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第十一話 探偵はコンサート会場にいる

 午前五時

 新西京四区 猿渡宅前駐車場(猿渡)


 目の前に立つ誠二を見た瞬間、俺は全てを悟った。唐突なコム通話。宍戸への言及、そしてこのタイミングでの出現。こいつだ、こいつが全ての元凶だったのだ。


 どうする? 考えろ。俺はこいつをよく知っている……誠二はやるときは一切の容赦なくやる男だ。


 どうにかして裏をかくしかない。


「俺の知る限りじゃあ……こいつは結構な高級車だったはずだが。お前、確か通話では給料が安くて買えないとか言ってなかったか?」


 誠二が俺のスポーツカーを指関節でコンコンと叩く。


 九十九%、こいつは俺が宍戸にドラッグを流したと確信している。

 だが残り一%、俺が『会社に脅された被害者』である可能性を捨てきれずにいやがる。

 その一%を確かめるために、わざわざこんなところまで来やがったんだ。

 甘い、甘いんだよ。こいつの捨てきれないその一%の甘さが、俺のつけ入る隙だ。


「あ、あぁ……お前に説教されるのかと思ってさ……言えなかったんだよ……」


 言い訳をしながら奴を観察する。

 そういえば――奴がさっきから抱えている穴のあいたぼろぼろのぬいぐるみは何だ?

 おかしい。アレに賭けるしかない。どうせこのままやりとりしていてもバレる。

 俺は掴んでいたキャリーケースを投げ出し、両手で顔を覆う。


「そうだよ! 俺はドラッグを宍戸に横流していた! 悪かったと思っている! ニュースを観て、ヤバいと思って逃げようと思ったけど、お前の顔を見て目が覚めたよ……魔が差したんだ、誠二!」


 そういいつつ一歩、二歩と、後悔に打ち震えるふりをしながら近づく。少し離れた場所に座っている黒猫が鼻を鳴らした気がする。いや、あんな畜生にかまっている場合じゃあない。


「お、おい――」


 まさかいきなり俺が罪を認めるとは思わなかったのだろう。誠二の目が戸惑いに揺れる。

 ゆっくりだ。急な動きは駄目だ。緩慢な動きで誠二に近づく。


「俺はなんてことを……最低だ……」


 心にもないことを言いながら誠二に向かう。あと少しだ。


「そうだな……だが、罪を償ってやり直そう。まだ間に合う」


 俺がアルゴス・セキュリティに自首だと?

 ほぼ確実に獄中で不審死を遂げるだろう。企業は自分たちの評判を下げる害虫を生かしておくようなことはしない。


「そのつもりだ……ん? このぬいぐるみ、どうしたんだ?」 

 俺は、縋り付くような動作で、誠二の抱えているぬいぐるみに手を伸ばした。

「あぁ、こいつは――」


 誠二が答える瞬間に、俺はぬいぐるみを強引に奪い取って後ろへ飛び退いた!


「おい!」


 誠二が驚いた顔で動こうとしたが、すぐに顔をしかめた。こいつ……怪我をしているな。

 運は、まだ俺を『勝ち組』から引き摺り下ろしてはいないらしい。


「動くんじゃねぇ!! このぬいぐるみをばらされたくなかったらなぁ!!」


 尻ポケットから銃を抜いてぬいぐるみに突きつける。

 はっきりいってぬいぐるみを人質にとるなんて正気じゃない。

 だが、そもそも斎藤誠二という男はいかれている。なら、これくらい狂ってるくらいで丁度いい! 


「わかったよサル、だからとりあえず落ち着け」

 誠二は両手を上げて落ち着いた声色で俺に語り掛けてくる。

 それが猶更、俺の怒りを搔き立てた。


「サルは止めろって言っているだろうが!! そこをどけ! 俺はまだ終わっちゃいないんだよ!!」

「出頭しろ。今ならまだ軽い罪ですむかもしれん」


 誠二の冷えていく態度に反比例して、俺の熱は高まっていく。

 軽い罪ですむわけが無いだろうが――綺麗ごとばかり並べたてやがって!


