34. フレイヤと憩いの紅茶
ラルスの家で、料理を作る。
家の外では、思い通りに動く人々。
フレイヤにとっては最高に楽しい日常だ。
ブリギッタの魔法薬局で働かないことは少しつまらないが、予定が繰り上がっただけだと思うと問題はない。
「きっと、マクネア伯爵は焦っているわよね。ヤフェスもさすがに、伯爵から聞いたかしら?」
くすくすと、フレイヤは笑う。
今、王家と共に権力を恣にしている貴族たちは、誰もが汚い手でのし上がった成り上がりだ。
マクネア伯爵家も、例に漏れない。
かつてテオバルトが政敵暗殺のために購入した毒薬。
目障りな人間の弱みを握るために使った麻薬。
それは全て、コンスタンツェが運営していた魔法薬局が販売していたものだ。
その流通経路を、ルベラティス公爵家の没落後に己のものとしたのはテオバルトである。
自分のものになったのだから、身を脅かされることもないと思ったのだろう。
「顧客名簿も捜索したみたいだけど、結局本物には辿り着かなかったものねぇ」
フレイヤは目を細めて笑った。
ルベラティス公爵家の没落は、フレイヤの計画通りだ。
だから、あらかじめ偽の顧客名簿と帳簿を作っておいたのだ。
表向きに用意した名簿と帳簿には、簡単な内容しか書いていない。
テオバルト・マクネアは、フレイヤが用意してあげた名簿と帳簿で満足した。
それ以上、調査することもなかった。
ルベラティス公爵家が雇った従業員を馘首して、安心した。
まさか、今に来て脅されるとも思っていなかっただろう。
本当は、フレイヤももう少し待つつもりだった。
薬草卸売専門店『ミスティコ』が摘発されてマクネア伯爵家の収入が激減し、新たな商売を始めようにと打つ手がない。
元々多くない貯蓄をすり減らし、後がない──そうなった時に、怪盗令嬢からの要求を突きつけようと思っていた。
だが、ラルスがフレイヤを家に誘った。
だから、フレイヤは計画を早めることにした。
まだマクネア伯爵家の貯蓄は残っているだろうが、要求額を釣り上げれば良い。
金銭が欲しいわけではなく、狙いは王家の足場を瓦解させることなのだから。
「ケンドリックが動くということは、ヤフェスが伯爵側に立ったということだわね」
フレイヤは考える。
だてに長い付き合いではない。
ケンドリックの性格も、ヤフェスの思考回路も読めている。
良くも悪くもヤフェスは流される性格だ。
近視眼的で、目の前のことしか考えない。大義があるわけでもない。
現状を崩さずに済むと思えば、いとも簡単に易きに流される。
そして、ケンドリックの思考回路も明らかだ。
彼は、ヤフェスが伯爵の指示通りに動いているだけだと思えば協力はしない。
ヤフェスが自らの意思でその道を選択したと判断した時に、ようやくその腰を上げる。
二人の会話を聞いていなくとも、その後の行動でおおよそのことは分かるのだ。
「ヤフェスが勇気を出したのなら、手を差し伸べたかもしれないけれど」
歌うように呟いて、フレイヤはお気に入りの紅茶を淹れる。
バラの香りが漂う品で、ここ最近巷で流行りはじめた。
貴族には好まれないだろうが、庶民人気は高い。
それが怪盗令嬢のようだと、フレイヤはご満悦だ。
(手を差し伸べる? そんな気もさらさらないだろう)
黒猫のヴィオレがゆっくり目を瞬かせて、声を掛けて来る。
脳に直接響くような声に、フレイヤは笑った。
「それはそうよねえ。だって、彼、ニセモノだもの」
(その割には手ぬるいことだ)
フレイヤはきょとんと目を瞬かせる。
考えてもみなかった、とでも言いたげだ。
少しして、フレイヤは口を開く。
「ニセモノの中でも一番マシだから、かしら?」
ホンモノとニセモノ──何が違うのか、フレイヤはきちんと言葉にしたことはない。
だが、フレイヤは直感的にその二つを区別する。
そして、その判断はたいてい間違っていないと、後から分かるのだ。
だからこそ、フレイヤはヤフェスをニセモノだと断じる。
彼一人なら見逃しただろう、その程度のニセモノ。
だが、ヤフェスは周囲に影響されやすい。
つまり、王太子ケンドリックの側近となった時点で、フレイヤの中では切り捨てることが決まっていた。
「でもほら、籠の中に腐った果物が一つでもあれば、次々と腐っていくでしょう? ヤフェスはもうう、半分以上腐り落ちているのよ」
我ながら良い例えだと、フレイヤは満足する。
