第二話 演算上ではパーフェクトです
一月二十八日 午後二時
新西京三区 布袋通り カフェ『アビシニアン』(斎藤誠二)
俺はいきつけの店、アビシニアンの一番奥のボックス席に座っている。
外の殺人的な寒気で凍死寸前になりながらたどり着いた俺だったが、今は店内の暖房で温まり、どうにか人間の形を保ったまま生き返りつつあった。
は~死ぬかと思った。ここにくるだけで命がけだなまったく。
使い捨てほっかいろはいまいち効果薄いし……そもそも使い捨てってのが嫌いだ。俺は使い捨てアイテムが基本的に嫌いなんだ。手榴弾は大好きだが。陰陽庁あたりの出してる暖気符買うか?
しかし……符というか魔術回路が組み込まれている魔道具嫌いなんだよなぁ……アレ、疲れるから。特に俺みたいな│改造者は起動コストがきっつい。
冷房符は買うけどな。暑いの嫌いだし。というかコート着てられなくなるし。
今日のアビシニアンの内装は落ち着いた茶色。
BGMもジャズアレンジの聖者の行進。大人の隠れ家といった小洒落た雰囲気で実にいい。
店内にはちらほらと客がいるが、大入りというほどでもない。
アクセントだろう、いつものようにニュースが流れていた。
『こちら新谷ナギです。本日は、アル・ヌール財団の代表、アブラハム・アルフェールさんにお話を伺いにまいりました。アル・ヌール財団は教育支援、難民支援、エネルギー投資をしており――』
カウンターでアビシニアンの店主がアッサム紅茶を淹れる華やかで甘い香りが漂ってくる。
『――瀬戸内海の小さめの島一つを、買い上げて住まわれているとか?』
『えぇ、そこで支援した孤児達と――』
ニュースを聞き流しつつ俺は考える。
紅茶を一杯だけ頼むとするか。さっき一瞬で散財したからな。財布の紐を少し絞めなくては。緊縮財政だ。
そう固く決意した俺の足元で――なぜか勝手にホロメニューがポップアップし、リーナスが前足で器用に最高級牛肉のピザと自家製ジンジャーエールをタップして注文をしていた。
「リーナスさん? ユーは何しにこのカフェに?」
俺はひきつった笑みを浮かべ、止めろという意志を優しく遠回しに伝える。
「む? 二時のおやつを食べに決まっておろうが」
駄目だこいつ、気遣いという言葉が脳内に存在していない。
こいつにとって気というのはつかわれるものであって、決して自分がつかうものではないのだろう。
実に羨ましい世界で生きているな。
「おいおい、さっき最新の限定版フィギュアを買わされて俺の財布はもう寒い、まさにブリザード状態になっているんだ。正直な話、外の温度の方が暖かいくらいだ。つまりジンジャーエールだけにしよう」
「そうか。ならば誠二。もっと労働するがよい」
リーナスはそういうと、話は終わったとばかりに俺の隣の席に跳びあがり、そのままあくびをして丸くなった。
何だろう?
言っていることは完全に正論のはずなんだが……なんか腹立つな。
いや待てよ、こいつは完全にたかっているだけ。
何も正論ですらない気がしてきた。
もういい! こいつのフィギュアなんぞキャンセ――
「あの……あなたが斎藤誠二さんでしょうか」
そう声をかけてきたのは、ヒューマンの男性、年のころは四十過ぎか。
身長は百七十センチほど、体格はやや痩せている。
短く刈り込んだ黒髪はスポーツ刈りで、少し前髪が落ちる。黒目。顔立ちは真面目で控えめな印象を与えた。
薄いフレームの眼鏡を着用しており、服装は青色のジャケットと白いシャツ、青いジーンズといったいでたちだ。
「あなたが高橋トオルさんですね。あぁ、どうぞ。お座りください」
俺は探偵の顔に戻り、正面の席を手で指し示す。
「失礼します」
そう言って座った彼は、緊張からか黙って俺を見つめてくる。
「それで、依頼したいことというのは?」
「えっと……」
言い淀んでいる。まぁ、この業界では稀によくあることだ。
依頼をしようと思いたってやってきたのはいいものの――いざ探偵を目の前にして実際にあれこれ話すとなると迷ってしまう。
気持ちはわからないでもない。何せ私立探偵というのは他人の人生の極めてプライベートな、しかも泥沼の底みたいな場所に首を突っ込むことが多い。
……最近の事件を思い返すと、どちらかというと地獄の底に首を突っ込んでいる気がするが……まぁいい、気にしないでおこう。
「大丈夫です。話を聞くだけでお金は取りませんし、もちろんここでの話はどこにも口外はしませんから」
俺はクライアントの警戒心を解くため、信用度を上げるために極上の笑みを浮かべる。
女性を誘惑するときの笑み、信用を得るときの笑み、情報を聞き出すときの笑み、相手を煽るときの笑み、状況に応じて使い分けられるのがプロの探偵だ。
「あ、はい……」
俺の笑みが功を奏したのだろう。彼は黙って俯いてしまった。
いや、功を奏してない気がする。
いや、この笑みがなければ即座に席を立っていたに違いない。
つまり笑みは効果的だった。
よし、じゃあもう少し緊張をほぐすために軽くジョークでも――
「高橋トオルさんといえば、高橋美幸さんの父親ですね?」
その時、腰からいつもの無機質な声ではなく、妙に優しげで慈悲深い女性の声が発せられた。それはまさしく聖母マリアのそれだった。
どうした雪風?
