8. 怪盗令嬢の予告状
今日も今日とて、魔法薬局ではフレイヤが仕事に精を出していた。
時刻は夕方。
閉店まで、あと少しだ。
体の弱いブリギッタは、早々に裏手にある自宅に戻っている。
フレイヤは眠り薬を処方したから、明日の朝までぐっしり眠って起きて来ないだろう。
フレイヤは、窓際でまどろむ黒猫に目を向ける。
愛猫ヴィオレの印象的な瞳は、瞼に隠されていた。
夕日に照らされ、ヴィオレの体はほのかに、虹色に輝いている。
「不思議ねえ」
思わず、フレイヤの口からそんな言葉が漏れた。
「ラルス・タンザナイトは、堅物で真面目──そう思っていたのに」
王立憲兵騎士団の団長ラルス・タンザナイト。
彼が王太子の側近ヤフェス・マクネアに呼び出されたと、フレイヤは知っていた。
そこで、なかなか捕まらない怪盗令嬢について根掘り葉掘り訊かれたことも。
何のことはない。
ヤフェスは、王太子ケンドリック・ハウライトへの報告に足る情報が欲しかっただけだ。
ケンドリックにどやされるから、怪盗令嬢を捕まえなければならない。
それに向かって努力している。
そう見せなければならない。
怪盗令嬢を捕まえられないことで、ケンドリックの治世に悪影響があってはならないのだ。
庶民人気が高い怪盗令嬢も、貴族には受けが悪い。
当然だ。
怪盗令嬢が盗むものは、価値のある宝飾品──それも、歴史的価値の高いものばかりなのだから。
庶民には縁がないが、貴族にとっては家宝である。
今はケンドリックの能力の高さで貴族は一枚岩だ。
だが、怪盗令嬢の存在は、ケンドリックの権力に影を落としかねない。
「ケンドリックたちが焦っていることは分かっているでしょうに──なぜ、ラルスは黙っていたのかしら?」
最も重要なこと。
それは、怪盗令嬢が黒髪だということだ。
ただの黒髪ではない。
彼女以外、誰も持ち得ない黒髪は七色に輝く。
世界をくまなく探せば他にも居るかもしれない。
だが、黒髪が虹色に輝くほどの魔力を有する人間は、そうそう居ないのだ。
だから、怪盗令嬢が七色に輝く黒髪の持ち主だと伝えれば、この上ない証拠になる。
「私、彼の前では髪色を隠してなどいないのに」
フレイヤの時は、そもそも髪の色を変えている。
だが、怪盗令嬢として会う時だけは、ありのままの姿だ。
間違いなく、ラルス・タンザナイトは怪盗令嬢の黒髪を知っている。
それなのに、王太子はもちろんヤフェスにもその情報は伝わっていない。
にんまりと、フレイヤは目を細めた。
フレイヤとしては、決して他に見せない表情。
「ラルスは忠義に厚い騎士──だけではない、ということかしら」
思い当たるのは、ただそれだけ。
しかし、フレイヤにとってはそれこそ最高の想定外だ。
「良いわねえ、楽しくなって来たわ」
ヴィオレが薄く目を開ける。
フレイヤは気が付かない。
彼女の愛猫は、やれやれと言いたげに豪快なあくびを漏らした。
いわく「また主の悪癖が出たよ」という呆れである。
そして、またヴィオレは自分の前足に顔を埋めた。
今日、ヴィオレの出番は夜遅い。今のうちに休息を取っておきたかった。
「今宵は──ユーディアライトね」
ユーディアライト。
ピンクや赤が特徴的で、ガーネットに良く似ている。
だが、その稀少性は比べるべくもない。
ガーネットより遥かに稀少なユーディアライトは、一粒で国宝級だ。
その、所有者。
今宵の標的──それは。
「マクネア伯爵家なんて、何年振りかしら?」
マクネア伯爵家。
王太子ケンドリックの側近、ヤフェス・マクネアの実家だ。
──今宵、フレイヤこと怪盗令嬢は、マクネア伯爵家に忍び込む。
◆◇◆◇◆
マクネア伯爵家では、ヤフェスが気難しい表情で腕を組んでいた。
同じ部屋に、両親と嫡男である兄が揃っている。
長年マクネア伯爵家に仕えている執事までもが、緊張した面持ちだ。
「本当に怪盗令嬢が来るのか? にわかには信じられんが──」
伯爵家当主テオバルトが呟く。
家族が同調しそうになるのを察して、ヤフェスは鋭く口を挟んだ。
「油断は禁物ですよ、父上。怪盗令嬢──というのも業腹ですが、あの女は確かに、前回、犯行現場に残したカードで、『稀少な唯一のガーネットを貰い受ける』と名指ししているのです。
ガーネットでしたらそれなりに数がありますし、稀少なガーネットも数個、我が国にありますが、『唯一』となると我が伯爵家に伝わるユーディアライト以外に考えられません」
「うーむ……だがな」
まだ信じられないと言いたげなテオバルトに、ヤフェスは口調をきつくした。
「このことに関しては、王太子殿下も同じお考えをお持ちです」
「王太子殿下が? そうか、それなら──」