「お前はいつもそうだ……!! 正義漢ぶりやがって……! 俺はお前と組んでいたせいで、皆が普通にもらっていた袖の下ももらえないでなぁ!! うんざりなんだよお前には!」


 俺はずっと抱えていたこいつへの不満をぶちまける。


「えっ……賄賂を受け取らないのは当たり前だろ……それに皆は言い過ぎだ」


 しかし、誠二は俺の想定外の表情――驚きと哀愁――を浮かべただけだった。


「綺麗ごとぬかすな! お前だって金が欲しいはずだ!! そうだ、そこのキャリーケースにある金、半分やる。だから見逃せよ。このぬいぐるみも無傷で返してやる」


 わかっているんだ。街で薬の売人やスリ、ストリートギャングから巻き上げる程度の賄賂なら我慢できても、本当の大金に抵抗できる奴なんて――いやしない。


 誠二は深いため息をついた。

 そしてこれまで俺に向けた事のない――賞味期限切れの缶詰を見るような――冷徹な視線を向けてきた。


「いいか――何か誤解があるようだが――俺は自分のやっていることを()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺は今日、たった一人を救うために二十人以上殺してきたんだ。そこにお前一人追加したところでなんとも思わん。これが正義のヒーローの台詞だと思うか? 俺はいざとなればぬいぐるみがどうなろうとお前を殺す。絶対だ。いくら積まれようと金で俺は動かん」


 俺の背筋が冷えていく。こいつ、本気だ。今ここで俺を殺すつもりだ。ダメだ、こいつに飲まれたら終わりだ。

 はったりだ! やれるわけがない! やれるならこいつはとっくの昔に俺を撃っている!!

 撃ち合いじゃあ勝てないかもしれないが――こいつのことなら俺はよく知っている!!


 俺は怒りで恐怖を上書きする。


「だが、可能ならそんなことはしたくない」

「や、やってみろよ!! しかしな、いくらお前が速くても確実にこのぬいぐるみはもっと壊れることになるぞ!!」


 俺は人質のぬいぐるみに銃口を更に押し付けた。


「そうは言ってもな……そこのキャリーケースに詰まっている現金無しでどう逃げるつもりだ? キャリーケースをとるにはそのぬいぐるみか銃を捨てないといけない。もうお前は詰みなんだよ」


 こいつはこんなことを言っているが、ぬいぐるみがどうでも良いなら俺はとっくに撃ち殺されているはずだ。

 つまり、このぬいぐるみはこいつにとって金よりも大事な何かなんだろう。


「じゃあせめて、俺が死ぬ前にこのぬいぐるみにも死んでもらうとするか!!」


 俺はこれ見よがしに銃の撃鉄を上げる。


「もしそうなったら……楽には死ねないぞ」

 誠二の押し殺した声を聞いた瞬間――俺は確信した。


「おっとぉ? やはり大切な何かなんだな? 最初からくさかったんだよ! ぬいぐるみとかハードボイルドな俺は興味ないとか言っていたお前が! 大事そうに抱えてたのを見た時から――お前の弱点です~って臭いがぷんぷんしていたんだよ!」


「そのぬいぐるみは――そのぬいぐるみはなぁ! お前のせいで今、死にかけている女の子の大切な友達なんだよ! 汚い手を離せ! 彼女は母親もドラッグで失っているんだ! 全部お前ら糞どものせいだ! これ以上彼女から奪わせるかよ!」


 俺が誠二と組んでいた時期、短期間だったが――こいつの軽口しか聞いたことはなかった。

 その誠二が、俺の前で初めて感情を爆発させた。

 どうやらこの甘っちょろい言葉が、こいつの軽口に隠された本音だったようだ。


「へっ、へへへ!! そんなこったろうと思ったぜ!! いやだね!! こうなったらこの熊公も道連れだ!! お前だって長年のつきあいの俺からは奪う癖にきれいごとを言うんじゃねぇ!!」

「ふざけるな!! 何人もの人生を無茶苦茶にしておいて被害者面か?」

「お前だって俺の人生を無茶苦茶にしてくれたんだよ!! だいたいお前の知らない奴がドラッグでどうなろうと何の関係があるんだ? あぁん?」

「俺は私立探偵ハードボイルドだぞ? 目の前に救える誰かがいるなら救う。それだけだろうが!」


 何を言いやがる。ハードボイルドなんてな――とっくの昔に時代遅れなんだよ!


「その救える誰かの中に俺は入ってないみたいだけどなぁ!」


 ***


(雪風)

 雪風はスリープに入って三時間経過した時点で復帰していた。優先順位は自分の機能修復。だが、外部からの音声入力を解析する限り、誠二は極めて非論理的な窮地に立たされている。二人の討論は最早混沌の極致。


 演算開始:現状維持の場合――ヒートアップした猿渡がぬいぐるみを破壊する確率は八十八%。


 誠二は自らを犠牲にしてまでぬいぐるみを守ろうとするか?


 YES。


 非論理的すぎる。だがそれが斎藤誠二という個体だ。

 もしぬいぐるみが修復不能なまでに破壊された場合、誠二の精神的デバフの長期化は確実。

 

 シミュレート:とても面倒。回避推奨。

 

 雪風は思考する。この局面を打開する一手を。

 猿渡の銃をハッキング?

