13. 怪盗令嬢の落とし物
マクネア伯爵テオバルトとヤフェスが執務室で茫然自失に陥っている頃──。
私兵たちの喧騒も背後に置き、悠々と歩く人影が一つあった。
その足取りに迷いはない。
虹色に輝く黒髪をなびかせ、目指す先は決まっていた。
「さすがに、サーチライトに照らし出された人影が私でないことは、ラルス・タンザナイトも分かっているでしょう」
あの程度、魔法でもなんでもない。単なる手品だ。
種も仕掛けもあるトリックを、王立憲兵騎士団団長が見破れないはずがない。
もっとも、マクネア伯爵の私兵は騙されてくれたようだが。
屋敷に張らせていた私兵の半分を慌てて差し向けた先には、彼らを馬鹿にするような布製の人形が一体、転がっているだけだ。
大きく口を開けて相手を嘲笑うような刺繍をした人形。
私兵がそれを見つけて愕然とし、地団太を踏む。
その瞬間を想像して、怪盗令嬢──本来の姿を現わしたフレイヤは、紅を差した唇に笑みを浮かべた。
「それに、そろそろ家宝が奪われたと気付く頃合いじゃないかしら」
いつも、怪盗令嬢は犯行時刻と狙う獲物を予告する。
だが、犯行時刻に盗んだかどうかなど、誰も分からない。
事前に獲物をすり替えておく──それもまた、一つの手だ。
「ラルス・タンザナイトが、怪盗令嬢は虹色に輝く黒髪を持つと伝えていれば──そうしたら、警戒の仕方も変わったでしょうにね」
愚かなこと。
だが、その愚かさが人間の証だ。
決して、愚かだからという理由だけで軽蔑はしない。
ただ、ニセモノがホンモノの顔をして、彼女の視界に入る──それが、目障りなだけ。
「ああ、でも、その情報が伝わったからと言って、マクネア伯爵の取る手段はそれほど変わらなかったでしょう。きっと、王立憲兵騎士団を敷地内に入れたくないご事情がおありなのでしょうから」
くすくすと、怪盗令嬢は笑いを零す。
マクネア伯爵は上手く隠しているつもりなのだろう。だが、それも時間の問題だ。
その時、怪盗令嬢は一瞬歩調を緩めた。
次の瞬間、彼女は魔法で数メートル先に転移する。そのまま肩越しに振り返ると、そこには剣を構えたラルス・タンザナイトが居た。
「あら。お久しぶり、というほどでもないかしら」
「お前が仕事に精を出しているお陰だ」
全く嬉しくなさそうに、ラルス・タンザナイトは吐き捨てる。
両目は爛々と光り、怪盗令嬢の一挙手一投足も見逃すまいとしていた。
「感謝されるって、気持ち良いのね」
怪盗令嬢は目を細める。だが、全く思ってもいない口調だ。
ラルスは、眉間に皺を寄せた。
毎回、怪盗令嬢はラルスを揶揄うようなことばかり言う。
いい加減に慣れたつもりだが、彼女の一言一言が魔法の前触れかもしれないと思うと、緊張を解けない。
「ユーディアライトを返せ」
「まあ」
端的に、ラルスは要求を突きつける。
全く驚いていない声と表情で、怪盗令嬢は大げさな反応をしてみせた。
「私がユーディアライトを盗んで来たと?」
「それ以外にないだろう」
「確かに、そう予告はしたわね」
言いながら、彼女は右手を顔の高さに掲げた。その指先には、二センチメートル程度の深紅の宝石。
ユーディアライトだ。
ほら見ろと思いながら、ラルスは剣を持っていない方の手を女怪盗に差し出す。
「返せ」
「なぜ?」
心底不思議そうに、怪盗令嬢は首を傾げた。
ラルスは片眉を上げる。
「当たり前だろう。それは、マクネア伯爵家のものだ」
「あらまあ」
軽やかな笑い声。
さもおかしくて堪らないと言いたげに、怪盗令嬢は目を細めた。
「元を正せば、宝石など地中に埋まった石でしかなくってよ。その後、幾人もの手を渡り、歴史を積み重ね、人が価値を見出すだけ。それなのに、なぜこれがマクネア伯爵家のものだと言えるのかしら?」
ラルスは眉間の皺を深める。
一体こいつは何を言っているのか。
元から、怪盗令嬢の話にはついていけないことがあった。
だが、今回の発言はこれまで以上に訳が分からない。
謎かけのような、問答のような台詞に考え込みそうになる。
ラルスは首を振った。
理解できない発言でラルスたちを攪乱する、それもまた怪盗令嬢の企みに違いない。
惑わされてはいけないと、ラルスは自身を戒めた。
「関係ない。ユーディアライトの所有者はマクネア伯爵家だ。所有権がある以上、不当な奪取は盗難でしかない」
どんな大義名分があろうと、違法行為は処罰対象だ。
怪盗令嬢は、ここ四、五年で数々の盗難を繰り返している。
被害総額は、国家予算に匹敵するほど。
これ以上の被害拡大は、防がなければならない。
王太子たちは王立憲兵騎士団団長のラルスを更迭することで貴族の不安と不平を抑えようとしているらしい。
だが、団長の首を挿げ替えた程度で、怪盗令嬢を捕縛できるとは到底思えなかった。
ラルスは若いが、自分の実力は正確に評価している。
過信することも、卑下することもない。
そして、怪盗令嬢の能力も、ほぼ正確に見抜いていた。
