33. 王太子の執務室
王宮の最奥部にある、王太子の執務室。
ヤフェスは顔馴染みになった護衛に会釈し、扉を叩いた。
「殿下、ヤフェス・マクネアです。失礼いたします」
名乗れば、中から扉が開く。
招き入れてくれたのは、侍従だった。
「どうした。珍しいな、ヤフェス」
ケンドリックが顔を上げる。手には書物を持っていた。
他国からの輸入品だ。
能力が高いと評判の王太子は三ヶ国語を操れる。
使いこなすとまで言わない言語を含めれば、更に言語数は増える。
今、ケンドリックが手にしている書物は、言語体系も全く異なる遥か遠い国のものだった。
「お話があって伺いました。人払いをお願いしても宜しいでしょうか」
「構わん」
答えてケンドリックが手を振れば、護衛と侍従が部屋を出る。
周囲を見回して、ヤフェスは尋ねた。
「聖女さまは、今日はいらっしゃらないのですね」
ケンドリックは書物に栞を挟んで卓上に置くと、小さく笑う。
「ミアが居ないと不服か?」
「いえ、そういうわけではないのですが」
ヤフェスは口籠った。
ケンドリックがミアにどのような感情を抱いているのか、ヤフェスは分からない。
コンスタンツェが婚約者だった時よりも、リラックスしているように見える。
囁く愛の言葉も多い。
だが、本当にミアを愛しているのか──そう考えると、いつもヤフェスは袋小路に迷い込む。
そんなヤフェスを見て、ケンドリックは皮肉な笑みを深めた。
「ミアは今、部屋にいる。隣国からの外商が来てな。先日のグランド・コレクションで披露されたドレスが発売されたらしい」
グランド・コレクションは複数国で開催されるファッションショーだ。
最高峰のデザイナーが腕によりをかけて最先端のドレスを披露する。
そのコンセプトを元に流行が形作られるのだ。
だから、世の女性は──特に社交界に出入りする貴族女性は、グランド・コレクションの作品を気にかける。
そして、いち早く最先端のドレスを手に入れようとするのだ。
その上、入手するドレスは、グランド・コレクションに出品したデザイナーが属するオートクチュールのものが望ましい。
一種の格式だ。
ヤフェスは呟いた。
「もうそんな時期ですか」
「ああ、そうだ」
聖女ミアが王太子の婚約者となってから、毎年の恒例。
グランド・コレクションで披露されたドレスを、ミアに似合うようさらにカスタマイズする。
カスタマイズを手掛けるのも名のあるデザイナーだ。
清らかで、心優しく美しい聖女。
彼女の身につけるドレスや宝石は、たとえシンプルに見えても非常に高価だ。
これまでは気にしたこともなかった事実に、ヤフェスは気がついてしまう。
だが、それを口にすることはできない。
ケンドリックが良しとしているのだ。
異論は認められない。
そういえば──と、ヤフェスは思い出した。
かつての王太子の婚約者、コンスタンツェ・ルベラティスはどうだったか。
確かに彼女はいつも美しく着飾っていた。
宝飾品も、国家予算に匹敵する品を身につけていた。
その大半はルベラティス公爵家が没落する時に接収され、一部はミアのものになった。
コンスタンツェのものは全て、ルベラティス公爵家が用意していた。
王家の予算には、一切手をつけていなかった。
ミアは、フェルスパー男爵家の養女だ。
男爵家に、王太子の婚約者に相応しい宝飾品やドレスを買う予算はない。
聖女を後援する教会も、聖女の活動に必要な物品以外に金出さない。
だから、自然とミアのドレスや宝飾品は王家が──王太子が、購入している。
ヤフェスは、ケンドリックに気が付かれないように首を振った。
今、重要なのは聖女ミアのことではない。
彼には使命があった。
これまで、ヤフェスはケンドリックに正面切って物を申したことはない。
いつもケンドリックに指示され命じられ、その通りに動いて来た。
王太子に意見を申し述べたり、反論するなどあり得ないことだった。
緊張が極限に達しそうになる。
それでも、ケンドリックは勇気を出した。
金がなくなる、ということだけではない。
貴族としての立場を失うということだけではない。
ひとつ間違えれば、ヤフェスもマクネア伯爵家も、破滅する。
累は王太子にも及ぶだろう。
「それで、なにか用があったのだろう?」
ケンドリックはヤフェスを急かす。
