23. 人質にされた薬師の少女
王立憲兵騎士団として働いていれば、予想外のことは良く起こる。
対峙した敵が自分たちを巻き込んで自爆しようとすることもあれば、犯人の潜伏先に無許可の巨大ワニが飼われていたこともあった。一般市民の家なのに厳重に有刺鉄線が張り巡らされていたこともある。
だが、摘発のため踏み込んだ薬草卸売専門店『ミスティコ』の、明らかに怪しげな地下で、よく知るフレイヤが人質になっているとは思いも寄らなかった。
ラルス・タンザナイトは愕然としたが、一瞬で我に返った。
部下たちは皆、拳銃を持っている。
だが、ラルスは今日も愛用の剣を手にしていた。
剣であろうと、銃に引けは取らない。
一般の騎士たちにとっては飛距離が稼げる銃の方が有利だ。だが、魔法の才能に溢れたラルスには、むしろ剣の方が手に馴染んだ。
「お前が『ミスティコ』店主のドロスだな。観念して手を挙げろ。彼女から離れるんだ」
ラルスは低く警告する。だが、破れかぶれになったドロスが素直に聞くはずがない。
ドロスは刃をフレイヤの首筋に突きつけたまま喚いた。
「うるさい、黙れ! 何度も言わせるな。この女の命が惜しければ、武器を捨てて道を開けろ!」
もはやドロスは周囲が見えていないようだった。
フレイヤを人質に取ったところで、どう考えても逃れられる術はない。
一般庶民でしかない女薬師を連れて逃げようにも足手まといにしかならないし、途中で邪魔だからと殺せば罪状が増えるだけだ。
だが、ドロスはわずかな可能性をこじ開けようと必死だった。
一方で、ラルスも焦っていた。平静を装ってはいるが、鼓動がこれまでになく煩い。
これまで、どんな現場でも動揺したことはなかった。それなのに、フレイヤが人質に取られている光景は、あまりにも心臓に悪かった。
「……団長」
ラルスの一番近くに居たフィルが、低く名を呼ぶ。
この場に居る騎士は全員、フレイヤを見たことがあった。
自分たちに比べると華奢な体で、大量な薬を持って兵舎に来てくれる。声をかければ、嫌な顔一つせず会話をしてくれる。媚びを売るわけでもなく、一生懸命仕事をするフレイヤに、誰もが良い印象を持っていた。
人質になったのが、見知らぬ人間であれば、冷静に対処もできただろう。
だが、ドロスの腕に囚われているのは騎士たちも良く知るフレイヤだ。さすがに、動揺が走る。
それを、ドロスは好機と見た。
「この女が怪我でもすれば、天下の王立憲兵騎士団の名前も地に落ちるなぁ!?」
最近はただでさえ、怪盗令嬢に良いようにあしらわれていると言われているのだ。摘発の際に人質を傷つけたとなれば、新聞社は一層盛り上がるだろう。
王立憲兵騎士団にとっては大きな打撃だ。
ドロスは、確信と共にラルスたちを嘲笑う。
ラルスは静かに、ドロスを注視した。
驚きと動揺が去れば、ラルスの頭脳は高速で回転し始める。
室内は暗い。だが、ラルスの目にははっきりと映る。
薬の材料らしきものが、多数保管されている。机の上には、調剤用の道具が並べられている。
単なる保管倉庫ではなく、調剤室だと見当を付けた。
更に、ラルスは観察を続ける。
ドロスの近くに、凶器の類はない。
部屋には魔法道具の影響がみられたが、汎用的なものだ。そして、すでに王立憲兵騎士団が無効化した。
そして、恐らくドロスは魔法を使えない。
フレイヤがこの場に居る理由を、ラルスはほぼ確実に理解していた。
ドロスは魔法薬を作れない。だから、薬師であるフレイヤをここに連れて来たのだろう。
薬師は、大なり小なり魔法を使える。魔法の付与が不要な薬もあるが、半数以上は魔法が必要だ。
