7. 王太子と三人の側近
ルベラティス公爵家の名を言う者は居ない。
その名を一言でも口にすれば、王太子の怒りが落ちる。
それは、この国ではもはや暗黙の了解だった。
「馬鹿げているがな、みんなが顔色を窺って、どこかで崩壊するぞ」
黒髪の幼女は楽しそうに喉の奥で笑う。それは、猫が飼い主に甘える時に出す音と似ていた。
王立憲兵騎士団の兵舎から薬局に戻ったフレイヤは、楽しげに笑った。
「今が心地よいから、満足なのでしょう」
「王太子は優秀だ。側近たちも、な」
「一応、そういうことになってはいるわね」
本当かどうかは、分からない。
それこそ神のみぞ知ることだ。
ただ、フレイヤは知っていた。
他の誰もが見る機会がないこと──それを、間近にしてきた。
「でも、ラルフ・タンザナイトが動き始めたわ」
フレイヤは静かに指摘する。
ようやく、長年積み上げて来た計画が動き出すのだ。
「ニッキー・シーマンが得るはずだった栄誉は、誰のものになるのかしらね?」
予定調和が、崩れる。
──それを知るのは、フレイヤだけ。
「それで、ヴィオレ」
穏やかな口調で、フレイヤは幼女を振り返る。
「王宮は、今どうなっていて?」
幼女は肩を竦めた。
「変わらないな。相変わらず、聖女は大きな顔をしている。王太子も偉そうだ。側近は、王太子と貴族の間で右往左往」
「辛辣だこと」
心の底から面白いと、フレイヤは声を立てて笑う。
幼女は、心外だと言わんばかりにフレイヤを凝視した。
その表情は、猫が驚いた時にそっくりだ。
「当たり前だろう。私の生みの親の顔を見てみろ」
「毎日、見ているわ」
フレイヤは、にっこりとこの上なく綺麗で──そして、妖艶な笑みを浮かべてみせた。
◇◆◇◆◇
ちょうど同じ頃、王宮では王太子とその側近が執務室に集まっていた。
誰もが難しい表情を浮かべている。
王太子ケンドリック・ハウライトを中心として、次に目立つのは三人。
宰相候補のヤフェス・マクネア。
優れた魔術師であり科学者でもあるオーラン・カウマンス。
そして、剣術に優れたニッキー・シーマンである。
代々続くハウライト王家の中で、当世の王太子は一番の切れ者と人は言う。
その噂に違わず、確かに王太子ケンドリック・ハウライトは切れ者だった。
「ヤフェス。怪盗令嬢とやらはどうだ? もうそろそろ捕まりそうか」
穏やかな顔つきのヤフェス・マクネアはわずかに緊張する。
ヤフェスは、王太子の側近の中でも一番物腰が穏やかだ。貴族からも親しまれている。
王太子を信奉しながらも、その覇気に怖気づく貴族と王太子の仲介も、彼の仕事だった。
また、王太子の政策は有効でありながら過激になりがちだ。
有象無象の貴族や庶民の不満を上手く吸収し処理する、それも彼の役割である。
ヤフェスは無意味に椅子に座り直し、一瞬斜め上を見た。
そして、すぐにケンドリックに視線を戻す。
王太子は、話している時に視線を逸らされるのを好まない。
彼の期待に応えているうちは良いが、使えないと思えば王太子はすぐに相手を切り捨てる。
せっかく次期宰相の椅子を手に入れられるところまで来たのだ。ヤフェスは、ここでせっかくの機会をふいにする気はなかった。
「王立憲兵騎士団の団長ラルス・タンザナイトを呼び出しまして、厳重注意をしたところです。腑抜けぶりが目に余りますからね」
「それは答えになっていないだろう。具体的に、課題と解決策は?」
ケンドリックの鋭い視線は、ヤフェスの顔から外れない。
巷で噂されている通り、王太子ケンドリックは非常に美男子だ。女性の人気も高い。
男には恨まれそうだが、彼はその能力で他を圧倒していた。
文句も出なくなるというものだ。
そんなケンドリックの視線に射抜かれて、ヤフェスは生きた心地がしなかった。
二人は長い付き合いだ。