彼はあまり雑談をする性質ではない。
特に興味や関心のないことには、ほとんど耳を貸さない。
それを知っているから、ヤフェスは単刀直入に告げた。
「怪盗令嬢から、ユーディアライトの返却について打診がありました」
「ほう」
ケンドリックは片眉をあげる。
珍しいこともあるものだ、と言いたげな表情だ。
そして、彼は皮肉な笑みを浮かべる。
「自主的に返却を望むとはな。これでは王立憲兵騎士団も型なしだ。存在意義もないではないか」
嘲笑うような声音だ。
だが、同時にケンドリックは理解していた。
その程度のことでヤフェスが話をしに来るはずがない。
そもそも、彼は「相談がある」と言ったのだ。
怪盗令嬢のこれまでを考えても、何かしらの裏があると考えるべきだろう。
「それで? そいつは何を要求して来た。金か?」
問いながらも、ケンドリックは半信半疑だった。
かつて、怪盗令嬢が盗みに入った現場には、予告された宝石の隣に現金が置いてあった。
盗んだものとわからないよう、識別番号もバラバラにしたものだ。
それなのに、怪盗令嬢は現金には一切手を触れなかった。
彼女の目的は、金ではない。
宝石なのだと、人々が確信した瞬間だった。
同時に、それをきっかけに、怪盗令嬢の庶民人気は急上昇した。
「金銭の要求もありましたが、本命はそちらではないだろう、と」
「どういうことだ?」
ケンドリックは眉を顰める。
マクネア伯爵家の財力は王家に匹敵する。
その伯爵家に金銭を要求したが、それは本命ではないという。
「そんなに大金を要求したのか?」
「以前までならば、少し無理をすれば払えなくはない。そんな金額でした。しかし」
そこまで言って、ヤフェスは一瞬言葉を切る。
ケンドリックはすぐに理解した。
「なるほどな。『ミスティコ』の摘発か」
「そうです。あまりにもタイミングが悪すぎます。もしかしたら──王立憲兵騎士団と怪盗令嬢が繋がっているのではないかと思える程です」
ふとした思いつきだった。だが、口にしてみて初めて、ヤフェスはそれが真実なのではないかという気がした。
そう考えると、王立憲兵騎士団がなかなか怪盗令嬢を捕まえられないのも理解できる。
しかし、ケンドリックは薄笑いを浮かべて首を振った。
「それだけはないだろうよ」
「──そうでしょうか」
ヤフェスは肩を落とす。
ケンドリックが言うからには、間違いはないのだろう。
だが、根拠がわからない。
眉根を寄せるヤフェスに、ケンドリックは意味深な目を向けた。
「それで、金が払えないならどうすると、怪盗令嬢は言った?」
ヤフェスは唾を飲み込む。
そして、押し殺した声で告げた。
「マクネア伯爵家が不正に毒薬と麻薬を購入していること、そして暗殺した貴族の名を、全て白日の元に晒すと」
ケンドリックは答えない。表情が抜け落ち、酷薄な印象が強まる。
永遠にも思える沈黙の後、ようやくケンドリックは口を開いた。
「──そうか。お前は初めて、父親がどのように権力の座へ上り詰めたか知ったのだな」
その台詞だけで、ヤフェスは悟った。
ケンドリックは全てを知っていたのだ。
言葉を失くすヤフェスに、ケンドリックは問う。
「お前がここに来たのは、テオバルトに命じられたからか?」
その通りだ。
ヤフェスは答えられない。
ケンドリックは、自ら考えない人間を嫌う。
だから、辛うじてヤフェスは言葉を絞り出した。
「父が言ったから、ということもあります。しかし、それ以上に──私自身が、家を守るために必要だと思った。だから、殿下にお力添えを賜りたく伺ったのです」
必死だった。
ここでケンドリックの協力を得られなければ、八方塞がりだ。
マクネア伯爵家は没落する。
どれほど貴族の力が強くとも、罪を犯してなかったことにできるほどの権力はない。
かつてなら可能だったかもしれない。
しかし、ここ七、八年で急成長した新聞社の存在が、貴族たちの独善的な横暴を簡単に暴き立てる。
貴族にとっては、取り立てて騒ぎ立てるほどもない些末なことが、致命傷になり得るのだ。
ケンドリックは静かに笑った。
「良いだろう」
ヤフェスは、ぱっと顔を上げる。
自信に満ちたケンドリックは、力強く請け負った。
「力を貸してやる」
これで、マクネア伯爵家は救われる──。
ヤフェスは、安堵の息を吐く。
そして、深々と礼をした。




