9. 用意された闇の舞台
夕日が街を照らす。
全ての変装を解いたフレイヤは、美しいドレスに身を包んでいた。
鏡を見て、満足したように笑みを浮かべる。
「さすが私。美しいわ」
茶色のふわふわの髪をしたフレイヤは、地味な薬局店員。
だが、偽りを全て拭い去った今、彼女は真の姿を詳らかにする。
自画自賛は、彼女だからこそ許されるものだった。
自信に満ちた、麗しい顔。
美しく磨き上げられた肢体。
何よりも、この国では他に誰も持たない、虹色に輝く黒髪──全属性の魔法を使える、優れた魔術師の印。
その全てが、怪盗令嬢が奪った宝石に彩られる。
身に着ける宝石は、どれも由緒正しい歴史の宝だ。
「さあ、ヴィオレ。用意はできた?」
フレイヤが言えば、黒猫はゆっくりと寝床から起き上がった。
「今日の獲物は二つあるのよ。忘れないでね」
念を押せば、ヴィオレは一言にゃおと鳴く。
当然覚えているよと、答えているかのようだった。
フレイヤは、嫣然と微笑む。
それはまさに、女王の風格を兼ね備えていた。
「行くわよ」
その一言で、今宵の舞台は幕が開く。
次の瞬間、怪盗令嬢と彼女の使い魔は、魔法薬局から姿を消した。
◆◇◆◇◆
月が夜空に輝く。
王立憲兵騎士団の団長ラルス・タンザナイトは冷静だった。
だが、その背後に抑えきれない苛立ちがある。フィンやカールなど一部の部下は、敏感に悟っていた。
「なんか、今日の団長、ぴりぴりしてません?」
「フィン、お前何かしたのか?」
「してませんって!」
カールに濡れ衣を着させられそうになって、フィンは慌てる。
しかし、次の瞬間ラルスの鋭い叱責が飛んだ。
「そこ、二人。無駄口を叩くな」
「はいすみませんでしたっ!!」
速攻謝罪し、二人は真顔を取り繕う。だが、背中に冷や汗は掻いていた。
思わず、フィンとカールは視線だけで会話する。
やっぱり団長は、キレている。理由は分からないが、確実だ。
一方のラルスは、焦燥感を抱えていた。
フィンやカールが言うように、何かに腹を立てているわけではない。
ただ、追い込まれていることは間違いなかった。
昨日、王太子側近のヤフェス・マクネアから告げられた言葉。
それは、非公式の勅命だった。
早急に、怪盗令嬢を捕縛すること。
件の賊は、社会秩序を乱す──。
その指摘はまさにその通りだった。
だが、同時に王立憲兵騎士団には桁違いの仕事が降って来た。
これまでに怪盗令嬢捕縛のために費やした時間、動員した騎士の人数、使った魔道具の数、試算される費用──その全てを、概算で出せと言うのだ。
ヤフェスは、「概算で良い」と譲歩しているかのような口ぶりだった。
大体、ヤフェスはラルスの意見に耳を貸さないのだ。
彼にとっては王太子ケンドリックへの報告ができればそれで良く、重要な情報でも報告に不要であれば手を振ってラルスを黙らせる。
「そんなもの、簡単に出せるかっ!」
ラルスは真面目だ。自分が団長に就任してからは、記録も付けている。
問題は、ラルスが団長に就任する以前の記録だった。
怪盗令嬢が出現してから、ラルス就任までの二年間。
その期間の情報が、ほぼない。
そもそも、王立憲兵騎士団の仕事は怪盗令嬢の捕縛だけではない。
街の巡回と不審人物の捜索、魔法薬局のフレイヤとの雑談で判明した、密猟の疑惑調査。
それもまた、王立憲兵騎士団の仕事だ。
ただでさえ、今の王立憲兵騎士団は貴族たちから冷遇されている。医務室に専属の医師が居ないことも、その結果だ。
当然、人手も足りない。事務仕事も、ラルスが中心となって、騎士数人で回している状況だ。
「義務を果たしてからこっちに注文を出せ」
誰にも聞こえないように、ラルスは毒づく。
ヤフェスは、怪盗令嬢を今回捕縛できなければラルスの更迭を検討しているような口振りだった。
思わず、ラルスは口角に笑みを浮かべる。
「皮肉なものだな。それで、マクネア伯爵家が標的になるとは」
マクネア伯爵家は現王家との繋がりが強い。
前王家の不正が正された時、現王家の初代国王に忠誠を誓ったという話だ。
だが、庶民出身であるラルスには全く興味のない歴史だった。
当然、今回狙われているマクネア伯爵家の家宝にも関心はない。
ユーディアライトという非常に稀少で高価な宝石が狙われているという。ラルスにしてみれば、そのような物を持っていなければ狙われることもなかった、としか思えない。
「まあいい。今回は、屋敷を私兵が守っているからな。俺たちは、彼女が出て来る時を待ち伏せるだけだ」
怪盗令嬢が屋敷に忍び込むこと。
それを防げるとは、ラルスは思ってもいなかった。
だが、怪盗令嬢はいつも、去り際にラルスの前に姿を見せる。
今回もそうなるに違いないと、ラルスは信じていた。
それならば王立憲兵騎士団が狙う機会はただ一つ──怪盗令嬢撤退、その瞬間だ。
逆に言えば、それ以外に好機はない。
マクネア伯爵家の私兵は、きっと理解していないだろう。
怪盗令嬢がどれほど優れた魔法の使い手で、常人には計り知れない頭脳の持ち主か。
「一度は、目の当たりにするといいさ」
少しの侮蔑を交えて、ラルスは吐き捨てた。
◆◇◆◇◆
フレイヤは、マクネア伯爵邸のすぐ近くに居た。
物陰に身を潜めて、暗闇に溶け込むように立つ。
「前情報通り、王立憲兵騎士団は敷地の周辺に散らばっているのね。屋敷は私兵ばかり。私、舐められているのかしら?」
もちろん、本心ではない。
舐められた不快感はなく、マクネア伯爵家の愚かさが滑稽だった。
「今の王立憲兵騎士団を邸内に招き入れることのできない理由がある──そう思われても仕方のない振る舞いだこと。きっと、真面目なお馬鹿さんは気が付かないでしょうけれど」
愛おしさを隠すことなく、フレイヤは呟く。
ただ、その表情に恋をする人間特有の甘やかさはなかった。
「そろそろ、時間だわ」
街の時計台が、二十三時を知らせる。
その瞬間、マクネア伯爵家周辺に設置された王立憲兵騎士団のサーチライトが夜空を紅く浮かび上がらせた。
「まあ、素敵」
フレイヤは満足げに笑う。
怪盗令嬢が身を隠せないよう、夜の街を明るくしようという魂胆だ。
その判断自体は、間違いではない。
夜盗を捕縛する時の定石だ。
だが、フレイヤにとっては無意味だった。
光が強くなればなるほど、影は濃くなる。
「派手なのは、大好きよ、私」
紅を差した唇が、弧を描く。
「さあ、踊りましょうか」
全てを露わにしたフレイヤ──怪盗令嬢は、煌々と照らし出される屋根の上に、その足を踏み出した。




