37. マクネア伯爵家の慢心
アンバジェス王国の王都にあるマクネア伯爵邸で、当主のテオバルト・マクネアは酷く安堵していた。
ここ数日、飲む気にならなかったワインをグラスに注ぐ。
「やはり、殿下は素晴らしいお方だ」
ゆったりとソファーに寛ぎ、テオバルトはワインを味わいながら目を瞑った。
「ヤフェスが側近で、これほど感謝したこともなかろう」
綿密に計画をしたわけではなかったが、やはり貴族としては息子を王太子の側近にしたい。
息子が王家と親しくしているか否かで、その後が随分と変わるのだ。
伯爵家は、貴族の中でも比較的高位だ。
だが、同じ伯爵家といっても、政治の発言権があるかどうかで影響力も変わる。
ヤフェスが生まれた時は、テオバルトもしめた、と思った。
王太子ケンドリックと同い年になるからだ。
それに、男である。
女であれば王太子の婚約者にもできたかもしれないが、あいにくと翌年には、ルベラティス公爵家に娘が生まれた。
公爵家を相手に伯爵家では分が悪い。
結局、息子で良かったとテオバルトは胸を撫でおろしたものだ。
「もっとも、我がマクネア伯爵家と王家は一蓮托生だが。王太子殿下は優れたお方だから、うちの頭の足らん息子とは違って、どこかのタイミングで自ら把握なさったのだろう」
だからこそ、ケンドリックはすぐにマクネア伯爵家に協力してくれたのだ。
愚かにも、マクネア伯爵家の家宝であるユーディアライトを盗んだだけでなく、脅迫まがいの連絡をして来た怪盗令嬢。
彼女は自らの命をその手で縮めたのだ。
テオバルトは皮肉に唇を歪めた。
怪盗令嬢には、金の支払いを待つように伝えた。
自分で要求しておきながら、マクネア伯爵家がすぐに用立てられる金額ではないと知っていたのだろう。
了承の返事が手紙で来た時は、テオバルトは喝采を上げたものだ。
自分たちを上手く躍らせているつもりだろうが、むしろ、テオバルトたちの方が上手である。
おおよそ、テオバルトはケンドリックと同じ推測を立てていた。
もしマクネア伯爵家が、怪盗令嬢が要求した金額を支払えなかった場合──彼女は、マクネア伯爵家が権力を握るために何をしたか、暴露すると言う。
その手段は手紙には書かれていなかったが、想像は付く。
七、八年前からその存在感を増して来た新聞社だ。
貴族向けの高級紙であれば、金を払い口を利くだけで握りつぶせる。
だが、大衆紙ともなるとそうはいかない。
「あの連中は、自分たちがまるで神の使いにでもなったかのような顔をしていやがるからな」
テオバルトは不機嫌に呟いた。
眉間に深く皺を寄せる。
大衆紙に煮え湯を飲まされたことのある貴族は、何人もいた。
貴族であれば当然のことをしていただけなのに、大衆紙はまるで彼らが悪であるかのように取り上げ、庶民の不満を煽ったのだ。
「大衆紙はやはり、害悪でしかないのだ。これを機に、殿下には奴らを潰して貰わねばならん」
最初は、貴族たちも大衆紙の存在を軽視していた。
大したこともできないだろうと、そう思っていたのだ。
実際に、当初の大衆紙は庶民たちに見向きもされていなかった。
それが、いつしか変わった。
大衆紙の記事で庶民たちは動く。
貴族が情報統制をしようとしても、完全には制御できない。
まさに、社交界にとって大衆紙は目の上のたん瘤だった。
「とはいえ、いくつかの大衆紙は従ったようだし、従わない新聞社は社長や編集長を檻にぶち込んだと言うからな。それに怖気づいたのか、数社は社長もろとも逃げ出したようだ」
つまり、もはや大衆紙も恐るるに足りぬというわけだ。
怪盗令嬢についても、調査を強化したという。
「王立憲兵騎士団が捕縛するかもしれんが、シーマン子爵家の倅も動き始めたというからな。もう、あの盗人も後はないだろう」
ここまで来れば、あとは金だけが問題だ。
素直に支払うのも勿体ないと、テオバルトは思う。
実際に、支払わなかったとて、マクネア伯爵家が困ることもないだろう。
──いずれにせよ、怪盗令嬢は捕まるのだから。
◇◆◇◆◇
テオバルトが一人でワインを楽しんでいるのと同じ頃、王宮では聖女ミアが嬉しそうにはしゃいでいた。
「ねえねえ、これ見てよ!」
ヤフェスはちょうど、ニッキー・シーマンとオーラン・カウマンスと三人で、打ち合わせを終えたところだった。
