39. 時計仕掛けの広場
都の中心には、広場がある。
広場を見下ろすように大きく建った石造りの建物は昔の市庁舎で、今は銀行だ。
石造りの建物の上には、大きな時計がある。
四方には街に通じる道があり、どこからも集まりやすいようになっていた。
広場は庶民にとっての憩いの場だ。
時間帯によっては蚤の市が開かれる。
家庭持ちは蚤の市で生活必需品を買ったり、恋人たちは将来の夢を語らいながら歩いたり、とにかく騒がしい。
人が多く、迷子にならないよう必然的に手を繋いだり腕を組んだりして歩く──それが良いと、若い恋人たちにも人気だ。
当然、フレイヤもそのことは知っていた。
自身の計画にも多少、絡んではいるが、ラルスともより親密になれるチャンスである。
「ここに目当てのものが売っているのか?」
二人で昼食を楽しく食べた後、フレイヤはラルスに蚤の市に行きたいのだと告げた。
ラルスは不審に思う様子もなく、快諾してくれたのだ。
離れないようにとの名目で、フレイヤは何気なくラルスの腕を掴む。
人混みの中では職業意識が強く働くのか、ラルスは気にすることなく、むしろ逆にしっかりと自分の腕を掴むフレイヤの手を握った。
「ええ、意外とこういうところに、薬の原料がお手頃な値段で売っていたりするんですよ」
「それは初耳だな」
素直に驚くラルスの耳に、フレイヤは声を潜めて囁いた。
意味深に響くが、ラルスは気にした様子がない。
「同業者の間でも穴場なんです」
魔法薬局で作る魔法薬の原料は、基本的に専門卸で購入する。
後は、実際に採取している人に直接交渉して安く買うケースも散見されるが、最近はそれほど多くない。
そして、フレイヤはそれに加えて、蚤の市を活用していた。
確かに勝率は低いが、時々驚くような珍品や希少品に出会うこともある。
やがて、ラルスはフレイヤの言葉が事実だと眼前に突きつけられることになった。
「お、ブリギッタさんところの子じゃないか。久しぶりだな。今日は少し面白いものがあるんだ、見ていかないか?」
「あら、何を仕入れたの?」
フレイヤの発言を証明するように、広場に広がる店の合間を抜けると、時々声が掛かる。
「フレイヤちゃん、今日は男前を連れてるねえ。デートかい?」
「こんにちは、おばさん。そうでしょう、彼、見た目だけじゃなくて性格も素敵なんですよ」
その度に、フレイヤは愛想よく答える。
中にはラルスと歩く彼女を揶揄うようなものもあったが、戸惑うラルスに対して、フレイヤは落ち着き払っていた。
楽しげに笑いながら、如才なく話を盛り上げ、適当なところで切り上げる。
ラルスはしばらく黙ってフレイヤに付き合っていた。
やがて、二人は広場の隅にある店でジェラートを買い、広場の隅にあるベンチに腰を下ろした。
フレイヤは、チョコレート。
ラルスは、レモンだ。
「どうしました?」
何とも言い難い表情のラルスを見て、フレイヤは首を傾げる。
ラルスは「いや──」と、言葉を濁した。
「君がこれほど顔が広いとは思わなかった」
フレイヤはくすりと笑う。
ここの人脈は全て、フレイヤがブリギッタの魔法薬局で働くようになってから広がったものだった。
コンスタンツェ・ルベラティスだった時は、豊かだったが交友関係は限られていた。
幼い時に王太子の婚約者となり、権勢を誇るルベラティス公爵家の娘だった彼女は、自由に友達を選ぶことも許されなかった。
ある程度成長してからは、真の友などできなかった。
打算と計算。
全てが、社交界の力関係で決まっていた。
フレイヤ自身も、友人となるべき相手が誰でも良いわけでもなかった。
当然、両親が選んだ「相応しい友人」など、気に入るべくもない。
彼女が真に愛するのは、ホンモノだけだ。
親に言われただけ、家の役に立つと考えただけ。
そんな人間など、近くにいるだけで不快だった。
だが、フレイヤになってから知り合った人たちは違う。
彼らは良くも悪くも自分に正直だ。
親切は心からのもので、関わりたくないと思えば無視をする。
たとえ愚かなのは同じでも、偽りを語らないだけ好ましい。
「大して広くはありませんよ。ラルスさまの方が、色々な方とお知り合いではありませんか」
コンスタンツェとしての顔も合わせれば、もしかするとフレイヤの方が知り合いは多いかもしれない。
だが、フレイヤは魔法薬局の地味な店員だ。
一介の庶民でしかなく、行動範囲は魔法薬局と世話になっている店、薬局の客くらいである。
ラルスは複雑な表情になった。
「知り合いといっても、俺の場合はな──決して友好関係ばかりではないから」
王立憲兵騎士団の団長である以上、ラルスを恨む者もいるだろう。
それに、ラルスはタンザナイト男爵の養子だ。
間違いなく、王太子ケンドリックもラルスの身辺には目を光らせている。
ラルスが気が付いているかどうかは分からないが、少なくとも、彼の養父は勘付いているはずだった。
当然、気軽に友人を作れたとも思えない。
──やっぱり、小物だわ。
フレイヤは、脳裏に浮かんだケンドリックの顔に大きくバツを付けてやる。
昔からそうだったが、どうにも王家や取り巻きのやり方は気に食わない。
ニセモノで、器が小さく陰湿。
それが、フレイヤから見た今の王家だ。
その時、広場の時計がカチリと音を立てる。
