21. 毒の部屋
フレイヤは、ドロスの表情を窺う。
ドロスは、レシピに載っている薬の材料が貴重なものばかりだと誇っている。
ただ、その裏に隠れている本心は見えない。
とはいえ、目的はろくでもないに違いない。
「私、初めて見るものばかりですわ」
しれっと、フレイヤは嘘を吐く。
不自然さはない。
ドロスが「貴重なものばかりだ」と言ったものは、どれも取引が禁じられている。
以前、ヤンがフレイヤにくれた麝香と同じだ。
大きな違いは、麝香はそもそもの狩猟が禁じられていること、一方でドロスが貴重と言った薬は、ありふれているが取り引きや所持自体が禁じられていることだった。
魔法薬局の店主になれば、当然知っておくべき知識だ。
だが、フレイヤは薬師の見習いだと言った。
命じられるがまま調剤をするだけなのだから、法律を知っていなくとも違和感はない──もっとも、フレイヤはブリギッタの元で働き出す時に、自ら全ての法律を学んだのだが。
法律は抵触すれば罪に問われるが、熟知して穴をすり抜ければ無罪だ。
怯えるのではなく、武器とするべきである。
それが、フレイヤの──そして、コンスタンツェ・ルベラティスだった時からの、信条だった。
「そうでしょうね。それが、この店『ミスティコ』が誇るところなのです」
「他にも珍しい材料はあるのですか?」
「おや、興味がおありですか」
「もちろんですわ。なかなか見る機会もありませんから」
フレイヤは無邪気に言う。
庶民らしさというものを、昔は知らなかった。
コンスタンツェの時は聖女を見て、ブリギッタの魔法薬局で働き始めてからは庶民を目の当たりにして、少しずつ学んでいった。
そして身に着けた素振りは、十分堂に入っていた。
ドロスは疑う様子なく、棚に背を向ける。
部屋の反対側に向かって、棚の扉を開けた。中には、薬草以外の材料が山ほど入っていた。
フレイヤはドロスの隣に立つ。
「こちらは?」
幾つかは見当がつく。だが、さすがのフレイヤも知らないものが多々あった。
「たとえば、こちら」
ドロスは少し考えて、棚に手を伸ばす。
彼が取り出したのは、朱色の石だった。
「これは辰砂という石です。ご覧になったことはありますか?」
「──いいえ?」
フレイヤは首を振る。
だが、彼女は間違いなくその石を見たことがあった。
その時は、一体それが何だかは分からなかった。あとから調べて初めて、正体を知ったのだ。
「素晴らしい色合いでしょう。見た目だけではないのです。この石からは、万能薬が生まれるのですよ」
美しい朱色。
どことなく脆いようにも見える。
神秘的な、しかしどこか恐ろしさも含むその石を、欲しがる者もいるだろう。それでも、その正体を知れば美しさに酔いしれる気もなくなる。
高温で焼き、蒸気を冷却する──そして生まれるのは、銀色の液体だ。
人間は、その蒸気を吸い込むだけで、中毒になり命を落とす。
ドロスが手を出しているのは、どうやら麻薬だけではなかったようだ。
──水銀。
かつては錬金術にも使われていた万能の薬。
梅毒の治療だけではなない。インフルエンザ、寄生虫にも効くし、不眠や意欲減退、便秘にも効果がある。そう言われて来た。
だが、実際の水銀は真逆の性質だ。
人を死に至らしめる毒、それが水銀だった。
ドロスが知らないはずはないだろう。
先ほどフレイヤが渡されたレシピは麻薬の製造法だった。そして、この棚に置かれている材料は人を殺すための道具なのかもしれない。
──私、物を盗むのは良くても人を殺すのは好きではないのよね。
宝石を盗んでいるのも、悪いことだとは思っていない。
美しいこの国の宝が一番輝けるところへ、あるべき場所へ戻しているだけだ。
だが、人を自らの手で殺すのはいただけない。
目障りな人間は自ら滅んでいくよう、場を整えるべきだった。
そうでなければ、コンスタンツェとその家族ルベラティス公爵家のように、社会から排斥される。
排斥そのものが目的ならば良いが、そうでなければ殺人は悪手だ。
自然と、フレイヤの眉間には皺が寄りそうになる。だが、辛うじて抑えた。
ドロスに怪しまれるわけにはいかない。
「それは素晴らしいですわね。そのような万能薬が、なぜ巷に出回っていないのでしょう?」
水銀の有害性はもう明らかになっている。
それなのに、ドロスの発言は前時代的だ。
適当な話をしても、フレイヤならば騙せると思っているに違いない。
笑止千万だ。
だが、内心は一切見せずにフレイヤは無邪気に問う。ドロスが自分の質問に、どう答えるのかも気になった。
「この石は以前は良く採掘されていたのですが、ここ最近は枯渇していましてね。稀少になったのです。万能薬ですし、この通り美しい色彩をしていますから、顔料にも使われました。人々はこぞって欲しがったのでしょう」
「そうだったのですね。私、知らなくて、お恥ずかしいですわ」
フレイヤは恥ずかしそうに頬を染めて俯いてみせる。
ドロスは楽しげに笑みを浮かべ、満足そうに首を振った。
辰砂を元あった場所に戻す。
