第一話 金は天下の――
一月二十八日 午前十時
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所(斎藤誠二)
その日、俺は事務所の自分の椅子に座っていた。
「誠二、決断の時です」
俺の腰から響く落ち着いた女性の声。
断固たる口調で急かしてくる。
腰のホルスターに収められた銃を棲み処とする独立型人工知能雪風だ。
俺はそれに答えず事務所の椅子の背もたれに背中を預けたまま左に目をやる――窓の透過機能をオン。
大黒天通りを歩く人々が視界に飛び込んできた。
ヒューマン、エルフ、オーク、ドワーフ、ゴブリン……様々な種族で構成された人混みだ。
まだ一月の寒い盛り。
道行く人達もまた寒そうにコートの襟を立て、ネオンの熱気すら凍り付かせる寒風に体温を強奪されないよう、細心の注意を払って歩いている。
俺は窓から目をそらしてもの思いにふけった。なんと幸せな日なのか。何せ暖かい事務所にいるし、実に珍しいこと、あるいは奇跡的、もしくは本当に些細なことだが――
――前回の豪華客船のボディガードの依頼は赤字にならず、大幅に黒字で懐まで温かかった。
まぁ、最初約束した報酬だけでいいとどれだけ言い張っても、無理やりお金を渡してきたルーブとシーリー兄妹のおかげなのだが。
というか、受け取らないならいますぐ告白の責任取って結婚しろってどういうことだ?
何の責任だ?
そもそも告白なんてしてないし。
俺と違う論理体系で生きているとしか思えん。
まぁいい、あんな狂人のことは忘れよう。
もう会うことも無いだろう。
「しかしな……この間のアベルとの電脳戦はどうにかなったわけだし……ここはやはりエイドリアン・マッキンティの復刻版を全巻揃えるべきではないだろうか?」
俺は本棚の空きスペースを優雅に眺めつつ、相棒への説得を開始した。
「正気ですか? 前回、我々がどれだけの薄氷を踏むような綱渡りを強いられたと思っているんですか? 敵のAIのアベルはスペックでは私に劣りましたが、演算性能の差で押されていたんですよ? つまりあなたがケチって貧乏くさい骨董品同然のチップしか揃えていないせいで危うく我々は――」
俺は意識から雪風の小言をシャットアウト。
確かに奴の言い分には十分の一理ある。
ある、が……久々に銀行口座の桁数がまともな数字を示している。この命がけで稼いだ血税、いや血稼ぎ(?)を、すべて奴のメインフレーム強化のためだけに注ぎ込むというのは、果たして私立探偵として正しい資本の再投資なのだろうか?
俺は甚だ疑問を感じていた。
「なぁ誠二……我が思うに……この事務所、少々華やかさが足りぬのでは?」
軽やかな音を立てて机の上に飛び乗ってきたのは、赤い首輪をした黒猫のリーナス。
緑色の瞳が俺をじっと見つめてくる。
「ほう。華やかさ? 俺という新西京でもトップクラスに洗練された男がここに座っているだけでは足りないか?」
とりあえず百パーセントろくでもない寝言が返ってくるのはわかっているが、一応聞いてやるのが紳士の義務というものだ。
俺は頷いて先を促す。
「うむ。やはりここは、最新のマジカル・ルルの限定版フィギ――」
俺はマジカルという空気振動を鼓膜が捉えた瞬間、奴の声を意識からシャットアウトした。
やはりか。
いい加減にしろよまったく。
これは俺が命がけで稼いだ金だぞ?
