30. 宿敵騎士の屋敷
フレイヤは、早々にラルス・タンザナイトの家に身を寄せることになった。
魔法薬局はしばらく休みになるが、致し方がない。
ラルスの手回しで、ブリギッタもしばらく息子夫婦の家へ厄介になるらしく、ラルスから手紙を言付かった。
正体不明の──フレイヤには、それが薬草専門卸売店『ミスティコ』から利益を得ていた貴族の手下だと分かっているが──男二人に襲われてから三日、フレイヤは少しばかり暇だった。
「思った以上に、ラルスって真面目なのねえ」
そんなことを、フレイヤは呟く。
ラルスは、ほとんどずっと家を留守にしていた。
フレイヤに目を付けた輩から彼女の身を守るためだというが、肝心の騎士がいない。
普通の少女なら、この状況で守っていると言えるのかと、恨めしくすら思うだろう。
だが、フレイヤはその点について全く不安はなかった。
ラルスの屋敷は魔法でしっかりと守られている。不審者が侵入すれば、すぐに警報が鳴り、ラルスにも届く仕組みだ。
その上、ラルスはフレイヤに腕輪をくれた。
今朝のことだ。なんだかそわそわしていると思ったら、少しぶっきら棒に、腕輪をくれた。
それも、ただの腕輪ではない。ラルフが防御魔法の効果を付与してくれた逸品だ。
物としてはそこまで高いものではないし、公爵令嬢でもあったフレイヤから見れば、宝飾品としての価値もない。
それでも、フレイヤは気に入った。
何より、初めてラルスがフレイヤにくれた贈り物なのだ。
きっとフレイヤは、これから先何があっても、この腕輪を大切にするだろう。家宝にしても良いかもしれないとさえ思った。
その腕輪は今も、窓から外を眺めているフレイヤの手首に輝いている。
そうしていても退屈がまぎれるわけではない。
そもそも、フレイヤは小さいころから常に何かをしているタイプだ。
「そういうところも素敵なのだけれど」
そう言ってみると、横から呆れた視線を感じる。横を見れば、そこにはフレイヤの愛猫であり使い魔でもあるヴィオレがくるりと丸まっていた。
「なによ」
(べっつにー?)
にゃおん、と一声鳴いて、ヴィオレは目を瞑る。
きっと、フレイヤのラルス贔屓には呆れるが、昔からだと言いたいのだろう。
フレイヤは小さく笑った。
そして、再び窓の外に目を移す。
「怪盗の方はどうとでもなるとして。後は、いつアレを渡すかが問題だわ」
ほんのりと桃色に色づいた唇を、少しばかり尖らせる。
フレイヤはわずかに小首を傾げて、目を眇めた。
そして、今度は口角を上げる。
王立憲兵騎士団は、怪盗令嬢をなかなか捕縛できないという理由で高位貴族──特に王太子ケンドリックや側近からの当たりが強い。
ラルスが団長の座を追われる可能性も高かった。
だが、フレイヤの狙い通り、ラルスは『ミスティコ』を摘発した。
フレイヤが無頼漢二人に襲われているところに駆けつけたのだから、『ミスティコ』の背後もおおよそ洗い出し終わっているのだろう。
ここまで来れば、王立憲兵騎士団の団長の座からラルスを追い出すほどの余裕はなくなるはずだ。
「金の切れ目が縁の切れ目、ってね」
くすりと、フレイヤは笑う。
コンスタンツェ・ルベラティスを辞めてから、フレイヤは市井で暮らすようになった。
それまでも市井に出入りはしていたが、やはり主な生活圏は社交界と公爵邸だったから、貴族の常識に染まっていた。
暮らせば暮らすほど、世界には色々な人がいると知る。
社交界も、公爵邸も、とても狭い世界だった。
貴族という特権階級だけが支配する、閉鎖的な場所。
そこで語られる物語だけが真実で、他は全て偽り。
価値があるものは自分たちが認めたものだけで、他は全てガラクタ。
そんな世界だった。
特に、フレイヤは令嬢だったから、人付き合いは厳しく制限された。
王太子の婚約者として、全てが管理されていた。
男であれば多少は世界も広がっただろう。
だからこそ、王太子ケンドリックもその側近たちも、どこかでフレイヤを馬鹿にしていた。
頭は良いが世間を知らないのだと、そう見下していた。
彼らは、フレイヤを女だからと馬鹿にしていたわけではなかった。
常に正しいとされる立場に居るケンドリックたちは、市井の者たちを別世界の存在だと定義しているかのようだった。
存在は、認識している。
しかし、生きているとは思っていない。
同じ生物だとは、実感していない。
──彼らは自分たちよりも劣った生き物なのだから、教え導くのは自分たちの仕事だと。