「いえいえ、これから学んでいけば良いのですから。今はご存じなくとも問題ありませんよ。必要な資料や材料は何でも、全て私が整えますから」
ドロスは自信満々だ。そして、彼は更に言葉を続けた。
「どうです、私の店は素晴らしいでしょう。そこらにある市井の薬局では決して手にすることのできない材料を使って、最高品質の薬を作ることができるのですよ」
その口調は、ここで働けることを誇れと言わんばかりだ。
フレイヤは内心で呆れる。しかし、態度には出さない。
視線を棚に向けて、一つ一つを確認した。
手に取らなくとも、正体が分かるものもある。
──どれもがろくでもないものだ。
銀、錫、鉛の屑がそれぞれ入れられた瓶。
その隣には、様々な動物の肝臓と液体が入った瓶──肝臓はだいぶ生に近い。
特殊な液体で、採取した時の上体を保っているのだろう。
「あの瓶の中に入っているものも、使うのですか?」
ブリギッタは知らない薬の作り方も、フレイヤは把握している。
どこかで必要になると思えば、王太子の婚約者に施される教育も、それとは無関係の勉強も、全く苦ではなかった。
だから、棚に置かれている材料を組み合わせれば何になるか──ドロスに尋ねるまでもなく、知っている。
ドロスは当然だと頷いた。
「もちろんですよ。この部屋にあるものは、全て薬の材料ですから」
「そうなのですね。私の知らない材料ばかりで、どう使うのか見当もつきませんわ」
フレイヤはしらばっくれた。
この部屋にあるものは、麻薬か毒ばかりだ。
芥子や阿片は依存性の高い麻薬になるし、辰砂からは水銀が採れる。
銀や錫、鉛からはヒ素が分離できる。豚の肝臓にヒ素を擦り込んで乾燥させたものを粉末にすれば、飲まされた人間は毒殺されたとは気付かれないまま、病を得たように死に至る。
店主ドロスが陰で繋がっている人間。
彼らの正体を考えれば、この『ミスティコ』は社交界や政治の暗部を担っているのだろう。
さて、どうするか──フレイヤは適当に相槌を打ちながら、考えた。
敵の懐に忍び込んで様子を窺うつもりはあった。
だが、ここまで内側に踏み込むつもりはなかった。
下手を打てば、フレイヤはこの店から逃れられなくなる。
既に状況としてはぎりぎりのところだ。
フレイヤは、気が付かれないようにこっそりと室内を観察した。
調剤室と銘打たれている地下室は、監禁部屋だ。
扉は二つ。一つは先ほどフレイヤたちが通って来た階段に繋がっているが、もう一つはトイレとシャワーがあるようだ。外に繋がる扉は頑丈で、女の力ではぶち破ることも難しい。
地下だから、窓はない。
扉には、外側から鍵が掛けられる。
内側に把手はあるが、鍵穴はない。
そして、扉の横には覗き穴がある。普段は蓋がされているが、外から開いて食事や飲み物を差し入れることができるのだろう。
ドロスは、目を付けた薬師をこの調剤室に閉じ込め、ひたすら麻薬や毒薬を作らせるつもりに違いない。自分が作っている薬が悪いものだと気が付いても、その時には既に逃げられなくなっている。
そういう寸法だ。
防護具もないし、空気穴はあるが気流の流れは良くない。
ここに閉じ込められた薬師は、麻薬や毒を常に吸うことになる。間違いなく、早死にしてしまう。
とはいえ、逃げようと思えば、フレイヤは簡単に逃げられる自信があった。
物理的な意味で、この地下室は完璧な監獄だ。だが、魔法には脆弱な造りである。
全属性の魔法を使いこなせるフレイヤにとっては、薄い木箱よりも脆い。
「いかがです、薬師にとってはこの上ない最高の空間でしょう」
ドロスが確信を持って尋ねる。
フレイヤは嗤った。
自分を──この、コンスタンツェ・ルベラティスを部屋に閉じ込める。
奴隷のように、死ぬまで薬を作らせ続ける。
あまりにも愚かな判断だ。
フレイヤは、自由を奪われることが嫌いだった。
自分の自由を奪う相手が、ホンモノであればまだ許せるかもしれない。
しかし、相手はニセモノなのだ。
単なるニセモノではない。質の悪い、フレイヤが嫌悪する、底辺の罪人だ。
罪を犯すのであれば、美しく、気高くあるべきだ。
そうであれば、フレイヤも相手をホンモノと認めたかもしれない。
端的に言えば、ドロスはフレイヤの美学に反していた。
「そうかしら」
ドロスは、訝しげな表情になる。
毅然と立つフレイヤを、初めて直視したというように目を瞬かせた。
「本当に、そうかしら?」
フレイヤは、もう一度尋ねる。
ドロスは、無意識に一歩下がった。
「お前──?」
これまで、ドロスに見えていたフレイヤは、気弱で自身のない、おっとりとした女薬師だった。
強く物事を進めれば、疑いもせず言いなりになる。
そんな取るに足らない若い女だと、ドロスは思っていた。
だが、目の前に居る女はまるで別人だ。
凛とした立ち姿は、ドロスの第一印象を裏切る。
服装は庶民なのに、纏う雰囲気は女王のものだった。
「一体、」
曖昧に、ドロスは口を開く。
その瞬間──大きな音と共に、部屋が揺れた。