いや、リーナスも雪風もあの沈没船では良く働い……まて、リーナスはちょっと魔術を使った後、終盤はカルーアミルクをラッパ飲みしたあげく、酔っぱらって俺にクダをまいていただけだった気がする。いや、気がするじゃなくてそうだ。
なめてるなこの猫(?)。
その時、俺のホロリンクに着信が入る。
表示された名前はトルネロ。
ヒューマン。男。五十代。
褐色の肌、見事なまでに磨き上げられた禿頭。
白いダブルのスーツを豊かな肥満体型に窮屈そうに押し込んだその男は、新西京の裏側を繋ぐ仲介屋。
そいつの丸々とした立体画像が目の前に表示された。
「なんだ?」
俺は決して歓迎していないことを表すため、いつもより五度ほど声の温度を下げて挨拶をしてやる。
「おう誠二か! 何やら大変だったようじゃのぉ!」
「あぁ、おかげさまでな」
俺はパンにたっぷりとジャムを塗るように、嫌味をたっぷりと塗って言ってやる。
大体お前の手配したフルメタルキッチンのせいで、俺は今でも『サー! イエッサー!』の幻聴に怯えているんだからな。
PTSDと言ってもいい。
挙句の果てに中華鍋で戦ったり弾丸ケチったり大変過ぎた。
「ブラックスティール社の首輪付きとやりあってよく五体満足で生き残れたもんじゃのぅ。流石わしの見込んだ超一流のアンダーよ」
俺の嫌味をガン無視して言いたいことをほざく。
そもそも俺はアンダーじゃなくて私立探偵だ。
「俺も信じられないよ」
俺は重々しく言ってやる。
「そうじゃろう」
「俺と同等の銃武がいるなんてな」
俺は腕組みをして目をつぶり、頷きながら続けた。
「それを世間では自意識過剰ってゆーんじゃぞ」
トルネロが突っ込む。
「そっちですか」
雪風が呆れた声を上げる。
「調子に乗っておるな」
リーナスは興味を無くしたようで、机の上から降りるとリズミカルな足音を立てながら部屋の隅に水を飲みに行った。
「いや――マジな話、あの女はやばかった。色んな意味でな」
赤毛のボブカット、金色の瞳をしたカインというコードネームを持つダークエルフとの死闘を思い出して俺は顔をしかめた。
あの底知れない狂気と美貌と強さ――二度と会いたくない。
「首輪付きは情報が少なくてのぉ。ただ、カインというコードネームのSランクのアンダーがおることはわかったぞ。ただ、噂話レベルじゃが」
「やはりか」
名前しか伝わっていない――なるほどな、超一流のアンダーだ。
「で、その話のためにわざわざ?」
「いやいや、お前、今大金稼いだんじゃろ? 丁度手元に払い下げのLASが余っとってな。一台どうじゃ?」
もみ手をせんばかりの営業スマイルで何やら言い出した。
「あ・の・な。どこに置いておくんだ?」
ふざけるなよ。
「標準仕様のドラグノフじゃから、屋内機動モードにしておけばお前の事務所にも入るじゃろ?」
俺は事務所を見回す。
ふむ。確かに結衣のデスクと炬燵をしまえば置けなくもないな。
問題は、この事務所が「探偵事務所」であり、いろんな奴が出入りすることだ。
警官とか?
軍隊とそれに準ずる組織以外が所持を禁じられているLASをアルゴスセキュリティの岩村が見たら何て言うだろうな?
「論外だ。俺は新西京で第四次世界大戦を起こす気はない」
「おいおい、お前――」
俺はこれ以上、悪徳商人の寝言に付き合う気は無かったのでホロリンクの通話を一方的に切った。
なんだ?
俺がちょっと小金持ちになったと知った途端、どいつもこいつもハイエナみたいに群がりやがって。
これが資本主義社会の腐った病理か?
しかし、LASがあればカインと再戦しても楽に勝てそうだ。
違う。俺が考えるべきはカインともう会わない方法だ。
俺をお持ち帰りして愉しむとか、本人の目の前で公言する痴女なんかと二度と会いたくない。
「で、フィギュアを買うのだろう?」
戻ってきたリーナスが俺の足元でズボンの裾を引っ張る。
「当然、軍用規格の超並列演算チップですよね? それでは購入手続きに入りますがよろしいですね?」
猫と人工知能が脅迫してくる。
まともに考えるなら生き残るための答えは一つしかない。
「わかった。雪風、チップを全体的に最新型に買い替えよう」
「当然ですね、誠二」
満足げに澄ました雪風の声。
「なぜだ!? どう考えてもフィギュアの流れであっただろう!?」
リーナスが絶望と怒りの叫びをあげた。
俺に見えない何かが見えているようだが……こいつの目は節穴か?
はっきり言えば、そんな流れはこの部屋のどこにもなかった。
いや、宇宙にすら。
「……フィギュアも一つだけ買ってやる。だからそんな顔をするな」
しかし、俺は買ってやることにした。
「なんと!?」
リーナスが一瞬で機嫌を直し、尻尾を振りながらうろうろしだした。
「エイドリアン・マッキンティは……ま、次の機会だな……」
俺は窓の透過をオフにし、マリアナ海溝よりも深い溜息をついた。
結局、俺の懐に残るはずだった大金は、一瞬にして電子の海へと消えていく。
金は天下のまわりものとはよく言ったものだが、俺の周りを回ってよそへ飛んでいく速度が速過ぎる。もう少し俺の周囲を周回しててもいいんだぞ?
世界の謎の法則に憂鬱になっていると、俺のホロリンクに今度はメールの着信が入った。
なんだ?
今度は誰が俺の懐から金をかすめ取ろうと――
<依頼人あり。午後二時に来店予定>
違った。
金をむしり取りにくるハイエナではなく、お金をくれる神様の方だった。
「依頼だ」
まだ時間はある。アビシニアンには十分程前に着けばいいだろう。
それか早めに行ってあっちで昼飯を食べるという手もあるな。
椅子から立ち上がると、俺はゆっくりと準備をすることにした。
まだ、俺は知らなかった。
この何気ない一本のメールが、まさかあの小汚いガキ――リンクスにフリフリの衣装を着せ、新西京で最も格式高いお坊ちゃま学校の門をくぐらせる羽目になる、最悪の喜劇の幕上げだったなんてことは――




