25. 燃え始めた蔓
豪奢な部屋で、秘蔵の酒を楽しむ。
そんな楽しみ方ができるのも、富と権力があるからだ。
男は、そんな自分に満足していた。
王都の貴族街。
その中でも屈指の高級住宅街に、王族もかくやというほど広い邸宅を構えている。
多少、王宮よりも小さくしているのは、王家への忖度だ。
彼の──カウマンス公爵家の資産を使えば、今ある屋敷の二倍以上、広い豪邸を建てられる。
現在のカウマンス公爵家の繁栄を続けるためにも、次男オーランには王太子に上手く取り入って貰わなければならなかった。
「オーランは魔法バカだからな。一時期は心配していたが──上手くやっているようで、安心したわ」
カウマンス公爵モージズは、年齢の割には引き締まった体を誇っている。
若いころは女性に持て囃されていた顔も、年相応に渋さが加わった。
瞼がわずかに垂れ下がった目を細めて、モージズは手にしたグラスの中のワインを揺らす。
次男のオーランは、モージズに比べて線が細い。
幼い頃から、魔法にしか興味がなかった。十分に魔法を使えるだけの魔力があったことも、彼には幸いしたのだろう。
モージズには全く理解できないが、オーランは魔法を研究する道に進んだ。
もっと家の役に立つことをしてくれたらと苛立ったのも束の間、オーランは王太子ケンドリックに気に入られたのだ。
元々、カウマンス公爵家は王家とも近しい関係にある。
気難しいところのあるケンドリックと、マイペースのオーランは気があったのだろう。
新しくワインの瓶の封を開け、コルクを抜く。
その香りを楽しみながら、モージズは新しくコップにワインを注いだ。
「しかし、それにしてもマクネアの奴め、まんまと盗み出されたユーディアライトはまだ取り返せないようだが、どうするつもりだろうか」
マクネア伯爵家当主テオバルトが焦っていたことも、モージズは知っている。
息子ヤフェスに働きかけ、また王太子ケンドリックの性格も上手く使って、ユーディアライトを取り返すべく王立憲兵騎士団に圧力を掛けていた。
そのことも、モージズは承知していた。
だが、テオバルトが考えていたよりも、事態は上手く動いていない。
王立憲兵騎士団は怪盗令嬢相手にてこずっているようだ。
それに、団長ラルス・タンザナイトの首を挿げ替えたとて、すぐに怪盗令嬢を捕らえられる──ユーディアライトを奪い返せるわけでもないだろう。
「私のところに助けを求めれば、多少は助けられるかとも思ったが──いや、ユーディアライトだけはどうにもならんな」
酒精でほろ酔い気分になりながら、目尻をほんのり赤く染めて、モージズは呟く。
その時、扉が叩かれる。
モージズは眉根を寄せた。
しばらく邪魔をするなと執事には言いおいていた。
一体何を考えているのかと腹立たしく思いながら、モージズは短く尋ねた。
「なんだ」
扉の向こうから、忠実な執事の、珍しく焦燥に満ちた声が響く。
「旦那さま、一大事にございます」
「一大事?」
他の使用人であれば、モージズは一喝して終わっただろう。
もう少し機嫌が悪ければ、言いつけを破ったとして使用人を首にもした。
だが、モージズの憩いの時間を妨げたのは、信頼のおける執事だった。
モージズは気を変えた。
「入れ」
「失礼いたします」
扉を開けて入って来た執事は、額から汗を流していた。
なにがあっても泰然自若とした執事の、異常事態だ。
モージズは眉間の皺を深めた。
「なにがあった?」
「そ、それが──使いの子が走って知らせに来たのですが」
執事は一瞬言い淀む。
だが、主は不明瞭だったり遠回しな報告を嫌うとすぐに思い出した。
だから、執事は率直に告げた。
「例の店──『ミスティコ』が王立憲兵騎士団に摘発され、店主のドロスが捕縛されました」
「なに?」
にわかには信じられない。
執事が嘘を言うはずがない。