父の口調が和らぐ。
王太子ケンドリックへの信頼は厚い。
少し気難しいところのあるテオバルトも、ケンドリックの能力を認めている。
そのため、ヤフェスがどれほど言葉を重ねても信じようとしないテオバルトでさえ、ケンドリックの一言で納得する。
少し複雑な気分になるが、ヤフェスは父が納得したことに胸を撫でおろした。
だが、次の言葉にヤフェスは表情を硬くする。
テオフィルは、何気なくその名を口にした。
「それで、聖女さまはどうお考えなのだ?」
聖女ミア──彼女は、市井から貴族社会に迎え入れられた変わり種だ。
フェルスパー男爵家の養女で、当初は好奇の目を持って、今では憧憬の念で見られている。
以前はフェルスパー男爵家もパッとしなかったが、ミアのお陰で影響力を持ち始めた。
ミアは魔術の中でも治癒という稀な力を使える。
だが、彼女の能力はそれだけではない。
予知能力ではないかと思えるほど、先見の明があるのだ。
「ミアさまは、怪盗令嬢のこととなると口を閉ざしておいでで──」
「口を? それは不思議なことだな」
ヤフェスの兄が首を捻る。
正直、ヤフェスもそれには同意だった。
「王太子殿下が仰るには、ミアさまは政治や災害に関しては先を見通す力があるが、それ以外のことについてはそこまで強い力がないのではないか──ということでした」
家族から質問攻めにあっては敵わない。ヤフェスは慎重にケンドリックの推測を口にする。
テオフィルは納得したように頷くが、どことなく腹の据わりが悪そうだ。
実のところ、ヤフェスも聖女に関しては、王太子と意見が合わない。
自分よりも優秀なケンドリックが言うのだから間違いないと思いつつ、釈然としない部分がある。
案の定、ヤフェスの兄は複雑な表情で、控えめに口を開いた。
「とはいえ、聖女さまは最初、大規模な干ばつを予言なされただろう。確かに干ばつは災害だが、その後も様々な予言をされ、最終的には例の公爵家の不正も見事言い当てておられた。
政治的な話といえば確かにその通りかもしれないが、怪盗令嬢の件も、お願いすれば予見していただけるのではないか?」
少なくとも、怪盗令嬢の正体は突き止められるのではないか。
家族の疑問は当然だったが、ヤフェスは口を噤んだままだった。
どれほど質問されても、聖女ミアに関してはヤフェスも答えを持たない。
なにより、彼女に関してはケンドリックから口留めをされているのだ。
「いや、とはいえ、聖女さまは王太子妃になられると決まっているから。だから、気軽にご相談できるような状況じゃないんだ」
「なるほど。確かに王太子妃となられたら、ケンドリック殿下の才気と合わせても心強い。殿下の治世は安定するだろうが、それでもなあ──我が家に伝わる家宝が関わると思うと、お力添え賜れないのはどうにも口惜しい」
テオフィルの口調は苦々しい。
同意しそうになりながらも、ヤフェスは辛うじて無言を保った。
聖女ミア──彼女の能力は、予知に限らない。
秘されているが、ここ数年は予知能力に陰りが見える。
それでもケンドリックがミアを妻に迎えると決めたのは理由があった。
ミアの提言する政策や、政策に関わる呟きは、あのケンドリックでさえ驚嘆する内容が多い。
ケンドリックは非常に優秀な王太子で、彼の取る政策はどれも先進的だ。
それにも拘わらず、ミアが口にする知識は、ケンドリックの遥か先を行くのだ。
以前、本当にミアを王太子妃にするのかと尋ねたヤフェスに、ケンドリックは答えた。
彼はこの上なく自信に満ち、自分の判断が正しいのだと確信していた。
『ミアの才能は王太子妃に相応しい。予知能力がなくとも、彼女の知識があれば私の治世は歴史に残るものとなるだろう』
その時のケンドリックに、ヤフェスは圧倒された。
彼こそが、王になるべくして生まれた人だと思った。
そして、ケンドリックだからこそ隣に聖女ミアが選ばれたのだと──そう直感した。
「いずれにしても、父上」
ヤフェスは回想に浸りそうになる己を叱咤して、父テオフィルに顔を向ける。
「怪盗令嬢が予告した時刻まで、あと半刻です。油断はなさいませんよう」
「無論だ。屋敷は私兵に守らせているし、少し離れた場所には王立憲兵騎士団も居る。この屋敷に足を踏み入れたが最後、袋の鼠よ」
テオフィルは自信満々だ。
ヤフェスも、事前に騎士や私兵の配置を確認した。
どう考えても、怪盗令嬢が侵入する隙はない。
彼女が足を踏み入れたら違う場所に誘導され、そこには騎士が待ち構えている。
万事休す。
今日が、怪盗令嬢最後の日である。
そう確信しているはずなのに、なぜか部屋の底には、形のない不安が流れていた。