「そうねえ──今のところは、そうなっているわね」
意味深な言葉を、怪盗令嬢は漏らす。
それもまたこちらを当惑させるためのものだと、ラルスは判断した。
じりじりと、二人の距離を詰めていく。
怪盗令嬢に気取られないよう、魔法を彼女の周りにゆっくりと展開する。
捕縛の魔法。
かつては使われていたらしい。だが、今は使われることのない、高度な技術だ。
この数年を掛けて、ラルスは独自にその魔法を習得していた。
一度発動しただけで、かなりの魔力を持って行かれる。すぐには動けない。
失敗すれば怪盗令嬢は捕まえられないし、追跡も難しくなる。
だが、効果は高い。
万能の魔法使いとも称される虹色の黒髪を持つ彼女を相手取るには、必要な手立てだった。
そして、その魔法を使える者は限られている。
魔力量が多くなければ決して使えないし、どうやら適性というものがあるらしいことも分かっていた。
発動に十分な魔力を持っていても、適性がなければ廃人になる。
廃人にならずとも、二度と魔法を使えない体になることもあるようだった。
だが、ラルスは使える。
使った直後は動けなくなるが、全くの健康体だ。
魔力が回復すれば、すっかり元通りである。
一つ懸念があるとすれば、鍛錬が足りないということだ。
本当は、もう少し使いこなせるようにしておきたかった。ただ、他の任務もある中、時間が足りなかったのだ。
そんなラルスを愉悦に満ちた瞳で見つめながら、怪盗令嬢は右手を軽く振った。
ユーディアライトが消える。
本当に消失したわけではない。
魔法を使って、決して落とさない場所に仕舞い込んだだけだ。
「なんとでも言え。そんな軽口をいつまで叩けるかは、見ものだな」
「楽しみねえ」
今度は本心のようで、怪盗令嬢は心底楽しげに声を立てる。
目を細めて、彼女はラルスを見やる。わずかに小首を傾げた、その瞬間──鮮烈な閃光が、怪盗令嬢の周囲を囲む。
捕縛の魔法が完成したのだ。
ラルスは、表情を変えない彼には珍しくにやりと笑った。
徐々に円の半径が狭まって行く。
その中は、魔法を使えない。
これで、怪盗令嬢は逃れられない。
理論的には、その通りだ。だが、ラルスは警戒を解かない。
相手は全属性の魔法を操れる怪盗令嬢だ。
虹色に輝く黒髪はその資格を持つだけで、実際に全属性の魔法を使えるかは別問題である。
ただ、怪盗令嬢は間違いなく、全属性の魔法を使いこなせる人物だ。
万全に見える捕縛の魔法も、彼女の前では無力かもしれない。
そう思いながらも、じりじりと光の環を縮めていく。
完全に光が一つの球体を形作る──本来なら、捕まえられるはずだ。
それなのに、ラルスは違和感を覚えていた。
そこには、なにもない。
怪盗令嬢がいるはずの、その中心。
全く、手応えがない。
ラルスの表情が硬くなる。
もしかして──また、自分は失敗したのか。
怪盗令嬢は、どうやっても捕まえられないのか。
やがて、光が切れる。同時に、ラルスは息を切らして膝をついた。
魔力が底をついたのだ。
むしろ、ラルスが気絶していないことの方が奇跡的だった。
魔術師オーラン・カウマンスが聞けば、目を剥いて驚くに違いない。
だが、ラルスにとってはそんなことはどうでも良かった。
怪盗令嬢の姿はない。
今回も、取り逃したのだ。
そのことが何よりも悔しい。
マクネア伯爵に苦言を呈されることも、王太子ケンドリックから更迭を言い渡されるかもしれないことも、どうでも良かった。
今度こそ捕えると決めていた怪盗令嬢は今宵もまた自由だ。
自身の不甲斐なさに、ぎりと歯を食い縛る。
「──あれは?」
肩で息をしながら、ラルスは光が霧散した中心を凝視した。
そこに怪盗令嬢の姿はない。
だが、先ほどまでは無かったはずのものが、転がっていた。
「一体、なんだ? あの女の落とし物か?」
もしかしたら、怪盗令嬢の正体を突き止められるかもしれない。
そう思って、ラルスは気力を振り絞り這いずるようにして近付く。
手を伸ばして引き寄せると、それは小さな手帳だった。
「手帳?」
怪盗令嬢の印象とは繋がらない、古びた黒革の薄い手帳だ。
彼女は宝石を盗むが、書類や手帳、日記帳といった類には手を出さない。
その場に座り込んで、ラルスは手帳を開いた。
もしマクネア伯爵家から怪盗令嬢が盗んだものならば、返却しなければならない。
だが、女本人の持ち物であれば、正体を突き止める一助となるだろう。
「手帳というよりは、これは──契約書の写しを纏めたものか」
パラパラと、紙を捲る。
古いものから比較的新しいものまで、様々だ。
だが、一番新しい契約書に書かれた日付け──ラルスは、違和感に目を細める。
「二年前?」
今から、二年前──それは、ラルスが王立憲兵騎士団の団長になった年。
前団長が不慮の事故で命を落とした年でもある。
その契約書に書かれた内容。
それは、ラルスにとっては看過できないものだった。