回路のどこかがショートして腹でも壊したか?
「あっ、はい! そうなんです」
高橋トオル氏が弾かれたように顔を上げて答えた。
高橋美幸?
誰だそれ?
とりあえず俺は、すべてを把握している笑顔で深々と頷いておく。
どうせ雪風は先ほどのやりとりの最中に、高橋トオル氏の身辺調査をしていたのだろう。
なんてやつだ。独立型人工知能は勝手なことばかり……存在が禁止されるのも当然かもしれん。
「高橋美幸さん、十三歳。新西京でも指折りの名門である聖エリュシオン学園に通っており、成績優秀でしたが……先月、盗品受け渡しの闇バイトで逮捕され、更には麻薬所持・中毒で現在治療中のはずです。あっていますか?」
「はい、あっています」
そう答えた高橋トオル氏の目に微かな怒りの炎が灯る。
おいおい、雪風大丈夫か? 怒らせてないか?
いきなり依頼人の触れられたくない心の古傷を抉りやがって!
これだから人の心の機微がわからない人工知能は。
俺は高橋トオル氏の怒りを収めようとフォローのため口を開――
「つまり、彼女に関する不可解な点の依頼、ということでよろしいのでしょうか?」
「はい。その通りです!」
高橋トオル氏は雪風のその質問に頷いた。
な、なかなか優秀な助手だな。
俺もそう言おうと思っていたんだ。
「娘がそれらに手を出したのは確かなことです。学校ももう……退学処分となりました。私はしがないミドルシドの平社員ですが、娘は本当に勉強が出来る自慢の子供でした。だからいい学校に行き、そこで頑張っていい企業に就職してハイシド持ちになってくれれば――そう思っていたのに……娘の人生が、そもそも……壊されてしまったのです」
そう苦し気に語ると、彼は頭を抱える。
俺は聞いてるだけで嫌な気分になってきた。
善意で敷いた道が地獄に続いている――これほど不快で悪い話もない。
「つまり、資本主義的階級闘争社会の勝ち組になろうと下剋上を狙ったら、失敗してしまったということか?」
机の下からリーナスが信じられないほどに空気の読めないことをほざく。
「えっと? 今どこから声が?」
驚いた高橋トオル氏が机の下を覗いた。
「あー、すみません。しつけのなっていないただの馬鹿猫の幻聴で――」
俺はフォローを必死に入れる。
「貴様、我が馬鹿だと?」
一触即発の危機――マスターが静かにやってくると、リーナスが勝手に注文したピザとジンジャーエールを机に置き、プロの足取りで静かに立ち去った。
ナイスタイミング。
俺は静かに机の下にそれらを置いた。
「おぉ! 我への供物が! 先ほどの無礼、特別に不問にしてやろうではないか」
アホは机の下でピザとジンジャーエールに夢中になった。
「で、我々への依頼とは何なのでしょうか?」
雪風がまた優しげに質問した。
「娘があのようになった理由を探ってほしいのです。恐らく、聖エリュシオン学園は何かおかしいんです」
彼の声に底知れぬ怒りと憎悪が混じり始める。
「私の一人娘を破滅させておいて……学園側は一切無関係と突っぱねました。私は納得がいきません……!」
そのハイシドに娘さんを仲間入りさせたかったんじゃないのか。と、言いたかったが、俺はプロとしてぐっと堪えた。だがまぁ、自分の子供が楽な暮らしをできるというのなら、させてあげたいと願うのが親心というものだろう。
「ふむ。つまり、娘さんが勝手に自爆したのではなく、聖エリュシオン学園内部にそうならざるを得なかった、あるいはハメられた原因があることを証明して欲しい、と?」
俺は確認のため声をかけた。
「はい。そうなります」
高橋トオル氏は最初の控えめな様子はどことやら。
力強く、すがるような目で頷いた。
さて……俺は頭脳をフル回転させる。
簡単に言ってくれるが……この人の言っている内容はかなりの高難易度ミッションだ。
聖エリュシオン学園といえば、新西京でも有名なエリート中高一貫校。
そんなところで麻薬? 闇バイト?
