18. 噂の店『ミスティコ』
フレイヤは、機嫌よく街を歩いていた。
普段であれば、ヤンの店に行く時間だ。
だが、今日の目当ては別にある。
「どんな店かは、気になっていたのよね」
周囲に怪しまれない程度に、フレイヤはにんまりと笑う。
きっと、もうじき王立憲兵騎士団が動くはずだ。
そうすれば、その店は潰れる。
本当であればもう少し前に行っておくべきだった。
だが、マクネア伯爵邸にあるユーディアライトを奪うための計画に、掛かり切りだった。
想定していた以上に伯爵邸の警備は硬く、準備には手間が掛かった。
なにより、男に変装するのは今回が初めてだった。
ユーディアライトを手に入れた今、ようやく余裕が生まれたのだ。
「ヤンは、あの店は趣味が悪いと言っていたけれど」
少し軽薄な印象のある、それでも根は真面目な青年を思い出す。
彼は普段の口調とは裏腹に、継いだ店と顧客を大切にしている。
そんなヤンにとって、がめつく金を稼ぐだけの商売は、軽蔑に値するのだろう。
「ホンモノであれば、相応の対価を請求して良いとは思うのよね」
だが、それがニセモノであれば。
厚顔無恥にもほどがあると、フレイヤは思うのだ。
「どうせなくなる店ですけれど、その前にどのような店主か顔を拝んでおくのも一興だわ」
魔法薬局のフレイヤの表情から、一瞬だけ、コンスタンツェが顔を覗かせる。
しかし、すぐに彼女は無害な少女に戻った。
「あら、フレイヤちゃん。どこかへお出かけ?」
ブリギッタの魔法薬局。
そこに勤めるフレイヤは、街に知り合いが多い。
だから、足を止めた酒屋の女将に声を掛けられるのも、いつものことだった。
「ええ、ちょっと。最近できたという、薬草店に行こうと思って」
「あらまあ、あらまあ。あの、最近できた新しい店かい? ヤンくん、泣いちゃうわねえ」
少し噂好きの女将。
彼女は色恋沙汰が大好きだ。
ヤンの店で若くして後を継いだ少年を、彼女は気に入っている。
そして、事あるごとにフレイヤとくっつけようとする。
分かっていても、フレイヤは相手にしない。
ヤンは、ホンモノを持っている。
それでも、彼はフレイヤの隣に立てない。
フレイヤが自分の隣に置くと決めた相手は、ただ一人──昔も今も、彼一人だ。
「少し、興味があるだけですわ。だって、品物がどれも高価だって言うじゃありませんか」
破産しちゃうわ、と、冗談めかして、少女は笑う。
女将は一瞬目を瞠って、楽しげに笑い声を立てた。
「確かに、その通りだ。あたしら庶民には到底、手が出ない代物しかないよ、あそこは!」
気を付けて行って来るんだよ、と言われて、フレイヤは手を振り返す。
そして、足取りも軽く噂の店『ミスティコ』に向かった。
◇◆◇◆◇
フレイヤが想像していたよりも、薬草専門店『ミスティコ』は繁盛していた。
薬草が主な商品だが、案の定、鉱石や動物製品も取り扱っている。
「おもしろい商売の仕方をしているのねえ」
少し離れた場所から、フレイヤは様子を窺う。『ミスティコ』は問屋だというのに、一元客にも品物を売っているらしい。
確かに、ヤンは「貴族の客がそっちに流れている」と言っていた。
手広く商売をするために、個人客も相手にしている──そう、解釈はできる。
「普通なら、ね」
僅かに目を細めて、フレイヤは冷たく呟く。
もちろん、本当にそんな理由であるはずがない。
小売り客が来なければ、彼らが本当に相手にしたい客が悪目立ちするから──だから、問屋と言いながら、貴族だけは受け入れているのだ。
問屋であれば、小売りにした時に単価は高くなってしまうと、言い訳も立つ。
来て欲しくない庶民は、その高さゆえに足が遠のく。
そういう、仕掛けなのだろう。
「私が分かるのだから、当然、彼も分かるはずだわ」
ラルスは、タンザナイト男爵の養子だ。
元はどこの種から生まれたとも分からない、卑しい庶民。
そう、貴族たちは認識している。
だからと言って、必ずしもラルスが愚かであるという意味にはならない。
むしろ、ラルスの本質と評価は真逆だ。
これほどまでに裏腹な人間も、珍しい。
「それこそ、私の次くらいには、珍しいでしょう」
表と、裏の顔。
フレイヤは、それを自覚的に作り出している。
ラルスは、そうではない。
彼は自ら望んだわけではないのに、表層と内実が掛け離れている。
本人は全く、気にも留めていないのだろう。