さすがに慣れているはずなのだが、ケンドリックの迫力も年々増している。
「そうですね──まず、あの女は事前に、次の獲物を提示します。それを受けて、王立憲兵騎士団は捕縛計画を立てますが、その計画が敵に知られている可能性が高いのではないかと」
「なぜ?」
王太子の質問はいつも端的だ。慣れないと、一体何を質問したいのか、すぐには判断が付かない。
だが、ヤフェスはケンドリックとの会話には慣れていた。
今の「なぜ」は、「なぜ知られていると判断したのか」を問うている。
ヤフェスは、無意識に乾いた唇を舐めた。
「あらゆる罠を仕掛けていますが、敵はそれを察知して動きます。それどころか、仕掛けた罠を利用して、逆に王立憲兵騎士団の騎士を足止めすることもあるとか」
「それに対して、王立憲兵騎士団はどんな対策を講じている?」
「毎回、仕掛ける罠や追い詰める手段を変えていると言っていました。しかし、どれも不発に終わるそうです」
ケンドリックは呆れ顔で鼻を鳴らした。
「結局失敗しているのだから、その試みは全て無駄というわけだ。努力の方向性が間違っている。その間に、王立憲兵騎士団はどれだけの時間と金を浪費した?」
ヤフェスは答えられない。
過去に遡っての試算は、ヤフェスも試そうとすら思わなかった。
答えられないでいると、ケンドリックは呆れたように目を細める。
そして、決定事項を告げるように、よどみなく告げた。
「相手はたかが怪盗一人だ。
一度、掛かった時間と経費、掛けた人員。全てを集計し提出させろ。その上で、詳細な計画をまとめて失敗の原因を洗い出し、共通項を特定するんだ。そうすれば、効果的な対応策も立てられる。怪盗令嬢の捕縛をいつまでに完了させるか、今後の方策も具体的に立てさせろ。
目標を達成できなければ、王立憲兵騎士団団長としての職責を果たしていないとみなす」
ヤフェスは息を飲む。そして、ちらりと自分の隣に座るニッキー・シーマンを見た。
もしかしたら、王太子ケンドリック・ハウライトは、次期王立憲兵騎士団団長にニッキーを指名するつもりかもしれない。
「は、はい。分かりました。そのように申し伝えます」
「それと、怪盗令嬢は魔法を使うのだったな。捕縛計画にはオーランの力も借りると良い」
ヤフェスがオーランを見ると、オーランは静かに頷いていた。
優れた魔術師であり科学者でもあるオーランには、秘策があるのかもしれない。
だが、王立憲兵騎士団も魔術には一家言あるはずだ。あとで相談しなければと、ヤフェスは心の中でメモを取る。
「承知いたしました」
少なくとも、過去の再調査はケンドリックにとって決定事項だ。
反論は許されない。
大人しく頭を下げたヤフェスに、ケンドリックは少し揶揄うような視線を向けた。
「獲物ではなく宝石だろう。無駄な装飾は止せ」
室内がぴりつく。
側近と言われる者たちの中でも、ケンドリックの幼馴染である三人だけは、それが冗談だと分かっている。
だが、それ以外の人間には冗談に聞こえない。
ヤフェスは苦笑いした。
「宝石が十分に装飾品ですから、多少飾ったところで大した違いはありませんよ」
満足そうに、ケンドリックは目を細める。
どうやら正解だったらしいと、ヤフェスは肩から力を抜く。
そして、何気なく隣を見た。ニッキーと目が合う。どちらかともなく、二人は苦笑した。
「次に、ニッキー。最近、密猟が増えているという報告が上がっていたな。説明しろ」
「えーっと」
ケンドリックの質問に、ニッキーは言い淀む。
元々体を動かすことが好きなニッキーは、書類仕事が大の苦手だ。
それが、ヤフェスやオーランの助けを得て、少しずつ事務処理能力は上がっている。
それでもケンドリックは容赦がない。
嫌な予感に、ニッキーは無意識に首を竦めたのだった。




