36. 王太子の命令と養父の教え
王太子から一方的に届けられた書簡を手に、ラルスは片眉をあげた。
「唐突だな」
王立憲兵騎士団の団長室で、書類仕事をしようとしていた矢先のことだった。
薬草卸売専門店『ミスティコ』と密猟組織を摘発したことで、王太子とその近辺は騒がしくなる。
そこまでは想定通りだったが、だから怪盗令嬢の捕縛については以前ほど煩く言われないだろうという予想は見込み違いだった。
「怪盗令嬢の捕縛を急ぐこと。なお、ニッキー・シーマンも騎士を率いて調査にあたるため、努努遅れを取らぬよう──なるほど」
ニッキー・シーマンは王太子の側近の一人だ。
武芸に秀で、将来は近衛騎士筆頭になるだろうと目されている。
だが、彼は子爵家の息子だ。
そのまま近衛騎士筆頭になれるかというと、そう簡単ではない。
他の近衛騎士も反発するだろうし、貴族も彼を舐めてかかるに違いなかった。
そうなると、近衛騎士でありながら、ケンドリックを守りきれない可能性もある。
そこで考えられる手が、王立憲兵騎士団の団長の座だ。
ラルスは若く健康で、しばらく団長職を退く予定はない。
だが、何かがあって団長の席が空けば、そこにニッキーが座れる。
王立憲兵騎士団の団長ともなれば、十分な実績だ。
一気に近衛騎士筆頭への道が拓ける。
ただ、ニッキー・シーマンはそこまで深く長期的に物事を考えられる性格ではない。
何人かの顔を思い浮かべ、ラルスは納得した。
「おおかた、殿下かヤフェスの判断だろう」
王太子ケンドリックと側近の中で、政治的なことも含め長期計画を立てられるのは、その二人くらいだ。
ニッキーは体を動かす方が得意だし、オーラン・カウマンスは社交界や政治にそれほど興味がない。
「となると、面倒だな」
何が面倒かといえば、怪盗令嬢を全力で捕縛するフリをすることだ。
怪盗令嬢は非常に知能が高い。
それに、優れた魔法使いだ。
ニッキーは武力には秀でているが、怪盗令嬢を相手にすると明らかに分が悪かった。
だから、ラルスがニッキーに負けることはない。
「そりゃあもちろん、怪盗令嬢は必ず捕まえるが」
このような形で、彼女を捕縛する気はなかった。
怪盗令嬢は、ラルスの好敵手だ。
もし彼女が怪盗などではなく、憲兵騎士団や王宮に魔法使いとして勤めていたら──ラルスは、間違いなく毎日彼女に手合わせを願い出ただろう。
それほどまでに優れた魔法使いである彼女を、政治の駆け引きに使いたくはなかった。
「──父上や団長に聞かれたら、甘いと言われそうだ」
ラルスの養父ユルゲンは二代前の憲兵騎士団長だった。
そして、前団長のヨアヒム。
その二人が、ラルスをここまで育て鍛え上げてくれた。
優しくも厳しい恩人だ。
ヨアヒムは二年前に事故で命を落としたが、今でもラルスは彼の教えを胸に秘めている。
思わず、ラルスは自嘲した。
自分が青臭いことを言っている自覚はあった。
きっと、養父もヨアヒムも、ラルスの発言を聞けば真面目に仕事をしろと言うだろう。
政治的駆け引きだろうが、なんであろうが、犯罪者を捕まえるのがラルスの仕事だ。
持つべき矜持を履き違えるなと、言葉を尽くして諭すのがユルゲン、そして鉄拳制裁をするのがヨアヒムだった。
「感傷的になってるな」
ラルスは溜め息を吐いた。
怪盗令嬢の捕縛になかなか前向きになれないのは、それだけが理由ではない。
フレイヤという名の、少女。
今、彼女はラルスの家にいる。
ラルスの不手際で、フレイヤは無頼漢に狙われた。
間違いなく『ミスティコ』や密猟集団に関わりのある貴族の仕業だ。
もっとも、フレイヤは恐怖に怯えるだけでもなく、一方的にやられるでもなく、角材で対抗しようとしていたのだが。
あの瞬間を思い出す度に、ラルスは口角が上がる。
凛とした雰囲気はあると思っていたが、基本的にフレイヤはおっとりとしている。
その彼女が、まさかあれほどまでに好戦的だとは、想像したこともなかった。
王立憲兵騎士団の騎士たちはフレイヤと交流がある。
その彼らでさえ、フレイヤのあのような姿は考えもしないだろう。
次の瞬間、ラルスは表情を引き締めた。
──そうだ。
怪盗令嬢は、後で良い。
彼女は人を殺すどころか、傷つけもしない。
手をつけるのは、貴族の宝石だけ。
それも、大量に盗むわけでもない。
代々伝わる家宝を盗むこともあるが、それで傷つくのは貴族の矜持だけだ。
だが、フレイヤは違う。
彼女は明らかに、命を狙われていた。
男たちは、殺すつもりはなかったという。
後からなら、なんとでも言える。
彼らはフレイヤが自分たちの望む答えを口にするまで、痛めつけるつもりだった。
結果的に死んだとしても、仕方がないと笑って済ませただろう。
貴族にとって、庶民の命は宝石より軽い。
それならば、ラルスが選ぶ道は一つだけだ。
「王立憲兵騎士団は、民の命を守るためにある──そうですよね、養父上」
それが、養父ユルゲンの教えだ。
王立憲兵騎士団の矜持。
自分たちは王国に仕えるのであって、国王や王族に仕えているのではない。
国とは、民。
民なくして、国はない。
国なくして、王も貴族もない。
それを忘れてはならないのだと、養父は──ユルゲンは、何度も何度も、繰り返していた。
ラルスがその言葉を、一言一句違いなく、脳に刻み込むまで。




