5. 憲兵騎士団の兵舎
たっぷりの薬を持ち、フレイヤはブリギッタに声をかけた。
「ブリギッタさん、行ってきますね」
「ああ、気をつけて行くんだよ」
フレイヤにとってはもう慣れたことなのに、変わらずブリギッタは心配そうだ。
きっとブリギッタは、フレイヤが本当にしていることを知れば、腰を抜かすだろう。
内心で少しおかしく思いながら、フレイヤは店を出た。
向かう先は、憲兵騎士団の兵舎だ。
亡くなった先代騎士団長の時代から、ブリギッタの魔法薬局店は薬を卸すようになった。
ブリギッタが体を悪くして、フレイヤが仕事の大半を請け負うようになってからも変わらない。
むしろ、今の団長になってからの方が、発注数は増えた。
当然のように、フレイヤが兵舎に行く回数も増えている。
フレイヤはロバに荷をくくりつけ、慣れた道を歩いた。
魔法薬局店から兵舎までは、少し距離がある。
初めて歩いた時は随分な距離だと思ったが、今ではあっという間に感じる。慣れとは不思議なものだ。
兵舎の入り口で守衛に挨拶をし、守衛室に記名を終える。
顔馴染みの守衛は、フレイヤを見て相好を崩した。
「いやあ、毎回悪いねえ。騎士たちもみんな喜ぶよ」
「いつも街を守ってくださっているのは、王立憲兵騎士団の皆さんですから。いつも有難く思っていますのよ」
「そう言ってくれると、こっちも嬉しいよ。最近は、騎士団に対する当たりも強いからね」
守衛は苦々しい表情だ。
少し困ったような微笑を、フレイヤは浮かべてみせた。
怪盗令嬢。
彼女を捕らえられない王立憲兵騎士団を、新聞は毎日こぞって批判している。
一方の怪盗令嬢は、今や市民たちにとっては反権力の象徴だ。
怪盗令嬢は、貧乏人からは盗まない。
彼女が盗むものは、貴族たちが蓄えている富。
そのほとんどは宝石で、国宝級の価値があるものばかり。
支配層がしてやられる、その快感。
自分たちは安全圏に居たまま、権力者たちの無様を嘲笑う。
面白くて仕方がないだろう。
当然のように、怪盗令嬢は市民たちの支持を得る。
どれほど王家が貴族が市民に友好的な面をアピールしようと、無駄だ。
時代は動き出しているのだから。
今は、王立憲兵騎士団がその矢面に立っている。
守衛は少し困ったように、頭を掻いた。
「悪いね、フレイヤさんに愚痴を吐くつもりはなかったんだが──」
「いえ、お気になさらないでくださいな」
フレイヤは優しく、穏やかに告げる。
魔法薬局に勤める、一介の店員にすぎない。
フレイヤは無害だ──誰もがそう信じている。
そして、フレイヤもまた、その印象を裏切るつもりはなかった。
フレイヤは、無害でなければならない。
フレイヤは、簡単に困難に陥る被害者でなければならない。
だが──フレイヤは、同時に凛とした、野草の強さを持っていなければならない。
「そのうち、王立憲兵騎士団が認められる日が来るはずですわ」
皆さま頑張られているのですから、とフレイヤは続ける。
守衛は嬉しそうに笑った。
きっと彼は、フレイヤが単なる励ましを口にしたと思ったに違いない。
そして、その気持ちが嬉しいと思った。
だが、フレイヤは本心から告げていた。
王立憲兵騎士団は、やがてその功績を称えられることになる。
そうでなければならない。
その日こそが、フレイヤの計画成功の嚆矢となるのだから。
「団長もお待ちだから、言ってくれ。ほら、許可証」
「ありがとうございます」
守衛から許可証を受け取り、フレイヤは敷地に足を踏み入れる。
ずしりとした薬箱を、フレイヤは持ち直した。
◆◇◆◇◆
フレイヤにとって、王立憲兵騎士団の兵舎はもはや慣れたものだ。
少しおかしくなって、彼女は口角を上げた。
彼女の正体が知られたが最後、王立憲兵騎士団の団長ラルス・タンザナイトは懲戒免職になるに違いない。
だが、そんな日は決して来ない。
フレイヤには自信があった──幼いころから、全ては彼女の掌の上だった。
それは、これからも変わらない。
「あ、フレイヤさん! お久しぶりですね!」