定期的に開催している会議で、時々ケンドリックも参加する。
だが、今日はケンドリックは欠席だった。
王太子が居れば、とても緊張する。
少しのミスも許されない雰囲気で、終われば重労働の一日を終えた気分にすらなる。
だが、側近三人だけであれば、とても気楽だ。
むしろ楽しく盛り上がり、疲労感もそこまで強くは残らない。
そして、ヤフェスに限って言えば、今日はその気持ちも一層強かった。
怪盗令嬢が支払いを待つと回答したと、父から教えられた。
新聞社に対する口留めが、成功した。
ニッキーも、怪盗令嬢捕縛に向けて順調に計画が進んでいると言った。
一時はどうなるかと思ったが、マクネア伯爵家は安泰だ。
そんな気持ちだったから、ミアが元気溌剌と近付いて来た時も、すぐに彼女が何を言いたいか気が付いた。
「美しいドレスですね。先日のグランド・コレクションで見たようなデザインですが」
「そう! そうなのよ、よく気が付いたわね」
少し驚いたように、しかし嬉しそうにミアは頷く。
ミアは、日常には相応しくないような華美なドレスを身に纏っていた。
全身が薄ピンク色で、きらきらと金粉が全身に撒き散らされている。
髪の毛も、ドレスに合わせるためか複雑に結い上げられていた。
中央には、顔ほどもあろうかという花が飾られている。
「……すごいですね。僕は詳しくないですが、そういうドレスが好まれているのですか」
呆気にとられた様子なのは、魔法に目がないオーラン・カウマンスである。
ミアは得意げに言った。
「違うのよ。これが、今の流行の最先端なのよ。私は聖女でケンドリックの婚約者なのだから、私が身に着けたものが社交界の流行になるの」
「なるほど。そうなのですね」
オーランは素直に感心している。
聖女ミアは元々、市井で生まれ育った。
フェルスパー男爵家に引き取られ、貴族令嬢としての教育を受けたものの、完全には身についていない。
それでも許されるのは、ミアが聖女であり、教会の後ろ盾を持つからだ。
貴族の中にも、ミアが本当に聖女なのかと疑う者は居る。
その筆頭が、タンザナイト男爵ユルゲンだ。
公言こそしないが、聖女を信奉する貴族と比べると、一歩引いているのが分かる。
だが、ヤフェスはミアこそが聖女だと信じていた。
歴史上、いたとされるどの聖女よりも、ミアの能力は素晴らしい。
聖女は頻繁に生まれるものではなく、ここ数十年でようやく見つけられた聖女がミアだった。
だから、過去の聖女が具体的にどのような能力があったのか、その能力を生涯発揮できたのかは定かでない。
それでも、ミアの能力は随一だと教会も太鼓判を押し、王家も認めた。
事実、ヤフェスだけでなくニッキーもオーランも、そして王太子ケンドリックでさえ、ミアの能力を目の当たりにしたのだ。
──予見の聖女。
それが、ミアに与えられた称号である。
「この前、デザイナーを呼んでいたと殿下に伺いました」
ヤフェスが事実を告げると、ミアは恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。
「えっと、そうなの。私が、頑張って勉強してるからって──ご褒美が欲しいって言ったら、幾らでも作れば良いって、言ってくれたの!」
「それは素晴らしいですね」
如才なくヤフェスが褒めると、隣でまじまじとドレスを眺めていたニッキーが心底感嘆したような声を上げた。
「すっげえ。これ、いくらすんの?」
「さあ? 分からないわ。でも、庶民の生涯年収はきっと軽く超えるわね」
あっさりとミアは答える。
本当に興味がないのだろう。
請求書もミアの手元に届くことはなく、当然、ケンドリックが確認することもない。
文官の下に事務的に届けられ、他の雑事と同じように粛々と処理されていくのだから。
「これ以外にも、色々と作って貰ったのよ。今度の夜会で着るの。みんな、絶対に注目するわ」
ミアは頬を上気させて語る。
聖女としても、王太子ケンドリックの婚約者としても、ミアは注目の的だ。
誰もが羨む。
だが、誰一人としてミアが得た地位も権力も、手に入れることはできない。
ミアは、このアンバジェス王国で一番権力を持つ、そして最も幸福で幸運な女性になるのだ。
それが心底楽しくて堪らないのだと、ミアはその表情だけで、雄弁に語っていた。




