6. 憲兵騎士団長と魔法薬局店員
フレイヤの日課は、鏡を見ることだ。
化粧をして、髪を整える──それだけのためではない。
前を向いて、横を向く。
口角を上げ、目を細め、眦を下げる。
目を伏せた、角度。
人から見られる、そのわずかな角度と距離の差で、印象は変わる。
口を開く、タイミング。
ちょっとした、躊躇。
視線の向き。
戸惑うような、声の振るわせ方。
一挙手一投足が、人の印象を形作る。
積み重ねられた言動で、人は相手を判断する。
純粋か、打算か。
無垢か、悪徳か。
真実は誰も知らないのに、ほんのわずかな違いだけで、人々は断じる。
それこそが、フレイヤが仕掛ける細工の一つだった。
ほんのわずかな作為は、今はもはや無意識だ。
「団長さま」
微かに滲む喜びを、懸命に隠す──そんな素振りを見せることすら訳はない。
フレイヤに気がついたラルスは顔を上げ、ほんの僅か目尻を緩めた。
「ああ」
ラルスはフレイヤの名を滅多に呼ばない。
フレイヤが居ない場所で仲間と話す時は、フレイヤ嬢と口にするらしい。
だが、本人を前にしては、気恥ずかしいようだ。
フレイヤも、ラルスの名を呼んだことはない──フレイヤとしては。
奥手の二人だと、騎士たちに噂されているのは知っている。
それくらいが、フレイヤにはちょうど良かった。
必然的に、フレイヤは比較される。王太子の側に現れた女──彼女の計算高さとか弱さ、そしてフレイヤの純真無垢ながら凛とした姿はまさに対照的だ。
「お薬をお持ちいたしました。特に足りないものはありますか?」
「そうだな」
ラルフは少し目を伏せる。医務室に残っている薬の在庫を思い出しているのだろう。
普通、医務室には専属の薬師がいる。だが、今の王立憲兵騎士団に専属薬師はいない。
だから、騎士たちは極力、怪我や病の治療を独力で対応していた。
それでも足りない時は、街の医者を呼ぶ。
医者を呼ぶほどでもないが自分たちでは難しい、そういう時に、フレイヤが役立っていた。
「傷薬が減っているな。あと、湿布薬があれば助かる。今回はちょっと──打撲が多かったんだ」
知っていると、フレイヤは言わなかった。
「そうですか」
代わりに、少し心配そうに言う。
「大怪我でなければ良いのですけれど。打撲も、一つ間違えれば命に関わりますから」
「ああ、そこは大丈夫だ。命に別状はない」
生真面目にラルスは答える。
その口調は、普段と比べて柔らかい。フレイヤを見つめる目も優しい。
だが、フレイヤは気が付いてない素振りで、気兼ねする視線をラルフに向けた。
「団長さまはお怪我はされていないのですか」
「この通り、ピンピンしているよ」
でも心配してくれてありがとうと、ラルスは口角を上げる。
ラルスは顔が良い。若くして王立憲兵騎士団の団長を務める。
王太子やその側近たちも若く格好良いと評判だが、さすがに手が届かない。少女や適齢期の女性たちは王太子たちに憧れるが、手の届く存在としてラルスたち王立憲兵騎士団を狙っていた。
中でも、ラルスは一番人気だ。公開訓練の時は、ラルスが剣を抜くだけで黄色い悲鳴が上がる。
元々真面目なラルスは、そんな状況に嫌気がさしているようだ。
だから一層、女性に対しては態度が冷たい。
その中で唯一の例外がフレイヤ──そして、怪盗令嬢だった。
「それなら良かったです。いつも新聞でお名前を見る度に、怪我をされていないか心配になりますから」
控えめに、思わず本心が口から転び出たというように、フレイヤは呟く。
そして、はっとしたように口元を指先で覆った。
「あ──その、」
「いや、まあ、なんだ。心配させるようなことは、ない、と思う」
ラルフは少し照れたように、わずかに視線を外した。
端正な横顔を一瞥して、フレイヤは困ったような顔を作る。
だが、すぐにその表情を普段通りに替えた。