相反する感情で、モージズは硬直する。
ようやく執事の発言が頭に浸透した時には、咄嗟に怒鳴っていた。
「どういうことだ!? 関係者にはきちんと話を通していたはずだろう!」
「は、それはもちろんです。ですが、どうやら王立憲兵騎士団が、どこからか証拠を掴んで来たようで」
執事の声にも苦々しさが滲んでいる。
そして、彼は一番胃が痛む事実を口にした。
モージズが怒り狂うことは、火を見るよりも明らかだ。
だが、隠した方が拙いことになると、彼は経験で知っていた。
「さらに、もう一つあります。ドロスが我々の許可なく調剤室を作り、魔法薬を密造しようとしていたのです。王立憲兵騎士団は、その現場も抑えました」
予想通り、モージズは言うのも憚られるような罵詈雑言を吐き捨てる。
片手に持っていたワイングラスが、音を立てて割れた。
「旦那さま!」
執事は慌てて走り寄ると、ポケットに入れたシルクのハンカチーフで主の手を拭う。
ワインと血に塗れたハンカチーフは一旦捨て、別の一枚できつく傷口を縛った。
モージズはそんなことには気が付いていない様子で、歯を食い縛り唸る。
「ドロスが、魔法薬の密造だと? なぜそんな愚かなことをした。王立憲兵騎士団の管轄下でそんなことをすれば、すぐに捕まることが分からんのか」
質問のように聞こえるが、モージズは執事に問うているわけではない。
傷のついていないもう一方の手で、モージズは額を強く抑えた。
「そもそも『ミスティコ』は、金を綺麗にするための拠点にすぎん。だから商売相手を貴族に限定したんだ、小金を変えても大して利益にはならんからな。それはマクネアの奴も承知していたはずだ、だからマクネアが唆したわけがない」
ドロスは良くも悪くも、単純な男だ。
だから、『ミスティコ』の運営を任した。欲を出すこともあるが、それよりも小心者だった。
欲を掻いてモージズやマクネア伯爵の機嫌を損ねるよりは、大人しく指示に従う。そんな男だったからこそ、モージズたちは安心してドロスを登用できたのだ。
それなのに、ドロスはモージズたちを裏切った。
ドロスの独断であるはずがない。
「誰か、ドロスに甘言を囁いた奴がいるはずだ。早急に突き止めろ」
「承知いたしました」
執事は首を垂れる。少し薄くなった執事の頭頂部に向けて、モージズは更に指示を出した。
「ルベラティス公爵の息が掛かった人間は全員、排除したんだ。今いる人間は手の内だと思っていたが、鼠が紛れ込んだか、もしくは裏切り者がいるかもしれん。全てを疑い探せ」
子女コンスタンツェが王太子との婚約を破棄された時──ルベラティス公爵家は謀反の疑いで未成年のコンスタンツェ以外が全員処刑された。
だが、ルベラティス公爵家は、商売がうまかった。
ルベラティス公爵家がなくなっても、商売は残る。どれも金のなる木で、魅力的だった。
だから、モージズは抜け目なく、ルベラティス公爵家が運用していた商売を幾つか貰った。
そのうちの一つが、魔法薬関連の商売だ。
他のどの商売よりも、魔法薬に関する商品は単価が高く金になる。
ルベラティス公爵家があった時から、モージズはいつか魔法薬の商売が欲しいと思っていた。
実際、ルベラティス公爵家が潰れた三年前から、モージズのカウマンス公爵家は空前絶後の富を得ている。
ここで、金蔓を失うわけにはいかない。
一度覚えた甘い果実の味は、もう二度と忘れられない。
それから、とモージズは付け加えた。
「ドロスは始末しろ。余計なことを、吐き出す前にな」
「御意」
それは、この国を影で動かす権力者の、絶対的な命令だった。
[3. 婚約破棄、追放──のち、死亡]
ルベラティス公爵家…フレイヤ(コンスタンツェ)の生家。コンスタンツェが王太子ケンドリックに婚約破棄された時、謀反を企んだとして、未成年のフレイヤ以外は全員処刑された。