何気なく、フレイヤとラルスは揃って時計を見上げた。
「もう三時か」
あっという間に時間が経っていたと、ラルスは驚く。
カチリという音は、秒針が真上を通った音だった。
同時に、からくり時計が動き始める。
文字盤の下半分が、ゆっくりと開く。
何の変哲もなかった文字盤が、からくり人形の舞台になる。
姿を現わしたのは、五体の人形。
町娘と、若い旅人が出会って恋に落ちる。
娘の後ろには、厳格な父親。
若者の後ろには、吟遊詩人。
中央に、白いローブを着た天使。
音楽が流れ、若い二人は愛を誓い合う。
広場の名物だ。
見慣れているはずの者たちも、どうしても見たくなる。
そして、それこそがフレイヤの待ち望んだ瞬間だった。
ジェラートを食べ終えたフレイヤの口角が、緩やかに上がる。
「──なんだ?」
一体誰が、呟いたのか。判然としない。
だが、そんなことはどうでも良かった。
音楽が流れ始める。
同時に、どこからともなく宙に出現した紙が、広場全体にばら撒かれる。
「新聞?」
最初に手を伸ばして紙を手に取った誰かが、呟く。
瞬間、時計からは音楽の代わりに、機械仕掛けの声が大音量で響いた。
『号外! 号外だよ!』
『醜聞! 醜聞! あのマクネア伯爵家の闇!! さあさあ御覧じろ!』
なぜか、声は広場の外にまで届く。
知らない貴族の名前であれば、大半は無視したかもしれない。
だが、マクネア伯爵家は、庶民も良く知っている。現当主テオバルトの、商売人としての手腕は有名だった。
息子のヤフェスも、貴族の割には庶民の声に耳を傾けてくれると、評判だった。
その、マクネア伯爵家の醜聞。
当然のように、誰もが興味を惹かれる。
不可解な声だけでなく、新聞も街のいたるところで出現し、人々の手元に舞い落ちた。
「な──っ!?」
さすがのラルスも、愕然とする。
慌てて、彼は目の前にひらひらと落ちて来た新聞を奪うように取った。
食い入るように見つめる。
フレイヤも、隣から紙面を覗き込んだ。
──さすが。
上手く書けているじゃない、と、フレイヤは内心で褒め称えた。
『マクネア伯爵テオバルトの罪』
そう題された記事は、大々的に、テオバルトが政敵を次々と暗殺したことが書かれていた。
匿名の証言者から得られた情報、そしてその人物が持っていたという証拠。
どこからか流れ出た毒薬の購入者リストには、マクネア伯爵家が購入した毒の種類と量、日付が書いてあると言う。
その時期と照らし合わせると、不審な死、もしくは若くして病死した貴族や有力者の存在が浮かび上がる。
記事は、断定していない。
マクネア伯爵が実際に手を下したとは書いていない。
だが、明言していなくても人々は疑う。
そして、確信する。
真犯人が見つからない限り、マクネア伯爵は疑われ続ける。
遥か昔、王族や貴族が圧倒的な権力を有していた時代ならば、握りつぶせた。
だが、今はもう無理だ。
「大変なことですね」
フレイヤは、他人事のように呟く。
ラルスは最初こそ唖然としていたが、すぐに憲兵騎士団長の顔になっていた。
その横顔を盗み見て、フレイヤは目をわずかに細める。
他愛もなく過ごしているラルスの、穏やかな表情も好ましい。
だが、一番は王立憲兵騎士団のラルスだ。
「ああ、だが──」
ラルスは言い淀む。
静かにフレイヤは待った。ラルスが言おうとしたことは、薄々分かっていた。
だが、自分から言い出す気はなかった。
やがて、ラルスは深く溜息を吐く。
ゆっくりと手にした新聞紙を折り畳み、ポケットに入れた。
「マクネア伯爵家は、終わりだな」
「そうなのですね」
マクネア伯爵を知らないのだから、フレイヤは同意しない。
だが、ラルスの言わんとしているところは容易く理解できた。
ラルスは苦々しい表情で肩を竦める。
「こうなれば、王太子殿下はマクネア伯爵を庇わない」
庇えない、ではない。
ケンドリックは、マクネア伯爵を守らない。
国王も同じだ。
彼らは──特にケンドリックは、自分が優秀だからこそ、常に合格点を出さない者には厳しい。
テオバルトもヤフェスも、健闘した。
ユーディアライトを奪われ、資金源である薬草卸売専門店『ミスティコ』を失った。
怪盗令嬢に支払えないほどの金銭を要求され、不都合な事実を明らかにすると脅迫されても、抗った。
相手が怪盗令嬢でなければ、何事もなく終わっただろう。
だが、彼らが敵に回したのは怪盗令嬢。
コンスタンツェ・ルベラティスだった。
マクネア伯爵家はケンドリックの協力を得たが、防御戦に失敗した。
不合格だ。
王家は、マクネア伯爵家を切り捨てる。
少しずつ貴族の力が弱体化している今、王家はマクネア伯爵家の醜聞を庇えるほどの体力がない。
王家を守るために。
──マクネア伯爵家は、切り捨てられる。
「物悲しいものですね」
フレイヤは、言った。
心の底からの憐憫だった。
ラルスは目を瞬かせる。そして、目を細めて優しくフレイヤを見た。
「そうだな」
優しい娘だと、ラルスは思ったのかもしれない。
だから、フレイヤは否定しない。
憐れみ。
それは、弱者に向ける感情。
傍に仕えた者を容赦なく切り捨てる、その無情さはいつしか己を傷つける。
そのことに気が付かない愚か者に感じる、底のない冷笑だった。