「今日は湿布薬の材料が入りましたから、少し多めに持って来たんです。余るかと思ったんですけれど、もしかしたら、ちょうど良かったかもしれませんね」
「そうか。いつも思うが、貴方はいつも欲しいものを持って来てくれるな」
「お役に立てているなら、嬉しいんですけど」
少し自信がなさそうに、それでも嬉しさは滲ませる。
この塩梅が難しい。それでも、フレイヤには慣れたものだった。
「せっかくですから、医務室までお持ちしますね。期限が切れているものがないか、確認しませんと」
「助かるよ。ああ、薬箱は俺が持とう」
ラルスは手を伸ばしてフレイヤから薬箱を受け取る。
有難くラルスに荷物を預け、フレイヤは何気なく言った。
「今日は、いつもの問屋さんで面白いものを見せて貰ったんです」
「面白いもの?」
本当なら、フレイヤが一々医務室に行く必要はない。だが、毎回王立憲兵騎士団の兵舎を訪れる度、フレイヤは医務室に立ち寄っていた。
名目は、在庫を確認するため。
だが、本当はラルスと二人きりの時間を確保するためだった。
最初は、ラルスも一般人を兵舎の奥深くに入れることに難色を示していた。
それでも、フレイヤが何度も足を運んでいると、その警戒心もやがて解けた。
今ではラルスの方が、フレイヤに少し立ち寄らないかと持ちかけるほどだ。
そして、今は二人とも、医務室までの廊下と部屋の中で、誰にも邪魔をされず話をする時間を楽しんでいる。
ここまでの関係になるのに、随分と時間が掛かった。
一番の苦労だったかもしれないわね、と、フレイヤは内心で一人呟く。
そんなことはおくびにも出さず、彼女は「ええ」とラルスに頷いた。
「麝香と言うんですって。良い香りがして、香水に使われることがあるそうなんです。それが、鹿の香嚢から取るらしくて」
「──鹿の?」
「そうです。私も初めて聞きました」
ラルスの眉がぴくりと反応する。
しっかりと視界の端に捉えながらも、フレイヤは正面を見たままだ。
「フレイヤ嬢」
存外真剣な口調で、ラルスがフレイヤを呼ぶ。
ラルスが足を止めたのにつられて、フレイヤも立ち止まった。
そして、ラルスの顔を見上げる。
──既視感。
影になるラルスの顔は、あの日、月夜の光を背にした怪盗令嬢が目にした表情と全く同じだった。
──ああ、
フレイヤの身は震えた。
恍惚。
愉悦。
これが、ホンモノ──。
わたくしが見出した、真実の王。
このわたくしの隣に相応しい────
そこまで考えたところで、フレイヤは己を取り戻す。
フレイヤの仮面が綻ぶところだった。
改めて綺麗に取り繕い、フレイヤはきょとんと小首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「これは、重要なことだ」
真剣な表情で、ラルスは憲兵騎士団長としてフレイヤに問うた。
「その問屋は、どこの店だ?」
これは、盤面が変わる一手。
何も不思議に思わず、ただ信頼を寄せる──そんな女に、ラルスからは見えるだろう。
「ヤンの店と、私たちは呼んでいます。そこの、ヤンという店主が貰ったと」
時が経つごとに、複数あった未来の選択肢は一つに絞られていく。
フレイヤは、まだ遠い勝利の鐘声を聞いた気がした。
「なるほど」
分かったと、ラルスは重々しく頷いた。
そして、逡巡を見せる。
言って良いものかと、口にすることでフレイヤが傷つくのではないかという、躊躇。
それでも、ラルスは誠実さを選んだ。
手にした薬箱を持ち直す。
ラルスは、真っ直ぐにフレイヤを見つめる。決して、目を逸らさない。その視線の強さは、ラルスの意志の強さそのものだった。
フレイヤは、宝石のようなラルスの瞳に魅入られる。
初めてラルスを見た時も、ラルスはこんな瞳をしていた。
その時にフレイヤは、探し求めていた、真の王がここに居たと、直感した。
彼女の直感は、いつも正しい。