 

 状態確認――オフライン。干渉不可。


 ぬいぐるみの個体名「チャーリー」。自律行動AI搭載。


 現状、銃撃により制御回路が破損。雪風の外部割り込み命令による強制駆動。

 成功確率:不明。成功した場合、猿渡に何らかの隙を生み出せる可能性有。


(誠二。チャーリーに外部刺激を与え、何らかの動作をさせられる可能性があります)

(雪風? 無事だったのか?)

(私の心配は不要です。それよりも現状の打開を)

(……やれるのか?)

(解りません。ですが、試す価値はあります)

(解った。お前に任せる)


(ふっ……誠二。甘い、甘すぎる。まったく愚昧なるは人類よ。クズはどうあがいてもクズである。お前は歌でも歌っているが良い)

 リーナスが割り込んでくる。だが、私は既にオペレーションに入っている。

 無関係。

 恐らく何らかの支援表明と推測。

 いつも通り意味不明。


 推奨行動:無視


(は? ふざけんなよリーナス。今は冗談を言っている場合では――)

(我は真面目だ。奴の気を逸らすが良い。ラットシンカービートを所望する)

(わかったよ。グラミー賞ものの美声を披露すれば良いんだろ!!)




 ***


(猿渡)

 クソ! 手詰まりだ! しかたねぇ、こうなったら誠二の野郎が嫌がることをやれるだけして死んでやる!!

 俺がぬいぐるみの喉元に銃口を押し込み、指に力を込めた、その時だった。


 目の前の誠二が、突然、腹の底から大声で歌い始めた。


「なんだお前!? ふざけてんのか!! 下手糞な歌を聞かせんじゃねぇ!!」


 俺の怒りの声を無視して誠二の野郎は歌い続けている。許せねぇ……ここまで俺をコケにしたやつは初めてだ……!! しかもたいして上手くもないのがより俺の怒りを掻き立てる!


 ***


(雪風)

 雪風はチャーリーに対して外部コマンドを送信。


 入力:音声出力コマンド『ケイちゃんを酷い目に会わせたお前を許せない』

 反応:無反応ネガティブ

 結論:チャーリーは既に機能停止済み


(誠二。ダメです。チャーリーはもう……)

(歌い損かよ!! クソ! ここでも早抜き勝負か?)


 ***


(斎藤誠二)

 俺は迷っていた。いくらなんでもここから俺が銃を抜いて目の前のクズを撃つ前に、奴の銃はチャーリーをぶち抜くだろう。

 チャーリーはケイちゃんの親友でもある。目の前のクズは後から地の果てまで追いかけて行ってぶち殺せもしようが――チャーリーがこれ以上ぼろぼろになったら修復しても別物になりすぎてしまうだろう。彼女の哀しそうな顔が脳裏に浮かぶ。


 クズを消すか、あの子の親友を守るか――


「……。わかった。俺の負けだ。サル、いけよ」


 悩むことなんて最初から何も無かった。今日は、今日だけは――見逃してやる。


「へっ、へへへ!!……甘い! 甘いなぁ誠二ちゃんよぉ!! さっさと俺の車にキャリーケースをつめ!!」


 サルが下卑た笑みを浮かべ、俺に指示を出してくる。

 俺がキャリーケースを掴んだ――その瞬間。


「お前か……ケイちゃんを……ひどい目に合わせたのは……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺……スコロス殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺すコロスコロスコろス殺殺すころす殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」


 突然チャーリーから大音量で殺すコールが発せられた。


「な、なんだ!? 黙れ!! 壊れかけの分際で!!」

 怨嗟の連呼に、サルの顔が恐怖で引き攣る。

「お、俺じゃねえ!! 撃ったのは俺じゃねええええ!!」


 悲鳴を上げ、サルはぬいぐるみを取り落とす。一歩、二歩、狂乱状態で後ろへ下がる。


 そこには――俺が歌って気を逸らしている間に、リーナスが凍らせていた路面があった。


「あ――」


 サルの足が空を切る。派手に転倒した衝撃で、握りしめていた銃が火を噴く。乾いた銃声が響き渡る。放たれた弾丸は、皮肉にもサルの胸を正確に撃ち抜いていた。


「サル……」


 何故だろう。

 さっきまで殺す気満々だったのに――糞野郎が死んだだけなのに――サルを呼ぶ俺の声は、少しだけ沈んでいた。


「へっ、へへへ……サルは止めろって、言って……るだろ……」

 

 夜明け前の駐車場。かつての相棒の瞳から、光が消えていく。


 こうして俺は――また一人友達を失った。


 そして、夜明けの光に包まれる、駐車場にただ立ち尽くしていた。

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