15. 魔法薬局のフレイヤと撒いた種
ふふ、と笑う。
フレイヤは、ブリギッタの魔法薬局で、窓際に置いたハーブに水をやっていた。
すぐ傍のテーブルには、今日の朝刊が載っている。
愛猫で使い魔のヴィオレは、今日は猫の姿で毛づくろいをしていた。
前足に踏まれた朝刊がくしゃりと皺になっている。
「ねえ、ヴィオレ? やっぱりラルス・タンザナイトは優秀ねえ?」
「みゃお」
ヴィオレは小さく返事をした。ゆっくりと瞬く目が、フレイヤを一瞥する。
お前がきっかけを作ったのだろうと、無言で訴えているようだ。
「麝香を彼に見せたのは確かに私だけど、そこから密猟者を見つけて捕縛に至ったのは彼の実力よ」
疑わしげに、ヴィオレは尻尾をぱたんとテーブルに打ち付けた。
ヴィオレは「そうよ」と再度言葉を重ねる。
「もちろん、彼ならきっと密猟の裏にも辿り着くでしょう」
フレイヤは確信している。
ラルス・タンザナイトが失敗するのは、怪盗令嬢に関することだけだ。
だが、それ以外の功績は目を瞠るものがある。
実際に、他の事件の検挙率は、すでに前団長ヨアヒムを越えていた。
ヴィオレは呆れたように大きなあくびをして、その場にくるりと丸まる。眠るようだ。
柔らかな黒い毛並みが、呼吸と一緒に動く。
その様子を視界の端で見て、フレイヤは笑みを深めた。
フレイヤと違って、ヴィオレはラルス・タンザナイトに興味がない。
使い魔なのだから、主人の趣味に合わせても良いのではないかと思う。
だが、何でもかんでも追従されると、それはそれでうんざりする。
「違うからこそ、面白いのよね。おべっかを言う人間ばかり集めたって、鍍金が分厚くなるだけでしょう」
それこそ、王家のように。
鍍金が剥がれたら、誤魔化せない真の姿が露わになるだけだ。
フレイヤの愛するホンモノであれば、問題ない。
問題になるのは、中身がニセモノだった時だ。
冷徹な微笑を浮かべ、フレイヤは窓を開けた。身を乗り出して、ジョウロを窓の外に置く。
手慣れた手つきで魔法薬を煎じながら、フレイヤは思い出す。
それは、まだフレイヤがコンスタンツェ・ルベラティスだった時──公爵家の令嬢であり、王太子ケンドリック・ハウライトの婚約者だった時の話である。
◇◆◇◆◇
王太子ケンドリックとの婚約から三年経ったある日。
フレイヤ──コンスタンツェは、王宮の中庭でケンドリックを待っていた。
九歳になったばかりだったが、厳しい教育のお陰で、コンスタンツェはすでに淑女だった。
ケンドリックもまた、優秀な王太子という評判通りだった。
コンスタンツェより二歳年上で、能力が高く、本来なら数年後に習う分野の教育も受けているという。
だから、二人の会話はいつも事務的だ。
ケンドリックの興味はいつも知識と政務で、フレイヤの関心とは違った。
──浅薄。
それが、フレイヤのケンドリックに対する評価だ。
確かに、知識は多い。記憶力も良い。
色々な物事を適切に分類し、ラベルを付ける。
必要な時に、必要な知識を取り出す。
それぞれの記憶を結びつけることも得意だ。
だから、人々はケンドリックを手放しで誉める。
素晴らしい次代だと、ケンドリックが居ればこの国は安泰だと、誰もが言う。
ケンドリックも、賛辞を当然のものと受け取る。
だが、フレイヤには薄ら寒く映った。
──ニセモノなのに、変なの。
九歳のフレイヤは、そう思った。
なぜニセモノと思ったのか、理由は分からない。
それでも、その表現がフレイヤにはしっくり来た。
他に適切な表現は、見つからなかった。
そう。
ケンドリックはニセモノなのだ。
王太子だけではない。
ハウライト王家は、ニセモノ。
フレイヤは、ニセモノは嫌いだ。
なんであっても、ホンモノが良い。
宝石だって、ホンモノでなければ価値がない。
絹だってなんだって、ホンモノでなければそれは紛い物なのだ。
当然、人間であっても同じこと──フレイヤが求めるものは、ホンモノだけ。
「コンスタンツェ嬢、待たせたな」
「いいえ、お待ちしておりませんわ。殿下もご多用の折に、わたくしのためお時間を割いていただき有難う存じます」
そんなことを考えていたら、ケンドリックが来た。
周囲の者たちが、感嘆の眼差しを向ける。
年齢にそぐわない、紳士と淑女の会話。
ケンドリックだけだけでなく、コンスタンツェも十年に一度の逸材と言われていた。
──否。
ケンドリックは、百年に一人と噂されている。
それもまた、コンスタンツェにとっては笑止千万だ。
王太子程度の男は、どこにでもいる。
どうやら、周囲が思う優秀さと、コンスタンツェの考える真の王とは、相容れないものらしかった。
「お稽古をなさって来たとか」
「ああ。剣を少しな。なかなか頭を使うぞ」
ケンドリックは、薄ら汗をかいている。
「さようでございますか。お怪我はなさいませんよう。御身に何かあっては一大事ですから」
「心配性だな、コンスタンツェは」
それでも、心配されて嫌な気分ではないのだろう。ケンドリックは機嫌が良い。
なんで銃にしないのかしら、とコンスタンツェは冷めた気持ちで思った。
剣も良く使われているが、身を守るのであれば飛距離のある銃が良い。
王太子には、いつも護衛が付く。
近場の敵は護衛が片付ける。その間に、王太子は安全な場所に逃げるのだ。
──ニセモノって、外側を派手に飾り立てるものね。
結局、フレイヤはそう納得した。
銃よりも剣の方が、立派な騎士に見える。
ただそれだけの理由だろう。
歴代の王は、騎士の格好で肖像画を残している。
ケンドリックはそれを覚えていて、憧れたに違いない。
「それで、コンスタンツェ嬢。今日は、せっかくだから王立憲兵騎士団の兵舎に行こうと思うのだ。将来の国王として、彼らを指揮する立場になるからな。王妃は指揮権は持たぬが、知っておいて損はなかろう」
意気揚々と、ケンドリックは言う。
その口調は、彼の祖父にそっくりだ。まだ口慣れない様子で、少したどたどしい。
周囲の大人は、そんな王太子を微笑ましく見守っている。
正直、コンスタンツェは王立憲兵騎士団に興味はなかった。
武力で手に入れる権力など、粋ではない。
とはいえ、反論する気もなかった。
ケンドリックは、反論を嫌う。
受け入れる素振りは見せるが、まだ幼いせいか、表情を誤魔化せない。
その点、コンスタンツェは常に微笑で感情を取り繕っていた。
お陰で、穏やかな令嬢だと思われている。
「面白うございますね」
「そうだろう。さあ、行こう。もう用意をさせているのだ」
別に、コンスタンツェは王立憲兵騎士団の視察が面白そうだと言ったわけではない。
ケンドリックが自信満々に、決定事項を告げている。
だが、コンスタンツェのことを真に慮ったわけではない。
それなのに、コンスタンツェの発言で一層得意げになっている。
それが、滑稽だった。
「参りましょう」
素直に、コンスタンツェはケンドリックと共に王立憲兵騎士団の兵舎へと向かう。
全く期待していなかった、突然の視察。
その時はまだ、コンスタンツェは全く運命の出会いを予想していなかった。