遠くから目敏くフレイヤを見つけ、声を掛けて来た若い騎士がいる。
既に彼の存在を感知していたフレイヤは、少し驚いた様子で立ち止まってみせた。
「フィンさん」
「重そうですね、持ちますよ」
「ありがとうございます」
フィンに薬箱を渡し、フレイヤは礼を言う。
軽々と箱を持ったフィンは、驚いたように目を瞠った。
「うわ、重っ! これ、何が入ってるんです? 普段よりも多いですよね?」
「新聞で、皆様のご活躍を見ましたから。普段よりも必要になるかと思って、少し多めにお持ちしましたの」
「正解ですけど、はあ──そっか、フレイヤさんもそりゃあ新聞くらい読みますよね」
どことなくフィンは落ち込んだ様子だ。
新聞で王立憲兵騎士団が酷評されていると、フィンも知っているのだろう。
そして、フレイヤには見て欲しくなかったと思っているに違いない。
フレイヤは眦を下げる。
「読みますけれど、信じてはおりませんよ」
「そうなんです?」
フィンは弾かれたように顔を上げた。
その顔には、期待と恐れが半々だ。
天下の王立憲兵騎士団団員がそれで良いのかと思いながら、フレイヤは頷いた。
「もちろんです。皆さまがどれほど頑張られているか、全てではないですけれど、私も知っているつもりですから」
「そう言って貰えると──へへ、嬉しいな」
照れくさそうに、フィンは鼻先を掻く。
フレイヤは、優しげな笑みを浮かべてみせた。
そして、少し控えめに──それでも、どうしても気になるという健気を装い、口を開く。
「それで──その、タンザナイト様は──」
フィンは、少しばかり目を丸くした。
傍らを歩くフレイヤを見下ろす。
そして、フィンは嬉しそうに笑った。
「団長なら、ぴんぴんしてますよ。元気すぎて、俺たちの方が稽古に音を上げそうなほどです。きっと、団長もフレイヤさんを待ってるんじゃないかな?」
「そ──そうですか。ご無事で、良かったです」
頬をわずかに染めて、目を伏せる。
もちろん、ラルス・タンザナイトが怪我一つしていないことは知っている。
そして、あの王太子や取り巻きに糾弾されていることも。
取り巻きと言ったら、きっと彼らは腹を立てるだろう。
腰巾着、金魚の糞──他にも言いようはあるが、彼らの自尊心は高い。
──優秀な王太子、そして右腕となる側近たち。
それが、今この国を統べる王家の、次代だ。
「これこそ暗澹たる未来ですわね」
フレイヤの独り言は小さすぎて、フィンの耳に届かない。
もちろん、フレイヤは聞かせるつもりがない。
フィンはフレイヤの美しい横顔に一瞬目を奪われた。
それでも、すぐに我に返る。
もし、他に彼女に目を止める者が居なければ──居たとしても、それがラルス・タンザナイトでなければ。
間違いなく、フィンはフレイヤを口説いていた。
控えめで、心優しく、芯の強い女性。
血まみれの憲兵騎士団員を見ても、彼女は恐怖に震えることはない。
普段と変わらない様子で接して、傷の手当てもしてくれる。
王立憲兵騎士団という輝かしい名前にだけ憧れる、そこらの女とは全く違う。
だからこそ、フィンはフレイヤの恋心を、応援したかった。
「早く、団長のところに行ってあげてくださいよ。今なら、詰め所に居るはずですから」
フレイヤは、弾かれたように顔を上げる。
その頬は、隠せないほどに赤い。
心底嬉しそうに、フレイヤは頷いた。
「──っ、はい!」
ありがとうございますと、フレイヤは綻ぶように笑う。
薬箱をフィンから受け取り、軽い足取りで、跳ねるように。
詰め所に向かうフレイヤの背中を見送り、フィンは頭を掻いた。
「うーん。でも、二人とも奥手だからなあ」
上手くいくと良いけど、そうおせっかいな部下は呟く。
それでも、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られると、昔から言う。
だから、フィンは下手に口を出さないようにしていた。
きっと、二人は上手くいくのだろう──なぜだか、そんな気がしてならなかった。