それが少しばかり、フレイヤは気に入らない。
ホンモノはホンモノらしく、太陽の下で輝くべきなのだ。
「私に似合うのは、太陽ではなく月だけれど」
本来の、虹色に輝く黒髪。
それが一番美しく光るのは、満月の下だ。
フレイヤは、魔力をふんだんに含んだ自分の黒髪が、月光を美しく反射するのが好きだった。
「あら」
その時、少し気になる男が店へ入って行く。
どこかで見た覚えがあった。
だが、どこで会ったのか、それとも遠目から見かけたのか、すぐには思い出せない。
「私にしては、珍しいこともあるものね?」
フレイヤは記憶力が高い。
どうでも良い相手はすぐに忘れるが、違和感の強い人間は、少なくとも顔は覚えている。
だが、その男のことは思い出せなかった。
「昔会った時は、違和感がなかったのかしら」
それなら、筋は通る。
昔は、何のことはない景色として見飛ばした。
今は、強烈な違和感で意識を引かれた。
その違いだ。
そして、時にはそんなわずかな差が一つの謎を生む。
「この店の、関係者かしら」
もちろん、まともな関係であるはずがない。
この店が手を染めている、裏の仕事──つまり、闇取引。
密猟はあくまでも、その一端だ。
フレイヤは目を細める。
獲物を見定めた、猫の視線だった。
そういう時のフレイヤは迷わない。
コンスタンツェだった時も、躊躇したことはなかった。
時機を待つべきなら、いくらでも待つ。
だが、その必要がない時に我慢するなど、全く趣味が悪い。
フレイヤはそう信じていた。
「行ってみましょう」
王立憲兵騎士団が摘発に来るのなら、事前にフレイヤは察せられる。
だてに長年、追われているわけではない。
確実に狙った宝を奪うため、フレイヤは時間をかけて様々な策を弄した。
その一つが、街中に張り巡らせた探知魔法だ。
普通に考えればあり得ない。必要とされる魔力量も術式も最上級で、メンテナンスにもひと手間どころかふた手間かかる。
だが、そのお陰で、王立憲兵騎士団の居場所を特定しようと思えば容易くできる。
ラルス以外の動向には興味がないが、目的を完遂するためには必要だった。
フレイヤは、足取りも軽く道を進む。
向かう先は『ミスティコ』だ。
公爵令嬢コンスタンツェだった時とは違う。今のフレイヤは、見るからに平民だ。
当然、『ミスティコ』の店主は歓迎しないだろう。口汚く罵られて追い出されるかもしれない。
でも、追い出すのであれば追い出せば良い。
暴言を吐くのであれば、好きなだけ吐けば良い。
店主はその時こそすっきりするかもしれないが、必ず後悔することになる。
その原因が、昼間に自分が怒鳴りつけた平民だとは気が付かないまま、人生に絶望する。
それを思えば、フレイヤはむしろ、楽しくて仕方がなかった。
「ごめんくださいな」
噂の店『ミスティコ』──扉は重厚で、他人を拒絶する雰囲気に満ちている。
だが、フレイヤは一切の躊躇なく扉を開けた。
樫の気で作られた分厚い扉はひどく重たい。
低い鐘が鳴る。
客が来たというのに、店主は一瞥しただけで、鼻を鳴らし視線を逸らした。
お前は店の客ではないと、態度で示している。
普通の人間なら、それだけで怖気づいただろう。
ただ、フレイヤは一般的な人間ではなかった。
軽んじられることに慣れていない、典型的な高位貴族でもなかった。
店主の反応に笑みを深め、気にすることなく店内を見て回る。
問屋の名にふさわしく、大量の在庫が棚に置いてある。
値札はない。欲しくなれば店主と直接交渉する、そういうシステムだった。
店内をただ回るだけでは、違法取引の証拠は見当たらない。
きっと奥の部屋に隠してあるのだ。
闇取引の客は、店主に特別な合図を出して特別室に通されるのだろう。
実際、フレイヤが注意を引かれた男は、店内に見当たらなかった。
「──裏口から出て行くはずもありませんのに」
当然、あの男は闇取引の関係者なのだろう。
「あの人は、どうするつもりかしらね?」
脳裏に浮かび上がるのは、王立憲兵騎士団の若き団長ラルス・タンザナイト。
密猟の疑いを与えたのはフレイヤだが、あの日からそれほど日数は経っていない。
取り引き現場になっている『ミスティコ』はすぐに突き止められるだろうが、その裏にある複雑な、蜘蛛の巣を思わせるシンジケート。
その全容を、ラルスは突き止められたのか。
フレイヤは湧き起こりそうになる笑いを、控えめな笑みに替えた。