フレイヤの内心など知らぬまま、ラルスは少し言い辛そうに、しかしはっきりと告げる。
「それを取るためには、ジャコウジカを殺さなければならない。そして今、ジャコウジカは国が管理していて──簡単には手に入るものではない」
「え──それって、」
「そうだ」
ラルスは重々しく頷く。
フレイヤの反応から、ラルスは相手が一分の違いなく意図を汲み取ったと理解した。
「密猟の可能性が高い。関わった者は、処罰の対象だ」
唖然としたフレイヤは、呆けたようにラルスを見つめる。
それは、一般人なら必ずするだろう反応そのものだった。
しかし、フレイヤは知っていた。
ジャコウジカが、国に管理されていることも。
密猟は厳しく取り締まられていることも。
その法制度は、つい最近作られた。
この国で聖女と呼ばれる、胡散臭い少女の発言がきっかけだった。
動物が可哀そう、という良く分からない理由。
それだけで、狩猟に規制が掛かった。
ジャコウジカの密猟は、その一部だった。
あまりにも最近にできた法律だから、庶民にはほとんど知られていない。
猟師ではないヤンも、把握していなかったに違いない。
「その──それでしたら、ヤンは……」
当然、自分の立場なら心配するはずのことを、フレイヤは尋ねる。
ラルスは慰めるように、表情を緩めた。
「その店主は、貰ったといったのだろう。それなら罰金程度で済む。多少理不尽だと思うかもしれないが、調査に協力的なら、庶民でも問題ない額だ。多少お灸を据えられた、くらいのものだろう」
「そうですか。それなら──良かったのかしら」
フレイヤは小さく息を吐いて、肩を落とす。
ラルスは薬箱を持っていない方の手で、フレイヤの肩に触れようとした。慰めようとしたのだろう。だが、予期せず熱いものに触れたというように、手を離す。
そして、空咳をした。
「すまない。とりあえずは、医務室に行こうか」
「はい」
再び、フレイヤとラルスは医務室に向かって歩き出す。
◇◆◇◆◇
その後ろ姿を、遠くから見つめる二つの影があった。
「おい、フィン。お前、いつから覗き趣味ができたんだ?」
「カール先輩、あの二人、深刻な表情してますけど何の話してるんだと思います? 団長の実家の話とか? でも奥手だから、まだ結婚の話とかは出ないですよねえ」
「何の話をしてるんだよ、バカ」
フィンの隣には、筋肉質な男が立っている。
一般人と並べばがっしりとしているが、騎士の中では華奢のフィンとは正反対だ。
黒い短髪をガシガシと掻いて、カールはフィンの肩越しに、外回廊を歩く二つの人影を見た。
悔しそうに、フィンが地団太を踏む。
「ドムが居たら、読唇術で二人の会話盗み聞きしてくれるのになあ」
「団長がそんなことさせるかよ」
カールが呆れ顔で、自分の胸元くらいにあるフィンの頭を見下ろす。そして、何かに気が付いたように目を瞬かせた。
「おい、フィン」
「あ! 二人とも、行っちまう! 医務室でいつも、あの二人何話してんですかね。カール先輩、知ってます?」
「それよりも、フィン」
「あーもう、なんですか!」
少し、いらっとしたようにフィンがカールを振り返る。
カールは全く気に留めず、淡々と事実を指摘した。
「お前、頭のてっぺんがハゲて来てるぞ」
「はあ!?」
フィンはぎょっとする。
そして、慌てて両手で頭を抑えた。
その反応に、カールは腹を抱えて笑う。大爆笑だ。
「カール先輩! 俺のこと、からかったんですか!?」
「少しな。でも、ハゲそうになってんのは本当だぞ。この前、盗人女を追いかけた時に仕掛けた罠に、お前引っ掛かってただろ。その時に、閃光弾を裂けそびれたんじゃないか?」
「早く言ってくださいよー! 治らなくなるじゃないですか!」
あまりのことに、フィンは半泣きだ。
慌てた様子で、フィンは医務室に走り出す。
その後ろ姿を、カールは指をさして大いに笑ってやった。




