12. 忍び込まれた屋敷と奪われたもの
その光景を、ラルス・タンザナイトは離れた場所から見ていた。
今回、王立憲兵騎士団はマクネア伯爵邸に近付くなと厳命されている。
公僕にすぎないラルスたちは、伯爵の命令には逆らえない。
とはいえ、怪盗令嬢を長く追跡している彼らにとっては、ある意味予想通りだった。
「屋敷の明かりが落とされたな」
間違いなく、今の伯爵邸は混乱に陥っているはずだ。
人間は暗闇を本能的に恐れる。
いつ敵が来るか分からず常に警戒を強いられている中、唐突に全ての明かりが消えるのだ。
間違いなく、彼らは疑心暗鬼になっているはずだった
──それが、怪盗令嬢の狙いとも知らずに。
ラルスは、視線を屋敷に留めたまま、仲間に連絡を取る。
一般的には知られていない、王立憲兵騎士団お得意の魔法だ。
「準備しろ、もうそろそろ、あの女──怪盗令嬢が出て来るぞ」
「了解」
ずっと、ラルスは「盗人」と呼んでいた。
だが、王立憲兵騎士団の団員たちは、面白がって新聞が付けた名を口にするようになった。団員のほとんどが庶民、もしくは下位貴族出身であることも大きいだろう。感覚は、どうしても庶民に似る。
お陰で、ラルスばかりが意地を張っているような雰囲気になった。
最終的には、ラルスが折れた。
折れたラルスは怪盗令嬢と呼ぶようになったが、どうにも複雑な心境だ。
「団長、こちらは準備完了しました」
フィンの声が響く。ラルスは頷いた。
「気を抜くなよ。いつ出て来るか、分からないからな」
怪盗令嬢は神出鬼没だ。
いつ、どこに姿を見せるか分からない。
だから、一番捕縛しやすい瞬間が、物を盗んで出て来たところだった。
盗品を持っていることが分かれば、その時点で犯罪の証拠になる。
だが、彼女が仕事をする前であれば、一般人との見分けがつかない。
全属性の魔法を使える彼女にとって、多少なら容易く見た目を変えられるはずだった。
無実の人間を捕らえたとなっては、王立憲兵騎士団は批判の的だ。
ただでさえ、怪盗令嬢を捕らえられないと揶揄されている。貴族からは手厳しく批判され、正直後がない。
もっとも、巷の無責任な非難など、ラルスは全く気に留めていないのだが。
ラルスは、自身の体に魔力を満たす。慎重に、見知った気配を探す。
他の団員にはできない芸当だ。
魔法を使いこなす能力に秀でているのはもちろん、怪盗令嬢との面識はラルスが一番多い。
会えば会うほど、相手が持つ魔法の質や気配を記憶できる。
必然的に、ラルスは怪盗令嬢の存在を感知できるようになっていた。
◆◇◆◇◆
一方、マクネア伯爵邸はラルスの予想通り、パニックに陥っていた。
視界を奪われた私兵は右往左往し、敵を見つけようにも上手く行かない。
伯爵テオバルトはどうにか明かりを取り戻そうとするが、不思議とどの照明も動かなくなっていた。
「どういうことだっ!?」
テオバルトはいきり立つ。
だが、問われても答えられる者はいない。
その質問の答えを知る者は、怪盗令嬢だけだ。
もしかしたら、ラルスならば解決策をすぐに見出せたかもしれない。だが、あいにくと王立憲兵騎士団の立ち入りは、伯爵自身が禁じたばかりである。
「ヤフェス! どうにかしろ!!」」
長兄は私兵に指示を出すため部屋に居ない。
だから、テオバルトの怒りの矛先は部屋に残っているヤフェスに向かった。
とはいえ、ヤフェスも魔法に関しては素人なのだ。多少、テオバルトや他の人間より知っている程度である。
それでも、ヤフェスは落ち着いていた。
