24. 捕縛劇の顛末
ドロスが振り上げた刃は、フレイヤに届くことはなかった。
「ぐっ!?」
一瞬にして、ドロスの体が硬直する。その隙に、瞬時に距離を詰めたラルスがフレイヤを取り返した。
それを合図に、王立憲兵騎士団の面々がドロスを拘束する。
ドロスの体が硬直したのは一瞬だったが、十分だった。
十分に鍛えられた騎士たちは、わずかに生まれた隙を見逃さない。
「連れて行け」
ラルスの指示に従い、王立憲兵騎士団の騎士たちはドロスを連行する。
二人は、地下室に取り残された。
フレイヤはラルスの腕に抱かれ、ほっと息を吐く。
緊張していたわけでも、恐怖に駆られていたわけでもない。
自分が魔法を使わずとも解決したことに満足していた。
──それに、ラルスの名を呼んだタイミングはまさに物語の盛り上がりに相応しかったのではないだろうか。
生まれてこの方、コンスタンツェは人に頼ったことがない。助けを求めたこともない。
そんなことをせずとも、彼女は自分一人でなんでもできた。
フレイヤの頭脳と魔法の能力があれば、ほとんどのことを解決できる。
他人の力を借りる必要などない。むしろ、他者はフレイヤの足を引っ張るだけだった。
フェルスパー男爵家の養女となったミアは魔法の能力を認められ、聖女に認められた。
それなのに、ミアはことあるごとに周囲を頼った。
コンスタンツェが呆れるほど些細なことであっても、ミアは王太子ケンドリックや彼の側近に助けを求めた。
ケンドリックたちは、そんなミアを好ましく思ったようだ。
本人たちが否定しても、フレイヤの目には明らかだった。
同時に、フレイヤは気が付いていた。
彼女が欲しいと初めて願った相手──ラルス・タンザナイトは、むしろそんなミアを軽蔑している。
平民らしく言えば、ミアはラルスにも粉をかけていた。ラルスはその全てを黙殺し、ミアはその度に不機嫌になっていた。
ラルスの好みは、聖女ミアとは正反対の女。
ミアを模倣するのは骨が折れそうだ。
だが、正反対の女を取り繕うことは、フレイヤには造作もなかった。
──そう。
本来の彼女であれば決して助けを求めない時に、ラルスの名を呼べば良い。
「フレイヤ嬢。怪我をしている、手当を」
気掛かりに満ちた瞳で、ラルスがフレイヤを見下ろす。
フレイヤは満面の笑みを浮かべそうになったが、堪えた。
今のフレイヤは、怪盗令嬢ではない。
怪盗令嬢であれば、余裕の笑みを見せて自らの手で傷を治癒してみせる。
小刀の切っ先で着いたかすり傷など、薬を使うまでもなく治せるのだ。
だが、フレイヤは何の力もない、ただの女薬師の仮面を被っている。
魔法を使ってあっという間に傷を消すなど、人前ではできない。
だから、フレイヤは曖昧に笑みを浮かべた。
「大丈夫ですわ。ブリギッタさんの魔法薬局に帰れば、傷薬がありますから」
「だが──」
ラルスは言い淀んだ。
心配しているのは間違いない。だが、何を言えば良いのか悩んでいるのだろう。
不器用な素振りに、フレイヤは堪え切れず微笑んだ。
そして、少し悪戯っぽく囁く。
「先ほどはフレイヤと呼んでくださいましたのに。また、フレイヤ嬢とお呼びになりますの?」
揶揄うようにフレイヤはラルスを見上げる。
ラルスは、虚を突かれたように目を瞬かせた。ふっと息を吐いて苦笑する。
「あの時は──焦っていた。申し訳ない」
「まさか。私は嬉しかったですわ」
掛け値なしの本音だ。
それが伝わったのか、ラルスは瞠目した。まじまじと、ラルスはフレイヤを見つめる。
フレイヤは、ラルスを静かに見返していた。
二人の視線が、空中で交差する。
先に視線を逸らしたのは、ラルスだった。
暗がりの中、耳が赤く染まっているのが見える。フレイヤはひっそりと笑みを深めた。
ラルスは、何かを誤魔化すように一つ空咳をする。そして、気を取り直して行った。
「貴方の店までは距離がある。それに、貴方は事件の被害者であり目撃者でもあるから──手続き上、すぐに帰すことはできないんだ」
