27. 聖女の失言
違法な商売をしていた『ミスティコ』を摘発したことで、王立憲兵騎士団に対する風当たりは多少、マシになった。
特に、庶民に読まれている新聞の論調はかなり落ち着いている。
もともと、大衆紙は怪盗令嬢に対しても好意的だ。
一方、貴族を中心とした社交界で読まれている高級紙は、怪盗令嬢を声高に批判している。当然、彼女を捕らえられない王立憲兵騎士団の不手際も、強く非難している。
だが、今回は明らかな悪を成敗したのだ。
高級紙も、王立憲兵騎士団の功績を称えざるを得なかった──もっとも、最後には怪盗令嬢に苦戦している点を引き合いに出していたが。
それにも拘わらず、ラルス・タンザナイトは不機嫌だった。
違法な薬草卸売店『ミスティコ』の摘発に関して、報告のため王宮に上がった帰りだった。
王宮に来たのは昼過ぎだったのに、色々と待たされて夜になってしまった。
早く帰って仕事を片付けたい──そう思って急いでいたところに、聖女ミアが声を掛けて来たのだ。
王太子ケンドリックの婚約者の座を射止めた彼女は、今日も煌びやかに飾り立てていた。
「ラルスさんっ」
うきうきとした様子を、隠しもしない。
目を輝かせて、彼女はラルスに近付いて来た。
「──聖女さま」
「やだ、聖女さまだなんて。ミアって呼んでくださいって、いつも言ってるじゃないですかあ」
ミアは頬を膨らませる。
反射的に、ラルスは顔を顰めた。
これのどこが良いのだろうと、ラルスは脳裏に王太子や彼の側近たちの顔を思い浮かべる。
だが、すぐに思い直した。
側近たちはともかく、王太子ケンドリックはミアが聖女である点にしか価値を認めていない。
ラルスにとっては全く信じられないことだが、ミアは確かに、聖女と呼ばれるだけの功績があった。
「聖女さまは聖女さまであらせられますから。私ごときがお名前をお呼びするなど、到底恐れ多いことです」
冷淡に、ラルスは拒否する。
ミアが一歩近づくと、ラルスも一歩後ろに下がった。
二人の距離は縮まらない。
膨れっ面をしたミアは、こびるように上目遣いをした。
「もう、相変わらずお堅いんだから。少しくらい私に頼ってくれて良いのよ。ほら、昔だって、私はあなたを助けてあげたじゃない」
「──その節は、お気遣いをいただきありがとうございました」
ラルスは表情を一切変えない。無表情を貫く。
礼を言うが、本心ではなかった。
聖女ミアが、その能力を広く知らしめた出来事──それは、六年前の、大規模な干ばつの予言だった。
その予言を信じた教会と王家が一丸となり、国中に食料の配給を決め、影響が少なかった領地には食料の提供を命じた。
結果的に、大半の領地は助かったのだ。だが、王家の手が回らなかった領地もあった。
干ばつの影響がそれほど強くないだろうと、そう判断された地域。
その中に、ラルスの養父ユルゲンが擁するタンザナイト男爵領もあった。
タンザナイト男爵領は、確かに干ばつの被害に遭った。
だが、他領ほど影響は大きくないと判断された──実際に、その判断は間違っていたのだが。
そして、なぜか聖女ミアが王太子に奏上したのだ。タンザナイト男爵領にも援助を、と。
王太子ケンドリックは、聖女ミアに対しては頷いた。
聖女ミアは喜んで、青い顔のラルスにそのことを告げた。
まだ公式に伝達される前だった。ラルスは聖女が苦手だったが、その時に少し見直した。
きちんと庶民にも目を向ける人物なのだ、と──そう思った。苦手なことに変わりはなかったし、妙な違和感も覚えていたが、だからこそ聖女なのだと自分に言い聞かせた。
それなのに、タンザナイト男爵領に援助はなかった。
聖女ミアの奏上は聞き入れられた。だが、王太子ケンドリックが、そして王家が、援助しないと結論を下した。
理由は、分からない。
戸惑ったラルスは、養父ユルゲンに連絡を取った。
ユルゲンは、苦い表情のまま、これ以上この件に首を突っ込まない方が良いと言った。
何かが、ある。
ラルスはその時に、そう悟った。
とはいえ、聖女ミアは自分の奏上でタンザナイト男爵領が助かったと信じている。
