2. 魔法薬局のフレイヤ
爽やかな朝だ。
魔法薬局の店先で、フレイヤは茶色のふわふわな髪を結い上げた。手元には朝刊がある。
『またもや怪盗令嬢、予告通りに盗難!』
大見出しが躍る。
『今回の戦利品は金色のルチルクォーツ』
小見出しの横には、盗まれた貴族の邸宅と金色の宝石の絵。
『王立憲兵騎士団、無念の連敗』
一文目に、フレイヤは口角を上げた。
手慣れた仕草でエプロンを付けると、開店の準備を始める。
薬品が並んだ棚を掃除しながら、フレイヤは小さく呟いた。
「昨日の朝刊よりは、だいぶマシね」
歌うような声だ。フレイヤは、魔法薬の在庫を確認する。
「傷薬が、だいぶ減っているわねえ──そんなに、怪我はさせてないはずなのだけれど?」
おかしいわ、と、全く思っていない口調。フレイヤはくすくすと笑う。
「ああ、自分たちが仕掛けた罠に掛かったのね。可愛らしいこと」
愚かで可愛いと、彼女は目を細める。
閉じていた店の窓が、からんと開く。窓際に吊るしていた風鈴が、軽やかな音を立てた。
「あら、いらっしゃい。あれからどこに行っていたの、ヴィオレ?」
窓から入って来たのは黒猫だ。瑠璃色の──紫がかった濃い青目の、フレイヤの友人。
ヴィオレと名の着けられた黒猫は、にゃおんと一声鳴いた。
そして、窓際に置かれた籐籠に入って丸くなると目を瞑る。
その様子を横目で見て、フレイヤは口角を吊り上げた。
「お疲れ様」
夜から働き続けて、ヴィオレも疲れたに違いない。優しく囁いて、フレイヤはヴィオレに布を掛けた。
その時、店の裏口が開く。
「おはよう。今日も早いね、フレイヤ」
「おはようございます、ブリギッタさん」
入って来たのは、魔法薬局の店主ブリギッタだ。老齢で、足腰が悪い。だから、今日も杖を突いている。
フレイヤがブリギッタと出会ったのは、ちょうど五年前のことだった。
最初はなにもできなかったフレイヤに、魔法薬のことを少しずつ、教えてくれた。今では、フレイヤが一人で店を回せるまでになっている。
ブリギッタは、やれやれと息を吐いた。カウンターの中、作業場の片隅に置かれた椅子に腰掛ける。
手際良く開店準備を進めるフレイヤを、ブリギッタは目を細めて眺めた。
「フレイヤが居れば、この店は安泰だね」
「そんなこと。まだまだ、ブリギッタさんが居ないと困ります」
控えめに、フレイヤは笑う。
「ブリギッタさん。傷薬がだいぶ減っているんです。ヤンに材料を頼まないと」
「ああ、もちろんだよ。仕入れも任せるって、言ったじゃあないか」
ありがとうございます、と、フレイヤは目を細める。
今日の予定は、二つ。
ヤンの店に行って、仕入れを頼む。その次は、得意顧客に薬を届ける。
きっと、普段より多めに傷薬を頼まれるだろう。
この魔法薬局の薬は、他のどこよりも良く効くと評判だ。
ブリギッタは、カウンターに置かれた新聞に目を止めた。
「なるほど、ねえ。また、王立憲兵騎士団が失敗したのかい」
だから傷薬が減るのだ。
王立憲兵騎士団が任務に奔走すればするほど、彼らは怪我をする。
また今日も、フレイヤが届けた薬を受け取りに、彼が姿を見せるだろう。
彼がわざわざ出て来られる時間帯を選んで、フレイヤは王立憲兵騎士団の兵舎に行く。
ブリギッタが、仕方がないと言いたげに首を振った。
「王立憲兵騎士団も、この女怪盗には手が出ないみたいだねえ。前の団長さまなら、もっと上手くやったのかもしれないけれどね」
「今の団長さまは、まだお若い方ですもの」
ラルス・タンザナイトが王立憲兵騎士団の団長になったのは、二年前だった。
前の団長が、任務中の事故で命を落とした。そのため、急遽決められた人事だったという。
──他に選択肢が与えられなかっただけ、とも言うが。
ブリギッタに気が付かれないよう、フレイヤはわずかに目を細めた。
「若くてもねえ──もう、二年も経つんだよ」
「まだ、二年ですわ」
くすりと、フレイヤは笑う。
実際に、まだ二年だ。当時、ラルス・タンザナイトはまだ十九歳だった。
「前の騎士団長さまは、ご立派だったね。ほら、公爵令嬢が死んじまった事件があったじゃないか。あの娘さんも、悪いことはしたようだけど、二十にもならない年頃でねえ……。ちゃんと盗賊を捕まえて、きっと王さまやら王太子さまやらに文句は言われただろうにね」
「十七歳ですわ」
「え?」
「亡くなった令嬢は、当時十七歳でしたわ」
フレイヤは穏やかに、言う。
「三年前でしたわね」
ブリギッタは、目を瞬かせた。
「よく覚えてるねえ?」
「ええ」
フレイヤは、在庫の補充を終える。あとはヤンが来た時に渡す、必要な材料のリストを作るだけだ。
「私と同い年でしたから。良く、覚えていますの」
そう、忘れるわけがない。
あの日が、フレイヤの運命の日だった。
公爵令嬢コンスタンツェ・ルベラティスを冷たく見下ろす婚約者の目を見て、フレイヤは確かに、ぞくぞくするほど興奮していたのだ。
──その瞬間こそを、確かに彼女は待ち望んでいたのだから。




