19. ミスティコの店主
興味津々に品物を眺める振りをしながら、フレイヤは店内を歩き回っていた。
店員たちの視線が突き刺さる。
しかし、フレイヤは気に留めない。
人に注目されるのは慣れていた。
公爵令嬢コンスタンツェだった時は、今よりももっと衆目を集めていたものだ。
コンスタンツェ・ルベラティスは、社交界でも注目の的だった。
身に纏うドレス、宝飾品。
その全てが、社交界の最先端だった。
今季の夜会で彼女はどんなドレスを、耳飾りを、首飾りをつけるのか──少女たちは一早く知りたがった。
対して、今のフレイヤはその身元を探られている。
不審者を見る目、警戒する目、自分たちの客になり得るのかと見極める目。
新鮮すぎて、笑いそうになる。
そんなフレイヤに、一人の男が近づいて来た。
「いらっしゃいませ。薬草にご興味がおありですか?」
とうの昔に気がついていたのに、フレイヤは驚いた顔をする。
そして、無害な笑みを浮かべてみせた。
「ええ、そうなんです。私、魔法薬局で働いていて──なにか良い材料がないかと思って」
「なるほど、薬師でいらっしゃる」
男の目が鋭く光る。
この娘は使えるのか使えないのか、考えているような顔だった。
「まだ見習いなんですけど」
その言葉を聞いて、男は興醒めしたような表情を浮かべる。
気付きながらも、敢えてフレイヤは恥ずかしそうに頬を染めた。
そして、初めて会った時のブリギッタが口にしていた言葉をそのまま繰り返す。
「一人前の薬師になるためには、数十年かかると言いますでしょう?」
出会ったばかりのブリギッタは、フレイヤに冷たかった。
フレイヤに対してだけではない。
誰に対しても冷淡だった。
それが、いつしかフレイヤには心を開くようになったのだ。
そして、まだ薬師になって数年しか経っていないフレイヤの能力を認め、自身の店をフレイヤに任せると言った。
今から二年前──ラルス・タンザナイトが王立憲兵騎士団団長となる、一ヶ月前のことだった。
一方、フレイヤの言葉を聞いた男は、眉をぴくりと動かす。
まだ見習いだと言ったから、薬師になって数年だと思ったのだろう。
だが、フレイヤは「一人前になるのに数十年かかる」と言った。
それならば、見習いといっても薬師になって十年以上、経っている可能性も残されている。
「お嬢さんは、何年前に薬師に弟子入りされたのですか?」
男は率直だった。
誤魔化す様子もなく尋ねる。
フレイヤはしれっと答えた。
「十二、三年ほど前でしょうか」
薬師になろうと思えば、幼少の頃から弟子入りするのが普通だ。
だから、フレイヤの言葉は怪しまれることはなかった。
実際には五年しか経っていないが、男が知る由もない。
「なるほど。長い間、頑張っておられるようですね」
男は知ったような顔で頷く。
湧き起こりそうな笑いを堪えて、フレイヤは喜色を滲ませた。
「そう言っていただけると、嬉しいですわ。まだ半人前だからだとは分かっているのですけれど……」
あえて、言葉を濁す。
男は然もありなんと頷いた。
「特に年配の方にその傾向が強いようですが、薬師はなかなか他人の能力を認めませんからね。修行が厳しく、すでに一人前であってもなかなか免許皆伝とはいかない。もどかしさを感じることも多いでしょう」
「よくご存じですのね」
感心したように、フレイヤは男を見上げる。
自然と、フレイヤは上目遣いになった。
男は一瞬、息を呑む。そして、彼は空咳をして声音を改めた。
「実は、私はこの店『ミスティコ』の店主でして。『ミスティコ』は卸売を専門にしていますが、そろそろ一般客にも門戸を広げられないかと考えているのです」
フレイヤは目を瞬かせる。男の発言は、全く予想だにしないものだった。
「一般客に、ですか」
「その通りです」
真面目な顔で頷き、男は一歩、フレイヤに近付いた。
「しかし、そのためには薬師が必要です。庶民向けの薬を作れる、薬師が──」
「まあ」
フレイヤは目を瞬かせる。
男の魂胆はわかった。だが、自分から言い出す気はない。
多少、愚かだと思われていた方が、情報は引き出しやすい。
そのことを、彼女は良く知っていた。
問題は、男がフレイヤを引き抜こうとしていることではない。