関係あるとは思えん。
学園側の言うことに一理ありそうなんだが……
下手に突っついたら顧問弁護士団に訴えられて、俺みたいな零細私立探偵なんぞ圧殺されてお終いだ。
俺にもパトリックやスペンサーのように敏腕弁護士のお友達がいれば話は別なのだろうが。
そもそも、あんな厳重なセキュリティに守られた場所の闇を暴くとなると、潜入捜査でもしないと厳しいだろう。
下校中の生徒に声かけただけでアルゴスセキュリティがすっ飛んできかねん。
そうなると潜入捜査しかないが――俺の年齢で高校生です。と、制服を着るのは無理がある。
魔術で…………見た目を若くしたり幻覚系の……いやいやいやいや、高校なんて朝八時過ぎから午後三時とかまで普通に拘束される世界だぞ……ありえん。そういった系統の符を毎日買って俺が起動し続ける?
精神疲労で倒れるわ! リーナスにさせるか? これも現実的ではない……もしくは変装……一日くらいならまだしも、長期間ともなると顔が蒸れて大変なことになる。
それにもし万が一バレたら、即座に俺は社会的にも物理的にも死ぬ。アウト。これは駄目。絶対に駄目。
教師で潜入は――これも厳しそうだ。
そこらの学校ならまだしも、聖エリュシオンクラスの学校だ。
採用基準や身元調査は厳しいはず。
そうなると用務員とか?
もしくは学園側にコネがあれば売店の店員といった身分あたりで潜り込めそうではあるが……さすがの俺といえどもそんなコネはない。
つまりこの依頼は構造的に詰んでいる。
俺は断ろうと口を開いた。
「この依頼は――」
「――謹んでお受けいたします」
雪風が俺の言葉に思いっきり割り込んで、勝手な事を言い出した。
え? お受けいたします?
俺が金魚のように口をパクパクしていると何やら勝手に話を進める。
「ただし、相手がハイシドの特権学校である以上、必ず成功するという確約は出来ません。それでもよろしければ料金はこのようになっていますが? とりあえず一ヵ月分の料金は先払いでこちらになります。また、別個に経費を請求させていただくことになる場合もあります」
そう雪風は言いながら俺の二か月分ほどの生活費を提示した。
まぁ一か月ならその料金で適正ではある、あるが――そもそもこの依頼、達成できる可能性が低い。
ここは断るべきだ。
俺はチャットを開始した。
(雪風!)
(なんですか?)
(勝手にうけるんじゃない!)
(私がシミュレーションした結果、あなたが無駄にネガティブなリスクを並び立て、依頼を棒に振る確率は八十九パーセントでした。成果がでるかでないかはやってみなければわかりません)
(やれるかも怪しいのに依頼をホイホイ受けるのは、俺のポリシーに反する)
(そのポリシーで食べて行けるのですか?)
くっ……それを言われると辛いものがある。
(それとこれとは別だ)
(別ではありません。それに、私のシミュレーションでは調査そのものは可能と出ています)
なんだと……?
俺の考えつかない可能性とやらが?
とりあえずその内容を確認しよう。そう思った矢先のことだった。
「わかりました」
料金を見て一瞬悩んでいた高橋トオル氏が、頷いた。
え?
ちょっとお父さん! 決断が早すぎる。
まだこっちは雪風と激しい労使交渉の真っ最中で……
「ありがとうございます。進捗があり次第、こまめに報告は差し上げます。途中で依頼を切り上げたいとなった場合はご一報ください。日割り計算で料金を返却いたします。もちろん、高橋さんのご希望に沿えない結果となる場合もありますが、そこはご了承ください」
「えぇ、わかっています! もちろんです」
高橋トオル氏は頷くと、料金を手早く振り込んだ。
おぉ、なんという敏腕秘書雪風……俺が何か言う間もなく依頼を締結してしまった。
高橋トオル氏が、心なしか救われたような足取りで店から立ち去った後。
俺は紅茶をゆっくりと流し込み、溜息を一つついた。
店内のBGMに耳を澄ませる。久々に事務所に帰ったらブルースハープでも取り出して聖者の行進を吹いてもいいかもしれない。
そして俺はおもむろに雪風に質問をした。
「で、プランは? シミュレーションとやらをしたら調査そのものは可能だったんだろう? どんな天才的な手法を考え出したんだ?」
俺のその問いかけに対し、雪風は自信満々に答えを返してきた。
「誠二――私の高度並列シミュレーションの結果、あなたがこれから、何か素晴らしい潜入のアイデアを思いつくという確定未来が出ました。さあ、プロの探偵としての知恵を絞り、私のシミュレーションの正しさを証明してください」
おい、ふざけすぎだろこのポンコツ│独立人工知能。