こういう時にこそ落ち着いているべきだと、ヤフェスは理解していた。
「父上、騒いでは敵の思う壺です。慌てて警戒が疎かになる瞬間を、狙っているはずですから」
「だが、今にも怪盗令嬢──ええい、盗人であるにも拘わらず腹立たしい異名なぞ持ちおって。あの忌々しい盗人めは、今にも我らの家宝を盗みに、すぐ近くまで来ているかもしれんのだぞ!」
テオバルトは止まらない。唾を飛ばして、ヤフェスに食って掛かる勢いだ。
こうなっては理性に訴えかけても無駄である。
ヤフェスは、長年の経験からそれを知っていた。
「部屋が暗くても分かるでしょう。この部屋には私と父上しかいません。先ほど兄上が出て行きましたが、それ以降、扉も開いていない。そして、盗まれてはならぬものは、昨夜からこの部屋に置いているのです。それでもなお心配なのでしたら、一度、物がちゃんとあるかどうか確認してみますか?」
テオバルトは押し黙った。
ヤフェスの提案に、心が揺れ動いていることが分かる。
結局、テオバルトは不安なのだ。それほど完璧を期したつもりでも、怪盗令嬢にしてやられるのではないかと、それが恐ろしい。
これまでも、怪盗令嬢は数々の罠を潜り抜けて来た。
王立憲兵騎士団の不手際だと責め立てても、心のどこかでは、彼らが捕まえられないのであれば他の誰も怪盗令嬢を捕らえられないのではないか、と思っている。
ここ最近は怪盗令嬢相手に苦戦していることもあって、王立憲兵騎士団の評価は下がり気味だが、それでもこの国随一の優れた騎士たちである事実に変わりはない。
「──そうだな」
しばらく考えた末、テオバルトは低く唸った。
「確かに、ここで一度確認してみても良いかもしれん。ヤフェス、確認しろ」
端的に、そして尊大に、テオバルトは息子に命じる。
いつも通りの態度だった。
ヤフェスは上着のポケットから魔法道具を取り出す。
王太子ケンドリックの側近の一人、優れた魔術師であるオーラン・カウマンスから貰ったものだ。何かあった時に使えと、渡されていたものだった。
魔法を使えないヤフェスでも、簡単に使えるよう細工がされた、懐中灯だ。
蛍のように頼りない光が、室内に灯る。
それでも、恐ろしい暗闇の中では一筋の希望に思えた。
ヤフェスはゆっくりと金庫に近付く。
テオバルトと嫡男、ヤフェスしか知らない暗証番号。金庫のダイヤルを回せば、かちりと手応えがあった。
少し緊張しながら、重たい扉を開く。
わずかに鈍い音を立てながら、金庫は開いた。
金庫の中央に、黒ビロードの布に包まれたユーディアライト。
深い濃赤に輝く、美しい宝。
マクネア伯爵家の繁栄を、約束してくれる宝石。
そして、この国における権力の象徴だと、ごく限られた者だけが知っている。
間違いなく、ユーディアライトは金庫にある。
宝物庫からテオバルト自ら持ち出し、金庫に入れた。
その全てを、ヤフェスと兄の嫡男が見守っていた。
今日の昼も、三人で確認した。
昼以降、この部屋には必ず二人以上が居た。
だから、怪盗令嬢がユーディアライトを盗む機会などない。
そのはずだった。
「──っ、」
驚きすぎると、人は声が出ない。
愕然として、ヤフェスはその場に立ち尽くした。
「おい、どうした」
テオバルトが苛立った声を出す。
尊大な父だが、ヤフェスの反応に違和感を覚えたらしい。
訝しげな表情で、ヤフェスの背後に近付く。肩越しに金庫を覗き込み、テオバルトもまた驚愕に顔を固まらせた。
「な──っ!」
決して、失われるはずのないユーディアライト。
美しい深紅の宝石は、忽然と姿を消していた。