フレイヤを引き抜いて、何をさせようとしているのか──それが、問題だった。
それがろくでもない事なら、フレイヤは賢しさを見せるべきではない。
利用価値があり使い捨てられる、そして男の足を掬わない。そんな存在だと思わせておけば、男は自ずから全てを露呈する。
だから、フレイヤは無邪気に尋ねた。
「素敵な薬師を見つけられたら良いですね」
もちろん、少しの口惜しさを見せることも忘れない。
自分がその薬師なら良いのにと、そう思っているような表情。
案の定、男は釣られた。
「実は、まだ優秀な薬師を見つけられていないのですよ。なかなか、私の店は敷居が高いようでして、皆気後れするのかもしれません」
ははは、と男は声を立てて笑う。
最初から門戸を開いていない癖によく言うと思いながら、フレイヤは困ったように眉を下げた。
庶民の間は噂が早い。
ヤンでさえ口にしていたように、『ミスティコ』は庶民をお呼びでないとすぐに出回った。
だから、男が望むような薬師が店を訪れるはずもない。
「ですから、もし貴方さえ宜しければ、私の下で働きませんか? お給金は弾みますよ」
「で、でも私、まだ未熟で──」
敢えてフレイヤは戸惑う。
男は声に力を込めた。
「まさか、未熟などと。既に十数年薬師として修行をして来られたのですから、ある程度はご自身でも調合されるのでしょう?」
「それは、ええ、もちろん。傷薬や風邪薬とか、日常薬ばかりですわ」
「素晴らしい」
大仰な仕草で、男は両手を広げる。
そして、一層にこやかに言った。
「それだけできれば問題はありません。貴方が知らない薬でも、こちらでレシピを準備しますから、そのレシピ通りに作っていただければ、それで良いのです」
「レシピがあるのですか?」
「ええ、もちろん。今でも大半の薬師は、薬の作り方を口頭で伝承している。しかし、それでは再現性が担保できない──つまり、誰が作っても同じ薬になるとは限らない。そうでしょう?」
フレイヤは頷く。
男の指摘は、その通りだった。だが、足りない。
薬師には二種類ある。
魔力を持たない者が作る薬。
魔力を持つ者が作る薬。
魔力を持たない者が作る、普通の薬。
どの薬師が手掛けても、同じ材料を同じ配合で調合する。
効き目が違うのは、薬師によってちょっとしたエッセンスを加えるからだ。
門外不出の秘法で、薬師たちは権利を守るために文字には残さない。
一方、薬草などの原料だけでなく、魔力も調合するのが魔法薬だ。
個人の魔力量や種類によっても、効能は変わる。当然、配合も違う。
だから、魔法薬はそもそもレシピを作れない。
男はどこまでその現実を知っているのか。
こっそりと、フレイヤは男の様子を探る。
しかし、今の段階ではまだわからなかった。
「確かに、レシピがあれば、私も作れそうですわ」
フレイヤは控えめに同意する。
男は満足そうに頷いた。
「でしたら、話は早いですね。できれば今日から働いていただきたいのですが──あぁ、ご心配なく。貴方の雇い主には、私から話を通しておきましょう」
自信満々に男は請け負う。
フレイヤの違和感は、一層膨れ上がった。
なぜ、男はそんなに急いでいるのか?
何も答えないでいると、男はフレイヤの肩に触れて、誘うように歩き出した。
「こちらに、調剤室があるのですよ。ご案内しましょう」
調剤室は、地下にあるらしい。
多くの薬草は、冷暗所に保管する必要がある。
だから、そのこと自体はおかしなことではない。
それでも、やはり何かがおかしい。
警戒心が膨れ上がるフレイヤの耳元で、男は囁いた。
「ああ、自己紹介をしていませんでしたね。私は『ミスティコ』の店主ドロスと申します」
ドロス──それは、偽りの名前。
男が名乗ったそれは、本名ではない。
フレイヤは、笑った。
真実の名を隠す。フレイヤも己の名は捨てた。
──ある意味で同志ね、貴方はニセモノだけれど。
内心呟きながら、フレイヤは言った。
「私は、フレイヤと申します」
二人は、地下室へ伸びる階段を一歩、踏み出す。
「よろしくお願いいたしますね、ドロスさま」
偽りに塗れた、ミスティコの店主。
彼がフレイヤに何を作らせようとしているのか。
とても、興味があった。




