EP16 新たな力
レオンはカトレイユ領の作業場に閉じこもってから、すでに三日が経っていた。机の上には宰相領で得たデータが山積みになり、薄汚れた羊皮紙の間に数式やスケッチがびっしりと書き込まれている。
**詰まり、淀み、枯渇――この世界の病はいつも同じだ。**
彼の指が計算板を滑る。宰相領で見た巨大な核魔石のひび割れ、貧しい農地を潤すための魔力供給の不安定さ、そして何よりカイルが刺客から身を挺して守ってくれたあの夜の光景が、彼の脳裏をよぎった。
「ポッドだけじゃ足りない……」レオンは独り言のように呟く。「街全体を支えるには、もっと大きな『心臓』が必要だ」
作業場の隅には、これまで使ってきたスライム・ポッドがいくつか積まれている。あの青く輝く樹脂製の袋は辺境の村々では十分だったが、宰相領のような大規模な領地には明らかに容量不足だった。
**まるで点滴一本で大病院を支えようとするようなものか。**
レオンの目が机の上のスケッチに注がれる。そこには部屋全体を覆う巨大な水槽の設計図が描かれている。強化ガラスとスライム樹脂を組み合わせた複合構造――まさに「スライム水槽」と名付けるに相応しい規模感だ。
「てめえ、また変なものを作ってるのか?」
ドアが開き、包帯姿のカイルが現れた。左腕の傷はまだ完全には癒えていなかったが、彼の歩く様子には既に平常時の威勢の良さが戻っていた。
「君を守るためのものじゃない」レオンは微笑んだ。「今回は、領地全体を守るためのものだ」
カイルが眉をひそめてスケッチを覗き込む。「でけえ水槽だな。これで何をするんだ?」
「単一の核魔石に依存する危険性をなくすためだ」レオンの指が設計図の一点を指す。「ここに二機の水槽を並列設置する。万が一一方が故障しても、もう一方でシステムを維持できる」
**デュアル・リダンダンシー――前世の病院のバックアップ発電機と同じ原理だ。**
カイルは首をかしげた。「てめえの言うことはよくわからねえが、要するに予備を作っとけってことか?」
「その通り」レオンは頷いた。「だが、単なる予備じゃない。高級魔石からも効率よく魔力を抽出できるよう、周波数の調整が必要なんだ」
彼の手が机の上の小さな実験装置に向かう。そこには様々な大きさの魔石が並び、微妙に異なる青い光を放っている。
「見てくれ」レオンが装置のレバーを操作する。「くず魔石は低い周波数で反応するが、高級魔石はより精密な調整が――」
その瞬間、作業場のドアが勢いよく開いた。辺境伯家の伝令が、息も絶え絶えに駆け込んでくる。
「レオン様!緊急事態です!」
レオンとカイルの顔が一瞬で硬直した。
「どうした」カイルが鋭く問い質す。
「守旧派貴族の連合軍が、カトレイユ領に侵攻してくるという情報が入りました!」伝令の声は震えている。「エリート魔導師部隊を中心とした大軍です。『田舎の村など、広域破壊魔法一発で灰にできる』と豪語しているとか……」
レオンの指が無意識に机を握りしめた。**来たか。**
「兵力は?」カイルの声は低く、危険な響きを帯びている。
「三百ほど。しかし全員が高位魔導師です。我々の義勇兵では太刀打ちできません」
レオンは静かに立ち上がった。「大丈夫だ」
「てめえ、何を言ってるんだ?」カイルが鋭く言い放つ。「あいつらは本気で領地を滅ぼしに来てるぞ!」
「だからこそ、準備はできている」レオンの目には冷静な決意が光っていた。「ちょうど良い実証実験の機会だ」
***
その日、カトレイユ領は異様な光景に包まれた。
レオンの指揮の下、領民たちが特殊な樹脂液を建築物の壁面に塗布していく。それはスライム原液に魔法吸収特性を持たせた新開発のコーティング材だ。
「均一に塗ってくれ」レオンが指示する。「厚みが0.5ミリ以下になるよう注意しろ」
**前世の防弾チョッキの原理――衝撃を分散させる繊維層のように。**
夕日が差し込むと、樹脂膜が乾き始めた建物の壁が虹色に輝き出した。領地全体が巨大なシャボン玉の中に閉じ込められたかのような、幻想的かつ不気味な光景が広がっていた。