ヴィオレは、やれやれと呆れ顔だ。
黒猫の表情はあまり変わらないと人は言う。だが、ヴィオレに限っては人間以上に表情豊かだと、フレイヤは声を立てて軽やかに笑った。
◇◆◇◆◇
王太子ケンドリックは、ヤフェスに座るよう促した。
普段であれば、ヤフェスはケンドリックに簡単な報告しかしない。
だから、椅子に腰掛けることもない。
だが、今日は状況が違う。
マクネア伯爵家の没落を防ぐための方策を立てなければならないのだ。
「言うがままに金を払ったとしても、事態は解決しない」
ケンドリックは力強く述べた。
金を払ったところで、怪盗令嬢が暴露しないとは限らないからだ。
ヤフェスも異論はない。素直に頷いて同意する。
執務椅子に深く腰掛け直し、ケンドリックは左右の肘掛に両肘をついた。
指先を顔の前で合わせ、目を眇める。
目の前に居るヤフェスではなく、どこか遠くを眺めて、彼は続けた。
「まずは、怪盗令嬢が暴露する時期を極力先延ばしにする必要がある。そうして、こちらが奴の口を塞ぐための時間を稼ぐんだ。同時に、仮に暴露しようとしてもできない──そんな状況を作り上げておかねばなるまい」
ヤフェスは目を瞬かせた。
ケンドリックの思考は早い。ヤフェスは度々ついていけなくなる。
だが、ケンドリックは周囲が混乱しようとお構いなしだ。
だから、ヤフェスは必死で質問を考えた。
何をするにせよ、ケンドリックの意図はきちんと理解しなければならない。
そうしなければ、二度、三度と説明を求められたケンドリックは不機嫌になる。
説明を求めなかったとしても、ケンドリックの意図に沿わない行動を起こしただけで、その人物に対する評価を下げる。
マクネア伯爵家没落を避けるために協力を願い出ている時点で、ヤフェスに失敗は許されなかった。
「暴露しようにもできない状況、というのは具体的に──?」
ケンドリックは、顔をヤフェスに向ける。
そして、皮肉な笑みを浮かべた。
「怪盗令嬢が貴族の秘密を暴露するとして、その手段はなんだ? 王宮の屋根にでも立って、ビラを撒くのか?」
そんな愚かなことをするはずがないだろうと、ケンドリックは言外に囁く。
ヤフェスは慌てて頷いた。
ケンドリックに指摘されると、それ以外にないと思えるから不思議だ。
むしろ、自分で思いつかなかったことに恥ずかしささえ覚える。
「いえ、そんなことはないと思います。その──新聞社を使う、ということでしょうか」
「それ以外にはあるまい」
王太子や権力の中枢にいる貴族が、あまり強く手出しできないところ。
すなわち、新聞社だ。
だが、完全に手出しができないわけではない。
王家であれば、多少は言うことを聞かせられる。
「事前に黙らせておけば良いのだ。そうしたら、怪盗令嬢は手足を捥がれたも同然。そうしておいて、今度こそ怪盗令嬢を捕まえれば良い」
力強く言ってのけ、ケンドリックはわずかに首を傾げた。
「王立憲兵騎士団だけでは難しいか。そうなると、奴らとニッキー・シーマンを競わせても良いかもしれんな」
王立憲兵騎士団は、これまで何度も怪盗令嬢を取り逃している。
一方で、シーマン子爵家は剣技に優れ、ニッキーも優秀な騎士だ。
多少頭脳で劣るところはあるが、ケンドリックから見ればニッキーもヤフェスもオーラン・カウマンスも、当然ラルスも五十歩百歩である。
むしろ、指示を出せば猟犬のように忠実に従うニッキー・シーマンの方が、何かと反発するラルス・タンザナイトよりも使いやすい。
ケンドリックは自分の思い付きに満足した。
「そしてニッキーが手柄を上げれば、王立憲兵騎士団団長の座をニッキーに渡せば良い。なんだ、一石二鳥ではないか」
その場合、ラルスは平団員に降格だ。
また一から自身を鍛え直すか、心が折れてタンザナイト男爵領に戻るかは、ラルス次第である。
方針が決まったと、ケンドリックはヤフェスを見た。
「怪盗令嬢には金の支払時期を交渉しろ。その間に、マクネア伯爵が支払える金額を算出しておけ。不足分は、最悪、王家の資産から補填する。後々返しては貰うが、爵位を失い路頭に迷うよりはマシだろう」
ヤフェスは、安堵した。
深々とケンドリックに頭を下げる。
「ありがとうございます。父もこの上ない喜びであると、感謝するに違いありません」
これで、助かった。
ヤフェスはそう、信じていた。