もちろん、フレイヤは承知している。
捕縛されたドロスの人質になっていたとはいえ、摘発現場に居たのだから、王立憲兵騎士団はフレイヤに事情聴取をしなければならない。
深い傷でないとはいえ、手当てが遅れたら傷跡が残る可能性もある。最悪の事態では、傷口から菌が感染し、破傷風になる可能性も否定できなかった。
若くから、王立憲兵騎士団の一員として現場を駆けずり回って来たラルスは、怪我と死が決して遠いものではないと身に染みているのだろう。
だから、彼はフレイヤを心配している。
フレイヤが黙っていると、ラルスは深呼吸した。
自分が柄にもなく焦っていると、ようやく自覚したようだ。
普段のラルスであれば、人質が怪我をしたとしても、この場で部下に応急処置を命じ、そのまま、王立憲兵騎士団まで同行を依頼する。
それなのに、予想外にフレイヤが人質になっていたものだから、ラルスは完全に平静さを失っていた。
「ここで、応急処置をしてから、王立憲兵騎士団に来てもらえるだろうか。この店の商品は全て差し押さえの対象だから使えないが、救急用具は持ち運んでいる」
「もちろん、お伺いしますわ。とはいえ、私もこのお店には初めて来ましたので、どこまでお役に立てるか分からないのですけれど」
そう言いながら、フレイヤはちらりと少し離れた場所の床を見る。
そこには、ドロスがフレイヤに手渡した薬のレシピ本が転がっていた。
先ほど、ドロスに無理矢理引っ張られた時、フレイヤの手から落ちたのだ。
その動きに、ラルスは目敏く気が付いた。
「どうした?」
「いえ、その」
フレイヤは一瞬考える。だが、すぐに、これはちょうど良いと思い直した。
「そこに、私があのドロスという店長から受け取ったレシピ本があるのです」
「レシピ?」
フレイヤが指差す先を見て、ラルスはようやくフレイヤの肩から手を外した。
そして、しゃがみ込んで本を手に取る。
ぱらりと捲るが、先ほどの騒ぎで明かりが消えたため、文字はしっかりと読めない。
ラルスは諦めて、本を持ったまま立ち上がった。
「貴方から見て、このレシピ本に妙なところがあったのか?」
「ええ。私も見たことのない材料ばかりを使っているのですが、それがどうも──使用が禁止されているものばかりのように思うのです」
ラルスは答えない。
だが、身に纏う空気が鋭くなった。
怪盗令嬢の居場所を特定し、今まさに追おうとしている時のようだった。
フレイヤは少し、面白くなる。
だから、フレイヤはついでにもう一つ、情報を与えることにした。
「それから、いくつかこの部屋に保管されている、魔法薬の材料を見せて貰ったのですけれど」
ラルスが、反射的に周囲を見回した。
「銀ですとか錫ですとか、魔法薬にはおよそ縁がなさそうなものばかりで」
──ラルスは、気が付くだろうか。
フレイヤは、ラルスの反応を窺う。
彼女はドロスの説明を聞きながら、すぐに真の目的に気が付いた。
一般に知られていることではない。
だが、フレイヤはラルスに期待していた。
王立憲兵騎士団の団長としてはもちろん、生来フレイヤの隣に立つ男として、フレイヤと同じ結論に辿り着くことを。
ただ、ラルスはこれまでもずっと、フレイヤの期待に応え続けて来た。
ラルス本人も与り知らないところで、彼はフレイヤの予想を度々超えた。
だから、フレイヤは心配していない。
きっとラルスは気が付く。
その確信を証明するように、ラルスは目を凝らして周囲を見た。
「銀と錫、か──」
その鋭い視線は、作業台の上に向く。
暗さゆえに細かいところまでは見えなくとも、机に置かれた機材の外形は分かる。
そして、王立憲兵騎士団の優秀な団長は、いくつかの機材の用途を見抜いた。
「余罪が増えたな」
満足げな口調。
それは、フレイヤに向けたものではない。
それでも、彼女は内心に沸き上がる歓喜で、震えた。