「これで本当に魔法が防げるのか?」老農民が不安げに尋ねる。
レオンは確信に満ちた頷きを返した。「防ぐのではない。吸い取るんだ」
彼の手元では、義勇兵たちに配布するための魔法防護服の最終調整が行われていた。スライム樹脂を織り込んだこの衣服は、着用者を魔法攻撃から完全に保護するように設計されている。
「てめえ、ほんとに変なものを作るな」カイルが試着用の防護服を手に取り、感心したように言った。「これで俺も魔法が使えなくなるのか?」
「敵味方関係なく、魔法エネルギーを吸収する」レオンが説明する。「だから今回は、純粋な肉弾戦になる」
カイルの口元にワイルドな笑みが浮かんだ。「それなら俺の出番だな」
***
侵略軍が現れたのは、それから二日後の朝だった。
地平線の彼方から、華やかな魔導師の集団が近づいてくる。絹のローブに身を包み、杖には宝石がきらめく――まさに守旧派貴族の子弟たちの典型的な姿だ。
「見ろよ、あの田舎の貧相な建物を」先頭の魔導師が嘲笑する。「我々の魔法の前には、一瞬で塵と化すだろう」
レオンは領地の門の上に立ち、冷静に敵軍を見下ろしていた。彼の背後では、二機のスライム水槽が低い唸りを上げて稼働している。
**さあ、ストレステストの始まりだ。**
「全軍、攻撃準備!」敵将の号令が響く。
数十人の魔導師が一斉に杖を掲げた。空気が震え、強大な魔力が渦巻く。
「ファイア・ストーム!」
「サンダー・ブレイド!」
「アイス・レイジ!」
豪炎、雷撃、氷結――ありとあらゆる高位魔法がカトレイユ領に向かって放たれた。その光景はまさに天地を揺るがす破壊の奔流だった。
しかし――
「な、なにっ!?」
魔導師たちの驚愕の声が上がる。放たれた魔法が領地の境界線に達した瞬間、虹色に輝く透明な膜に触れ、パシュンという静かな音を立てて霧散してしまったのだ。
豪炎は火花に、雷撃は静電気に、氷結はかすかな冷気に変わり、何事もなかったかのように消え去っていく。
「不可能だ!我々の最高位魔法が……!」
レオンは微かに笑った。「魔法を無効化するのではなく、エネルギーを吸収しているだけだ」
彼の合図で、カイル率いる義勇兵たちが突撃を開始した。魔法防護服に身を包んだ兵士たちは、無力化された魔導師たちに向かって猛スピードで迫っていく。
「くっ……接近戦か!」敵将が焦りの声を上げる。「魔導師諸君、後退を――」
しかしその言葉は遅すぎた。カイルの大剣が既に最初の魔導師の杖を真っ二つに断ち切っていた。
「魔法が使えねえなら、てめえらなんざ子供同然だ!」カイルの咆哮が戦場に響き渡る。
魔導師たちはパニックに陥った。彼らは生まれてこのかた、魔法以外の戦い方を学んだことがない。義勇兵たちの素朴だが力強い攻撃の前には、全く無力だった。
レオンは門の上から冷静に戦況を見守っていた。時折、逃げ惑う魔導師たちが放つ必死の魔法が領地の障壁に触れ、美しい虹色の波紋を描いて吸収されていく。
**エンジニアを敵に回すということは、自慢の『理』を書き換えられるということだ。**
戦いは一時間も経たないうちに終結した。三百人の魔導師部隊は全員が捕虜となり、彼らの誇りだった杖は粉々に打ち砕かれていた。
カイルが血の気のない顔をした敵将を引きずりながら、レオンの元に戻ってきた。
「てめえの技術、恐ろしいな」カイルは笑いながら言った。「あいつら、完全に戦意を喪失してやがる」
レオンは捕虜たちを見下ろし、静かに告げた。「これが新しい現実だ。魔法至上主義の時代は終わった」
夕日が沈み始め、スライム水槽の青い光が領地を優しく照らし出していた。二機の水槽が奏でる重低音は、まさに新たな時代の鼓動のように響いていた。
レオンはその光景を見つめながら、心の中で呟いた。
**これで多くの命が救える。でも、戦いは始まったばかりだ。**