ろくなことを考える頭がないのだから、彼らを管理監督しなければならないのだと。
はっきりと口にしないまでも、そう考えていることは明らかだった。
「外面だけは、良いものね」
フレイヤはひっそりと嘲笑う。
張りぼての玉座に座り、鍍金で派手に飾った権力を、我が物顔で振りかざす。
いっそ無垢な赤ん坊のようだ。
「いつまでも、何も知らないままではいられないわよ、殿下」
ひっそりとした、宣戦布告。
一つ一つ、手足をもぐように。
じわじわと追い詰めて、全てを諦められるように。
随分と前にも呟いた気のする言葉を零して、フレイヤは満足そうに、窓を閉めた。
◇◆◇◆◇
王都にある、マクネア伯爵家。
朝食前に、ヤフェスは父の部屋に呼び出された。
「父上、お呼びですか?」
部屋に入れば、そこには兄も居る。
二人して呼び出されるなど、怪盗令嬢にユーディアライトを盗まれた時以来だ。
首を傾げて、ヤフェスは暗い部屋の中、父が座る机の近くに向かった。
なぜ部屋の明かりをつけないのか、不思議だ。
その上、近付いた父テオバルトの顔色は悪かった。
憤怒と絶望が入り混じったような、複雑な表情をしている。
「どうかされましたか」
静かに尋ねたのは、ヤフェスの兄だった。
どうやら、まだ兄もテオバルトの話を聞いていないようだった。
二人の兄弟は、父が話し出すのを待つ。
少しして、テオバルトはようやく重たい口を開いた。
「──怪盗令嬢が、ユーディアライトを返すと言って来たんだ」
数年分、老けたような表情で、父は言った。
「それは良いことなのでは?」
兄がきょとんと問う。
一方、ヤフェスは不審に思った。
これまで、一度も怪盗令嬢は盗んだ宝石を持ち主に返したりはしていないはずだ。
それとも、公にはされていないだけで、返却された貴族も多かったのか。
父は続けた。
「普通に考えたら、良いことだろう。ただし、返して欲しければ対価を用意しろと抜かして来よった」
「対価を──?」
それはつまり、金ということか。
胡乱な表情になったのは、ヤフェスだけではなかった。ヤフェスの兄も、良く分からないと言いたげな顔をしている。
だが、テオバルトはすぐには答えない。
しばらく無言でいたが、やがて大きく手を振った。そのまま、掌を机の上に叩きつける。
大きな音が響いた。
テオバルトが、こうして物に当たるのは珍しかった。
「そうだ、対価だ! 金か名誉か、どちらかを選べとあの盗人は抜かしたのだ!!」
ヤフェスと兄は顔を見合わせる。
そこまで言われても、二人にはまだ事情が呑み込めない。
とはいえ、貴族にとっては富と名誉が重要だ。その二つを失えば、権力は失墜する。
「金で、解決できるのでしょうか」
伯爵家といえど、マクネア伯爵家は非常に裕福だ。
もちろん筆頭公爵家や王家と比べると劣るが、そこら辺の侯爵と比べると遥かな富を持つ。
だから、その質問は当然のものだった。
金で解決できるのであれば、金で解決する。
それが、マクネア伯爵家のやり方だ。
普段ならば、テオバルトも頷いただろう。
だが、この時ばかりは彼も頷けなかった。
「金で解決できれば、良かったのだがな」
テオバルトは唸る。
喉の奥で、さも憎たらしいと言うように、獰猛な声を出した。
「父上?」
ヤフェスは、未だに全容を理解できない。
問いかけると、テオバルトは底光りのする目で息子たちを見据えた。
「我がマクネア家の主力事業が潰れたのだ。王立憲兵騎士団のせいでな。だから、あの下賤な盗人が提示している金は払えん。とはいえ、名誉を汚されたら二重の痛手だ」
だから、とテオバルトは吐き捨てた。
「無理にでも金を作るか、青い血を失うか。そのどちらかを選ばねばならんのだ」
もちろん、貴族の立場を失うことなどできない。
ヤフェスはもちろん、父テオバルトも兄も、市井の生活など経験したことはない。
王太子側近としての未来も閉ざされる。
テオバルトは、ヤフェスを見た。
そして、彼は言う。
「良いか、ヤフェス。これから、王太子殿下にお会いするのだ。我らは一蓮托生。協力を引き出せ」
「殿下から──ですか」
「そうだ」
これは決定事項だと、テオバルトは言う。
「良いか、二人とも」
テオバルトの双眸には静けさが戻り、しかし火が小さく燃えている。
「お前たちももう、十分成長した。だから、我が伯爵家繁栄の礎を伝えよう」
自分たちがどんな足場に立っているのか。
それを知らなければ、今後も立ち続けることは叶わない。
厳かに告げる父の様子に、ヤフェスは無意識に息を飲み込んだ。




