬鹿を参考にするべきだろう。
「おい、ニキビ面の小学生」
俺は冷徹に、そして誠二が人をおちょくるときの小馬鹿にした口調を真似て言った。
「……あ? なんだとローシドのハーフエルフの糞ちびが!」
山岸は目を見開いて大声を出してきた。
「彼女はブスじゃない。それはお前の目が死んだあと浜辺に打ち上げられた雑魚の濁りきった眼が腐りおちたものよりも腐ってるから歪んでそう見えるだけだ。今すぐその恥ずかしいチンパンジーでもしないレベルの勘違い発言を撤回しろ。俺にとって彼女たちは普通に魅力的な美人だ。お前がその貧相な一立方センチメートルしかない脳容量でくだらない妄想にどう浸ろうが勝手だが、いちいちその糞みたいな価値観をスプリンクラーよろしく撒き散らす必要は無いだろう。スプリンクラーは消火のために水を撒き散らすが、お前が撒き散らしているのは汚物だ。迷惑の極みなんだよ。バキュームカー野郎」
「リ、リンクス君っ……」
佐藤早苗が何か俺の名前を呟いているがそれどころじゃない。
「えっ、今、私たちのこと、美人って……」
高山千恵も何か嬉しそうな声をあげている。
……ん?
俺は誠二の言いそうなことを言っただけだが、何かミスをした気がする。
なんてこった!
俺の本能が全力で警鐘を鳴らし始めていた。
クソ、やはりあのバカの真似をするべきじゃなかったか?
と、俺の目の前にいる山岸武は、俺のストリートと私立探偵のハイブリッド正論を食らったからか、目を白黒させ始めた。
そして耳まで顔が真っ赤になる。
「このローシドのチビが調子に――」
やる気か。上等だ。
どうせこの手の馬鹿はぶちのめさないと力の差を理解できない。
俺は静かに席を立つ。奴は俺の真後ろに座っていたから彼我の距離一メートル。
お互いにすぐにでも殴り合える距離だ。
瞬間。
自動扉が静かに開いた。
赤いネクタイ……高校三年生。身長百二十センチ。ドワーフの女性。茶色の髪をショートボブにしている。何故か学園内にもかかわらず――男子用の学生帽を被っていた。非常にスタイルのいい、きつめの顔立ちの美人だが、その表情は石膏で固めた彫像だった。彼女は後ろ手に手を組んだまま、真っ直ぐ、完璧に統制のとれた姿勢と歩き方で数歩、食堂の中に歩いて――いや、行進してきた。
「生徒会風紀委員長、ガーブラです」
その静かだが、周囲の空気を圧倒する重い声が食堂内に響いた。
それは人を支配するのになれた圧制者のそれであり、冷たい眼差しが山岸を射すくめる。
「一般女子生徒への公然たる暴言。および不当な階級差別の扇動。山岸武――ペナルティです」
「ガーブラ……先輩。はい……」
その声を聞いた山岸武は項垂れた。
「本日中に罰金を送金しておくように。規律を乱さないように。それでは失礼します」
彼女は機械のように踵を返し、扉へと向かう。
そして、彼女は食堂から去った。
ちょっと待て。彼女が今口にした罰金の金額、少しランクの高いレストランで十回くらい食事できる額だぞ!?
「ちっ……! 覚えてろよ転校生……」
山岸武は憎々し気に俺を睨みつけると、取り巻き二人と食堂を出て行った。
「わぁ……! ありがとう、リンクス君!」
「今のめちゃくちゃかっこよかった~!」
高山千恵と佐藤早苗が目を輝かせてそんなことを言ってくるが……俺はそれどころじゃなかった。
どうやら俺の推理は根本から間違っていたのかもしれない。
危ない、誠二にドヤ顔で語りたかったが、もしこの推理を披露していたら絶対そこら中に言いふらされて一年は笑いものに、いや――下手したら一生笑い話にされていた可能性がある。
想像するだけで冷や汗が止まらない――なんて場所に俺は送り込まれてしまったんだ。
「ねぇリンクス君」
高山千恵が聞いてくる。
「なんだ?」
あっ、しまった。動揺のあまり、ついため口で……
「さっき山岸に言ってた、その、バキュームカーって何なの?」
「……」
マジかよ。
俺はとりあえずこの学園の常識を学ぶところから始めるべきらしい。




