40. マクネア伯爵家の醜聞
マクネア伯爵邸。
そこでは、当主のテオバルトが顔を真っ赤にしていた。
「なんだこれは!?」
機械仕掛けの妙な声は、広場以外にも響いていた。
不思議なことに、貴族街では少し遅れて同じことが起こったのだ。
だが、屋敷の中に居たテオバルトの耳には届かない。
彼にその知らせを持ち込んだのは、下働きから話を聞いた執事だった。
怒りに体を震わせるテオバルトを前に、冷静沈着な執事には珍しく、落ち着かない様子で手を閉じたり開いたりしている。
「それが、その──旦那さま。この近辺だけでなく、都全体でばら撒かれているとの話でして」
「誰だ、誰がこんなことをした!? 新聞社には口留めをしたはずだろう、高級紙だけじゃない、大衆紙もだ!」
テオバルトは怒鳴り散らすが、当然執事が知るはずもなかった。
「こんなバカなことは止めさせるんだ、一刻も早く! 私兵を出せ!」
だが、執事は震える体で首を振った。
「いえ、旦那さま──新聞は庶民街で先にばら撒かれ、しばらくしてから貴族街で広まったのです。どうやら範囲も広すぎますし、全部で何部あったのかも定かではありません」
テオバルトは唸る。
歯をむき出しにして、拳で強く机を殴った。
「構わん! 私兵を走らせろ、そしてできる限り全ての新聞を没収するんだ! そしてこんなことをした犯人を絶対に捕まえろ、いや──犯人は分かっているんだ。怪盗令嬢だ、あのしゃらくさい女を一刻も早く捕らえろ!!」
「は、はい!」
ここで頷かなければ、テオバルトの怒りは自分に向けられる。
寸分違わず理解した執事は、泡を食ったように部屋を走り去った。
◇◆◇◆◇
ヤフェスは、真っ青になっていた。
今にも倒れそうだ。
彼もまた、ラルスと同じように、突如として空中に現われ舞い降りて来た新聞を手にしていた。
「なんてことだ……!」
低く唸る。
あまりの衝撃に、ヤフェスの全身が震えていた。
想像していた以上に、事態は悪い。
こんなことにならないように、ヤフェスは動いて来た。
父テオバルトから詳細は聞いていないが、確かに新聞に書かれた内容は父が手を染めた犯罪に違いなかった。
「なぜ、ここまで把握されているんだ」
そんな疑問が、心に沸き上がる。
だが、すでにことが起こってしまった今、そのようなことを考える余裕はなかった。
あっという間に素朴な疑問は押し流されて、焦燥が心を占める。
「どうしよう、どうすれば良い?」
できることは、全てしたはずだった。
万全の準備を経て、ヤフェスは──マクネア伯爵家は、難を逃れたはずだった。
念には念を入れてもいる。
怪盗令嬢から要求された金銭を支払うために、すでにケンドリックからは資金援助の約束を取り付けた。
前金も受け取っている。
それにも拘らず、この体たらくだ。
「政敵の暗殺──これが濡れ衣だと証明して、それから」
必死にヤフェスは考えた。
頭が焼け付くように熱い。
「一度、父上と兄上にご相談しなければ」
ケンドリックに会いに行くのはその後だ。
彼が納得できる解決策を用意して面会しなければ、王太子の失望を早めるだけである。
「ああ、でもたとえ濡れ衣だと言い逃れられたとしても、民衆は納得しない」
民衆だけではない。
社交界は、いつ隣人を引きずり落とそうか虎視眈々と狙っている者ばかりだ。
特に、マクネア伯爵家は権勢を誇っている。
失墜すれば、その分自分の家門にも美味しいところが回ってくると信じる貴族は多い。
王太子の側近と言う立場もそうだ。
潤沢な金を稼げる商売も、一つや二つ欲しいと思っている者もいる。
そして、マクネア伯爵家が裕福であることを妬む貴族は多い。
自分に利益がなくとも、栄華を誇る伯爵家の失墜を愉しむ者も少なからずいるだろう。
「意識を私たちから逸らせるだけの、何かを──」
醜聞。
マクネア伯爵家が政敵を暗殺していたという話題以上に煽情的なもの。
どうにかして、その話題で世間を持ちきりにしなければならない。
無実のマクネア伯爵家。
そして、民衆を引き付ける別の餌。
その二つが揃って初めて、マクネア伯爵家は救われる。
「父が、何か情報を持っていないだろうか」
ケンドリックに頼るのは最後の手段だ。
既に、王太子には金を借りている。
これ以上、助けを求めるのは悪手だった。
間違いなく、ケンドリックは怒る。
腹を立てるだけなら良い。
この程度の問題も解決できなかったと、ヤフェスを切り捨てるだろう。
つまり、ヤフェスは王太子の側近ではいられなくなる。
それでも、ヤフェスだけに影響があるのであれば、不幸中の幸いだ。
もし──嫌な予感に、ヤフェスは生唾を飲み込む。
上手く、事態を納められなかったら。
ケンドリックは、そして王家は──マクネア伯爵家を切り捨てるのだろうか。
ぞくりと、嫌な悪寒が背筋を走る。
唇を噛み締めて、ヤフェスはなりふり構わず、マクネア伯爵邸に向かった。




