4. ヤンの卸売専門店
フレイヤは、昼過ぎに魔法薬局を出た。店は少し遅めの、昼休みだ。
街の路地を歩いて、ヤンの店に行く。質の良い薬草や石の問屋だ。
ブリギッタが魔法薬局を開業してから、ずっと世話になっているという。
「こんにちは」
挨拶をして、フレイヤは店に入る。
ヤンは、店の奥で薬草の仕分けをしているところだった。顔を上げてフレイヤを見ると、表情を緩ませる。
「やあ、フレイヤ。最近、来るのが早いね。商売繁盛ってところかな?」
「ええ。お陰様で」
フレイヤは小さく笑った。
ヤンは若い。フレイヤと同い年くらいだ。そして、彼の祖父もヤン。
ブリギッタの呼ぶ「ヤン」は先代で、フレイヤの呼ぶ「ヤン」は目の前の青年だった。
だから、二人を知る人たちは祖父を「ヤン爺」と言って区別する。年配の女性は、青年のヤンを「ヤン坊」と呼ぶこともある。
フレイヤはヤンに請われて、普通に「ヤン」と呼んでいた。青年は、フレイヤに名前を呼ばれる度、少し恥ずかしそうに笑う。
その意味に気が付いていながら、フレイヤは素知らぬ振りをしていた。
「もしかして、王立憲兵騎士団の発注が多いのかな? ということは、傷薬?」
だてに長年、付き合いがあるわけではない。
ヤンは見事に言い当てた。
「そう。でもきっと、湿布薬もいるわ」
「なるほどね。前は火傷薬だったけど、今回は湿布薬?」
「きっと、ね」
フレイヤは爽やかに笑う。
差し出された発注書を受け取って、ヤンは口笛を吹く。彼は、違和感を持たない。
以前に火傷薬を大量に売ったのなら、まだ残りが王立憲兵騎士団の兵舎にあるに違いない。だから、前回あまり売らなかった傷薬が足りないと、そう判断した。
それは、半分正解で、半分反対だ。
王立憲兵騎士団の兵舎にどれだけ薬が残っているか、フレイヤは知らない。
彼女が知っているのは、昨夜彼らが仕掛けた罠が、どんな類のものだったか──それだけだ。
前回は火魔術を使っていたが、今回は風魔術と魔銃を使っていた。
それを知っていれば、どの薬がどれだけ必要になるのか、把握するのは容易かった。
「珍しいものが手に入ったんだ。傷薬には使えないかもしれないけど」
「まあ、どんなもの? 気になるわ」
薬には使えなくても、草花や木の実、鉱石には色々な使い道がある。
フレイヤの手に掛かれば、不可能と言われた錬成も可能だ。
真贋を見極める力──それは、本質を見抜く力に通ずる。
「ちょっと待ってて」
ヤンはそう言って、カウンターの向こうにしゃがみ込む。フレイヤからは、姿が見えなくなる。
しばらくごそごそとしていたヤンは、少しして立ち上がった。
その手には、小瓶が握られている。中には、数個の茶色い塊が入っていた。目を凝らせば、単なる茶色い塊ではなく、薄茶色の毛がびっしり生えている。
「これは、なあに?」
覗き込んで、フレイヤは尋ねる。
ヤンは少し得意げになった。
「フレイヤでも知らないことがあるんだな。これ、麝香って言うんだよ。良い香りがするっていうので、香水に良く使われるらしい」
「まあ」
フレイヤは目を丸くする。その反応に、ヤンは気を良くした。
「鹿の香嚢から取るらしい。甘い匂いで、香水を長持ちさせるんだ」
「そうなの。高価なのではない?」
「当然だよ、金額を聞いたら目ん玉が飛び出るぞ」
だが、ヤンは身銭を切って麝香を買ったわけではない。
親切にした相手が感謝して、手持ちの金がないからと渡して来たのだという。
にわかには信じられず、フレイヤは目を瞬かせた。
「その方は、麝香が稀少なものだとご存じなかったのかしら」
「さあな。でも、俺がしたことが麝香に値するって、そのおっさんは思ったってわけだ」
「男性だったの?」
「そう。俺の親父より少し年上、ってくらいだったかな」
良い貰い物をした、と、ヤンは上機嫌だ。
思わず、フレイヤは疑わしげな視線をヤンに向けた。
「一体、あなた何をしたの」
「お、フレイヤ、俺のこと心配してくれてる?」
ヤンは嬉しそうに笑み崩れる。だが、フレイヤは相手にしなかった。
「だって、あなたのしたことを真似たら、私も珍しいものを手に入れられるかもしれないでしょう」