その確信を裏切ることの利点が、ラルスにはない。
だから、ラルスは否定もせず、肯定もしない。ただ、礼だけを口にする。
ミアがラルスの実家を気にかけてくれたこと、それだけは事実だった。
タンザナイト男爵領が無事、干ばつを乗り切れたのは、聖女ミアや王家のお陰ではない。
その一年前から父が始めていた、農地改革のお陰だった。だから、全くの不作を免れた。
「分かってるなら、良いわ」
ミアは機嫌を直す。
そして、目をにんまりと三日月のように細めた。
「今日は、貴方にお祝いを言おうと思って来たの。悪さをしているお店を摘発したんでしょう? おめでとう」
ラルスは沈黙する。
まさか、その話が出るとは思っていなかった。
聖女ミアはいつも、ラルスに何かしらの媚びと恩を売ろうとしてくる。
純粋に、祝おうとしているだけだとは到底思えなかった。
「でも、そのために庶民の女を使ったんですって?」
「──女?」
突拍子もなく出て来た単語に、思わずラルスは反応する。
ミアは嬉しそうに笑って、一気に距離を詰めるとラルスの腕にしがみついた。そして、胸を腕に押し当てる。
腹の底から湧き起こる不快感に、ラルスは顔を顰めそうになる。だが、辛うじて堪えた。
「そうよ」
聖女ミアは頬を膨らませた。
可愛らしいと思っているのか──ラルスは眉間に皺を寄せる。
「そんな女を使わなくても、私に言ったら力になってあげたのに。私が言えば、ケンドリックだってニッキーだって、みんな力を貸してくれるんだから。それに、私は聖女なのよ? 誰が悪者なのかだって、ちゃあんと視てあげるわ」
そこでようやく、ラルスはフレイヤのことだと合点する。
だが、なぜフレイヤのことを言われるのかが分からない。
フレイヤは、たまたまそこに居合わせただけだ。
ラルスが捜査の協力を頼んだわけでもない。それなのに、聖女ミアは、あたかもラルスがフレイヤを協力者としたと言わんばかりだ。
「──その話を、どこから?」
「え?」
聖女ミアは、きょとんとする。
そして、彼女は心底不思議そうに言った。
「どこって──みんな、言ってるわよ」
「いつ、聞きました?」
「いつって、そんな──今朝だったと思うけど、でもそんなこと、どうだって良いじゃない」
そして、彼女はさらにラルスに縋りつく腕に力を込める。
「いい、ラルス? 王立憲兵騎士団は選ばれし人々なんだから。男爵家の養子だからって、自分を卑下することはないのよ。ちゃんと自信を持つべきだわ」
心底、そう考えていると言いたげな口調。
そして、ラルスが必ずや自分の言葉に感激するに違いないと信じている。
ミアは聖女だ。だからこそ、誰もが彼女の言葉を恭しく受け取るのだろう。
だが、ラルスは不快だった。
出会ってからこの方、聖女ミアと話をしていて腹が立たなかったことの方が少ない。
「なるほど。良く分かりました」
ラルスは低く答える。
ようやく分かってくれたと、聖女ミアは顔を輝かせた。
聖女の宝石で飾られた腕を、ラルスは振り払う。
力強く腕を振り払われたミアは、よろめいた。こけそうになるが、そこまでの強さではない。
「ちょっと!」
苦言を呈そうとミアが口を開く。
だが、ラルスはもう答えなかった。
「急ぎの用がありますので、私はこれで」
そして、その場を足早に立ち去る。
ラルスは、焦っていた。
摘発の現場にフレイヤが居たことを、ラルスは誰にも言っていない。
調書は残したが、報告書では名前を伏せている。性別、身分も書いていない。
それなのに、既にミアはフレイヤの存在を知っていた。名前まで把握しているかは分からないが、恐らく彼女が聞いたのは「庶民の女が協力者となっていた」程度だろう。
そうでなければ、これ見よがしに名前を口にしたはずだ。
聖女ミアの交友関係は、狭い。
王太子ケンドリック・ハウライト。
王太子側近のオーラン・カウマンス、ヤフェス・マクネア、ニッキー・シーマン。
そして、聖女を支援する教会だ。
──つまり。
「っ、フレイヤ!」
彼女の身が、危険にさらされている。
直感したラルスは王宮を飛び出し、そのまま、フレイヤが務めている魔法薬局へと向かった。