王立憲兵騎士団の騎士も、魔法道具を扱えるだけの魔法の能力が要る。
魔法を使って周囲に影響を与えられる持つ者は、ほとんど居ない。
ラルス・タンザナイト、王太子ケンドリック・ハウライト、聖女ミア・フェルスパー、王太子の側近オーラン・カウマンス。
そして、ラルスが知る最も能力の高い魔法使いは──怪盗令嬢だ。
もうこの世にはいないが、ケンドリックの元婚約者コンスタンツェ・ルベラティスも、優れた魔法を使えたと聞いたことがある。
「お前がその女性に手を出せば、その瞬間にお前の罪状には人質強要罪と公務執行妨害罪が加わるぞ」
落ち着いて、ラルスは低く警告した。
ドロスは目をぎらぎらとさせて、ラルスたちを睨み付ける。
「ハッ、何を抜かしてやがる。俺の店を無茶苦茶にしに来たのはお前らの方だろうが」
その表情には鬼気迫るものがあった。
ラルスたちが突入した時に比べて獰猛な雰囲気が強くなっている。
こうなった男は、次にどんな行動を起こすか分からない。
破れかぶれになって、人質を傷つける可能性もある。
ラルスは緊張を高め、ドロスの隙を探る。そして、少しずつ魔法を体内で練り上げ、糸のようにして足先に流す。目には見えない魔力の糸をドロスに向け、ゆっくりと床の上に走らせた。
◇◆◇◆◇
ドロスに小刀を突きつけられながらも、フレイヤは落ち着いていた。
とはいえ、姿を見せたラルスの表情に浮かんでは消える感情の数々に、頬が緩みそうになる。だが、刃を突きつけられている状況で笑うなど、あまりにも不謹慎だし不自然だ。
だから、どうにか平静を装った。
ラルスが険しい表情でドロスを睨み据えている。
怪盗令嬢に見せる表情よりも、敵意が強い。
そのことが、フレイヤの心を擽った。
ラルスは、怪盗令嬢を捕らえることに余念がない。
だが、怪盗令嬢は人を傷つけたことがなかった。宝石を盗むだけだ。
そのせいか、ラルスの表情は好戦的であっても、剝き出しの敵意を向けて来たことはそれほどない。
女であっても、ラルスは容赦がない。興味がなければ塩対応だし、敵と見做せば容赦がない。
そう考えると、やはり怪盗令嬢に対しては少し特別扱いをしているようだ。
それはそれで嬉しいことだが、計画には多少の支障がある。
ラルスには、フレイヤを好きになって貰わなければ困るのだ。
だから、フレイヤは震える声を作った。
「団長さま。私のことは気になさらないで──っ!」
最後までは、言えない。
激昂したドロスが、一際強い力でフレイヤを拘束する。
反動で、フレイヤの首筋から血が一筋流れた。
「フレイヤ!」
これまで、兵舎で会ったラルスが、フレイヤを名前で呼ぶことは滅多になかった。騎士たちとの会話では「フレイヤ嬢」と口にしていたらしい。
それなのに、今日初めて、ラルスはフレイヤに名前で呼び掛けた。
それも、呼び捨てだ。
畏まった呼び方ではない。
それが、フレイヤは嬉しかった。
「っ、ラルスさま!」
だから、フレイヤもラルスの名を呼ぶ。
まさに舞台の一幕だ。予定はしていなかったが、上々である。
フレイヤは、満足だった。
コンスタンツェを止めると決めた時、新しい名前を何にすべきかと考えた。
その時に、ラルスのことを考えた。
彼の声が形作る時に、どんな名前であれば美しく響くだろう。
そして思いついたのが、最上級の美女を示すフレイヤと言う名前だった。
「この野郎!」
ドロスが、激昂する。
彼は鈍く光る刃を振り上げる。
そのまま、美しくも可愛らしいフレイヤの顔に振り下ろす。
その瞬間、ラルスが展開していた魔法が、実を結んだ。