途端に、ヤンは詰まらなさそうな表情を浮かべる。彼はフレイヤに向き直ると、カウンターに身を乗り出した。
「そんなことしなくても、俺がお前の欲しいものは全部やるからさ。
時間はかかるかもしれないけど──俺、約束は守る男だぜ」
欲しいもの──その言葉を耳にした瞬間、フレイヤの双眸に鋭い光が走る。
だが、それは瞬時に消えた。
「そうね。あなたの目利きには信頼を置いているのよ。
だから、きっと質の良いツルボの球根もあるものだと思っているわ」
にっこりと爽やかな笑みを浮かべ、フレイヤは言う。
一瞬その表情に、ヤンは目を奪われた。そして、深々と溜め息を吐く。
観念したように両手を挙げ、彼は苦笑した。
「わかった、仕事はする。ツルボの球根、ちょうど仕入れたところだったんだ。どれくらい要る?」
「あるだけ、欲しいわ。でも、あなたの店が困らないくらい」
「了解。まあ、お得意様だし、負けとくよ」
そう言って、ヤンは手際よく品物を袋に詰めた。
発注書に書かれていた草や石の他に、ツルボの球根など湿布薬の原料もたんまりと入っている。
その一つ一つを確認し、フレイヤは満足げに礼を告げた。
「ありがとう。さすが、ヤンの店ね。街一番の問屋だわ」
「そう言ってくれると嬉しいね。親父の代と比べて、どうしても客足が減っててさ」
「そうなの」
フレイヤは、曖昧に頷く。
ヤンからはフレイヤを口説こうとしていた時の軽薄さが消えていた。
「ここ数年、流行ってる問屋があってさ。貴族の注文が、全部そっちに流れてるんだ。
質は良くないのに、それどころかガラクタの方がマシだって程のもんもあるのに、金が段違いに高い。やってられねえよ」
昔から、ヤンはフレイヤを気に入っている。事あるごとに、口説こうとしてくる。
フレイヤは相手にしないが、それでもヤンはめげない。
面倒に思いながらもフレイヤがヤンの店を贔屓にするのは、ひとえにヤンは本物を見抜く力があるからだ。薬草や石など、魔法薬の原料の価値を鑑定させれば、ヤンの右に出る者はいない。
そのヤンが、ガラクタ以下だと酷評する。
それほどまでに、その店は質が悪いのだろう。
フレイヤは、小さく頷いた。
「大丈夫。ヤン、自信を持って。あなたはホンモノだから、必ず認められる日が来るわ」
「そう言ってくれるのはフレイヤだけだよ」
心の底から嬉しそうに、ヤンはいう。
フレイヤはそんなヤンに、代金を手渡す。重たい荷物を軽々と抱え、彼女はヤンの店を後にした。
その口角には、微笑みが浮かんでいる。
「そろそろ、時は満ちたようね」
鮮やかに広がる青い空を、彼女は見上げ──不敵な言葉を、静かに呟いた。
◇◆◇◆◇
「それで」
ヤンの店に、不釣り合いなほど幼い声が響いた。
「なんでそんなに落ち込んでるのさ?」
はすっぱな口調で尋ねたのは、ヤンの腰までしかない身長の幼女だ。
綺麗な黒髪をぱっつんにして、印象的な切れ長の一重まぶたが前髪から覗いている。
瑠璃色の瞳は、妙に落ち着いていた。
ずーんと黒い雲を背負って、カウンターで黄昏ていたヤンは、顔を上げもしない。
「放っといてくれ。俺は今、落ち込んでるんだ」
「だから、なんで落ち込んでるのかって訊いてるんだけどな?」
幼女は堂々とした口調だ。だが、それが彼女の持ち味だった。
ヤンは全く気にすることなく、深い溜息を吐いてようやく顔を上げる。
そして、ヤンはまじまじとカウンターの前に立つ幼女を見つめた。
「どうした?」
幼女はきょとんと目を瞬かせる。
やれやれと、ヤンは首を振った。
「お前が、恋のキューピットだったら良かったのになあ」
「キューピット? なんだそれは。お菓子か?」
「違うよ。ていうか、キューピットを知らないなんて、本当にお前どこで育ったんだ?」
心底不思議だと、ヤンは首を捻る。
幼女は答えず、ふむ、と考えた。
「良く分からないが、失恋か?」
「そんな、ばっさりと言うなよ! 人の傷心をえぐりやがって!」
「ビンゴか」
少したどたどしい口調で、幼女は満足げに笑った。
「いくらでも傷つくといい、少年。恋の病に薬なしというからな」
「慰めにもなってないぞ、ヴィオレ」
ヤンは唇を尖らせて文句を言う。
ヴィオレと呼ばれた幼女は、猫のように、にんまりと目を三日月に細めた。




